*遙かな友へ

 マイナイは小さな粒が群れを成す光景を、山の中腹で眺めていた。異様な空気は、この距離でさえも男の眉間に深いしわを刻む。

 そのなかで、光を放つ一点を見つめた。

「私が創ったものは人ではない。美しく、穢れなき獣だ」

 それは、なにものにも囚われず、この世界を自由に歩む気高き獣──

「檻になど入れてはならない」

 あのときの幼い瞳の奥底には、言いしれぬものが宿っていた。しかれど、

「目覚めることはないと思っていた」

 そうか、目覚めたか。

 肌に伝わる、ぴりぴりとしてどこか暖かなものに口元を緩ませる。

 失敗を繰り返していた研究に嫌気が差していたマイナイは、個人で所有していた小さな骨の欠片を粉末にしてフラスコに投入した。

「世界を統べるドラゴンの復活は喜ばしい」

 マイナイは古代生物を蘇らせる研究をしていた。戯れに混ぜ込んだものは、彼にとっても大いなる成功をもたらした。

 人間が成したものが世界の命運を握るとは、なんと皮肉なものだと感慨深げに目を細める。



 ──ヴァラオムは静かに口を開いた。

[自然を愛し、世界をめぐっていた彼らには、その力を使う理由がなかったのだよ]

「でも、絶滅しているわ」

[どんなに強大な力を持っていようとも、滅びは避けられぬ]

 それは自然淘汰に他ならない。

[彼らはそれを重々、承知していたのだ]

 世界の次の段階──彼らはそれを素直に受け入れた。

「そんな!」

[己のために世界を犠牲にはしたくなかったのだろう]

 それほどに、この世界を愛していた。

「本当にそれでよかったの?」

 ユラウスが言ったように、彼らも少しくらい抗っても良かったんじゃないの。

[力を持つドラゴンが抗えば、世界は大きな傷を負うことになる]

 古の民とは何もかもが違いすぎる。

「滅びの全部が悪じゃない。解ってるけど!」

[自然の力全てを味方に出来たのは彼らだけである。その力の強大さは、それだけで理解できよう]

 それを知っているネルサはシレアを怖れたのだ。

[そこかしこに溢れていたマナは、もはや地中のみに流れる事となり、空を自由に闊歩かっぽしていたかつての強きドラゴンたちも今や成れの果て]

「それじゃあ、いくら古代竜の力を持つシレアでも無理なんじゃないの?」

 モルシャの問いかけにヴァラオムは目を眇める。

[皆がそう考えるなか、ネルサは違っていた。何故なら──]

 シレアの意志は限りなく彼らに近しい。

[全てを味方にしていた彼らに、マナの流れなど関係もないのだ]

 この世界のものは全てマナを根源としているものなのだから。

[シレア、その力を畏れるな]

 遙かな友の意思は決してそなたを黒く染めはしない。



 ──ネルサは不気味な笑みを貼り付けてシレアの剣を強く押し込んでいく。

「貴様はすでに人ではない。それでも俺に抗うというのか」

 その力が目覚めたいま、残されていた人としての部分は消え去ったというのに!

「私はただ己のしたいことをしているだけだ」

「それが俺に仇なす理由とは笑える!」

 力の差を見せつけるようにさらに力を込める。

「この世界は自由であらねばならない」

 見下ろすカデット・ブルーの瞳を見つめ、シレアは凜として返した。

「自由であったために、自由過ぎたために貴様や俺のような存在が造られたのだぞ。それでもいいと言うのか」

「重要なのはその部分ではない」

 それぞれの種は選択を続けていく、そのふるまいが世界の先を決める。

「私やお前という存在は、この世界の一部でしかない」

 造られたかどうかなど、私にとってはどうでも良いことだ。

「そうして嘆きながら死んだ者たちにも同じことが言えるのか」

「だからといって世界を大幅に変えようとすれば、多くの者たちを苦しめることになる」

「だったら自分は我慢するってか! ハッ、とんだ馬鹿だな」

「私の心を揺さぶろうとしても無駄だ」

 淡々と無表情に発したシレアに舌打ちし、鋭く睨み付けた。

「俺に従わない者など必要ない」

 ことごとく滅ぼしてくれる!

 ネルサはシレアの剣を払い、全身に力を込める。

[いかん、離れろ! 本来の姿を現すぞ!]

 黒い霧がネルサの周囲にたちこめ、その姿を隠した。霧はみるみると膨れあがり、小さな山ほどになる。

 霧の塊に魔法の攻撃を仕掛けるも、強いエネルギーが障壁となりまったく通じない。悔しいが、どうすることも出来ずに立ち尽くす。

 そうして黒い霧が晴れたとき、真の敵がシレアたちを悠然と見下ろした。

「なんと巨大な──」

 アレサは呆然と眼前の存在を仰ぎ見た。

[我こそはこの世の支配者! 全ての存在は我の前にひれ伏せ! 崇めよ!]

 漆黒の翼を広げたドラゴンが、低く心の奥底を震え上がらせるような声をシャグレナの大地に響かせる。

 黒い巨体がシレアの頭上に大きな影を作り、降り注ぐ冷たい視線に一同の心には等しく絶望が漂う。

 その威容にオークやコボルドたちまでもが動きを止め、目を見開いてドラゴンを見上げた。

「あんなのとどうやって闘えっていうのよ!」

 漆黒のドラゴンを指差してヴァラオムに声を張り上げる。

[大きさは問題ではない]

「これは問題でしょ!」

 さすがのモルシャも威勢を張ってはいられない。

「色んな遺跡を見てきたけど、巨大な像でもここまでの大きさはなかったわ」

 未だかつてない恐怖がたったいま、目の前にある。それがひしひしと伝わってくる。

 巨体を覆う漆黒の鱗はギラギラと輝き、不気味な存在感をまとっている。誰もがその姿に息を呑んだ。

「うへ。でけえな」

 シレアは隣で呑気に発したエンドルフを一瞥し、

「足を狙え」

「よっしゃあ!」

 男は戦斧を振り回し仲間たちの元に駆け出した。

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