*力の行方

 シルヴィアはシレアを睨み付け、矢庭やにわに詠唱を始める。その長さから、上級ではないにしろそれなりに強い魔法だと窺えた。

 そうして女は、手に浮かぶ青白い球を愛でるように見やり、パチパチと帯電しているエネルギーの塊を投げつけた。

 だがしかし、エナジーボルトはシレアにではなく、見物気取りのネルサに向かって飛んでいく──矢のごとく放たれたエネルギーは当たることなく、男の眼前で虚しくかき消えた。

「なんのつもりだ」

 シルヴィアは剣を握る手を小刻みに震わせながらも、怯むことなく睨み返した。

「私を救いたいと仰ったならば、どうしてシレアに会わせてくれなかったのです。彼の幸せだけを私に語り、憎しみを植え付けたのですか」

 ネルサは張り上げたシルヴィアに眉を寄せ、「そんなことか」と喉の奥から笑みを絞り出す。

「貴様はシレアとは根本的に違う。奴にはこの世界で生きていく力があった。貴様にその力を与えたのは俺だ」

 憎しみによって貴様は生きる力を得た。

「違う!」

 憎しみから強くなろうとしたんじゃない、強くなるために憎んだのだ。そうしなければわたしの心は正気を保てなかった。

「わたしの手は汚れ過ぎた。貴方のために、多くの血を流した」

 もう、戻れない。

「わたしは、命を奪いたかった訳じゃない!」

 シルヴィアは叫び、涙を流してネルサに剣を振り上げた。

「どうだかな。殺しは楽しいだろう?」

 己を偽るな。命を貪り奪う悦びにうち震えるがいい。

「誰が、楽しいものか」

 誰かを傷つけるたび、この胸は痛み。誰かの命を奪うたびに、わたしのなかの何かが壊れていく。

「それでも、ネルサ様のためならばと──」

 そう、自分に言い聞かせた。

「わたしは憎しみなど求めていない!」

 叫びと共に振りかざした剣はネルサに届くことはなく、代わりに腹に熱く鋭い痛みが走る。

「あ──」

 手から剣が滑り落ち、無表情に自分を見つめる男を見やった。

「ネル、サさま」

 突き立てられた剣は腹から背中に抜け、肺や気道を傷つけているのか、口や鼻から赤い液体が噴き出す。

「貴様は奴に殺されなければならなかったというのに」

 まったく、使えないやつだ。

「な、何故」

「シレアはお優しいからな。貴様を殺せば、必ず奴は心に隙をつくる。そこから入り込み内側から黒く染めれば、俺の手を取ったものを」

「ど、してそこまで──」

「もしや、自分が奴と同じだとでも思っていたのか?」

 うぬぼれるな。貴様は、奴を引き込むための道具に過ぎない。

「目覚める前に俺のものにしたかったんだがな」

 舌打ちし、わずらわしそうに剣を引き抜いて転がる女を冷たく見下ろした。

「ひどい」

「あれがネルサという男か」

 モルシャやアレサだけでなく、見ていた者たちは嫌悪感を募らせた。

「さあ、戦いを続けようじゃないか」

 ネルサの瞳が輝き、それに呼応するように左手にエネルギーが集まる。

「避けろ!」

 シレアの叫びは間に合わず、ネルサの左側にいた友軍が赤黒い衝撃波に吹き飛ばされた。

 ──そのなかに、かつての荒くれ者、ロシュリウスの姿を見つける。彼が旅に出て以来、会うこともなく会話もしていない。

「ロシュリウス!」

 友の影は異様なほど、ゆっくりと視界を横切っていく。

 そこに一縷いちるの望みすら与えてはやらぬと言わんばかりに直感で彼の死を感じ取り、その衝撃が胸を貫いた。

 こんな終わり方でいいはずがないだろう──!?

「愚か者どもが」

 刹那、辺りが静まりかえった。直後、すさまじい風が渦を巻く。

「これは!?」

 さらに一瞬で凪が戻り、どこからともなく響く甲高い音が辺りを満たした。

「なに? この音」

「一体、どこから」

 音の出所を探ると、それは目の前にいる人物から放たれていた。

「シレア!?」

 アレサは無表情でネルサを見つめるシレアに目を見開いた。これまでのシレアとは明らかに雰囲気が違っている。

 帯黄緑色たいおうりょくしょくの瞳は妖しく輝き、その身に鋭い風をはらみ、シルヴァブロンドの髪は美しくその流れに舞う。

「チッ」

 ネルサは苦々しく舌打ちすると、銀色の鎧を具現化させ剣を強く握りしめる。

「この気は」

 ユラウスは、シレアから流れてくるエネルギーに記憶の渦に埋もれた郷愁きょうしゅうを見た。

「まさか──。いや、そんなことが」

[そうだ。なんと懐かしい]

 信じられないと首を振るユラウスにヴァラオムは応えて目を細めた。

「どういうこと?」

 何かに気付いた二人にモルシャは首をかしげる。シレアから吹く風はどこか心地よく、血みどろの戦場に妙な安心感を漂わせていた。

[ネルサが怖れるドラゴンとは、自然の中に生き、この世界を愛していた存在だ]

 かつて古の民、ロデュウと共に世界を歩き、千年以上も昔に絶えた巨大竜──

[今はエンシェント・ドラゴンと呼ばれている]

「えっ古代竜!? うっそ!?」

「モルシャが驚くのも無理はない。数少ない彼らの遺物は掘り尽くされ、今現在出回っている骨や鱗は全て偽物じゃからな」

[よもや、マイナイたちが本物を有していたとは驚きだ]

「そうだ。古代竜は死に絶えた。全ては人間が増えすぎたせいだ」

 ドラゴンはことごとく狩られ、生き残ったドラゴンたちにもはや安息の地は存在しない。ヴァラオムもいずれはこの地を去らなければならないだろう。

 それを止められるのは強い力を持つ俺とお前だけなのだ。

「お前は唯一の正統な継承者だ。その手で復讐する権利がある」

 覚醒したいま、お前の居場所はそこにはない。俺のもとこそが相応しい。

「私には関係のないことだ」

「なに?」

「恨みの過去など、引きずるに値するものではない」

「なんだと?」

「お前がされたことのために、どうして今の者たちが苦しまなければならない」

 道理に合わない。そんなものに遵従じゅんじゅうするつもりはない。

 淡々と告げるシレアの瞳は、驚くほど穏やかだ。それでも、ネルサには容赦はしないという感情は見て取れる。

「目覚めたばかりの貴様が、俺に勝てるとでも思っているのか」

 低く発し剣を振り上げる。ふた振りの剣はぶつかり合い、激しい金属音を響かせた。

「たかだか二十数年生きたくらいで、俺に刃向かうなど──!」

 思い通りにならない怒りに銀の髪がうねる。

「──っう」

 徐々に力を込めるネルサの気迫に圧倒される。長きにわたる怨嗟えんさがネルサから染みだし、じわりとシレアを取り巻いていった。

[シレア! 臆するな。そなたの意思は誰よりも強く純粋だ]

「黙れ! 低俗なドラゴンめ」

「チビやら低俗やらと、えらい言われようじゃな」

[我の威厳はどこにいったのか]

 情けなしと頭を振る。

「よく考えろ。誰につけば利口だ。解るだろう」

「お前にだけはない」

「死にたいのか」

「それを選ぶ道もある」

「よくも言う!」

 憎たらしい奴だと歯ぎしりし攻撃を続ける。

「でもヴァラオム」

 激しいエネルギーを放つ二人を遠目で見つめるモルシャは、

「古代竜って、大した力はなかったんじゃないの?」

 伝承では巨大竜とは言われていても、他の巨竜と比べればふた回りほど小さく、ただ自然を愛してゆうるりと世界をめぐっていたという。

「だったら、あいつには敵わないんじゃないの?」

[そうではない。そうではないのだよ]

 ヴァラオムは首を振り、静かに目を閉じた。




遵従じゅんじゅう:[名](スル)さからわず、素直に従うこと。従順。

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