第12話 裸の付き合い

 ぽちゃんーー、と湯気が天井から落ちてきていた。


 バカ騎士のステイン曰く「水を蒸発させてエネルギーを生み出す技術に特化している」ので「この国の湯浴みは進んでるんだ!」だそうだ。自分の国の長所を誇るのは彼奴にとっての誇りらしく、意気揚々と語ってくれたのだが……なるほど、これは凄い。鼻息荒くなるのも仕方がないことだろう。気持ち悪かったが。


「はぁ……」


 湯気の中、湯に肩までつかりながら溜息を零す姿があった。

 長い髪は結い上げられ、目隠しに建てられた衝立の向こう側ではお付きのものが着替えの支度をしている。

 広く、ゆったりとした作りの浴槽に様々な飾りが施され、南国の木なども植えられていた。


「これからどうなっちゃうんだろ……」


 少女は零す。溜息とさほど変わらぬ声に口元まで湯に沈んでいった。

 無理もない、記憶がないのであれば慣れぬ城の暮らしだろう。もっとも、このように人間扱いされていることに私は驚いているのだがーー、


「やぁ、湯加減はどうじゃ?」


 人気がないことを確認した私は天井から飛び降り、少女に微笑みかける。


「私も入っていいかの?」

「まっ、まままっマオちゃん!!!?」


 思わず立ち上がり、水しぶきがまった。そしてそれに驚いた従者共は勢いよくなだれ込んできた。


「アイネ・クルスさま!? どうされました!!?」

「いっ、いえ!! 足を滑らせて驚いただけです!!」


 女性ばかりだったが、裸を見られることに抵抗があるのか頭の先まで真っ赤になりながらも少女は湯に勢いよく浸かる。

 あまりの勢いの良さに一堂に驚き、しばらくの間沈黙が生まれたほどだった。


「でしたらよろしいのですが……、お気をつけくださいね?」

「は、はい……」


 ちらちらと視線を彷徨わせて私のことを探しているようだった。

 安心しろ、私はここだ。クスクスと笑いをこらえるのに必死だがな。


「あら……?」


 先頭を歩く、メイド長だろうか? 少し歳の入った女の頭をつついてやると後ろの従者につつかれたと思ったのか振り返る。「なにか?」「ぇ……? 私は何も……」「いえ……でも確かにいま……??」キョロキョロと辺りを見回すが当然見つかるわけがない。隠密魔法は基本中の基本だ。結局のところ不思議に思いながらも従者たちは浴室を後にし、隣の部屋へと戻っていった。

 なんとも間抜けな奴らばかりじゃな。


「哀れじゃ」


 魔法を解いて姿を表すと今度は声を殺して「マオちゃん!!」と娘が声を上げた。


「騒ぐでない。また奴らが帰ってくるだろう」

「何で!? なんで!? どうして!?」

「湯浴みがしたくてな」


 言って服を脱ぎ、適当な木の枝に掛ける。流石に服を着たまま浸かるのは礼儀にかけるであろう。

 桶を使って体を流し、軽く汚れを落としてからつま先を湯につけるとじんわり熱が広がっていくのがわかった。


「くぅ~っ……」


 少しずつ染み込ませていき、ようやく肩まで浸かると「ふぁあ……」とだらしのないため息がこぼれた。


「お風呂、好きなんだね?」

「嫌いなものなどおるまい」


 どぷんっ、と顔半分を残して浸かってしまうともうそれだけで天国のようだ。あまりの心地よさに何をしに来たのか忘れそうになる。……というか、なんだかもうどうでもよくなってきた。


「お主を連れ出すだけなら簡単じゃからとりあえずは安心せい」

「う……うん……?」


 ぷかぷかと浮かぶ木の葉を眺めつつ、立派な風呂を作ったものだと初めてこの街のことを評価した。

 遠くから見えていた鉄の塊はなるほど、近づけばいくつもの建物が乱立し、その隙間さえも鉄の足場で繋いでできた一つの「建築物の集合体」である事が分かった。中に入れば夜空など全く見えないのにも関わらず、あちこちに吊るされたランタンがぼんやりと周囲を照らし、細い路地が縦横無尽に広がっている。


 そしてこの城(と呼んでいいのかわからないが)は一番奥にあって、唯一、どの建物とも繋がっていなかった。

 最下層の地面なのか屋根なのかわからない場所に入り口があり、ロクに窓すらない有様だ。まるで巨大な棺桶かと思ったほどだった。

 その上、あちこちから吹き出した煙が充満しているものだから息苦しいったらありゃしない。


「そんな苦痛さえも忘れさせてくれるのじゃから、やはり風呂はいいのぅ……」

「何かおじさんくさいよ?」


 ちゃぷちゃぷと優雅に波立たせているというのに失敬な。多少なりムッとしたが、そんな気持ちも湯によって解されていった。

 ぶくぶくと泡を吐きながらなんとなく思う。我が城に戻った暁には浴槽の大改築に取り掛かろうと。


「それでここからが本題なんじゃがな?」

「ん……?」


 本気で湯に浸かりに来たとでも思っていたのか、少しふてくされ気味の娘だった。


「お主はどうしたい」

「私……?」

「そうじゃ、ここから連れ出すのは容易じゃがその後どうする。まさか元の生活に戻れると思ってはおらんだろう?

「うん……、っていうか、助けに来てくれるなんて思ってなかったからそれだけでもびっくり。……だから、逃げた後の事とかはよくわかんないかな……」


 水面みなもに映る自分の顔を見つめ、情けない表情に思わず苦笑したようだ。

 困ったように首を傾げ、その手が私の頬に触れた。


「不思議なんだ……貴方のこと、私、知ってる気がする」

「…………」


 ぼんやりと輪郭の定まらない言葉に私は無言で返す。

 知っている気がする、か……記憶喪失らしいからな。私とは違って本当に。

 魔王であると気づいた時、どんな反応をするかは見ものではある。


「……?」


 そう思ってチクリと胸の奥が痛んだ。思わぬ不意打ちに少々驚いてしまった。


「どうかしたの?」

「主はあまりにも気楽じゃなぁ、と思っての」

「ええっ!? これでも色々考えてるのにー!」

「ほう?」


 考えぬ方が無理という話じゃが……。突然捉えられ、無理やり連れてこられてこうして風呂に入っている所を見ると大物であることに間違いはないだろう。


「怖くはないのか」


 覚えていないんだろう、この城のことも。


「……なんだろ……、ああ、そうなんだーって感じかな……? 懐かしいような、そうでないような……でも確かに知ってる気がするからここで暮らしてたことがあったのかも。……私ってお姫様だったの!?」

「知らんよ。私はそう聞かされただけだ」

「だよねぇ……」


 胸元に手をやり、取ったのはあの懐中時計だ。


「水につけて大丈夫なのか」

「うん、ぼうすい? なんだって。錆びないように出来てるって親父さんが……だからずっとつけてるの」

「少し触っても良いか」

「いいよ?」


 そっと手渡しされたそれは手のひらの上にちょこんと載るほどに小さく、開いたときに展開される大きさからは想像できない。裏に王家のものらしき紋章が彫られアイネ・クルス・シュタインと言う文字を微かに読み取ることができた。


「アイネ・クルス・シュタイン……か……」

「いきなりお姫様だって言われてびっくりしたけど、私にもできる事があるんだーって少し嬉しかったかも……」

「ん……、どうしてだ?」


 心で思った事がそのままこぼれ落ちてしまったような声に耳を傾ける。


「だってマオと違って私はあんな風に強くないし……戦えないし……街があんな風になってくのも見てるだけで何もできないし……だからちょっと悔しかった……」

「そうか」

「でも暴力はいけないよ!? マオはすごく強いのかもしれないけど、あんな風にいきなり殴りかかったりしちゃダメ! わかった!?」

「わからん」

「わかってよぉー!」


 おそらくこの気持ちは子供の面倒を見るそれと似ているのだろう。

 純粋で穢れを知らぬこの娘を見ていると、かつての私を見ているようで愛おしくもあり、また歯がゆい。

 綺麗事だけでは回らぬ現実を突きつけてやりたくもあり、……そんな事実を知らないでいて欲しいとも思ってしまう。

 巻き込みたくはないものだ、これから起きる悲惨な争いごとに。

 しかし、そんなことは言っていられない。いつ食い殺されるかもわからぬ“人間の小娘一匹の為に”我が願望を諦めるわけにはいかぬ。


「この国のことを守りたいと思うか?」


 だからこれは単純な確認だ。


「お主の手で、どうにかしたいと願うか?」


 どんな答えが返ってきたとしても、私のすることは変わらない。

 私が何を尋ねているのか分っているのかいないのか、声のトーンで真剣に尋ねているのだと気付いたのかは分からないが、それでもしばらくの間じっと自分の手を見つめ、考え、


「……うん……何もできないのはヤダ。……私はお姫様で、何かできるんだったらやってやろうって思ってる」


 と私の目を見つめ返してきた。


「私ね……? やっぱり悔しかったんだと思う。マオが私のために戦ってくれてるのに何もできなくて、親父さんや女将さんだってッ……。この街のことにしてもそう……悔しかったんだけど……どうしようもないんだって諦めてた。でも違うんだって……、私にもできることがあるんだって分かったから……! やるよ、わたしっ……! 頑張る!」


 その瞳があまりにも透き通っていて、何の躊躇いも感じられなかったから、


「例えそれが敵国に送られる品の役割だったとしても?」


 私は意地の悪いことを言ってしまった。


「知らされておるのかどうか知らんが、お主の役目とはそういうものだ。王族の血を引くものを品として差し出す。……結果としてこの国が迎えようとしておる戦いは避けられるだろうが、訪れる暮らしは決して幸せなものではなかろう。自由があるだけ娼婦の方がまだマシかもしれんな? それでも主は“この国の為にその身を捧げたい”と思うか?」


 まだ10もそこらの娘だ。何の知識も経験もない。

 だから脅せば折れる。怯えを覗かせるだろう。そう、思っていたのに、


「うん。そうだね」


 娘は笑って見せた。


「それでも他にできることって私にはないから……」


 強がりだと分かる程度に。


「折角助けに来てくれたのに……。怪我してないみたいでホッとしたよ」

「……はァ……、私は湯浴みに来ただけだと言っておろう。……誰もお主を助け出すつもりなどないよ」

「え……?」


 嘘ではない。助け出すつもりなど毛頭なかったのだ。


「逃げたところで仕方がないしな。それに、私がお主にそこまでしてやる筋合いが何処にある?」

「で、でもっ……」


 わかっていながらも口をついた。そんな感じだった。

 思わず飛び出した言葉に戸惑った瞬間、静止の声を振り切って踏み込んでくる足音が聞こえた。


「いつまで入っちょる! ババァではありゅまいイ!?」


 調子の外れた声、うまく音量が調節できないそれに検討はすぐ着いた。


「じゃあの」

「待って……!」


 私が姿を消すのと白髪が目隠し用の衝立ついたてを回り込んでくるのはほぼ同時だった。

 ぴちゃん、と私の体から落ちた雫が水面で跳ね娘は唖然と馬鹿面を見上げる。


「にゅうぅ……! 何を恥ずかしがることがありゅ!」

「ぁ……」


 裸を直視されることに耐えられなかったのだろう。


「ごめんなさい……」


 小さく丸まり、付き人がタオルを持って近づいてくるまでは動けずにいた。そんな様子を見て白髪が溜め息混じりに「娼婦の娘が何を今更」とこぼすと娘の顔が赤く染まるのが見て取れた。


「何も間違ったことを言っておらんだろう。ん?」

「そのような娘を求めるお主も国王も大馬鹿じゃがなぁっ?」

「にゃに!?」


 嘲笑うかのように高らかに言い放ち、当然ながら見えぬ私の姿をキョロキョロと探し求めるのを眺めるのは痛快であった。


「体を張る物たちを馬鹿にすることなどできんよ、ふはははっ」


 声は反響し、何処からともなく聞こえて来る。しかし声の主は聞こえない。すると辺り一面に異様な空気が流れ始めた。

 まるで悪霊でも出たかのようにそわそわと落ち着きがなくなる従者たち、白髪は私だと分っているのかそれとも単に馬鹿にされたことで腹を立てているのか顔を真っ赤にして目をギョロつかせる。


「どこだ!! 許しゃんぞ!!」

「ハイハイ」


 すぐそばでつぶやいてやり、足を後ろから払って滑らせてやる。


「ぎゃふぅん!?」


 突然バランスを崩された白髪は腰から転び、


「おまけじゃ」

「ひゃっ?!」


 盛大に頭からお湯をかぶることになった。


「ひっ、ひっとらえろ!! 何処かにいるはずだ黒髪の……!! 生意気なガキが!!」


 支離滅裂な命令に困惑しつつも「いけ!!」と尻を叩かれ共にやってきた兵士たちが風呂中のあちこちを探し始める。

 木の陰、衝立の裏、風呂の中ーー、しかし私は使った桶は放り捨て、喧騒を後に風呂を出た。


「おっと」


 完全に服を回収し忘れたと気付き振り返ると娘がすぐ側まで歩いて来ていた。

 魔法は解除していない。まだ私の姿は見えていないはずだ。

 けれどその目はしっかりと前を見据えており、まるで私が見えているようだった。

 少し目が細くなる。軽く息を吸い、止めて、こみ上げた不安を押し戻すように深くそれを吐き出す。


「……私はッ……逃げません……!」


 それまでの娘からは想像できないほどにしっかりと芯のある声だった。

 タオルの端をギュッと握りしめながら白髪を見据える。


「だからどうか、お騒ぎにならないでください。……今宵はもう遅い。……明日に響くことでしょう」


 それは右往左往させられる兵士たちを労っての言葉だった。

 少女の言葉に一同は驚き、呆然とそれを見つめる。

 白髪でさえも口を開け、何かを言い返したいのだろうがパクパクと金魚のように呼吸するだけで言葉が出てこないようだった。


「……すみません。みなさん……」


 軽く頭をさげるとそのまま風呂場を後にし、脱衣所にある服を乱暴に掴むと出て行ってしまう。

 何処か割り当てられた部屋があるのだろう。彼女は囚われの身ではあるが、敵国に送られる「品物」ではある。そして他のものにとっては「先代の忘れ形見」、そう乱暴に扱われることもないのだろう。


「ふ……フハハ」


 そんな少女の吹っ切れ方に私は思わず笑い、


「ふんっ……ガキのくせに……!!」


 目の前を素通りしようとした白髪の足を再びはらっておいた。

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