*西の辺境から
次の日──広場でシレアたちが集まっていると、長老がなにやら慌てた様子で一同の元に駆けつけた。
「どうした」
「いいから来るんじゃ」
シレアを呼びつけ、集落の西にある一軒の建物に案内すると、早朝だというのに中は薄暗く香の匂いが立ちこめていた。
天井からぶら下がる、いくつもの飾りは何かの金属で作られているのだろうか、微かな空気の流れにも透き通った音を響かせる。
ほどなくして進んだ廊下の先に、藍色の布が垂れ下がる入り口をくぐると広い部屋にたどり着いた。
薄暗く強い香の薫りが満たされるなか、黒いヴェールを頭から被り大きな水晶玉を神妙に覗いている男の姿が奥にあった。
「おぬしのことを見たと言って、数日前に尋ねてきていたのじゃ」
「ほう?」
「今まで何故言わなかった」
「つい忘れておったんじゃい」
シレアたちのあまりにもの出現の仕方に、すっかりと失念していた。
「王都に炎があがっている」
ヴェールの向こうから覗くオレンジの瞳がシレアを一瞥し、低く発した。
「人間の街か」
「王都って──ルフィルムーア?」
アレサとモルシャがそれぞれ応えると、ユラウスは眉を寄せる。
「炎とはどういう事じゃ」
「コボルドどもが街にあふれている」
遠詠みの言葉に、一同は怪訝な表情を一様に強くした。
水晶玉に映るのは、体毛のない犬に似た容姿のモンスター。小柄な体格で、一匹一匹ならばさほど強い相手ではないが群れを成すと厄介なモンスターである。
「まさか、敵が動き出した?」
「草原の民の集落は──集落はどうなっている!?」
アレサは震える声を抑え、遠詠みに詰め寄った。
「待て待て、落ち着くんじゃ」
ユラウスが肩を掴んで制止すると、アレサはハッとして深く息を吸い込んだ。
「すみません。もう大丈夫です」
微かに声は震えているものの、落ち着きは取り戻したようだ。
「女が見える」
「女?」
シレアは、脳裏に浮かんだ影に顔をしかめた。
「赤い髪の女だ。とても強いオーラをまとっている」
やはり、ウェサシスカとシャグレナ大陸で会った女かと苦い表情を浮かべる。鋭い眼差しにはシレアへの憎しみが色濃く表れていた。
見ず知らずの相手に、どんな憎まれ方をしたのかと本人さえも首をかしげる。
「あの女が敵の上部にいるのは確実でしょうね」
冷静さを取り戻したアレサが応えた。
「うむ、
「あたしの集落も大丈夫なのかしら」
さすがのモルシャも少々、心配になってきたようだ。闘うことを知らない種族が抵抗出来るとは思えない。
「まず主要な街を狙うだろう。戦闘力のない種族や小さな集落を襲ったところで、あまり意味を成さない」
シレアの話にモルシャたちは安堵の溜め息を吐いた。
「街を襲うにしても、すぐに拡がる事は無いじゃろう」
「問題は、どう戦うか」
ぼそりとつぶやいたシレアの言葉に、部屋の空気は重くなる。
イヴィルモンスターを従えているのだとすれば、どう考えても数で敵う訳もなく、それに対抗しうる絶大な力を持っている訳でもない。
相手を過小評価できる要素は何一つなく、全体を見渡せない状態での勝機を見い出せる策など見つかろうはずもない。
「そなたが旅をした意味は何かを考えよ」
背後からかけられた声に振り返ると、見慣れない男が立っていた。
年の頃は四十代だろうか、腰まであろうかというほど長く伸びた銀の髪に黄金色の瞳は揺るぎなく目尻はきりりと吊り上がり、精悍な顔立ちをしている。
ずいぶんと親しげに話しかけてきた。シレアの知り合いだろうか?
「ヴァラオム」
「えっ!?」
知恵のあるドラゴンは人に化けられるとは聞いていたが、これほど見事に変化できるとはとユラウスたちは感嘆する。
「何故、仲間たちは他種族であるのか。どうしてそなたがその中心だったのか」
「ヴァラオム殿、それはどういう事じゃ」
「それぞれが上辺だけの交流を続けていた時代は終わりを告げる。おぼつかない均衡を崩し、立ち向かわねばならぬ」
まさに、ときは満ちたのだ。
「そうか、親書」
共に立ち向かうべき敵が現実にいることを、多くの人々に伝えなければならない。
「うむ」
アレサのつぶやきにヴァラオムは深く頷く。
「他種族と旅をしてきたそなたらだからこそ、その重みは文字へも表れる」
いち早く敵を目前にした者だからこそ、伝わるものがあるだろう。
「手紙書いてくる!」
モルシャが転がるように駆けていくと、それぞれが顔を見合わせる。
「オレも書いてこよ」
マノサクスは畳んだ翼を邪魔そうにしながらシレアの家の入り口に向かった。それを見送りつつヴァラオムはユラウスに視線を向け表情を険しくする。
「そなたの役目は重要だ」
「うぬ」
「シレアはまだ若い」
「心得ております。あやつ一人に何もかもを背負わせるつもりなど──」
「上手く導いてやってくれ」
言葉成らざる者どもは、もはや他人事としている訳にはいかない。その傍観が己を滅ぼすこととなることを知るべきときがきた。
迫り来る狂気に、誰もが立ち向かわなければならないのだから──
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