*穢れなき獣の涙
「なんだ!?」
ギョッとしたエンドルフは、大きな影を見上げてさらに驚く。
赤やオレンジの鱗に覆われた体表に鋭い眼差し。空を駆るコウモリに似た翼──それはまさしくドラゴンだ。
ぱっと見ただけでも十体はいると窺えた。
「うへぇ」
[我らも加えていただこう]
巨大とまでは言えないが、それでもエンドルフの頭二つ分は視線を上げるほどの高さがある。
「どういうことだよ」
唖然として問いかけると、そのドラゴンは頭を上げ、
[なんとも暖かな輝きが見えたのでな]
この世界を守らねばと思ったのだ。
[静観を決め込むはずであったのにのう。不思議なものよ]
まるで、我らに流れる血が内側から訴えかけているようで、それはあたかも、悲痛な叫びにも似た哀しいものであった。
[何もしないことは
この世界は滅びて良いと思えるほどには、罪深くはない。古き仲間を止めずしてなんとする。
金色の目を細め、前方にいるシレアの背中を見つめた。
[さあ。我らの背に]
ドラゴンたちは体勢を低くし、背中に乗るように促すと、
しっかりと乗ったことを確認したドラゴンは、ひと声上げて翼をはばたかせ空に舞い上がる。
モンスターの攻撃から解放されたウィザードたちは詠唱を始め、アーチャーはわずかな傷口をめがけてじっくりと狙いを定めた。
シレアの突き刺した剣からネルサの護りは弱まり、こちらの攻撃が利き始める。ネルサはその巨体でねじ伏せようとするも、徐々に体力は奪われていた。
[虫けらどもめ!]
人々の力はさらに強くネルサに痛みを与え、もはや、恫喝も炎の
[我が、負けるというのか]
あり得ない。最も強大な力を持つ我が、こんな愚か者どもに倒されるはずがない。なんと醜悪な。馬鹿げている。
[我は、神なり]
世界を絶やし、創り直すのだ。俺は、道具なんかじゃない。
呻くようにつぶやくと、ゆっくりと動きを止めた。
「倒れるぞ! 避けろ!」
そうして、ズシンと一度大きく地面を響かせて倒れ込んだ漆黒のドラゴンは、そのまま動かなくなった。
「こいつめ」
「やめろ!」
一人の男が憎らしげに横たわったドラゴンの体を足蹴にし、シレアはそれを強く制した。
「しかし──!」
男とその周囲にいる者は少し驚いたが、シレアの鋭い眼差しに言葉を詰まらせる。
「黄泉へ旅立つ者に追い打ちをかけるな」
死に行く者に敬意を払うのは礼儀だ。静かに発して大きな顔に歩み寄り、朦朧としているドラゴンの瞳を見下ろす。
ネルサは息も絶え絶えになりながらも、シレアをギロリと睨み付けた。力の全てを顎に集中し、噛み砕こうと機会を見計らう。
そのとき──
[っ!?]
ポタリと頬に落とされた雫に視線を向けると、その表情は読み取れないながらも、シレアの瞳から涙がこぼれ落ちていた。
「
[ならば、何故に泣く]
お前の意図がわからない。
「命は敬われるものだ」
そこには情けも哀れみもなく、ただ失われ行く命に敬意を表し静かに祈りを捧げる。
「誰しも、生まれる場所を選べる訳じゃない。けれど──」
それに嘆くだけでは、
「この先にある己の人生をも、選ぶことを
どうしようもないこともあるだろう、何をしたって上手く行かない時もあるだろう。しかし、初めから憎しみだけで動くなら、それはただ己の生まれに囚われている者だ。
「例え、それが間違った選択だったとしても」
お前は全身全霊で、尽きる運命に抗った。
[シ、レア]
どうしてこうも、お前は俺と向き合える。何故、真っ直ぐに俺を見つめる事が出来る。
「お前が、私に全てをぶつけてきたから」
憎しみも、哀しみも、怒りも。許せないと感じたものを、私に心で問いかけた。
[皆が、お前のようであればな]
「そんな世界はつまらない」
すっぱりと言い放つシレアに目を丸くして、喉の奥から笑みを絞り出す。
[これが、人か]
醜く、厚かましく、儚く、弱い。それでいて強く、美しく、清らかな。何かに抗いながら、何かを許容し──
まるで、この世界の全てを詰め込んだような存在だ。
「この世の哀しみを全て消し去ることなど、不可能に近い」
だが、それを目指そうとする意思は決して絶えることはないだろう。全ての者が、初めから諦めたりはしない。
「一人一人がそう、あれるように。それではだめか」
シレアの背後には、多くの種族が彼の言葉に従うように、ネルサをじっと見下ろしていた。信じて欲しいと、その目がネルサを見つめる。
ネルサはそれぞれの瞳を一瞥したあと、
[……それでよい]
満足げに小さくつぶやいてゆっくりと瞼を閉じ、ふいに呼吸が止まる。
動かなくなった体を、いくつもの小さな光りが慈しむように覆い、仕舞いには四散して、数多の光は天へと昇るようにそれぞれ散らばり、音もなく消えた。
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