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 1と0を、ひたすら組みあわせてできているのが、コンピューターという奴らしい。

 その1と0を、何万回、何億回、組みあわせたら、初音ミクの曲ができるのだろうか? そんな漠然とした疑問を抱きながら、藤田結歌はキーボードを叩き、マウスを歩かせた。

 パソコンの授業は、ボカロ好きのあたしにとっては簡単すぎて、さぞ退屈な授業だろうと予想していたが、それ以前に理解できず、逆に退屈だと、結歌は思った。

 思えば、音楽評論家が、作曲家や奏者ではないように、映画評論家もまた、映画監督や演者ではない。聴いて楽しむことと、それを創り出す作業は、まったく別物なのだ。

 黒板には次のように書かれている。



 『自習 ―エクセルの使い方─』

 課題:A君、B君、C君、D君の成績が、それぞれ次の通りである時、四人の成績をわかりやすく閲覧できるグラフを作成しなさい。


 A君:国語七〇点・数学八五点・英語六五点・物理八十点・科学九〇点・歴史・四十五点

 B君:国語九五点・数学五〇点・英語七〇点・物理三五点・科学二〇点・歴史・一〇〇点

 C君:国語六〇点・数学五五点・英語六〇点・物理五五点・科学六〇点・歴史・五〇点

 D君:国語三〇点・数学二〇点・英語一五点・物理二〇点・科学二五点・歴史・三〇点



 なるほど、わからん。

「美琴、わかる?」

「列に被採点者を並べて、行に教科を並べれば、セルに点数が収まるじゃん」

「それで?」

「あとはこの範囲を指定して、グラフを作れば…」

 できあがったグラフは、星のような点が、色とりどりの線で結ばれた、未知の星座だった。

「ぷっ!」

「笑うな!」

「グラフつーか、現代アート?」

「人のを馬鹿にしてないで、自分のを早く作れ」

「つーか、棒とか、折れ線とか、円とか、何グラフを作ったらいいか、まず、それがわからん」

「それを考えながら作るのが勉強でしょう」

「せめて何グラフかだけでも、教えてくれればなあ」

 クラスメイトを見まわせば、まじめに課題に取り組んでいる者、ソリティアをやっている者、パソコンにすら触らず、仲良しどうしで談笑している者、ひたすらスマフォをいじっている者など、様々だ。

 教材に使われているパソコンは、学校内のネットワークにつながっていないため、インターネットはできない。また、いたずらを防ぐため、生徒は、生徒専用に用意されたユーザーでしかログインできない。よって、勝手にソフトをインストールしたり、既存のソフトをアンインストールしたり、パソコンの設定を勝手に変更することもできない。

「みんな、やりたい放題ですなあ。これが学級崩壊って奴ですかねぇ」

 おもむろに、結歌は立ちあがった。

「結歌も、学級崩壊の仲間入り?」

「ちょっと、他の人のグラフを見てくる」

「ミイラ取りがミイラになるなよ~」

 ふらふらと、パソコンのモニターを覗きこみながら、クラスメイトの後ろを通りすぎて行く。どのパソコンも、意味不明なグラフを表示していて、とても『わかりやすく閲覧できる』ものとは思えない。

 その時、猛烈な勢いでキーボードをタイプし、マウスを走らせる、メガネ女子が目に入った。入学して数週間が経つが、いまだに、ほとんど話したことのない子である。

 結歌は、その子のモニターを、後ろからそっと覗きこむ。

「あっ!」

 メガネ女子が、ハッとなって振り向く。

「それっ!」

 メガネ女子が、バッと結歌の口を掌で押さえる。

「シー」

 キョロキョロと、周囲に気を配る。運良く、こっちに気がついているクラスメイトはいない。

「モガモガ!」

 結歌が、何かを言わんと必死だ。

「見た?」

「モガ」

「あれがなんだかわかる?」

「モガ!」

「そう…。そうよね。あなたが知らないはずない」

 あきらめたように、メガネ女子は語を継ぐ。

「さわがなかったら、あなたにも見せてあげる」

「ウンウン」

 女子はそっと、掌を口元からどける。

 パソコンには、本来、ありえないが映っていた。

 初音ミクだ。

「周りに気づかれたくないから、なるべくモニターに近づいてくれる」

 結歌はモニターを食い入るように見入った。

 上下左右に、モーションをコントロールする、バーやアイコンが並んでいる。画面の中央には、半透明の初音ミクがあって、その中を、何本もの棒が、まるで人骨のように、透けて見えている。この画面には、見覚えがあった。

「これ、MMDですよね」

「さすが、ボカロ大好き、藤田さん」

「え? あたしのこと、知ってるんですか?」

「知ってるよ。突然、先生をめいちゃん呼ばわりして、ボカロについて熱弁振るってた」

「なんだあ。わかってたなら、声、かけてくれればよかったのに」

「入学初日から、そんなめだつ行動をする危ない人に、たやすく声はかけられません」

「えー。そうですか? 初めが肝心と思って、精一杯の自己主張をしてみたんですが」

「悪くはなかったけど、関わりたいとは思わなかったわ」

「そうかあ」

 メガネ女子がパソコンの操作を続ける。

「振り付けは、自己流ですか?」

「そう」

「でも、うちの学校のパソコンって、勝手にソフト、インストールできませんよね」

「MMDは使ったこと、ない?」

「ちょっとだけ、あります」

「MMDはパソコンにインストールしなくても使えるソフトだから。これ見て」

 パソコンには、外付けハードディスクがUSB接続されている。

「MMDは単体でも動作するから、インストール不要なの。この外付けハードディスクに、MMD本体と、モデルファイルとか、音楽ファイルとか、エフェクトファイルが全部、入ってる。完成型にするには、さすがにここじゃ無理だけど、モーションを付けるぐらいなら、ここの環境でもできるわ」

「へー、凄いですね」

 メガネ女子は、手慣れた感じでキーボードとマウスを操作し、モニターに映る初音ミクのMMDモデルにモーションを付けていく。

「すっごい、くだらない質問なんですけ」

「はい?」

「課題は?」

 キーボードに掌を広げ、片手の指先、ほんの数本を動かしただけで、エクセルのグラフが表示された。

「おお! すごい。できあがってる。しかも、わかりやすい」

「課題なら五分で終わったわ」

「じゃあ、その後、ずっとMMDしてたわけですね」

「そう」

 モニターをじっと見つめる。

「これは、なんのモーションを?」

「PV」

「曲は?」

「そ、それは…」

 メガネ女子は、ちょっと頬を紅くする。

「再生数は六万ちょっと。マイリス数、コメント数とも三桁の、マイナーな曲よ」

「もしかして、『ドッグ・ラバー』ですか?」

「え? なんでわかったの?」

「ステップのリズムが、Aメロっぽいなって思って。それに、リード引いてますよね? 散歩中の犬に振り回されて、空、飛んじゃう、みたいな雰囲気が、AメロからBメロへの曲調に感じたんで」

 メガネ女子は、ぽかーんとしている。

「あのー、ここまで言っておいて、本当にごめんなさいなんですが…」

「はい?」

「同じクラスメイトとして過ごすこと数週間。あたし、あなたの名前、覚えてません」

「ぷっ! あははははっ!」

 突飛な大笑いに、クラス中の目線が集まる。

「すいません! 本当にごめんなさい!」

 結歌は、ペコペコと頭を下げる。

「いいって。あたしも、積極的に、クラスに溶けこもうとしてなかったし」

「はあ」

「中島すず。よろしく」

 そう名告ったメガネ女子は、手をさしだした。

「あ、改めまして。藤田結歌です」

 さしだされた手をにぎった。

「あの、放課後、時間ありますか?」

「なんで?」

「あたしも含めた、ボカロ好きが集まるので、もしよかったら、来ていただきたいな、と」

「うん。いいよ」

「ありがとうございます」



 初対面にもかかわらず…、否。正確にいえば、入学初日から会っていて、数週間、クラスメイトとして過ごし、今回、初めてお近づきとなった、中島鈴さんの家に、結歌、美琴、笛子の三人が招待された。

 美琴が結歌に耳打ちする。

「いくらなんでも、ズーズーしすぎなんじゃない?」

「あたしもそう言ったんだけど、MMDの話するなら、家の方が早いって」

「それで、家に呼ばれたと」

「うん」

「そこでちょっとは、遠慮しなさいって」

「でも、鈴さん。うちは遠慮無用だって」

「遠慮無用?」

「来ればわかるって」

 そこで、さらに遠慮して…。という思考回路はないんだろうな。結歌には。

 鈴の家は、木造二階建て、古めのアパートだ。

「こっち」

 鈴に案内されるまま、外階段を上ると、その角部屋、二〇一号室が鈴の家だ。

 玄関を開ける前から、中から男の子の騒ぎ声が聞こえる。

「ただいま」

 ためらいなく、鈴はドアを開ける。

「お帰り! ねーちゃん」

「おけりー」

 玄関で靴を脱ぎ捨て、部屋にあがるなり、男の子の頭にゲンコツを落とした。

「おけりー、じゃねえ。お帰りなさい。だ」

「ふん!」

 男の子は、おもちゃを持って奥へ行ってしまった。

「今日は学校の友達をお招きした。あいさつしなさい」

 大きな方の男の子は、深々とお辞儀をした。

「こんにちは」

 三人もつられて、お辞儀をする。

「「「こんにちは」」」

「こいつは長男の『金太郎』。小学校一年生。さっき逃げて行ったのが次男の『銀次郎』。五歳で、金太郎の一個下」

「元気な子ですね」

 結歌は、金太郎に向かった。

「こんにちは!」

「こんにちは」

「金太郎くん。君が持っているのは何?」

「ビームサーベル」

「銀次郎くんが持ってたのは?」

「スタビライザー」

「あっちは光線銃か。どうやって戦う?」

「ビームサーベルで弾く」

「どこに当たるかわからないぞ?」

「フォースの力でわかる」

「そうか。じゃ、銀次郎くんがどこに隠れたかも、フォースの力でわかるな?」

「うん」

「よし、一緒に追跡しよう」

 結歌は、靴を玄関に脱ぎ捨て、金太郎の後ろについて行った。

 襖の影から、スタビライザーの銃口が見えた。

「金太郎くん。こっちから行くと狙い撃ちされる。こっちだ」

 結歌は部屋の裏に、一見、家具でふさがれていてわかりづらいが、戸のすき間を見つけた。

 小さな声で耳打ちする。

「奴は手練れのスナイパーだ。チャンスは一回だぞ」

「うん」

 結歌が戸を開ける。

 その瞬間、金太郎が部屋の中に飛びこんで行く。

「「ババッバ! バシュ!」」

 などと、男の子の声が轟く。

 弟たちの、はしゃぎまわる喧噪をよそに、鈴は友達を家に招き入れた。

「笛子先輩も、美琴も、あがって」

「「おじゃまします」」

 鈴の部屋は、和室の四畳半が一室。学習机には、二十一インチモニターとキーボードにマウスが置かれ、机の下にデスクトップパソコン。学習机の本棚には、学校のカリキュラムが並んでいるが、別の本棚には、MMDやボカロ関連の本が並んでいる。

 鈴が早速、パソコンの電源を入れる。起動画面が、モニターに映る。

 結歌が嬉々としてモニターを覗きこむ。

 パソコンが起動すると、学校で使っていた外付けハードディスクをつなげる。

「学校で創ったモーションデータファイルだけ、本体に移せば、後はいつもどおり」

 MMDを起動すると、学校で付けたモーションが表示された。

「パソコン関係はお手の物、って感じですね」

「自分で言うのもなんだけど、だいたいできるつもり」

「それで、『ドッグ・ラバー』のPVをMMDで作ろうと思ったのは、なんでですか?」

「なんで?」

「決して、メジャーな曲じゃないですよね」

「でも、あたしは好き」

「あたしも好きです」

 『ドッグ・ラバー』は、初めて犬を飼うことになった女の子の心境を、嬉しさ反面、振り回される煩わしさ反面、戸惑いと嬉しさと、愛情を歌った曲だ。実は、好きな男子とのつきあいを、犬に置き換えて妄想しているだけなのだが、乙女心の機微を、ミディアムテンポで綴っている。

 まったく無名の、ボカロPによる曲だ。

「そう。好きだからが理由」

「他のMMD作品はないんですか?」

「あるけど、どれも途中までしか作ってないし、人に見せられるような物じゃない」

「スマイル動画には、アップしてないんですね」

「そうね」

「じゃあ、これをアップするんですか?」

「完成したら、だけど」

「じゃあ、完成させましょう」

「そ、そうね。じゃあ、今日の続きから…」

「ちょっと待った」

「はい?」

「モーションを、最初から見せてもらっていいですか?」

「途中までしか、できてないけど」

「できてるところまでで、いいです」

「背景とか、物理演算の調整とか、エフェクトとかもできてないし…」

「それでいいです」

「そ、そう」

 鈴は、結歌に言われたとおり、今までできている部分のPVを、最初から再生した。

 背景は、MMDデフォルトの白い画面に、XYZ軸も表示されたままだ。音楽は流れない。初音ミクが、静かにダンスする。カメラも動かず、正面から映したまま。

 動画は一分半ほどで止まった。

 三人は、結歌の反応を待っている。

 結歌は、背をかがめモニターをじっと見つめていたが、ふう、と息をついて、手で顎をなでた。

「さっき、他にも作りかけのモーションがあるって言いましたよね?」

「ええ」

「それ、見せてもらって、いいですか?」

「中学生の頃からの、作りかけもあるから、見せられた出来じゃないんだけど」

「それでもいいです」

「恥ずかしいし、ちょっと、嫌だな」

「あたしは、鈴さんの作品が見たいんです! 是非、お願いします!」

 鼻息荒く、言い放った。

「そ、それじゃあ」

 過去に作られたのは五本。題材とされた曲は、有名なものから、マイナーなものまで。曲調も、アップテンポなものから、ミディアムテンポのものまで、様々だ。『踊ってみた』のトレースもある。モーションはいずれも、曲の一分から、一分半ぐらいで、終わっている。

「モデルは、衣装こそ違えど、いずれもLat式ですね」

「うん。好きだから」

「ここまで、見させていただきながら、大変、不躾なことを言いますが…」

「はい…」

「いずれのモーションも、曲のサビ前か、サビ途中までしかできてませんね」

「そうですね」

「もしかして、作っていくうちに、サビの部分で行き詰まっちゃうんじゃ、ないんですか?」

 鈴は頬を紅くした。

「そのとおりです」

 美琴が結歌に耳打ちする。

「ちょっと。いくらなんでも、言い過ぎ」

「いえ、いいんです。藤田さんの言うとおりだから」

「その気持ち、わかります。あたしも、挫折した経験があります。もっとも、あたしの場合は、腕の関節を曲げるところまでですが」

「あんた、鈴さんのこと、とやかく言えないじゃん」

「あの時、思った。これ、創る才能、あたしには無い」

「鈴さんに謝れ!」

「鈴さん、ごめんなさい」

「いえ、別に。実際、たいした出来じゃないし」

「しかし、MMDを操作する才は感じます。問題はモーションが想像できないところにあるのではないのかと。だから、曲のサビで頓挫してしまう」

「そのとおりです」

「失礼ながら、鈴さんには、モーションを想像する才に乏しい。ですが、今日、ここに、ダンスマスターがいらっしゃってます」

 三人は、笛子先輩を見あげた。

「おお!」

「ダンスマスターって、大げさ」

「でも、マスターがいれば、モーションを付けることも容易でしょう」

「容易かどうかはわからない。けど、アドバイスぐらいはできると思う」

「ではマスター、是非、ご教授を」

 結歌が、鈴の隣を空ける。笛子が、鈴の隣に立つ。

「最初に、元の音楽を聴かせて」

 元となった曲が流れる。今回、作りかけのものを含め、六曲。MMDのモーションと同時に再生してみた。

 全てを見てから、笛子がうなずく。

「過去のMMD作品を参考にしたんだろうけど、どれも継ぎ接ぎって感じ。自分で考えたモーションじゃないから、引き出しがつきて、途中までしかできない。そうじゃないのか?」

「そのとおりです」

「自分でモーションを考えようとは思わなかった?」

「考えましたけど…。モーションにすると、いまいちで」

「自分で踊ってみて、それを自撮りして、トレースした?」

「え? そんなことするんですか?」

「MMDの長所は、リアルタイムでトレースできるところ。どんどんトレースするべき」

「はあ」

「トレースを経験せずに、いきなり、すらすらモーションが付けられるPもいるけど、まれ。だいたいは、トレースで人の動きをマスターしてから、トレース無しでモーションが付けられるようになる」

「そうなんですか。お詳しいですね」

「自分のダンスをトレースした事がある。全然、うまくできなかった」

「え! そうなんですか?」

「そう。だから、トレース無しで、ここまでMMDを動かせる、鈴がうらやましい」

 ふたりの話を、しみじみと聞いていた結歌が、顔をあげる。

「決まりですね」

「何が?」

「決まってるじゃないですか! 笛子先輩が曲に振りを付け、それを鈴がトレースする。踊ってみたの完成ですよ!」

「言うほど簡単じゃないと思うよ」

「何を言うんですか、美琴。あなたも参加するんです」

「え? なんに?」

「歌ってみた」

「パス」

「ダメです。これはもう、決まったことなのです。ボカロ好きが集まってしまった運命!」

「歌ってみたって、MMDに関係ないじゃん」

「美琴が歌う。笛子先輩が踊る。鈴がトレースする。これで、MMDの完成!」

「いや、私の歌ってみた、いらんだろう」

「否! 美琴の歌声じゃないど、ダンスにインスピレーションが湧かないと、笛子先輩が」

「ボカロの曲だけでもいいけど、やっぱり、ダンスに生声は欲しい」

「ほら!」

 浮かない表情の美琴以外、鈴と笛子は明るい表情で乗り気だ。

 結歌は高らかに宣言する。

「今ここに、ボカロ部。結成!」

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