第19話 姫と魔王

「まっ……マオっ……!?」

「動くな、殺すぞ」


 振り向きざまに破った窓ガラスの破片をナイフ代わりに首筋に押し付けると、そこにうっすらと血が伝う。

 身長差は殆ど無いから飛び道具で私だけを狙うのは難しいはずだ。


「ひっ……姫様……!!」


 現に、兵士たちの動きは止まっている。

 この者たちの娘への忠誠心は何処からくるものなのか分からないが、悪いように扱われていないようだったので利用させてもらおう。あのバカ王にしてみても、この娘を取引に使わなければ国が戦火に飲まれるのだから迂闊な手は打てないだろう。


「とは言え……どうしたものかな……」


 あのバカ騎士も流石にこのような状況で突っ込んでくるほどバカとはーー、


「ええいっ!! やめろやめろ!! お前ら何をしている!!」


 ……ああ……バカだった。


 入り口の一角に群がった兵士を突き崩すようにして乱入してきたバカは部屋の中央で両手を広げ「槍を下せ! 剣をしまえ!!」と叫んだ。


「お前もだ! 何を血迷ったことを……!!」

「お主に言われる筋合いは無いのぅ。これが最善の手だったまでだ」

「とんだ最善の手だよ……!!」


 よく見れば破けた袖やズボンが元に戻っている。いや、「着替えてきたのか貴様……」「あんな格好で城内をうろつけるか!」本当に馬鹿なのだなぁと思う。そんな格好で平然と一晩過ごし、街中を歩いておったというのに。


「ステイン殿ッ……そこをどいてください!」


 その場の兵士たちの中で一番位の高そうな男が剣を片手に叫ぶ。


「その後ろの者は国王の寝室に忍び込み、あまつさえ其れを無き者にしようとした逆賊ですぞ!! いくらファルガス戦士長のご子息とはいえッ……」

「本当に王室に入り込んだのか!?」

「入り込むと言っておっただろう」

「こっのッ……、」


 文句の一つでも言いたいのだろうが、兵士たちとの均衡は此奴が入り込んできてくれたせいで今にも崩れそうだ。一瞬でも目を離せば焦って跳びかかりそうな兵士たちから目を離させないでいる。


「後で話があるッ!!」

「後があるならのー」


 あったとしても聞く気などさらさら無いが。

 しばらくの間、じりじりとしたせめぎ合いが続き、それを破ったのはあの白髪だった。


「おのれおのれおのりぇッ、何をしておる!! ステイン!? わたしェが与えた命を忘れたキャ!」


 部屋に入ってくるなり大声で怒鳴り散らし、「お前らもお前らだ! あんな小娘一匹に何をしておりゅ、おる!!」そばにいた兵士から剣を奪い取ると顔を真っ赤にしてバカ騎士を押しやり、私たちの前までやってくる。


「ッ……」


 しかし今の私にはその首を噛みちぎることすらできない。

 地を蹴ろうとした足が震えていた。

 胸元の傷も開きかけているらしく、じんわりと血が滲んで零れ落ちそうになるのを感じた。


「顔色が優れないようだが、どうした小娘」

「お主こそ酷い面をしておるな。風呂場で転んだか」

「!!!」


 昨夜、帰り際に足をかけて転ばせた際に思いっきり床で顔を打ち。どうやら前歯を何本か折ってしまったらしい。幾つか欠けた状態のそれはあまりにも情けない。


「ああ、上手く話せないのは耳だけじゃなく口の事もあってか」

「ころっしゅ!!!」


 大きく振りかぶった剣に兵士たちから悲鳴が上がる。近くにいたものは「マクベス様!」とその腕に跳びかかり、動きを封じようとした。


「離せ離せ離せ!! それでも貴様らは、」


 暴れる白髪、なんとか乱心の上官を抑えようとする兵士たちーー。

 そしてその傍らを、「こっち!」「あっ……」娘に手を引かれて私は駆け抜けた。


「ステインーー!!!」


 白髪が抑え込まれながら叫ぶがバカ騎士はおろおろと判断に迷い、私たちの前に立ちはだかることはなかった。

 姫に危害が加えられては大事だと思ったのか兵士たちは手を出さず、私たちは廊下をまっすぐに抜け、突き当たりの扉を開けて外にでた。そこには外付けで鉄の階段が備え付けられており、蒸気が管から吹き出しては顔を打つ。

 扉を閉め、僅かな魔力でその繋ぎ目を熱で溶かして癒着させると階段を登り始めた。


「何処へ行くつもりだ……」

「わかんないっ……わかんないけどーーッ、」


 娘は手を引きつつも必死に階段を上る。

 あの酒屋で着ていたワンピースとは違い、貴族が身につけるような清楚ではあるが気品も感じられるドレスだった。

 その裾が煤と灰で汚れることにも気を留めず、ただ階段を登り続ける。


「ここまでくればマオならなんとか逃げられるでしょ……!?」


 辿り着いた先は屋上だった。

 様々な管が足元を這い、蒸せ返るような熱気が風に乗って流れていく。

 ガチャガチャとあちこちで歯車がかみ合い、まるでこの建物自身が生きているかのようにも思える。

 灰色の空が、とても近くに感じた。高い山脈が後ろ側に広がり、他の建物はこの縦長い城よりも少しだけ背が低いらしい。鉄が歪に積み上げられた街並みを一望できるようだが、遠くの方は煙で霞んでよく見えなかった。


「全く……、おかしな所に飛ばされたもんじゃわい……」


 少しだけ足に力が戻ってきた。


「マオ……?」


 娘の手から離れ、建物の一番端まで歩いていく。

 顔を覗かせると押し返すような突風が吹き上げ、髪をなびかせる。


「お主の国をどうこうしようと考えておったが辞めた。すまんかったな」


 こんな言葉が出たのは自分でも驚きだった。弱っていると心にもないことを言ってしまうらしい。


「私にとってはこのような街の何処が良いのか分からんが、あるのじゃろう? 見捨てられぬワケが」

「……うん……、よくわかんないけどね……?」


 はにかみながら風に煽られる髪を押さえながらこちらへと歩いてくる。

 足場が不自由な為に足取りは危ういが慎重に、少しも恐れる素振りも見せることなく魔王わたしの元へと歩み寄ってくる。


「何か思い出したんだね?」

「どうしてそう思う」

「顔つきが……変わった?」

「……ふっ……」


 バカなことを言う娘だ。何も変わってなどおらん。

 何も忘れてなどおらんかったし、何も思い出してもおらん。

 ただ、気づかされただけだ。自分の小ささに。自分の成すべきことを、成すべき場所を。

 この少女がそれをこの地で感じているように。


「世話になった」

「いえいえ、なにもなにもっ」

「もしも囚われの身が嫌になったら私の名前を呼べ。そのときはきっと駆けつけようぞ」

「えへへ、それってなんだかマオは私の騎士様みたいだね」

「そんなことはないさーー、」私はその対極にいる存在だからな。


 言葉には出さない。本当の事を告げるには躊躇われる。認めたくはないが、あまりにも私はこの者の事を好いてしまっているらしい。だが、それでも、


「ひとつだけ、本当の事を教えておいてやろう」


 何の気まぐれかわからんが、それでも出会ってしまったのだから。この繋がりが勇者に敗れ、逃れても尚、私を魔王に立ち返らせてくれるものだとしたら、きっとそれは運命と呼べるものだろうから。


「私の本当の名前はなーー、」


 ザシュッ、と剣先が舞った。

 目の前で、灰色の空の中に赤い色が広がった。


「なっ……」


 崩れる体を思わず抱きしめ、手に感じた“あまりの暖かさに”言葉を失う。

 両脇の階段から兵が雪崩れ込んでくる、中央の扉から愚王が踏み出し、同じように言葉を失った。


「ま……お……」

「あ……、アイ……ネ……?」


 小さな体には一本のナイフが突き刺さっており、そしてそれは四散して消える。


「姫様ァああああ!!!」


 兵士の1人が声を上げ、それは彼方此方に伝染する。

 1人が踏み出せば皆が武器を手に前へ突進し、私はその体を抱きかかえたまま「やめろ」“前へ”と踏み出す。


「どけ」


 ふらりと振り下ろされた剣先を躱し、


「娘に当たるだろう」


 突き出された槍を肩で受け流す、


「何をしておる」


 肩が裂け、前にいた兵士の足を払う、


「何をしておる」


 回る、


「何をしておる」


 廻す、


「何をしておるッ……」


 周って睨むッ、


「貴様ァっ!! 何をしておる!!!」


 そのものはこの屋上へと通じる出入り口の上に立っていた。


 はじめはただの黒いモヤだった。

 立ち込める煙となんら変わりなかった。

 しかし一度掴んだ気配は逃すことはない。あの者たちが、この私のことを見逃さなかったように。

 迂闊だった。やはり頭が回っていなかったのだ。気配を手繰たぐってここまで付けられていることは分っていた、わかっていたのに見落としてしまっていた。これは私の落ち度だ、私のミスだーー。


「和平の為に縁談を進めておりましたが、逆賊により姫君は暗殺。この話はなかったことに、致しましょう」


 ただのモヤでしかなかったそれは次第に姿を現し、あの女へと変わる。膝を立て、腰掛け首元の傷がまだ回復していないのだろう。手を当て治癒を待っているらしい。

 そしてその隣で立っているのは躰つきからするにローブを深く被った男だ。恐らく私に不意で襲い掛かってきた奴だろう。

 流れていく煙を纏うように二人はこちらを見下ろし、猫の様な目で微笑みかける。


「シナリオ通りに運べばよかったんだけどねぇ……、こんな傷も負っちまったし、別の筋書きでもコトの結果は変わらないかと思ってさ。まぁ、そんなことより、」


 言葉も途中に飛び降りると固まり、震えている国王の耳元で囁きかける。


「大切な姫君が、逆賊の手にかかってしまいましたね」


 と。


「殺せェええええ!!!」


 女の言葉に氷が解けるように表情を変えていった愚王が悲鳴の如く声を上げた。


「そやつを殺せ! 殺せ殺せ!! こうなったら其奴の首を手見上げにする他なかろう!!」

「なるほどなーー、魔王の首となればそれ相応の価値があると踏んで出たか。よかろうーー、」


 私はあたりに展開し、囲む兵士たちを撫でるように眺め、


「相手になってやる」


 かぷり、と娘の首筋に噛みついた。


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