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「めいちゃん先生!」
結歌の大きな声が、学校の廊下に轟く。
苦虫をかみつぶしたような顔をして、咲音は後ろを振り返る。
「だから、そう呼ぶの止めなさい」
「先生! あたしたち、部を創りたいんです」
「却下」
「瞬殺! まだ、なんの部を創るかも言ってないのに」
「あんたたちの考えそうなことぐらい、わかるわよ」
「じゃあ、何部かわかるんですか?」
「初音ミク部?」
「おしい!」
美琴がていっ! と、おでこにチョップ。
「おしい! じゃないだろ」
美琴が語を次ぐ。
「ボカロ部を創りたいんです」
「ボカロ部?」
「先生は初音ミクをご存じですよね?」
「まあ、名前ぐらいは」
「曲はご存じですか?」
「友達がカラオケで歌ってたかな? それぐらいよ」
「パソコンで歌声を合成するソフト。それが初音ミクの、一般的な認識ですが、実は、この種のソフトは、たくさん発売されています。初音ミク以外にも、鏡音リン・レンや、巡音ルカ、MEIKO、KAITO、GUMIなど。もちろん、この限りではありません。私たちボカロ愛好家の間では、そういった音楽のジャンルを『ボカロ』と呼んでいます」
「それで?」
「その音楽を作成し、発表する場所を提供していただけないでしょうか? ついでに、顧問になってくれたらなお嬉しい」
「顧問の話は置いといて、活動場所は?」
「パソコン実習室をお貸しいただけないかと…」
「残念だったわね。あそこはもう、パソコン研究部の部室になってるわ」
「それは知ってます。実習室全部を貸してくれというわけではなく、その中にある、パソコン一台だけを、貸していただきたいのです」
「一台だけねぇ。それなら可能かも知れないけど、パソコン研究部の顧問の先生に、訊いてみないと」
「顧問って、なんて先生ですか?」
「
口からよだれを垂らす結歌。
「カイト先生ですね」
「結歌は、いいから黙ってろ」
「はひっ!」
「今、どちらにいらっしゃるか、知りませんか?」
「担任のクラスにいなければ、職員室か、パソコン実習室じゃないかな」
「ありがとうございます」
美琴は深々とお辞儀をして、踵を返した。結歌もつれられてお辞儀をし、美琴の後を追った。
ふたりは、職員室の戸を叩く。
「失礼します」
戸を開ける。
歳は、めいちゃん先生と同じくらい。何回か、授業を受けたことがある。机の上にうずたかく積まれた書類のむこうに、風雅先生の顔が見えた。
ふたりは、静かに歩み寄る。
結歌が、真後ろから声をかける。
「カイト先生!」
ていっ! と、頭の頂点にチョップ。
今回のチョップは、さっきより強めだ。涙目で、美琴に「なにすんだ!」と訴える。美琴は冷ややかな目で「さがってろ」と訴える。
「何かあったかあ」
「いえ。お願いがあってきました」
「お願い?」
「はい。実は私たち、ボカロ部を創ろうと考えています。風雅先生が顧問をされているパソコン研究部に、間借りさせていただけないでしょうか?」
「ボカロ部? なんだい、それは?」
「詳しいことは、顧問の咲音先生にお聞きください」
「間借りっていっても、パソコンが使いたいなら、人数分は無いぞ」
「一台で結構です」
「インターネットにもつなげられないし」
「それもご心配なく。部室で行う主な活動は、部員が持ち寄った素材を、組み立てる作業だけで、インターネットにはつなぎません」
「せっかく創っても、UPできないんじゃ、つまんないんじゃないか?」
「お気遣い、ありがとうございます。動画サイトへのアップは、部員の家で、部員のアカウントで行います」
「そう。じゃあ、実習室の戸締まりの関係もあるし、研究部が活動している時間ならいいよ。入り口近くにある、A―1番のパソコンなら、いつでも空いてるから、それを使うといい」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、これから一緒に行こうか」
「はい」
風雅先生が先導して、職員室を出て行く。
美琴は、深々とお辞儀をした。つられて、結歌もお辞儀をした。美琴は踵を返し、颯爽と職員室を出て行った。結歌はあわてて付いて行った。
結歌が美琴に耳打ちする。
「ねえ、美琴。めいちゃん先生って、いつ顧問になったの?」
「バカ。事後承諾よ」
「事後…」
風雅先生が、パソコン実習室の戸を開ける。
中では既に、パソコン研究部のメンバーが、パソコン数台を囲んで、喧々囂々、侃々諤々、パソコンのモニターを見つめながら、キーボードを叩いている。
「作業中のところ悪い。今日から、ボカロ部と、実習室を供することになった。ただ、使うパソコンは、A─1の一台だけだ。使うのは何人?」
「えっと、四人です」
「だそうだ。活動時間は、パソコン研究部の時間内だそうだから、みんな、よろしく頼む」
結歌と美琴はお辞儀をした。
「「よろしくお願います!」」
パソコン研究部のメンバーの反応は薄い。おもむろに顔を持ちあげ、こっちを見たのは、ほんの数名。
部員は、十五、六人。そのうち、女性が二、三人。二人から五人ほどのグループが、五台のパソコンに分かれて活動している。
こっちを見た数人も、すぐに目線を落とした。
「愛想のない奴ら」
口には出さなかったが、結歌はそう思った。
「パソコンの扱い方は、授業で知ってると思うから、省略する。へんなソフト、インストールするなよ」
そう言い残して、カイト先生は出て行った。
結歌は早速、パソコンの電源を入れる。見慣れた起動画面が表示さる。
「早速、なにやる?」
美琴は冷静に答える。
「メンバーを集める」
ぽん! と手を叩いて、結歌はスマホをなぞり、メールでメンバーに招集をかける。
結歌:ボカロ部全員 今すぐ、パソコン実習室に集合 15:29
Re:どうしてパソコン実習室?@笛子 15:32
Re:今すぐ? 急だな@鈴 15:32
結歌:今さっき、パソコン実習室を部活の拠点として認められた 15:36
Re:なるほど。了解した@笛子 15:38
Re:認められた? 誰に?@鈴 15:38
結歌:カイト先生だ 15:40
Re:カイト先生が? なぜ?@鈴 15:42
美琴:藤田結歌部(・)長(・)が、顧(・)問(・)の、めいちゃん先生にかけあってくれた 15:46
結歌:部長? あたしが? 15:48
美琴:他に誰がいます? 15:49
Re:いつ、結歌が部長になったの? めいちゃん先生が顧問ってなに?@鈴 15:53
Re:なるほど。藤田結歌部長。顧問めいちゃん先生。了解@笛子 15:54
結歌:そこ、勝手に了解しない 15:56
Re:ま、いっか。結歌部長、了解@鈴 15:57
結歌:軽! 15:59
美琴:詳しいことは、来ればわかるよ 16:00
結歌:そこ、勝手に事を進めない 16:02
Re:今からむかう@笛子 16:04
鈴:なんか、よくわかんないけど、行く。でも、今すぐは無理 16:08
結歌 どのくらいで来れる? 16:10
鈴:今、学級会だから、その後 16:12
結歌:時間は? 16:14
美琴:突っこむとこ そこ? 学級会中にメールってあなた 16:17
鈴:もう、終わる 16:20
結歌:了解。待ってる 16:22
鈴:じゃあ、あとで 16:24
ほどなく、笛子と鈴がやってくる。
パソコンに、外付けハードディスクを、鈴はつなげる。
「どうやって、許可、とったの?」
さて? という顔をして、結歌は美琴の顔を見る。
「めいちゃん先生が顧問になってくれるって」
「めいちゃん先生が? でも、それだけで、ここを使わせてくれるわけない」
「パソコン研究部の部室を間借りするという形で、カイト先生に口を利いてくれたの」
「つーか、めいちゃん先生が顧問を請け負ったって話が、まず、信じられないんだけど」
「それはね、事後だって」
ていっ! と、結歌の頭に三度目のチョップ。
「いったいな!」
「失礼。つい、叩きやすい高さにあったもので」
「ぶぅー。いじめだ。いじめ」
「とにかく、さっそく、動かしてみよう」
めずらしく、笛子が興奮している。
「OK。じゃ、スタート!」
鈴が、パソコンのエンターキーを叩く。
『ドッグ・ラバー』の曲が、パソコンのスピーカーから流れてくる。
この時、遠く、C─4のパソコンにいた、ひとりの男子生徒が、結歌たちの方に、聞き耳を立てている。
曲にあわせて、鈴が創ったMMDを、四人で改めて見た。出来は、お世辞にも良くない。
動きそのものは良い。なめらかな体の動き。不自然さを感じない手足の動き。重力を感じるステップとジャンプ。だが、音楽にあっていない。
笛子は言う。
「改めて訊く。これは、他のMMDのモーションをつなぎ合わせて創った。おk?」
「だいたいあってます」
「曲調に合ってそうなモーションを継ぎ接ぎに?」
「そのとおりです」
「このモーションは一回、忘れて、一から創り直す。おk?」
「よろしくお願いします」
「選曲は、このまま『ドッグ・ラバー』。ミディアムテンポだから、振りも忙しくならなくて、ちょうど良い」
「はい」
「まず、歌詞から復習」
*
ドッグ・ラバー
散歩に リードつなぎ
公園 一緒に はしゃいで ころんで 土まみれ
エサは 手作り
あたしの 部屋で ワンワン 吠えて まちぼうけ
お手 おかわり おあずけ
ああ カワイイ あたしの 子犬ちゃん
つぶらな瞳 見つめないで 吸いこまれそう
キスは早いわ
まずは おすわり
お手は 今度ね にぎってあげる
*
「ここまで前半。出だし、犬を散歩するしぐさから」
笛子は、狭い教室の中を、犬を散歩するようなしぐさをして見せる。
「これだけだと、散歩、そのもの。でも、相手は好きな彼。散歩するしぐさに、好きな彼と一緒にいるときめきを入れる」
散歩のステップに、右や左、後ずさりを入れ、さらに手も、リードに振り回される動作をくわえる」
「「「おお!」」」
一同から歓声があがる。
今度は、犬を相手に『お手』『おかわり』『おあずけ』の動作をする。
「これだけだと、単なる犬相手。でも、相手は好きな彼。まず、料理をするところから」
足のステップは、散歩の時とほとんど変えず、目線や手振りで、料理をし、手を出して、待たして、OKと、手を足元に下にさげる。
「ここは、散歩の歌詞とかぶっているから、ステップは変えずに、手振りで表現する」
一同、今度は固唾を飲んで見まもる。
「次ぎ」
散歩のステップを止め、今度は真逆に、足を引きずるような、ゆっくりとした動作。犬を中心として、回るように、じれったい動き。手は、頬をすり、腕をからめ、中心に吸いこまれる。思わず、犬の鼻がくっつきそうなくらい、かがみこんで、ぱっと離れる。
今までした自分のしぐさを、ごまかすように、はしゃいで見せて、右手の人差し指と中指にキスをし、手を振って、まて、おすわりのしぐさ。最後は、そっと、手をにぎる。
鈴が曲を止める。
「ざっとだけど、こんな流れで、創ってみた」
三人が、スタンディングオベーション。
「おい! うるさいぞ!」
パソコン研究部の男子から、怒声が飛ぶ。
「ご、ごめんなさい」
「ダンスのレッスンんなら、体育館でやれよ」
「すいません」
言われみればそのとおり。ここに来た目的は、MMDを創ること。
「じゃあ鈴。今までの所を、MMDに起こして」
「え? ちょっと待って。たった一回しか見てないのに。無理」
「じゃあ、もう一回、踊ってみせる」
「そうすると、パソコン研究部のじゃまになるし」
「そうか…」
思案に暮れている四人の元に、さっき、結歌たちに聞き耳を立てていた男子が、近づいて来た。
髪はボサボサ、色白で、細い体に手足。おもむろに、パソコンを覗きこんだ。
「初音ミク」
その言葉を聞いて、一も二もなく、嬉しくなった結歌。
「あなたも、初音ミク、好きなの?」
「別に」
「え?」
「つーか、こんな曲、MMDにして、どうしようつーの?」
「そ、それは、この曲が好きだから」
「こんな、殿堂入りすらしていない曲、MMDにする価値なんかねーよ」
男子はパソコンの電源を、強制シャットダウし、部活の方に戻って行った。
さすがに美琴が怒る。
「ちょっと、なにするのよ!」
「どうせMMDにするなら、もっとマシな選曲しな」
「どんな選曲しようが、私たちの勝手でしょ!」
「じゃあ、せめて、ダンスは他のところでやってくれ」
その場を離れる男子に、結歌が声をかける。
「ねえ! あなたも初音ミク、好きなんでしょ?」
その言葉を無視して、パソコン研究部の方へ踵を返す。
「この曲が殿堂入りしてないって、知ってたよね。MMDのことも。ねえっ!」
男子は無言のまま、C─4のパソコンへ戻って行く。
踵を浮かし、彼を追おうとした結歌の手を、美琴が取った。
「ほっときなよ、あんな奴」
「でも、初音ミクのこと、知ってるみたいだし。男子なのに」
「男子でも、知ってる奴ぐらい、いるでしょう。それより、ここでモーションを創るのは、確かに迷惑そうだから、場所、変えよう」
鈴と笛子が賛同する。
四人が教室を後にする時、結歌は名残惜しそうに、C─4の男子に目を配っていた。
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