第11話 王国の夜

「……ぐ……、少しは回復したか……?」


 指先に力が入るようになってきていた。なんとか引きずるようにして体を起こすと壁にもたれ、ぐったりと灰色の空を仰ぐ。

 全身汗まみれで気持ちが悪い。前髪がべっとり張り付いていた。

 1日、無駄に体内の魔力を使用したところでここまで消費するとは思えない。

 記憶が曖昧だが勇者との戦闘で相当の無理をしたらしい。三日三晩眠り続けたとしても回復しきってはいなかったのだろう。


「おい、大丈夫かい……?」


 女将さんに支えられ旦那がやってきた。彼自身あちこち殴られたようで平気そうには到底見えない。いい男が台無しだ。腕を痛めているのか逞ましいそれはぶらりと肩から下がり、当分店は営業できないかもしれない。


「謝られる筋合いはない……身から出た錆だ……」


 余計なことに首をつっこもうとしたのが全てもの間違いだったのだろう。

 所詮関係のないどうでも良い人種ひとしゅのイザコザだ。私の知った事ではないのだ。


「むしろ主らはあの娘の事を心配しておればいい。私は少し休めば治る……」


 精霊の加護がなくともこの身は魔王だ。腕がもげようとも問題あるまい。

 ーーそれにしても……、と呆然と立ち尽くしている間抜けな騎士の腕を眺める。

 蒸気歯車スチーム・ギアとやらの力は上位魔法並だな。

 一介の兵士が皆、あれを持っているとは思えんが量産されるとすれば厄介だ。

 一兵卒の強さで勝る我が軍ではあるが、その力が拮抗する所まで迫られたとあれば、幾らなんでも勝ち目は絶望的なものになる。

 それに……、やはりそれは異形の物だ。

 鉄を鍛え、武器とすることはまだ許せよう。

 しかし明らかに人のことわりを超えた存在に思える。

 鉄の歯車と得体の知れぬ蒸気とやらの力。それは私たちの知る魔法とは一線を画したものであり、違う方向を向いている。


「野放しにはできん……か……」


 ふらりと壁に手をつき立ち上がり、去った白髪を追おうとする。

 この街ごと吹き飛ばしてやっても構わんがそれでは解決にならない。

 どこまでこの技術が広がっているのか分からない、きちんと根元の部分から根こそぎ剝ぎ。その過ちを人種に思い知やらせてやらねば成らんだろう。


「おい、そこの木偶の坊」


 主人に置いて行かれたことがショックだったのか惚けていた騎士に話しかけ、その異形の腕を手に取る。


「命令通りにこの腕で私に止めを刺すというのであれば止めはせん、……じゃが、そうなれば主もタダでは済まぬと思え」


 脅しではない、事実だ。

 このようなところで倒れるつもりもないが、腹いせに吹き飛ばしてやろう。文字通り跡形もなく。

 多少なり私を楽しませてくれたことへの敬意も込め告げると騎士は困ったように笑った。


「子供を手にかけたとあれば騎士の名折れだ。命に背いたとあれば首を撥ねられるやもしれないけどね……?」

「どちらにせよ首が飛ぶことには変わらんな」


 言って苦笑する。どこの世も不出来な上官を持つと苦労するらしい。

 度々、直接的な上司ではなく魔王である私に助けを求めてくる兵がいたことを思い出す。

 地位に違いはあれど、私にとっては一人一人が大切な同志であり、仲間だった。

 そのことすら分からぬとはなんと哀れな……。


「それにしても不思議な娘だとは思っていたが、まさか姫君とはな。……乗りかかった船だ、このまま引き下がるのもカンに触る。聞かせてもらえんか、主らとあの子の関係とやらを」


 暗い顔を浮かべていた二人に問いかける。

 欲しいのは情報だ。そこから見えてくるものもあるだろう。

 そしてやられたままというのも魔王のプライドが許さなかった。

 私に手を上げたからにはそれ相応の苦痛でもって悔やませてやる。

 自分の妻に目配せし、苦々しく顔を歪ませつつも旦那は語る。あの娘の過去を、この国に訪れた危機をーー。

 私はそれを酒場の椅子に腰掛け、温められたミルクを口に運びながら聞いた。


 ーーまぁ、余計なことは省き、記憶するに値しないほどに紐解いてみればなんて大したことの無い話だ。

 

 王家があって、分家がいて、面倒な後継問題やめかけの間に生まれた子がいて、国王は娘のことを外に逃がした。


「つまるところが家庭内の事情じゃないか、そういう話はうんざりだ」

「あのなぁ……そうは言ってもあの子にはあの子の人生があるだろう……」

「出自がそれだというなら諦める他あるまいて。運命さだめだと思って受け入れることだな」


 随分と長い話だったのでカップの中は既に空だ。

 話終わる頃には親父の体は包帯まみれになっていた。


「私としては彼女一人にこの国の命運を託すことが正しいことなのか……それがわかりません」

「いや、お前は城に戻れよ。んで首を献上してくれば良いじゃろう」

「志なかばで倒れるわけにはいかないよ!」


 何故かあのバカ騎士も一緒になって話を聞いていた。

 手足が膨張した所為で服は破け、なんだかとてもみすぼらしい姿なのだが本人はあまり気にしていないようだった。


「ならあんたがどうにか働きかけてやれんのか、国王騎士さんよ?」

「残念ながら私にそのような権限は……、くっ……」


 言って騎士はエールを仰ぐ。


「……はぁ……」


 呆れを通り越して何も言えん。

 親父も親父で敵対しているであろう騎士を迎え入れて何故に酒を出すのか。人柄が良いのはわかるが節度というものもあろうて。


「で、どうするんじゃ? 乗り込んで推進派を皆殺しにでもするか?」

「助けに入ってくれたことは感謝しているが……暴力的になるのはあまり感心できんな」


 当たり前のことを言ったのだが親父は眉を寄せ、難しい顔で返した。


「君だって女の子なんだ、危ない目にあって欲しくはない」

「会いたくないと思っていても向こうからやってくるのだから仕方がないじゃろう」


 危険とはそういうものだ。自分の意思とは関係なく遠いところで始まっていて、気がついたときには目の前に飛び出してきている。そうなってからでは策を弄したところで手遅れだ。最終的には力づくにでも我が身を守らねばならん。そうでなければいずれいつか、どうしようもなかったと嘆きながら地に伏すことになろうーー。少なくとも私はそうだった。嘆く暇があれば相手の喉仏に噛み付くぐらいの執着心を見せねば、到底生きていくことなど不可能なのだ。


「よくもまぁ厄介ごとに関わろうと思ったものだと感心するがね。……血の繋がりは全くないのだろう?」

「……なくとも拾ってやるのが大人の務めってヤツさ」

「私は反対したけどね」


 ズタボロにされた旦那に対しての女将の態度は冷たい。

 まぁ、それも愛ゆえなのだろうが。彼自身それはわかっているらしく「なんというか、迷惑ばかりかけるな」と苦笑した。


「ほんとに、これからどうするつもりなんだかっ……」


 それは店のことを指しつつも恐らくはあの少女の事も含まれているのだろう。

 この二人は案の定、娘となんの関係もなかった。

 ある日突然、路地裏で憔悴し、倒れていた少女を見つけ保護したのだという。

 何も持っておらず、唯一首から下げた懐中時計だけが手掛かりだったらしい。

 王家の紋章が入っていたことから、その関係者であることは分かったが、名前以外思い出せないようだったので匿っていた……と。

 向こう側からしたら混乱に乗じた誘拐犯でしかないんだろうが、少女からすれば本当の家族のように感じていた節がある。ならば幸せだったか。

 そう尋ねたところで仕方あるまい。必要とされたから呼び戻されたのだ。役割を果たすしかないだろう。


「隣国へ贈られると言ったな? ならば良くて側室、悪くて娼婦ではないか。対して扱いに変わりはない」

「なっ……」


 夫婦二人も驚いていたが一番に声をあげたのはバカ騎士だった。


「そのようなことあるか! 姫君には幸せな未来がーー、「あるなどと夢物語にも程があろう。敵国の跡取りなど誰が重用するものか」


 聞けば、隣国との仲を取り持つようにと王都からお達しが来たらしい。

 この周辺の国々は王都・アルメリアを中心として連合国を敷いており、この国・アルガスと荒野を一つ越えた先にある国・シークランスは微妙なバランスの上で不可侵条約を結んでいたらしい。

 そしてそれを破った者がいる、と。


「元はと言えば無能な配下がやらかした事なのだろう。其の者の首を差し出せば治りもつくだろうに」

「マクベス様のお父上なのだ……それが……」

「……ああ、あのバカづらか」


 なんでも貿易品に関する取り決めを結びに出向いた第三国でイザコザが起き、その場の勢いて相手国の使者を切り捨ててしまったらしい。間抜けにもほどがある……。

 そのようなものであれば切り捨てても構わんのだろうが、その無能と元国王は親戚に当たるとかで、国王の血筋の者をにえに贈ることを選んだらしい。文字通り、煮るなり焼くなり好きにしろ、と。


「ついでに厄払いというのだから笑えるな」


 そしてその少女は現国王の兄である“先代国王の忘れ形見”であるというのだから、贈り物としては丁度良いだろう。

 正当な血筋ではあるが、妾の、それも城外で産ませた不遇の子だ。王位継承問題に絡む前に切り捨てておくに越したことはない。

 無論、それが褒められたことだとは決して思わんが……。


「さて……と、ォっ……?」

「何処行くつもりだいっ……! そんなフラフラで……」


 酒場の椅子は高く。飛び降りると右へ左へふらついて、それを女将が支えに走った。


「そこの腑抜けが帰らんとなれば私への報復に兵を寄越すかもしれんだろう。ならば止まるのはどうかと思ってな」


 まだ戦闘は難しいだろうが、身を隠す程度なら容易だろう。生憎、この街には隠れるなら丁度良い場所が多いようだ。数日身を潜めて、魔力が回復したら“こちらの報復”として奴らを潰しに出よう。さすればついでに娘も助けられるであろう。


「それとも何か? まだ厄介ごとを抱え込もうとでーー、もっ……?」


 急に抱きしめられ、柔らかな香りに首を傾げた。


「あんたも……無理しなくていいんだよ……」


 何を思っての行動かと思えばそんな……。

 甘い考えに反吐が出そうだった。きっとあの娘のこともこの調子で受け入れたのだろう。口では散々言っておきながらも甘い女だ。


「馬鹿なことを言うな。無理などしておらん」


 魔王になってからというもの私は皆を守る立場だった。導き、示す必要があったのだ。立ち止まっている暇などないーー。

 そう、分っているのに魔力の切れた体は重く、人間の女の腕の力からさえも逃れることが出来なかった。


「今夜ぐらいは休んでいきな……。……そこのあんたも」

「……?! よろしいのですか……!?」

「頭を冷やす時間は誰にだって必要だろうさ。私たちにも、あの貴族にもね」

「…………」


 一晩待ったところで残念な頭がどうなるとも思えんが、急いで兵を差し向けるほどバカでもあるまい。

 コトを起こすにしてもこのバカ騎士が帰ってからーー、もしくは帰らないことが分かってからだろう。


「風呂に……入りたい」

「ん……?」

「ろくに汗を流しておらんでな……髪も……ぐしゃぐしゃじゃ」

「あいよっ、女の子だもんねぇっ? その調子さっ」

「ふむ……」


 子供扱いされる事は少々癪だが、風呂に入れるというのなら水浴びするよりかはずっと良い。 

 この周辺の水辺はどうも汚れていそうだし、水を浄化するだけの魔力すらも今は勿体なく感じる。


「その前に、おい、騎士」

「ん……私か……?」

「他に誰がおる。ちょいと顔を貸せ、こうなったら貴様には少し働いてもらう」

「確かに君は多少なり武術の心得があるようだが、私はマクベス様の「良いからこっちへ来い」


 最悪、精神支配でなんとかなるのだから。

 厨房の近くにある階段を上り、3つ階を登った先に今朝目を覚ました部屋があった。

 生憎主人は不在だが、少しの間使わせてもらうことにしよう。なんせ、その主人の為の作戦でもあるのだから。


「あの娘が連れて行かれた先は山の麓にある鉄の城塞でいいのか?」

「城塞……っていうか、あれは城下町だけどね」

「なに?」

「んー……ここからだと見えないか……。この国の城はあの街並みの向こう側。人一倍大きな建物だよ」

「……」


 透視、は魔力の無駄か。

 もう少し体力が回復したら軽く偵察に出ることにして、「ではその城への侵入経路などは」「出入り口は表と裏の二つだけかな……一応警備は頑丈だし」「なるほど……」


 例えどんな城であっても落とすことは容易だろう。問題なのは“どうケリをつけるか”だった。

 いっそのこそ、全員に支配をかけてもいいのだがそうなるとまた魔力の枯渇を招くだろうし、勇者共に感づかれると厄介だ。

 再び奮起するためにも力は蓄えねばならんが、それは隠密に、奴らの目をかいくぐってやらねばいちいちあの面倒な奴らと戦わなくてはならないことになる。そうなると精霊の力を借りられないこの地では圧倒的に不利だろう。


「あの娘は姫君だと言ったな……?」

「ん……ああ、そうだがーー……というか、私はバカかッ、何をペラペラと」

「いやバカなのは自覚した方がいいと思うが……」


 なるほど、そうか。と一人頷くと手に持っていたボロボロのシーツ(布団か?)をベットに返し、見えぬだろうが窓から娘が連れ去られた方角を見た。


 ーー恐らくこの部屋には戻ってこれんだろうよ、同情する。


 奇妙なことになってきたが、これも何かの縁だ。これまでどおり利用させてもらうだけだ。


「おい、バカ騎士」

「名前で呼べ名前で!」


「 ステイン・ファルガス 」


「な……なんだ急に……」


 ふむ、威厳は衰えておらんな。

 そのまま言ってやっても良かったのだが、私が見上げる形になるのは癪だったので近くに積み上げられていた木箱を登り、告げる。

 改めて見るとやはり端正な顔をしている割に、どこか間抜けで役に立ちそうもない。


「ふむ……」


 こんな者を手の内に引き込むのは躊躇われるがーー……仕方あるまい。知性のないアンデットにしたところで大して変わり無いだろうからな。


「誇り高きアルガス王国第6騎士団所属、ステイン・ファルガスよ。真の王のつるぎとなるつもりはないか?」

「なに……?」

「私がそなたを導いてやろうーー」


 この王国に夜が訪れる。

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