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1と0を、ひたすら組みあわせてできているのが、コンピューターという奴らしい。
その1と0を、何万回、何億回、組みあわせたら、初音ミクの曲ができるのだろうか? そんな漠然とした疑問を抱きながら、藤田結歌はキーボードを叩き、マウスを歩かせた。
パソコンの授業は、ボカロ好きのあたしにとっては簡単すぎて、さぞ退屈な授業だろうと予想していたが、それ以前に理解できず、逆に退屈だと、結歌は思った。
思えば、音楽評論家が、作曲家や奏者ではないように、映画評論家もまた、映画監督や演者ではない。聴いて楽しむことと、それを創り出す作業は、まったく別物なのだ。
黒板には次のように書かれている。
*
『自習 ―エクセルの使い方─』
課題:A君、B君、C君、D君の成績が、それぞれ次の通りである時、四人の成績をわかりやすく閲覧できるグラフを作成しなさい。
A君:国語七〇点・数学八五点・英語六五点・物理八十点・科学九〇点・歴史・四十五点
B君:国語九五点・数学五〇点・英語七〇点・物理三五点・科学二〇点・歴史・一〇〇点
C君:国語六〇点・数学五五点・英語六〇点・物理五五点・科学六〇点・歴史・五〇点
D君:国語三〇点・数学二〇点・英語一五点・物理二〇点・科学二五点・歴史・三〇点
*
なるほど、わからん。
「美琴、わかる?」
「列に被採点者を並べて、行に教科を並べれば、セルに点数が収まるじゃん」
「それで?」
「あとはこの範囲を指定して、グラフを作れば…」
できあがったグラフは、星のような点が、色とりどりの線で結ばれた、未知の星座だった。
「ぷっ!」
「笑うな!」
「グラフつーか、現代アート?」
「人のを馬鹿にしてないで、自分のを早く作れ」
「つーか、棒とか、折れ線とか、円とか、何グラフを作ったらいいか、まず、それがわからん」
「それを考えながら作るのが勉強でしょう」
「せめて何グラフかだけでも、教えてくれればなあ」
クラスメイトを見まわせば、まじめに課題に取り組んでいる者、ソリティアをやっている者、パソコンにすら触らず、仲良しどうしで談笑している者、ひたすらスマフォをいじっている者など、様々だ。
教材に使われているパソコンは、学校内のネットワークにつながっていないため、インターネットはできない。また、いたずらを防ぐため、生徒は、生徒専用に用意されたユーザーでしかログインできない。よって、勝手にソフトをインストールしたり、既存のソフトをアンインストールしたり、パソコンの設定を勝手に変更することもできない。
「みんな、やりたい放題ですなあ。これが学級崩壊って奴ですかねぇ」
おもむろに、結歌は立ちあがった。
「結歌も、学級崩壊の仲間入り?」
「ちょっと、他の人のグラフを見てくる」
「ミイラ取りがミイラになるなよ~」
ふらふらと、パソコンのモニターを覗きこみながら、クラスメイトの後ろを通りすぎて行く。どのパソコンも、意味不明なグラフを表示していて、とても『わかりやすく閲覧できる』ものとは思えない。
その時、猛烈な勢いでキーボードをタイプし、マウスを走らせる、メガネ女子が目に入った。入学して数週間が経つが、いまだに、ほとんど話したことのない子である。
結歌は、その子のモニターを、後ろからそっと覗きこむ。
「あっ!」
メガネ女子が、ハッとなって振り向く。
「それっ!」
メガネ女子が、バッと結歌の口を掌で押さえる。
「シー」
キョロキョロと、周囲に気を配る。運良く、こっちに気がついているクラスメイトはいない。
「モガモガ!」
結歌が、何かを言わんと必死だ。
「見た?」
「モガ」
「あれがなんだかわかる?」
「モガ!」
「そう…。そうよね。あなたが知らないはずない」
あきらめたように、メガネ女子は語を継ぐ。
「さわがなかったら、あなたにも見せてあげる」
「ウンウン」
女子はそっと、掌を口元からどける。
パソコンには、本来、ありえない
初音ミクだ。
「周りに気づかれたくないから、なるべくモニターに近づいてくれる」
結歌はモニターを食い入るように見入った。
上下左右に、モーションをコントロールする、バーやアイコンが並んでいる。画面の中央には、半透明の初音ミクがあって、その中を、何本もの棒が、まるで人骨のように、透けて見えている。この画面には、見覚えがあった。
「これ、MMDですよね」
「さすが、ボカロ大好き、藤田さん」
「え? あたしのこと、知ってるんですか?」
「知ってるよ。突然、先生をめいちゃん呼ばわりして、ボカロについて熱弁振るってた」
「なんだあ。わかってたなら、声、かけてくれればよかったのに」
「入学初日から、そんなめだつ行動をする危ない人に、たやすく声はかけられません」
「えー。そうですか? 初めが肝心と思って、精一杯の自己主張をしてみたんですが」
「悪くはなかったけど、関わりたいとは思わなかったわ」
「そうかあ」
メガネ女子がパソコンの操作を続ける。
「振り付けは、自己流ですか?」
「そう」
「でも、うちの学校のパソコンって、勝手にソフト、インストールできませんよね」
「MMDは使ったこと、ない?」
「ちょっとだけ、あります」
「MMDはパソコンにインストールしなくても使えるソフトだから。これ見て」
パソコンには、外付けハードディスクがUSB接続されている。
「MMDは単体でも動作するから、インストール不要なの。この外付けハードディスクに、MMD本体と、モデルファイルとか、音楽ファイルとか、エフェクトファイルが全部、入ってる。完成型にするには、さすがにここじゃ無理だけど、モーションを付けるぐらいなら、ここの環境でもできるわ」
「へー、凄いですね」
メガネ女子は、手慣れた感じでキーボードとマウスを操作し、モニターに映る初音ミクのMMDモデルにモーションを付けていく。
「すっごい、くだらない質問なんですけ」
「はい?」
「課題は?」
キーボードに掌を広げ、片手の指先、ほんの数本を動かしただけで、エクセルのグラフが表示された。
「おお! すごい。できあがってる。しかも、わかりやすい」
「課題なら五分で終わったわ」
「じゃあ、その後、ずっとMMDしてたわけですね」
「そう」
モニターをじっと見つめる。
「これは、なんのモーションを?」
「PV」
「曲は?」
「そ、それは…」
メガネ女子は、ちょっと頬を紅くする。
「再生数は六万ちょっと。マイリス数、コメント数とも三桁の、マイナーな曲よ」
「もしかして、『ドッグ・ラバー』ですか?」
「え? なんでわかったの?」
「ステップのリズムが、Aメロっぽいなって思って。それに、リード引いてますよね? 散歩中の犬に振り回されて、空、飛んじゃう、みたいな雰囲気が、AメロからBメロへの曲調に感じたんで」
メガネ女子は、ぽかーんとしている。
「あのー、ここまで言っておいて、本当にごめんなさいなんですが…」
「はい?」
「同じクラスメイトとして過ごすこと数週間。あたし、あなたの名前、覚えてません」
「ぷっ! あははははっ!」
突飛な大笑いに、クラス中の目線が集まる。
「すいません! 本当にごめんなさい!」
結歌は、ペコペコと頭を下げる。
「いいって。あたしも、積極的に、クラスに溶けこもうとしてなかったし」
「はあ」
「中島
そう名告ったメガネ女子は、手をさしだした。
「あ、改めまして。藤田結歌です」
さしだされた手をにぎった。
「あの、放課後、時間ありますか?」
「なんで?」
「あたしも含めた、ボカロ好きが集まるので、もしよかったら、来ていただきたいな、と」
「うん。いいよ」
「ありがとうございます」
*
初対面にもかかわらず…、否。正確にいえば、入学初日から会っていて、数週間、クラスメイトとして過ごし、今回、初めてお近づきとなった、中島鈴さんの家に、結歌、美琴、笛子の三人が招待された。
美琴が結歌に耳打ちする。
「いくらなんでも、ズーズーしすぎなんじゃない?」
「あたしもそう言ったんだけど、MMDの話するなら、家の方が早いって」
「それで、家に呼ばれたと」
「うん」
「そこでちょっとは、遠慮しなさいって」
「でも、鈴さん。うちは遠慮無用だって」
「遠慮無用?」
「来ればわかるって」
そこで、さらに遠慮して…。という思考回路はないんだろうな。結歌には。
鈴の家は、木造二階建て、古めのアパートだ。
「こっち」
鈴に案内されるまま、外階段を上ると、その角部屋、二〇一号室が鈴の家だ。
玄関を開ける前から、中から男の子の騒ぎ声が聞こえる。
「ただいま」
ためらいなく、鈴はドアを開ける。
「お帰り! ねーちゃん」
「おけりー」
玄関で靴を脱ぎ捨て、部屋にあがるなり、男の子の頭にゲンコツを落とした。
「おけりー、じゃねえ。お帰りなさい。だ」
「ふん!」
男の子は、おもちゃを持って奥へ行ってしまった。
「今日は学校の友達をお招きした。あいさつしなさい」
大きな方の男の子は、深々とお辞儀をした。
「こんにちは」
三人もつられて、お辞儀をする。
「「「こんにちは」」」
「こいつは長男の『金太郎』。小学校一年生。さっき逃げて行ったのが次男の『銀次郎』。五歳で、金太郎の一個下」
「元気な子ですね」
結歌は、金太郎に向かった。
「こんにちは!」
「こんにちは」
「金太郎くん。君が持っているのは何?」
「ビームサーベル」
「銀次郎くんが持ってたのは?」
「スタビライザー」
「あっちは光線銃か。どうやって戦う?」
「ビームサーベルで弾く」
「どこに当たるかわからないぞ?」
「フォースの力でわかる」
「そうか。じゃ、銀次郎くんがどこに隠れたかも、フォースの力でわかるな?」
「うん」
「よし、一緒に追跡しよう」
結歌は、靴を玄関に脱ぎ捨て、金太郎の後ろについて行った。
襖の影から、スタビライザーの銃口が見えた。
「金太郎くん。こっちから行くと狙い撃ちされる。こっちだ」
結歌は部屋の裏に、一見、家具でふさがれていてわかりづらいが、戸のすき間を見つけた。
小さな声で耳打ちする。
「奴は手練れのスナイパーだ。チャンスは一回だぞ」
「うん」
結歌が戸を開ける。
その瞬間、金太郎が部屋の中に飛びこんで行く。
「「ババッバ! バシュ!」」
などと、男の子の声が轟く。
弟たちの、はしゃぎまわる喧噪をよそに、鈴は友達を家に招き入れた。
「笛子先輩も、美琴も、あがって」
「「おじゃまします」」
鈴の部屋は、和室の四畳半が一室。学習机には、二十一インチモニターとキーボードにマウスが置かれ、机の下にデスクトップパソコン。学習机の本棚には、学校のカリキュラムが並んでいるが、別の本棚には、MMDやボカロ関連の本が並んでいる。
鈴が早速、パソコンの電源を入れる。起動画面が、モニターに映る。
結歌が嬉々としてモニターを覗きこむ。
パソコンが起動すると、学校で使っていた外付けハードディスクをつなげる。
「学校で創ったモーションデータファイルだけ、本体に移せば、後はいつもどおり」
MMDを起動すると、学校で付けたモーションが表示された。
「パソコン関係はお手の物、って感じですね」
「自分で言うのもなんだけど、だいたいできるつもり」
「それで、『ドッグ・ラバー』のPVをMMDで作ろうと思ったのは、なんでですか?」
「なんで?」
「決して、メジャーな曲じゃないですよね」
「でも、あたしは好き」
「あたしも好きです」
『ドッグ・ラバー』は、初めて犬を飼うことになった女の子の心境を、嬉しさ反面、振り回される煩わしさ反面、戸惑いと嬉しさと、愛情を歌った曲だ。実は、好きな男子とのつきあいを、犬に置き換えて妄想しているだけなのだが、乙女心の機微を、ミディアムテンポで綴っている。
まったく無名の、ボカロPによる曲だ。
「そう。好きだからが理由」
「他のMMD作品はないんですか?」
「あるけど、どれも途中までしか作ってないし、人に見せられるような物じゃない」
「スマイル動画には、アップしてないんですね」
「そうね」
「じゃあ、これをアップするんですか?」
「完成したら、だけど」
「じゃあ、完成させましょう」
「そ、そうね。じゃあ、今日の続きから…」
「ちょっと待った」
「はい?」
「モーションを、最初から見せてもらっていいですか?」
「途中までしか、できてないけど」
「できてるところまでで、いいです」
「背景とか、物理演算の調整とか、エフェクトとかもできてないし…」
「それでいいです」
「そ、そう」
鈴は、結歌に言われたとおり、今までできている部分のPVを、最初から再生した。
背景は、MMDデフォルトの白い画面に、XYZ軸も表示されたままだ。音楽は流れない。初音ミクが、静かにダンスする。カメラも動かず、正面から映したまま。
動画は一分半ほどで止まった。
三人は、結歌の反応を待っている。
結歌は、背をかがめモニターをじっと見つめていたが、ふう、と息をついて、手で顎をなでた。
「さっき、他にも作りかけのモーションがあるって言いましたよね?」
「ええ」
「それ、見せてもらって、いいですか?」
「中学生の頃からの、作りかけもあるから、見せられた出来じゃないんだけど」
「それでもいいです」
「恥ずかしいし、ちょっと、嫌だな」
「あたしは、鈴さんの作品が見たいんです! 是非、お願いします!」
鼻息荒く、言い放った。
「そ、それじゃあ」
過去に作られたのは五本。題材とされた曲は、有名なものから、マイナーなものまで。曲調も、アップテンポなものから、ミディアムテンポのものまで、様々だ。『踊ってみた』のトレースもある。モーションはいずれも、曲の一分から、一分半ぐらいで、終わっている。
「モデルは、衣装こそ違えど、いずれもLat式ですね」
「うん。好きだから」
「ここまで、見させていただきながら、大変、不躾なことを言いますが…」
「はい…」
「いずれのモーションも、曲のサビ前か、サビ途中までしかできてませんね」
「そうですね」
「もしかして、作っていくうちに、サビの部分で行き詰まっちゃうんじゃ、ないんですか?」
鈴は頬を紅くした。
「そのとおりです」
美琴が結歌に耳打ちする。
「ちょっと。いくらなんでも、言い過ぎ」
「いえ、いいんです。藤田さんの言うとおりだから」
「その気持ち、わかります。あたしも、挫折した経験があります。もっとも、あたしの場合は、腕の関節を曲げるところまでですが」
「あんた、鈴さんのこと、とやかく言えないじゃん」
「あの時、思った。これ、創る才能、あたしには無い」
「鈴さんに謝れ!」
「鈴さん、ごめんなさい」
「いえ、別に。実際、たいした出来じゃないし」
「しかし、MMDを操作する才は感じます。問題はモーションが想像できないところにあるのではないのかと。だから、曲のサビで頓挫してしまう」
「そのとおりです」
「失礼ながら、鈴さんには、モーションを想像する才に乏しい。ですが、今日、ここに、ダンスマスターがいらっしゃってます」
三人は、笛子先輩を見あげた。
「おお!」
「ダンスマスターって、大げさ」
「でも、マスターがいれば、モーションを付けることも容易でしょう」
「容易かどうかはわからない。けど、アドバイスぐらいはできると思う」
「ではマスター、是非、ご教授を」
結歌が、鈴の隣を空ける。笛子が、鈴の隣に立つ。
「最初に、元の音楽を聴かせて」
元となった曲が流れる。今回、作りかけのものを含め、六曲。MMDのモーションと同時に再生してみた。
全てを見てから、笛子がうなずく。
「過去のMMD作品を参考にしたんだろうけど、どれも継ぎ接ぎって感じ。自分で考えたモーションじゃないから、引き出しがつきて、途中までしかできない。そうじゃないのか?」
「そのとおりです」
「自分でモーションを考えようとは思わなかった?」
「考えましたけど…。モーションにすると、いまいちで」
「自分で踊ってみて、それを自撮りして、トレースした?」
「え? そんなことするんですか?」
「MMDの長所は、リアルタイムでトレースできるところ。どんどんトレースするべき」
「はあ」
「トレースを経験せずに、いきなり、すらすらモーションが付けられるPもいるけど、まれ。だいたいは、トレースで人の動きをマスターしてから、トレース無しでモーションが付けられるようになる」
「そうなんですか。お詳しいですね」
「自分のダンスをトレースした事がある。全然、うまくできなかった」
「え! そうなんですか?」
「そう。だから、トレース無しで、ここまでMMDを動かせる、鈴がうらやましい」
ふたりの話を、しみじみと聞いていた結歌が、顔をあげる。
「決まりですね」
「何が?」
「決まってるじゃないですか! 笛子先輩が曲に振りを付け、それを鈴がトレースする。踊ってみたの完成ですよ!」
「言うほど簡単じゃないと思うよ」
「何を言うんですか、美琴。あなたも参加するんです」
「え? なんに?」
「歌ってみた」
「パス」
「ダメです。これはもう、決まったことなのです。ボカロ好きが集まってしまった運命!」
「歌ってみたって、MMDに関係ないじゃん」
「美琴が歌う。笛子先輩が踊る。鈴がトレースする。これで、MMDの完成!」
「いや、私の歌ってみた、いらんだろう」
「否! 美琴の歌声じゃないど、ダンスにインスピレーションが湧かないと、笛子先輩が」
「ボカロの曲だけでもいいけど、やっぱり、ダンスに生声は欲しい」
「ほら!」
浮かない表情の美琴以外、鈴と笛子は明るい表情で乗り気だ。
結歌は高らかに宣言する。
「今ここに、ボカロ部。結成!」
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