第8話 鮮血のアート

 ミユの他にもう一人。同じ学校の制服を着た女の子が立っていた。

 そして、


「ちっ……」


 一瞬で距離を詰められた。

 殺気に反応して引き抜き打ち出した刀身は短く、懐刀とでもいうべきコンパクトな小刀だ。鍔のないそれで私に迫っていた刃を受け止めると、殺意と目がぶつかった。

 ざらりとした奇妙な感覚が肌を覆う。


「ふふっ?」


 殺意が笑い、刀を弾いて距離を取る。


「ぅ……」


 ざらざらした気持ち悪い熱気に当てられて思わず呻いた。

 柄をしっかりと握り、いつでもその動きに対応できるよう意識を澄ませる。

 そっとミユを後ろに押しやってからコイツも部外者じゃないことを思い出す。舌打ちし、それでも意識は前に向けておく。

 後ろからいきなりグサリ……ってことは流石にないと思いたいなぁ……。


「さーてと? ここまでずっとつけてきたのか? ご苦労なこった」

「こう見えても努力家なんですよ?」


 笑うそいつの得物は日本刀ーー。

 軽く触れただけでも肌を切り裂くような鋭さが不気味に夕陽を反射させていた。

 そしてその制服には見覚えがある。なんてことはない、同じ学校の生徒だった。長く癖のない黒髪は古風なお嬢様を思わせ、校内でも人一倍人の目を引く。

 しかし普段柔和に笑っている瞳は何処か虚ろで、それでいて狂気じみていた。


「せいとかいちょーさんとは付き合いはなかったと思うんだが……?」

「全校集会であなたの功績を読み上げたりはしていますよ? 黒江ジュンさん……?」

「ちっ……」


 世間、狭すぎるだろ……。


 私のところに現れた神様は「この街にどこかにいる他の巫女を殺せ」といった。

 近づけは自ずと分かるはずとか言っておきながら、全然わかんなかったのは私が悪いのか神様が悪いのかーー、


「……俺が興味なくて寝てばかりいたからだろーなぁ……」


 ーーメンドクセェ。ただその一言だけに尽きる。


 しかも生徒会長だけじゃなくて後ろのミユまで神様に選ばれた巫女だとくれば、下手すれば校内だけで神様の代理戦争が完結することになる。良い迷惑だ。殺し合えだの、願い事がどーのだの、どうたっていい。ただ毎日を思うように過ごせればいいのになんで面倒なことに巻き込もうとすんのか。いつだって都合はおかまい無しだ。


「学校でのあなたはあまりにも無防備でしたよ……? あれでは襲ってくれと言っているようなものです」

「警戒してようがしていまいが襲われるときは襲われんだよ。実際、襲われなかったんだから問題はねぇ」

「その理屈は……どうかしら……?」


 言いながら刀を眺め、生徒会長は首をかしげる。


「やられてくれません?」

「やだね」


 口調はあくまでも穏やかだ。けど、どこか調子が外れてる。


 こんな感じじゃーー……なかったよなぁ……たぶん。

 記憶の中の生徒会長はもっと優しそうっていうか、ふんわりしてたっていうか……。


 少なくともこーんな風にやばそうな感じはしてなかったと思う。

 そもそも体の芯はフラついてるし、体に合わせて揺れる刀は不気味以外の何物でもない。凶器手にして不気味じゃねぇって方がおかしな話だけど。……とにもかくにもーー、


「御愁傷様」


 ーー言ってその首筋に鼻先が届いた。


 一気に踏み込んで詰めた距離はそいつの意識を驚かせるに十分で、体が一瞬にして緊張するのが手に取るようにわかる。


「生憎爺さんがその筋の人間でな。殺し合いに掛けてはあれこれ教え込まれてんだ。頭、足りてなかったな」

「……」


 チェックメイト。獲物のリーチの話だ。

 ここまで詰められてしまえばこいつの刀じゃどうにもできない。

 何より、どうこうする前にこのまま腕を滑らせれば首元を切り裂けるーー。


「ほら、降参しろ」


 言って少しだけ刃を肌に触れさせる。

 何も殺しあえって言われたから「はいそうですか」って殺しあうつもりはサラサラない。ここで武器を捨てればそれで良し、今後についての話し合いだ。

 停戦協定ってのが何処まで有効かはわかんねーが、他の奴らと頭付き合わせて相談すれば何かしら解決策は出てくるだろう。


 ーーだが、大きく見開かれた瞳で生徒会長は笑って見せた。


「だ か ら?」


 構わずそいつは刀を返し、懐に潜り込んだ私ごと貫いた。


「バカがっ……」


 迫る殺気に体を捻り、振り向き樣に横腹を掠めていく熱を感じながら刀の横っ腹を削り弾く。刃と刃が擦れ、甲高い金属音を掻き鳴らしながら勢いは斜めに逸れた。しかし剣先は柔らかい肉を突き刺し、その衝撃でつり上がった笑みは更に歪なものになる。


「っ……」


 弾け飛ぶ鮮血に思わず顔をしかめる。

 しかし生徒会長は一向に気にした様子はなく、


「あはっ……あはは……、いたい……いたいわぁ……?」


 一人、笑っていた。


「てめぇ……」


 ぼたぼたと零れ落ちる血は床で跳ねては耳障りな音を鳴らしていた。


「こんなに血が出て……、あー……あはは……、普通なら死んじゃいますよぉ……」


 赤く染まった手のひらを眺め、煌々と喜ぶ姿は普段の様子から剥離していく。

 それなりに生徒たちからの信頼も厚く、他校との共同行事などでは率先して周りを引っ張っていた面影は微塵も残されていない。見慣れた制服が赤く染まっていく様は心地良いものではなかった。


「あんたさぁ……、死にたいのか」

「はぃ?」


 ぼたぼた、ぼたぼたと流れ溢れる其れは紛れもなくコイツの命だ。

 このまま暴れれば数分も経たないうちに死んでしまうだろう。


「だから、死にてーのかって聞いてんだよ」

「……えへへ……、そんな風に見えますぅ?」

「……」


 再び構えられた刀に殺気はない。

 ただ投げやりな狂気だけがそいつを突き動かしていて、私に向けられている。


 ーー願いをかけて殺しあえ……か……。


 こいつにも何か願った事があるんだろうか。叶えたかった願いがあったんだろうか。

 どうにもならなくて、どうすることもできなくて、だから殺しあうことを良しとしたんだろうか。

 その願いにそれほどの価値があるのか? この前まで人並みの悩みはあっただろうが、順風満帆な学園生活を送っていたような奴に……?

 何がそこまで駆り立てさせたのかはわからない。何が、ここまでコイツを突き動かすのかは私にはわからない。否、分かろうとなんて思いたくない。


「だとしても、そのまんまじゃマジで死んじまうからな」


 言って短い刀身を一度鞘にしまい、小さく構えの姿勢をとる。

 左足を下げ、右足を前に出して陸上の時に使うそれとはまた違った、次の動作に移るための構えではなく、一挙動に全てを完結させる為の構えを取る。

 どっかで野たれ死んでくれるぶんには一向に構わないが、目の前で死なれるのはただなんとなく夢見が悪い。



「ーーだから、おとなしく眠っとけ」



 地を蹴り、引き抜き、切り裂くーー。小さく溢れた悲鳴が耳に届いたのは再び鞘に刀を仕舞った後っだった。


「ぁっ……」


 崩れ落ちる体を片腕で支えると随分軽かった。いや、普通の女子ってこんなもんか? よくわかんねーや。

 床の血だまりに転がる刀をぼんやりと眺める。紅く、夕日の色を反射させていたそれはしばらくして光の粒子へと姿を変え宙に消えていく。


「…………はぁ……」


 それがこの世の物でないことを突きつけてきて、自分の置かれている現実にため息が出る。いや、ヘドが出る。ほんと、ロクでもねぇ神様だ。


「ジュンちゃんっ?」


 人懐っこい笑顔がこっちに向かって走ってくる。


「お疲れ様っ」

「ああ……」


 何事もなかったかのようなその笑顔に不意を突かれ、言葉が出てこない。ミユは床に放り出してあった私のカバンを抱え、何が不思議なのか首を傾げてこっちを見ている。


「……んだよ……」


 その視線がむず痒くて視線を逃した。


「お疲れ?」

「……多少はな」


 ほんと、変な奴ーー。


 カタン、カタンと代わり映えもなく走り続ける音色に夢でも見ていたような錯覚に陥りそうになる。腕に抱えている生徒会長からは血の気が引いているものの、すでにその傷口は塞がりはじめている。軽く寝息を立てており、床に染み付いていた血も「まるでその床が吸い込んでいくかのように」何処かへと消えつつあった。


 ……本当に、夢を見ていたようだ。


「ふぁあぁー……、……んぁ……ねみ……」


 気だるい空気感がそうさせたのか、それとも一応緊張していたのか。いつも感じている眠気が溢れてきて目尻に涙が溜まる。


「こんな時でもジュンちゃんはジュンちゃんだねぇっ?」


 それをお前がいうか。

 カバンを受け取りつつ襲われる直前に「助けて」と言われたことを思い出す。だとすれば元々狙われてたのはコイツの方か……?


「……ん?」

「……いや……どーなんだろうな」

「んぅう……!?」


 お世辞にもそういう世界が似合うとは言えない。

 当事者ながらに何処か他人事のように感じている節もあるし……。


「……なぁ……お前さぁ……」

「ん?」


 手の中にあった小刀を宙に投げ、光となって消えていくそれを見送りながら隣の「もう一人の敵」に素朴な疑問を投げかける。


「なに企んでんだ?」


 ミユは首をかしげ、少し意地悪そうに口先人差し指を立てて笑った。


「ナイショっ、みたいな?」

「……はぁ……?」


 悪意は感じられない。


「……まぁ、いいか」


 襲われたらそんときゃそん時だ。あーだこーだ考えても仕方がねーこともある。

 けど、これからも神様の暇つぶしに巻き込まれ続けるのかと思うと気だるさは増すばかりだった。目の前の不思議ちゃんとも関わり続ける羽目になると思うと気が重い。

 零れ落ちそうになる欠伸を噛み殺し、ぼんやり見上げるミユを眺める。


 ……なんつーか、気の抜ける顔してら。


「……も、もしかしていま、わたし馬鹿にされてた!?」

「案外勘はいいんだな」

「えーっ!! ひどいよジュンちゃーんっ!!」


 ぽこぽこと叩く手の勢いは然程強くもなく、まさに女の子って感じだった。

 生徒会長といいミユといい、やっぱ普通の女の子ってのはこういうもんなんだなぁ……。


「わっ!?」


 そんな体が揺れで傾く。内心呆れながらその手首を掴んでやると思った以上に手首は力を込めてしまえばポッキリ折れてしまいそうだ。


「…………」

「あっ……、ありがとジュンちゃんっ……。すごいねっ、バランス感覚抜群だね!」

「あー……、まぁな……」


 右腕に生徒会長、脇にカバンを挟んで左手にミユ。

 何だか客観的に見たらすげー間抜けな感じだな、これ。


「とりあえずコイツは寝かせとくか……」


 終電にでも着けば駅員さんが起こしてくれるだろうーー。

 自分の最寄駅への到着を告げるアナウンスを聞き流しつつ、客のいなくなったシートに生徒会長を運ぶと丁度扉が開いた。いろいろ思うところはあるけど、これ以上どうこうしようとも思わないので放置だ。


「んじゃ。また明日な」

「ではではっまた明日!」


 自然とそんな挨拶を交わしつつ駅のホームに降りる。


「…………」


 閉まる扉を振り返るとミユは相変わらず優しそうに笑っていた。

 その後ろには眠り続ける生徒会長。

 別に催眠術をかけたわけでもなく、ただ単にぶん殴って気絶させただけだ。元々出血が酷かった所に一撃をお見舞いしてやれば、脳みそが強制的にシャッドダウンをかけるのは経験的に知っていた。傷口は神様の恩恵とやらで自然にふさがるだろうし、肩を揺すったりすれば意識は覚めるだろう。だからこの心配はミユではなく、生徒会長に向けられているものだ。


「……あんたさー、悪いことはいわねーから変な気は起こすなよ」

「んっ?」


 滑り出した車両を見送り、余計なことを言ったもんだと呆れた。

 明日、生徒会長の姿が見えないようであればミユと話す必要がある。そんなことを考えるぐらいなら今ここで、ミユの真意について尋ねればよかったんだがーー、


「……別に、気にしちゃいねーけどよ」


 ミユのことをあまり疑いたくない。

 既に走り去り、小さくなっていく車両を見つめる。

 しつこく絡んでくる変わり者の転校生。

 その転校生にどうしてこうも、自分は関わろうとしてしまうのかーー、……らしくない。

 そんなことを考えながら駅を後にする。僅かに熱を持った夕日が後ろから頬を焦がしてくるのが、どうにもむず痒くて仕方がなかった。

 神様の暇つぶしはどうにも厄介なものを運んでくる。

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