第3話 質問

 神様に会ったら、言いたいことは沢山あった。


 世の中、色んなことが適当すぎるとか、どーでもいい事に拘りすぎとか。

 でもまぁ……、本当のところ聞きたかったのは『人間のことをどう思ってんのさ』っていうとてつもなく下らない質問だったりする。

 私たちの世界にはいろんなことが溢れてる。

 それこそ、一から十まで把握しろって言ったら到底不可能なぐらい、神様だって放り出したくなるようないろんなことが。

 だから、助けを求めている人がいるからってその声が届くとも思えないし、神様がこの世界を放ったらかして自由気ままに暮らしていたとしても、私たちは何も文句は言えなと思う。

 私だったらメンドクサイ。私だったら「あーっもう!!」て投げ出しちゃう。

 こーいう世界にしちゃってるのは自分たちなんだし、何がなんでも神様に頼るのはおかしな話だと思う。神サマ神さまって、いるかどうかもわからない存在に祈りを捧げるのも馬鹿げてるし、救ってもくれない存在に何を期待してんだって感じ。


 ……けど、本当に一から十まで、この世界で起こるすべての現象を把握して、手を下させるようなカミサマがいたとしたら……、祈るんだろうなって思ってた。

 どうか神サマ、私たちを助けてください、って。

 それもまぁ、馬鹿げた妄想だったと、神様を前にした私は思い知らされたのだけれど……。


「……そーいえばこの公園……、父さんたちとよく来たっけなぁ……」


 なんとかアイツを振り切って電車に飛び乗り、二つ三つ駅を飛ばした先で改札をくぐった。

 そのまま家に帰れなかったのは何処かで見られてるかもしれないっていうのもあったけど、多分、いつもの習慣だった。

 日が暮れ、街が静まり返るまで私は自分の家に帰れない。二人きりの時間が長ければ長いほど、母さんに何か言われるのが怖くて、面倒くさい。どう向かい合えば良いのかわからなくてついついこうやって逃げてしまう。


「はー……」


 何より、日に日にやつれていく母親を見るのは辛かった。

 それでもその母親のために何かしてやりたいと思える気持ちは湧いてこないのだけれど。

 カラスの声が、夕暮れ時を知らせてくれる。

 閉じた瞼の先で夕日は河川敷を焦がし、走る子どもたちの影を長く伸ばしているのが感じ取れる。頬を撫でる風は暖かい。日差しが辛い日も増えたけれど、まだこの季節はそれほど嫌な暑さは感じられなかった。それこそ気を抜いたらそのまま眠りにでも落ちてしまいそうな心地よささえあるーー。


「お隣、いいかしら?」


 だからだろうか、その声は自然と私の心の中に落ちてきた。

 まるで髪を撫でたそよ風のように、優しくふんわりと私をなぞった。


「あ、うん。どうぞ?」


 後ろから話しかけられて姿は見えなかったけど、なんとなく話し方で同年代だろうって感じはした。この公園にベンチは多くないし、結構賑わってもいるから空いてなくて仕方なく相席するってことは良くあることだ。

 でも、完全に油断してたのは私のミスだ。


「殺し合いの真っ最中なのに呑気なものですね?」

「ーーーー?!」


 全身を電撃が走り、気がつけば私は跳びはねてベンチに座るその女の子を見つめていた。

 呆然と、いままで何をしていたのか分からないほどに頭が混乱している。


「……あ、あんたは……?」

「お隣、よろしいですかって伺ったとは思いますが……?」

「いやッ……!! そうじゃなくてさぁ!!?」

「……?」


 激昂して取り乱す私とは正反対にその子は微笑みかけてきた。


「大空アカネです。……あなたは?」

「……み、水島キョーコ……、……じゃなくてさぁ!? なんでそんな呑気にしてのよ!?」

「はぁ?」

「人のこと言えないじゃん!!」

「あらま……。先ほどまで気持ちよさそうに風に当たっていた方に言われると何だか心外ですわね?」

「だぁあああからぁあらぁああ!!!」


 なんなんだこの子は……!?


「ほら、そんなところに立っていないでお座りになってはどうです? 別に、あなたと殺し合いたくて来たんじゃありませんわよ?」

「……?」


 混乱する私にその子はまるで今にも沈んでしまいそうな夕日を思わせる笑みを浮かべた。

 さっきまで私がいた場所を優しく叩くと座るように促す。


「それに、あなたの言う通り襲うつもりでしたら一思いに先ほど襲っておりますわ?」

「……それも……そうだけどさっ……」


 釈然としない。ただここで座らないのは負けた気がするっていうか、一人がバカみたいっていうか……! 


「あーっもう!」


 つまるところ、この子のペースに乗せられつつあるのを自覚しつつも、引くに引けなくて私は再び腰を下ろした。


「……大空……アカネ……?」


 警戒心を強めて尋ねる。

 隣に座ると様子が伺いづらい。


「ええ、あなたは水島キョーコさんですね?」

「まぁ……うん……」


 綺麗な子だった。さっき襲ってきた桃井リンーー、今売り出し中のアイドルとは全く逆で綺麗って言葉がすごく似合う。浮かべる表情はどれを取っても絵画染みていて、長く伸びた髪は栗色で、ふわふわといい香りさえ漂ってくる。


「なにか?」

「なんでもない……」


 思わず見とれてしまう様に首を振った。

 私なんかとは違う世界に住んでる事を突きつけられる。それこそあの桃井とかいうピンクのバカとは違った意味で。毎日が輝いていて、優しいお父さんやお母さんに囲まれて、大きな犬とか飼ってたりしてーー、


「ばっかみたい」

「?」


 想像に執事の姿が登場したところで吐き捨てた。多分それは私の願望だ。それでなくとも絵空事だろう。この子がどんな風に見えたとしてもきっと現実はそんなに甘くない。


 ……現に、この子の笑顔はこんなにも傷ついて見える。


「うふふ、おかしな方ですねぇ?」

「なにが?」

「いえ? さっきからころころと表情が変わって面白なぁって思いまして」

「っ……、うっさい」


 くすくすと上品に手で口元を隠しては目を細めて肩を揺らす。

 そんな仕草さえ様になっていて、つくづく羨ましかった。


「先ほどからわたくしに警戒しているように見えてなにか考え事ですか? それこそ、いまここで襲われても殺されることになっても文句は言えませんよ?」

「文句ぐらいは言わせなさいよ」


 本当に、本当に優しい笑顔だった。

 それこそ沈みゆく夕日が与えてくれる温度のような。ほんのりと頬を包み、優しく微笑んでくれるようなそんなーー。

 でも、それでいて何処か訪れるであろう夜を匂わせる。暖かさの裏側に潜んだ、どうしようもない孤独。私はそんな彼女に言葉を失い、唖然とその瞳を見つめ返す。


「……あんたはさ……、なんなのさ……?」

「大空アカネですよ、水島キョーコさんっ?」

「そうじゃなくてさ……」


 傷だらけの天使がいたら、きっとこんな風なんだろうなって漠然と思った。

 地上に降りてきて、空に戻ることも出来ず、それでも天使としての役割を果たそうとしている天使。羽根は捥がれ、その身も穢れてしまっているのに微笑むことしかできない天使。


 ……いや、これはさすがに妄想が過ぎるか。


「だいたいさ、おかしな奴ってんならアンタもアンタよ。自覚ある?」

「自覚……ですか……? ええっと……、なんのでしょう……?」


 天然なのかわざとなのか。少なくとも本気でわかっていないようだった。

 お嬢様がみんなこういう感じなのかはわからないけど、社交辞令として誤魔化しているわけでもなさそうだ。言葉の裏には何も感じ取れない。


「なんでもいいわよ別に。そんなことよりなんで話しかけたの」

「お話ししたかったから……、それじゃ不満ですか?」

「や……、そんなんで納得できると思ってんの」

「でなければもう殺し合っているはずでしょう?」

「……」


 鋭いけどムカつく。ふわふわしてるくせに唐突に突き刺すような鋭さを見せつけてくる。

 今更驚く気持ちは起きるはずもなく、ただ控えめに表情を伺う。

 敵意は感じられない。むしろ本当に世間話をしに来たようにしかみえなかった。


「はぁ……、まぁいいわ。で、なに?」


 なにも今流行のお菓子について話そうというつもりでもないんだろう。

 なにかしら言いたいことがあって声をかけたというのは察する。

 出方を見ているとしばらく公園の様子を眺めていた瞳は閉じられ、静かに息を吐いて大空アカネは話し始めた。


「……神様達の暇つぶし……、願い事を掛けて殺しあわせるだなんんて趣味が悪いと思いませんか? くだらない。つまらない。意味がない。何を考えているんでしょうね、神様は」

「なーんにも考えてないんじゃないの? てか、趣味が悪いどころの話じゃないわよ。そもそも殺しあえって言ったっきりナーンにも言ってくれないでやんの。ダンマリ。マジムカつく」

「恥ずかしがり屋さんなんですよ、きっと?」


 なんだかくすぐったそうに笑う姿はとても上品だった。

 ……なんだか私、場違いだなぁ……。

 殺し合うにしても、このこと話し合うにしても。

 何かの間違いで巻き込まれてるとしか思えない。


「ほんと馬鹿みたい」


 今まで何にもしてくれなかった神様がなんで急にしゃしゃり出てきて、しかも「殺しあえ」だなんて意味がわかんない。そんなのやっぱり安っぽい映画か漫画にしか思えないし、現実味がさっぱり湧かない。……だけどーー、


「……他の子達には会った?」


 事実、私はいまさっき殺されかけた。

 あのピンクのバカに。


「といいますと……、選ばれた巫女さん達ですか?」

「うん」

「ええ……まぁ……話し合う余裕はありませんでしたけどね?」

「そりゃそーだろうね」

「……?」


 何がおかしいのかわかっていない様子に呆れて物も言えない。よくもまぁそんなんで今まで生き残ってこれたもんだ。私が言えた義理じゃないけど。……そうだ、私だって今まで生き延びてきたのが不思議なぐらいなんだ……私だって……。


「……」


 自然と、右手に力が入った。

 いつでも“そこ”に槍を出せるように感触を確かめていた。

 いつやられるかわからないなら、やれる時にやるべきなんじゃないの……?

 こいつの神様がどんな力を持ってるかは知らないけど、一撃で決めれば私もーー、


「ほんと、おかしな方ですね?」

「……っ、うっさいわね!」


 案の定気付かれて恥ずかしくなる。私ばっかり変に意識してバカみたい……!

 けど……、さっき襲われた感触は嫌という程に肌に張り付いている。

 ねっとりとした熱気。ざらついた、砂を噛むような不快感。そして直ぐそばに得体の知れないものが立っている恐怖。あのアイドルの見せた、作り物ではない笑顔。

 手に持っていたのがなんだったのかもよく覚えてない。あの制服が有名な私立のだったってどうでもいい情報ばっか残ってて、心底嫌になる……!

 つくづく、私は場違いだと思い知らされるーー。


「……あの……、平気ですか……?」

「あっ……、うっ、うん! へーきへーきっ、ダイジョーブだよっ? 心配しないでっ?」

「……そう……ですか……」


 言ってからしまったと顔が固まった。

 ついいつもの癖で大げさに作り笑顔を浮かべてしまった。

 手を前に出してジェスチャーまでしてーー……、うわぁ……痛い子だなぁ、私……。


「……なんか……ごめん……」

「いえ……?」


 なんなんだろ……ほんと……。

 くだらないことに巻き込まれて、そのことだけでも頭が重いのにどうでもいいことまで思い出された。教室で私のことを気にかけてくれる友人たち。痛々しい程の同情と哀れみーー。


 ……やだなぁ……もう……。


 無理に笑顔を作ればそれだけ気を遣わせてしまうし、注目されるのは嫌だった。

 そっと放っておいて欲しいのにそういうわけにもいかないんだろう。

 それに、よく見ればやっぱりこの子の制服、都内でも有数のお嬢様校の奴だ。財閥とか、そういうお金持ちのお嬢様しか通えない女子校の制服。

 そういう生きる世界の違う子を見ると肩身が狭くなって消えてしまいたくなる。


「……もしよろしければ……あなたのお話……聞かせていただいてもよろしいですか?」

「え……?」

「何を掛けて戦っているのか、何を神様に祈ったのかーー、私にお聞かせくださいな?」

「……なにいってんの……あんた……」


 呆然とする私にその子は笑って応え、それはやっぱり綺麗顔をしていた。

 沈んでいく夕陽はその頬に赤み差し、柔らかそうな肌を色っぽく染め上げる。

 寂しげなのに何処か安心できる。……優しさみたいなものが溢れていた。


「……やだよ、んなの……恥ずかしいし」


 当然、だからと言って話せるわけもなく逃げるようにして視線を逸らした。


「でしょうね?」


 くすくすと笑いながらアカネが立ち上がる。

 川のせせらぎが子供達の笑い声の向こう側に聞こえてきてキラキラと夕日の色を輝かせていた。ゆったりとスカートの裾をたなびかせながら振り返った彼女は困ったように苦笑した。


「私の願いだって、恥ずかしくて人に言えたようなものではございませんからっ?」


 そんな姿に、私は見とれる。


 ーーほんと、まぶしいなぁ……。


 夕日の光が反射して、まるでおとぎ話のお姫様みたいだった。ふわふわ舞う毛先は宙に浮いてるみたいに軽く見えるし、はにかむ笑顔はそれだけで“様(さま)”になってる。

 私なんかとは違うお話の中の登場人物。向かってくる困難に挫けながらも諦めない、悲劇のヒロインであり、物語の主人公ーー。ほんと、場違いにも程がある。

 私が迷い込んだのが間違いだったんだ。きっと。


「キョーコさんッ……!」


「は……ーー?」


 けれど夢から叩き起こされた。さっきまでそこにあった「絵画じみた」光景は何処にもなくて、目の前の彼女は私に向かって腕を伸ばしていてーー、


「っ……!!!?」


 腕を掴まれたと思った瞬間ッーー、爆音が全身を撃った。


「っぁ……!!?」


 上下左右が滅茶苦茶になりながらも吹き飛ばされる。もう肩が痛いのか腰が痛いのか、訳も分からない。地面に転がり砂埃にむせる。それでもまだ口の中に砂が入っていて、思わず唾を吐き捨てようと顔をしかめーー、


「 あっれぇー? りんゥー、間違えちゃったぁー? 」


 その甘い声に全身の毛が逆立った。

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