*暗き道
「お前は全てを手に入れているというのに、それに気がつかない」
わたしがどれほど欲しても、そのどれをも手に入らないものなのに。
「わたしに与えられたものは、冷たい牢獄と物言わぬ兄弟だけだった」
それがわたしの全てだった。お前だけが特別だった、お前だけが愛された。
「ネルサ様は、そんなわたしに光を与えてくださったのだ」
いぶかしげに見つめていたシレアだったが、女の綴る言葉をつなぎあわせ、ようやくその意味を徐々に理解し始める。
「そうか、お前は──」
「これが赦せるものか!」
悲痛な叫びと共に剣を構えた。
「失敗作だと
突き出すように繰り出されるシルヴィアの剣をかわし、振り上げられた刃を受け止める。
「それを許せとは言わない。お前が受けてきたものを考えれば、その怒りも当然かもしれない」
淡々と口を開いたシレアを刃越しに睨みつける。
「だが、私を憎むこともまた──」
間違いだと解っているのだろう?
「黙れ!」
この場においても、未だ落ち着き払った
「ネルサ様に出会うまで、私は人として扱われず、名前すら付けられることもなかった。不出来の女と呼ばれる屈辱が解るか!?」
怒りで体を震わせる。
「兄弟たちはネルサ様に助け出されたとき大きな傷を負い、みんな死んでしまった。わたしはそのとき誓ったのだ」
生き延びて復讐を果たすのだと、それだけが私の生きる意味だった。けれどネルサ様の意志を知り、協力してくれと頼まれたとき、わたしは歓喜した。
こんなわたしでも頼りにしてくださる。わたしの力が必要だと言ってくださった。
「わたしはネルサ様のもの、全てはネルサ様のために! ネルサ様がお前の力を求めている。抵抗は無意味だ。大人しく従え」
ネルサ様が世界を支配する。世界の王になる。それは決められたことなのだ。
そう語るシルヴィアの瞳には狂喜が浮かんでいた。盲信し、狂信者となっている女を見つめて眉を寄せる。
「奴がお前に何を言ったのかは解らない」
ただ、
「それは、真実の言葉なのか」
「黙れ! 貴様などに何が解る!」
ただ死ぬことだけを願い、ただ憎しみだけが心を満たしていた漆黒の年月を誰が救ってくれたのか!
「それについては
「そうやって、きれいごとばかり並べ立てる貴様など殺してやりたい」
最も憎むべきは貴様なのだ。
「それでも」
──それでもネルサ様のためなら、わたしの憎しみなど飲み込んでしまおう。
「奴は己の憎しみを成就させようとしているに過ぎない」
「解るものか。貴様になど、解ってたまるものか」
「解りようがない。私はお前ではないのだから」
もしも同じ境遇に置かれたなら解るかと問われれば、それは違うと言える。
「私はお前にはなれない」
その言葉に女は立ち止まる。
「当たり前だ」
そんなことは解っている。わたしがお前のようになれたなら、どんなにか幸福だったろう。何度それを考えただろうか。されど、全てが違いすぎた。
シルヴィアは風に揺れるシルヴァブロンドの髪を見やり、毒気を抜かれたようにだらりと剣を下げる。
「あなたは美しい。わたしのように穢れてはいない」
口の中でつぶやき、再び鋭く見据えると剣を振り上げてシレアに挑みかかった。
解っている、憎んだところで何も変わらない。けれど、憎まずにはいられなかった。そうでなければ生きて行くことが出来なかった。
あなたはわたしのそんな醜い心を受け止めている、解っているんだ。
「解っている。憎むことと、誰かを傷つけることは──違うのだということは」
本当に受け止めてくれる人が誰なのか、わたしは知っている。
けれども──
「もう、あと戻りはできない」
「そうか」
シレアは低く応えて剣を構える。
鋭利に向けられた剣先よりも、その射抜く視線にシルヴィアは身震いを覚えた。
「何故だ」
シレアを一心に見つめ、口の中でこぼす。
「何故わたしは生まれた」
ただ捨てられるだけの命にどうして生まれた。
答えなど求めてはいない、ただこの理不尽さが許せない。「運が悪かったのだ」と言われるのだけは嫌だ。
「わたしは、ただ運が悪いというだけで、暗闇に閉じこめられ、心を殺されていたのか? わたしという存在は、なんなのだ!」
引き裂かれるほどの叫びをあげ、刃を交える手は震えて涙が頬を伝う。それでもシレアは静かにシルヴィアを見つめていた。
「外に出ることが出来たなら、何故そこから新たな道を見い出さなかった」
「っ!?」
「お前は運が悪いと言われることに怒りつつ、どうしてそこから抜け出そうとしなかった」
「黙れ!」
「生まれを選ぶことが出来るのかどうかは解らない。だが、道を選ぶ機会はあったはずだ」
「黙れえ──!」
何も知らないくせに!
「そうだ。私に理解出来うることは少ない」
私が言っていることはただの正論に過ぎず、極限状態のなかで選択の道を見つけることは難しい。
「ならば、私に言えることは限られている」
誰しも万能ではない。
例えば、私とお前が逆の立場だった場合──
「お前は果たして、私と同じ思いでいただろうか」
「黙れと、言っている」
「私はお前と同じく、この世を憎んだだろうか」
「ぺらぺらといつまでも!」
「まだ間に合うこともある」
手遅れだと諦めるよりも、成せる方法を見つけ出すことが先ではないのか。
「いい加減に、しろ」
迷うシルヴィアの脳裏に過ぎるのは、
「お前は自由にはなれない。作り物のお前に、誰が優しくしてくれようか? 俺だけがお前を理解してやれる。俺だけがお前の拠り所」
何度も、何度も耳元で紡がれた甘い声。
「解って、います」
わたしはこの世界に拒絶され、決して受け入れてはもらえない存在なのだ。歪んだ方法で生まれたわたしに、希望を抱く権利すらない。
絶望から抜け出る事が出来たその先には、やはり絶望しかなかった。
「わたしは、お前が羨ましかった」
成功したと歓喜を上げて賛美され、大切なものでも扱うように育てられただけでなく、自由までも手にした。
惨めで、悔しくて、憎くて、羨ましくて──わたしは自らの心を凍らせた。
「わたしは、どうすれば良かったと言うのか!」
どうすれば愛されたのだ。今更考えたところで、もう戻れやしない。
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