第6話 歯車
「お、おかみ……さん……」
男の手を片手で受け止め、少女の頬を平手で打ったのは彼女の身内だった。
見事な平手打ちに店内の空気が止まり、男どもの騒めきは息を潜める。
「それを決めんのはあんたじゃないよ」
その声は真剣で怒りさえも含まれていた。
自分が何をされたのかも理解できていないようで、少女はその顔を呆然と見上げる。
「謝んな」
「でも……」
「謝りなさい、アイネ・クルス・シュタイン」
「……っ……」
「それができないならいますぐこの店から出て行きなッ」
それに対して少女の反応は複雑なものだった。
迷い、悲しみ、訴えーー……、そしてキッと口を結んだかと思えばその場から駆け出した。
店の扉から出ていく彼女を止めるものは誰もいない。
「……申し訳ありませんでした。お代は要りませんのでどうかお引取りを」
「けどよぉ……」
「どうかお引取りを」
「ぅっ……」
芯の通った声に思わずたじろぐ男たち。
助けを求めるように仲間内で視線を巡らせ、唯一中立らしい立場を見せていた親父さんに方をすくめられて観念したのかジョッキを仰いだ。ゴクゴクと喉を鳴らし、せめてもの意地だと言わんばかりに一息で飲み干すと勢いよくテーブルに叩きつける。
「また来るからな!!」
リーダー格の男が先陣を切り店を後にすると他のものがそれに続く。
すれ違いざまにジロリと私を見下ろしてきたが鼻で笑ってやると何か言いたそうに目を吊り上げ、ーーしかし何事もなく外へと消えていった。
カランカランと両開きの扉に備え付けられたベルが退店を告げ、訪れたのは静かな喧騒だ。
がさつに見える男どもでもある一定の気まずさは持ち合わせていたらしい、外敵が店を出て行った喜びよりも、追い出された少女のことを気にかけているらしい。
それほど彼女はこの空間において大事に思われてきたのだろう。まだ一遍しかそれに触れてはいないが十二分に見て取れる。
「わりぃがあの子のこと、任せてもいいか」
ふと親父が側に来て耳打ちしてきた。
「あいつはああは言ってるが店を出てけとは言っても、家を出てけとは言ってねぇ。……不器用な奴なんだよ」
「なるほどな」
「ほら! エール3杯お待ちッ」
先ほどよりも声に張りがあるのは己を紛らわそうとしているのだろうな。
「頼んだよ」
その実の娘を友人に頼むようなウインクは先ほど見せた品定めするような目とは全く違った。
あれは私の見間違えかかと思ったほどだ。
「……別に任せろとは言っていないのだがな」
厨房へ消えていった後ろ姿にひとりごちる。
魔王になってからも配下たちのいざこざで頭を悩ませたことは多々ある。
それぞれに悪気がなくともすれ違い、かみ合わなくなることは珍しくないのだ。
そうなれば誰かがその歯車を修正してやるほかないのだが……、……これは私のすべき仕事なのか……?
城で配下の者たちの関係を修正していたのはそれが必要だったからだ、幹部同士のいざこざはいずれその部下へと伝播し、軍全体への綻びへと繋がる。
それは量で勝る人類に対し、質と戦略で渡り合ってきた我々にとっては致命傷だった。
肩と肩を支え、背を守ることで渡り合ってきたのだ。
繋がることの重要性はわかるが……、この者たちとの関係を築く必要が私に重要だとは思えない。
無論、情報収集は必要なのだがそれにしてもくだらない家族間の喧嘩に首をつっこむなど駄犬も食わぬだろう。
「とは思うのだがな……」
先ほどから女将がこちらを気にしているように思える。
やりすぎだと思うのなら自分で追いかければいいものを……バカな生き物だ。
「ふん……」
その視線を振り切るように私も店を後にした。
何か言葉をかけようか戸惑っているようだったから後ろ手で振ってやる。言葉は不要だ。
いま私のすべきことは配下の安否を知ること、この国に蔓延する「人の業」を破壊すること。
そしてそれらは人間どもに「魔王が生き延びている」ということを知られることなく遂行する必要がある。
だから隠れ家は必要なのだ。情報が集まりそうな場所で詮索もされない丁度良い所が。
などと考えながら狭い道を少女の姿を探して歩き回る。
どの建物も改築に改築を重ねているようで重りあったり所によっては繋がってしまっている。
改めて歩くと空が全く見えないことに気がついた。
山の斜面に面して造られた街並みで坂が多いこともあるが、それを覆うように屋根があちこちから伸びてきている。
さながら好き放題伸びた樹海のようだ。
違うのは張り巡らされているのが蔦ではなく鉄でできた管で、立ち込めるのが生気あふれる新緑ではなく汚れきった灰と煤だらけの空気だということか。
精霊の声すらも聞こえぬ大地では息をするだけでも消耗してしまう。なるべく早く事を運びたい所だが……。
思いとは裏腹に少女の姿はなかなか見つからなかった。
狭い通路に店を広げた市場のような場所には人が溢れていた。服が煤で汚れる事を嫌ってか皆がマントを巻き、深くまでフードを被っている光景は異様だった。少し裏の路地に入れば到底合法とは思えないような客引きをしている老人や、怪しげな品物を売り買いする男たちが目につく。
良いも悪いも隠すにはちょうど良い街らしい。
……それにしてもーー、
思うのはこのような場所を私が一切知りえなかったことが気になる。
いくらなんでも物を隠すにはちょうど良いとはいえ、国そのものを隠すとなれば話は別だ。
その存在は良かれ悪かれ耳には届いていたはずであって、見落としていたのだとすれば事態は深刻だった。
街一つ、しいては国一つを見落としていたのだとすれば我が軍の敗北は見えていた事になる。戦争は情報戦だ。見落としがあればその分だけの負けが増える。
ーー知る必要がある。この国のことを、この街の事を。
得体の知れぬ煙を吐き出すこの奇妙な鉄の蔦が生えめぐるこの地の事を。
ふと、奇怪な景色の中に異様な存在が目に付いた。
「……?」
路地のレンガに腰掛け、ローブで顔を隠しているが老人のようだった。息絶えているようにも見えなくもないが、その目はギラついており、じっと宙を見つめている。
歪だったのはその両脚だった。
正しくは人の形をしているが肉ではなかった。
複雑ではあるが一定の法則を持って組まれた鉄の歯車が連なり、管が血管の代わりに伸び、太い鉄と細い鉄がかみ合って一つの足を作り上げている。
義足、というものを見たことがないわけでない。
戦場で手足を失ったものに木や鉄で作った“紛い物の四肢”を付け加えることを知らないわけではない。
ただそれらは“魔法で修復できなかった者の代用品”であり、所詮は杖代わりだった。
しかし目の前にあるそれは明らかにそれ自体に役割を与えられていた。
そして目を凝らせばそのようなものを付けた者をあちこちで見かけられる。
普及しているのだ。歯車仕掛けの義手義足が。
「一体何なのだこの街は……」
あの火の噴き出す鉄の輪といい、魔法都市とは違う方向で文明が進化している。
そしてそれらは「魔法」という概念から完全に切り離されているように感じた。
精霊の気配が希薄なのはまさかその
木々を切り倒し、大気を汚染している。
まさかこの土地の者たちは“魔法を必要としていない”……?
ぞわり、と悪寒が走った。
そんなことがあり得るのかと、いやあり得て良いのかと思ったのだ。
人という生き物が欲望のままに殺戮・搾取の限りを尽くすことを知っている。
しかし、それはあくまでもこの世界の中で生きる上で、だ。
精霊たちの力を借り、火を起こし、水を生み、世界の理の中で営みを繋いでいくーー。
その当たり前の「決まり」から外れ、己たちで新たな「法則」を生み出しているのだとすれば……。
「尚、見逃すことができなくなったか」
理屈ではない。本能的に“見逃してはならぬ”と感じている。
「おい」
「ぬ?」
振り返れば見知った顔があった。
とは言っても覚えていたくもないのだが。
「……なんじゃ、私は貴様らに構っていられるほど暇ではないんだが」
あのデコピン男だった。いや、私が打ったのは胸の中心だったが。
取り巻きの連中はおらず、一人で私の背後に仁王立ちしている。
ともすれば、他の連中は何処からか私を狙っている……?
単独で復習するほど肝が据わっているとも思えんので辺りを見回してみるが、コソコソと背の小さい男が通り過ぎるばかりでそれらしき影は感じられない。
探知魔法でも使えば一発だが精霊がいない今、魔力が勿体ない。基礎能力だけで対応可能だろう。
振り向くと同時に少し足を下げ、いつでも顎を打ち抜けるように拳を握った。
しかし男の反応は意外なもので目を合わせようとはせず、気まずそうに向こう側の路地を歩く人影を追っていた。
「……気持ち悪いぞ」
「うるせい!」
何なのだこの男は。思いを寄せる
「王都から来た密偵てのはテメェのことか……」
「……は?」
「いや……だからよ、さっきのアレはどう見たってガキの威力じゃねぇ。……仕込んでんだろ、その腕に」
「……」
盛大な勘違いをされているようなので甚だ迷惑としか言いようがない。
王都? 密偵……?
その以前にこのような「汚らしい男」がどうしてその王都の密偵などと繋がりを?
言葉で誘導するか、殴って聞かせるかーー。
「おい……どうなんだ、黙ってないで教えてくれよ」
精神魔法で
これ以上、このような男と話していたくはないからな。
「おい、貴様、その問いかけに答えてやるからこの指先をみよ」
「お……おお……?」
体内の魔力回路を走らせ、指先に集中させ魔法式の構築。
そっとそのバカづらに放とうとした瞬間、「そこで何をしている!!」邪魔が入った。
チッ、と舌打ちし視線を向ければ聖騎士風の青年がこちらに向かってきているところだ。
ーー私のことを知っているッ……?
増援を呼ばれる前に仕留めなくてはーー。
踵に力を込め、その時を見計らっていたのだが、その声の主は私ではなく男の方に食ってかかった。
ガシャガシャと鉄の鎧を鳴らしながら近づき、自分よりもひとまわりは大きいであろう相手の肩に手を置く。
その顔つきは整っており、まさに王国騎士団所属の正統な者であることを匂わせる。
似たような者たちを幾度となく戦場で見てきた。時には敵国に忍び込み、帰り際に手玉にとってやったこともある。
どの者も正義感溢れ、己らに正義ありと信じて疑わぬ間抜け者ばかりだった。
そしてこやつも、
「こんな子供相手に何をしているッ」
バカの一人か。
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