第20話 魔王だから
「……!!!」
一斉に怒号が上がった。
現国王への忠誠心ではなかろう、おそらくは先代国王への恩義なのだ。
それ程にまでこの娘は愛されていた。
あの酒場だけではなく、恐らくはこの国中の者たちから愛される筈だった。
「それを狂わせたのはお前だろう」
これほどまでの配下に守られながらもそれでも身を引き、今にも逃げ出しそうにしている
口の中で広がる血の味。
濃厚でいて舌の先をピリピリと刺激してくる。
しかしそれはゴクリと飲み干せば胃の奥から一気に身体中へと広がり、指先にまで“娘の命が”駆け巡るのが分かった。
それと同時に力が蘇り、魔力回路が一気に満たされるのを感じる。それどころか“精霊に分け与えられたように”回路が膨れ上がり、はち切れんばかりに身体の内側から熱を発し始める。
ーーやはりな……。
通常、
そして私は魔族の王、魔王。
その起源は吸血により命を吸い取り、我が力へと変えた闇の賢者より始まるーー。
本来、吸血行為により得られるものは“その者の生命力”でしかない、
「うォおおおお!!!」
魔法式を展開、振り遅される剣を指先の一閃で切り砕く。
「っ……」
更に展開、突き出される槍を“次元ごと歪めて”離れたところで弓を構える集団の“足元へ飛ばす”。
「うわッ!!?」
突然切り裂かれ、煙が吹き出したことに驚く兵士たちを脇目に展開し終えた魔法を発動、腕のうちに抱えていた娘に止血を施し「ぼけっとするな」端の方で唖然としていたバカ騎士の元へ“空間を飛ばして移動すると”その小さな体を押し付ける。
「なっなにをっ……?! ギアをっ……
可哀想に、目の前の展開についていけないのだろう。
式を解凍、防壁で陣形ごと無効化。
振り下ろされた一刀を指先で“止め”、「今日の私は優しいだろう」後ろの連中に“引き寄せさせる事で”団子のように一纏めにくっつける。
「構えェ!!」
視界の端で横一文に槍のようなものを構える集団が見えた。
手に持つそれからは煙が発せられ、歯車がガリガリと音を立て回る。
「打てェ!!」
破裂音とともに飛んできたのは無数の矛先だ。
それら自身が生きているかのように空中で急激に角度を変え、私を囲むように広がるとーー、
「二番煎じじゃわい」
一気に私へと突き刺さった。
「やった!!」
王が無邪気に騒ぐ。まるで子供のように。
「 哀れじゃのう…… 」
私は影へと実態を変化させ、貫いていた矛先は地面へと。
するりと兵士たちの間を抜け
「この国の実情はまだ良くわからぬ。しかし、こうしてみて分かることもある」
そこにあらわれてなお、まだ周りの者達は反応できていなかった。
唯一目を見開くのは己の首を切り裂かれようとしている本人だけだった。
「お前は王に相応しくない」
そうして切り裂いた。
こんなものを殺すことに魔力を消費する必要もなかった。
ただ横に、伸びた爪先でぶよぶよの肉を切り裂いてやれば良いだけだった。
だが当然の如く邪魔をされる。
「それでも国王さまなのだから見殺しにするわけにはいかないんだよ」
女がギリギリの所で王の肩を引き、私の手をかわさせた。
「悪く思わんでくれ」
そして後ろに男が飛び降りてくると同時に横薙ぎの一撃が、「そう何度も喰らうか」一撃に見せ掛けた三連撃が私を襲う。
ーー
瞬時に体を引き倒し、受けずに躱してその刃を見送った。
避けたはずの斬撃が遅れてやってくるタネは異常な加速と刃の回転だ。
一度通り過ぎた所で刃を“180度回転させ”、振り下ろした時“以上の速度で戻り”、そしてもう一度“斬りつける”。
本来なら身体強化で極限まで運動性能を引き上げて実現できるような動きを眉ひとつ動かさずにあっさり行う。
「ほぉ……すごいな」
褒めてはくれているが口先だけだ。表情は一切動いていない。
「時代遅れらしいがな」
あのとき、腕は切り落とされたのではなく“切り撥ねられた”。上からではなく下から切り取られ、宙を舞っていたのだ。
冷静な頭で考えればなんてことはない。
「もはや手加減はせぬよ」
魔力の残量は気にならなかった。
娘から吸い取ったそれは手付かずの泉にも等しい濃度を持っていた。
「
空中から突き出され、床の管を貫くのはいくつもの氷の槍だ。
手を振るい、周囲を焼き焦がすのは炎帝が愛したと言われる灼熱の
四方から抉るように迫り、相手を追い詰めるのは2頭の雷竜だった。
「陛下は後ろへッ」
男が国王を押しやり、私の剣を受けると同時にその熱気に顔をしかめる。
それと同時に氷の槍は顔を掠め、後ろの国王を狙っていた。
「本当に手を抜いてってのかいッ……」
氷の刃を槍で弾きつつ、踊るように喰らい付く雷竜を躱す女。
男の剣が一旦高速で引き返され、体格で劣る私を弾き飛ばそうとするが“影となって”それを擦り抜け、後ろ側から体重を乗せた蹴りを叩き込む。
「っ……」
流石に一瞬怯んだだけで崩れてはくれない。
だがそれで十分だった。
「落ちぶれても私は魔王でなければならんのでな」
宙に作った足場を踏み、空中からその場を見渡すと狙いを定めると練った魔力で魔法式を走らせる。
「
展開されるのはいくつもの小さな魔法陣。
空を塗りつぶすように浮いたそれらに呼応するように足元にもそれらが生まれーー、
「
氷の鎖がそこに立ち尽くす者たちを縛り上げ、鎖に触れた部分を氷で固める。
バキバキと体を侵食するが如く登ってくるそれらに情けなくも悲鳴が上がった。
「聖戦で使用されたというグングニルの紛い物じゃが
無理して解こうとしても凍った体は言うことを聞かない。
自慢の
「さて、と」
降り立つと身体の殆どを凍らされた国王の元へ歩み寄る。
「ひっ……ひっ……ひぃッ……!!!」
必死に逃れようとするが、首から先ぐらいしかまともに動かせないせいで無様に顔が歪むばかりだ。
ピクピクと指先が跳ねるように動いているのがどうにも気色悪い。
「最期ぐらい国王らしく振舞ってはどうかと私は思うのだがーー、……そのつもりもなさそうじゃな」
同じ王としてこのような醜態を晒さぬように気をつけねばならんと自戒する。
足元に転がっていた
「それは間違っている……!!」
バカな騎士のことだ。割って入ると思った。
上から狙った時、娘と
何故そうしたのかと問われれば「なんとなく」としか答えられんが、忠義に尽くすというよりもただ単に一直線でバカな姿を案外気に入っているのかもしれん。
娘を抱きかかえたまま私の前に立ちふさがり、この惨状を前にしても目から光を失わないでいる。
「退け、こうでもせねばこの国は変わらん」
「力づくで変えて何になるッ……、そんな
「望んでいなくとも明日はやってくるものだ」
会話に付き合うことすら煩わしい。片腕でその胸に手をつき、押しのけようとするとそれを義手の左手で掴まれた。
「姫君だって悲しむぞ」
「……哀れじゃの。そんな体にされてもまだ、真実を知ろうとせんとは」
精神支配をかける際に相手の記憶を読み取ることがある。
相手の深層心理、心の弱い部分に働きかけ傀儡とするためそういったものを探るのだ。
そして私はこの国王の記憶の中で“口からデマカセ”が案外そうでなかったことを知っている。
「ステイン・ファルガス。ファルガス騎士団長の一人息子だったな?」
かつての先王に従えた国内最強の騎士。その名は隣国にも及び、彼が先陣を切る戦場で死者は殆ど生まれなかったという。
「忠義は厚く、その意志は騎士の倣うべき姿と言われていた。そして主もそれに負けぬ心を持ち合わせているーー、」
この男が義手・義足をつけるようになって、もう十年ほど昔のことになるらしい。火事だった。
周囲の建物も焼きつくす程の大火事で柱の下敷きになった。そうして手足を失った。
それと同時に忠義の騎士も。
右腕とも呼べる王国騎士を失った国王が魔の手にかかるのは、それからそう、遠い話でもない。
「忠誠を示す相手を間違ってはおらぬか?」
私は問う。
「本当の
「ーーーー…………、」
バカ騎士は腕の中で未だに意識の戻らぬ娘を見つめ、後ろで言葉なく顔を引きつらせている国王を見た。
「なっ……なにをしておるファルガス!! 魔女の言葉に耳を貸すでない!」
「国王陛下……」
「そのものは私の命を奪おうとしっ……あっ、あまつさえ先王の忘れ形見にまで手を出そうとしておるだぞ!! 斬れ!! 斬れ斬れ!! 斬り捨ててしまえ!! お前の様な男をこれまで重用してやった恩義忘れたか!!」
めいいっぱいの威厳を振り絞ったつもりなのだろう。首から先だけでよくもまぁ喚き散らしたものだと感心しないでもないが、ベタベタと唾を飛ばすのは行儀が悪い。
そして、そんな言葉で臣下が命令を聞くのであればなんと王は容易い地位であろうか。
「……ふむ」
後ろから刺されるような言葉を浴びせられても尚、口を横に閉じ、必死に踏みとどまっているのは騎士故の誇りか。それとも最期の時まで、国王の身を案じたという騎士長の血筋か。
己の中で揺れる心を押さえつけるように娘を抱える生身の指先にも力が入っているようだ。
私はそっとその指先に触れ、「それでは彼女に傷がつく」とほぐしといてやる。
「心は決まっておる。必要なのは言い訳じゃ」
誠に、これほどまで愚かで馬鹿な者が人の世にもいることが信じられない。
私の知っている人間どもといえば
事実、この男が守ろうとしている王はそういう人物だった。
己の兄である先王を手に掛け、その配下の者たちの
それでも存在することが害悪でしかないこの愚王を守ろうとするなどーー、それこそ愚の骨頂ではないだろうか。見捨て、自由に生きるが最善と私は思う。騎士道と言う己を縛るだけの
……それも、従う相手を間違ったが故の悲劇かの。
私は多分、そういう者が嫌いではない。
不器用ながらに、それでも生きようとする者たちを見捨てようとは思えぬ。
己たちの生き方を変えることもできず、周囲から間違っていると言われようとも、迫害を受けることになろうとも。その生き方を変えられぬ者たちを見捨てたりは出来ぬ。
見捨てたくはないから私は魔王を目指した。
自分たちとは違う生き方をする“魔の者達”と蔑まれ、追いやられてきた者たちを守る為に。
「じゃからこれはなんの意味ももたん」
ただの習慣だ。
触れた指先から魔力を流し込み、精神の末端に触れる。
揺れ動く、心の隅に少しだけ。
「罪は私が背負ってやる。私は、魔王じゃからな?」
「ぁ……?」
愚かな騎士は娘を私に預け、手元の剣を強く握る。
それはまるで誰かに操られているような動きであり、彼自身、自分が剣を振り上げていることを信じられないような目で見ていた。
豚の必死に逃れようとする声が響く。
周囲の兵士たちは言葉なくそれを見つめ、
「 」
無言のうちに王国騎士のステインは忠誠を誓う国王の首を、撥ねた。
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