*徒然にして希望

 エナスケア大陸──その西に連なるリンドブルム山脈にほど近い集落、木造や煉瓦造りの建物に統一性は無いが、全体的に見て青年が少ないようにも思われる。

 巨大な翼竜リンドブルムがここで息絶え、神がその亡骸を岩に変えたという神話からリンドブルム山脈と名付けられた。

「長老!」

 五十代ほどの男が声を荒げ、集落のなかではひときわ大きな建物に飛び込んだ。

「なんじゃ、昼過ぎから騒々しい」

 七十代と思しき白髪の老人は、駆け込んできた男に顔をしかめる。

「ま、魔法円が輝いています」

「なぬ?」

 老人は杖を持ち、慌てて集落の端に足を運ぶ。

 シレアが旅立ったあと、人があまり立ち入らない場所に魔法円が描かれていると村人から報告を受けた。

 勝手にこんなものをこさえるのはシレアしかいない。あやつはいつも、しれっとなにかをやらかしおる。

 折角だから置いておけと放置していたものがよもや動き出すとは。

「もしやシレアか」

「我らには魔法を使える者は少ないですからな」

 長老と呼ばれた老人が到着すると、なにやら円形をした不思議な文様の中が強い光に満たされていた。

「おおお!? 本当に輝いておる……。──長くないか?」

 魔法そのものすら使えない長老だが、転送魔法円ポータルから現れる場面には過去、何度か出くわしたことはある。

 転送魔法とは、こんなにも長い時間を要しただろうかと記憶にある時間よりも長い輝きに首をかしげた。

 それでも待っていると、大きな黒い影が姿を現し始める。はて、シレアはこんな大男ではなかったはずじゃが。

「うおっ!?」

 輝きが収まり、想像していたよりも大人数で声が出る。

「ああ、やっと着いたの?」

 時間がかかるかもしれないと聞いてはいたが、けっこう長かったなとヤオーツェは疲れたように肩をすくめる。

「あれはリンドブルム山脈か」

 近くに見える山脈にアレサが問いかけ、ユラウスたちは見慣れない風景に辺りを見回した。

「そうだ」

 シレアはそれに答えながら、目を白黒させている白髪の老人に歩み寄る。

「久しいな」

「戻ってきて早々に騒がしいのう。彼らはなんじゃ」

 シレアの背後にいるユラウスたちに眉を寄せる。見慣れない動物までいて警戒しない方がおかしい。

「説明はあとだ」

 挨拶もそこそこにアレサたちを自分の家に案内した。



 ──家の中は旅に出たときと変わらず、綺麗に整頓されていて埃すらない。一人暮らしのシレアは手先が器用なこともあり、大体なんでも一人でこなしていた。

「おなごどもが入れ替わりに掃除をかかしとらんよ」

 もう何年も帰ってはいないのにといぶかしげにしていたレシアに長老が答える。なるほどそうかと返すも、どうして掃除をしてくれているのだろうかと小首をかしげた。

 そうして一同をダイニングに促し、飲み物を配り終えて落ち着いたところで口を開く。

「長老のディナスだ」

 暖炉のそばの椅子に腰掛けている白髪の老人を示して紹介した。

「お初にお目にかかる。わしはユラウス」

 それから例の如く仲間たちの自己紹介が始まる。

 終わったところでシレアはユラウスを示し、

「彼はロデュウだ」

「古の民? ほほう」

 怪訝な表情で一同を眺めていたディナスが驚きの声を上げる。なんとも種族が色々いるなかで古の民もいるとは、どんな旅をしてきたのか。

「彼がおぬしを?」

「そうだ」

 確認し、ディナスに向き直る。

「おぬしには初めから説明しなくてはならんの」

 ユラウスは重々しく語り始める──

 古の民は、これから訪れるかもしれない暗黒の時代と見えない敵、それに立ち向かわなければならない運命を背負った者たちの事を綴った。

 驚かされる内容だが、長老は小さく唸りつつも、その表情にはどこかしら納得した感が見受けられる。

 ユラウスが話しを終えると、ディナスは一同をゆっくりと一瞥していった。

「よもや、シレアがの。王都でおぬしを拾ってから色々あったが、このような運命が待っていようとは」

 育ての情が垣間見える声色に、ユラウスは目を細めた。ユラウスは長く生きてはいるけれど、子どもをもうけたことがない。

 親の愛情、子の愛情というものがよく解らないながらも、二人の間にはそれに似たものがあるのだと感じられた。

「そのことで話がある」

「なんじゃい」

 シレアはユラウスたちに目をやり、

「少し外してくれないか」

「そうじゃな。二人だけで話した方がよいじゃろう」

「ずいぶんと物々しいの」

 全員を外に出してまで話すことなどあるのかと眉を寄せる。

「長老」

「なんじゃ」

 このように呼ぶときは大抵、大切な話であることが多い。シレアの険しい眼差しに、気を引き締めて耳を傾けた。



 ──外に出たユラウスたちは、しばしの休憩に体を伸ばす。陽はすでに目線まで傾き、すぐに地平へと隠れていくだろう。

「長老はどんな反応をするでしょうか」

「うむ。にわかには信じられぬじゃろう」

「シレアってエルドシータだったんだね」

 脇からマノサクスがひょいと顔を出した。

「わしも先ほど聞かされるまで知らなんだ」

 エルドシータ──自由を愛し、自然と共に生き、気の流れを読む事に長けた民のことをさす。

 しかし、その容姿に統一された特徴は見られない。彼らには、旅先で捨て置かれている子を拾い育てるという慣習がある。

 そのため、このような辺境の地にあっても血は濃くならずに集落は長く続いている。

 集落に住む大半の男性は、成人になる十七歳で流れ戦士として旅に出る。西の辺境のどの辺りに集落があるのかをほとんど知らない者のなかにあって、彼ら民の名は広く知れ渡っていた。

 それだけ強く、名の知れた戦士や騎士が多いということだろう。



 ──シレアから聞かされた真実に、ディナスは小さく唸りを上げる。

「なるほどのう」

 本人の口から紡がれたものではあるものの、信じ切ることは難しい。

 若かりし頃には草原を駆け回り、モンスターともやりあっていた。されど、そんな日々はとうに過ぎ去り、今は集落を束ねる者として皆を導かねばならない。

 我が息子の言葉をすぐに信じるには、あまりにも突飛で重い。

「私を拾った時の状況を、出来るだけ詳しく知りたい」

「そうは言われても、以前に話したことが全てじゃよ。ぬしを造ったという人物には会ったのじゃろう?」

 その問いにシレアは黙り込んだ。

「まさか、大して質問もせずに別れたのか? おぬしらしくもない」

「真実さえ解ればそれでいいと思った」

 そのときは確かにそれで良かった。いま考えると、それだけで良い訳ではなかった。

「それはそれでおぬしらしいな」

 長年、シレアを育てたからこその言葉だ。

「王都にはあまり立ち寄らないわしが、あのときはどうしてだか足が向いた」

 不思議よの……。当時を思い浮かべて目を閉じる。

「よく奴隷商人に目を付けられなかったと思うくらいには、出会ったときから整った顔立ちをしておった」

 あるいは、ディナスが見つけなければそうなっていたかもしれない。

「金持ちが見つけていたらまた、違っておったじゃろうが」

 そうなれば今頃は、裕福な生活を送っておったかもな。

「その金持ちに同い歳ほどの娘なんぞおったれば、そのまま結婚という流れにも──」

「起こってもいない妄想を続けるな」

 いつまでくだらないことを喋くっているんだと眉を寄せる。

「無表情で、無愛想で、可愛げのない子供じゃったが」

「悪かったな」

「集落に連れてくればまあ、馴染まない馴染まない」

「悪かったよ」

「そのくせ、剣術はすぐに強くなりおる。あげくに、魔法まで覚えおってからに」

「もういい」

 話を聞いた自分が馬鹿だったとシレアは頭を抱えた。

「血はつながっておらずとも」

 ふいに、今までのもとは違った声色に思わずシレアは目を合わせる。

「おぬしは、わしの自慢の息子じゃ」

 真っ直ぐな眼差しは昔と一つも変わっていない。

 ──あれは十一歳のときだったか。三つほど上の子が、どこかの家の花瓶を割ったことをシレアのせいにしようとした。

 大人しくてあまり話さないシレアは、子どもたちのなかではのけ者にされることが多かった。当然のごとく、味方のいないシレアをかばう者はいなかった。

 騒ぎを聞きつけたディナスは否定も肯定もせずにただ黙っているシレアを見やり、

「おぬしがどう考えて黙っているのかはわからぬが、その振る舞いはあとに響くということだけは、肝に銘じておくことだ」

 そういって結局、花瓶は誰が壊したか言及はされなかった。

 しかし、そののちに花瓶を割った子どもは幾度となくいたずらを繰り返し、成人を迎えた頃には荒くれ者となっていた。

 否定をしていたならば、彼の結果は違っていたのだろうか。それは解らない。

 ただ、あのときのディナスの眼差しは少しも曇ること無く真っ直ぐにシレアを見つめていた。

「そうか」

 そう返し、シレアは小さく笑みを浮かべた。



 ──外で待つ一同は、丸太の塀がぐるりと集落を囲っているにも関わらず、見える山肌を眺めていた。

「リンドブルム山脈がこれほど近くにあるとは」

 ユラウスはそびえ立つ山々を仰いだ。近いとはいえ、山脈の足元までは数日はかかる。それほどにリンドブルム山脈は大きく、雄々しい。

「シレアにいちゃん、本当に一人でこの山を越えたの?」

「えっなにそれ? あいつ凄いわね」

「東に見えるのはマテレリア平原ですね」

 のんびりと風景を楽しんでいたとき、人々のざわめきが聞こえた。

「なんだあれは!」

「こっちに来るぞ!?」

 まだらに広がる雲の間を飛び交う影は徐々に大きくなっていき、それが何かを確認できた人々の顔が青ざめる。

「ドラゴン!?」

「ドラゴンだ!」

 口々に声を上げる集落の人々とは違い、モルシャたちは「ついに来たか」と身構えた。

 しかし、

「いや待て、あれは──」

 太陽に照らされて輝く、まぶしいまでの純白の鱗には見覚えがある。

「じいちゃん知ってるの?」

「あれはヴァラオム殿ではないですか?」

「うむ、まさしくそうじゃな」

[久しいの、元気であったか]

 降り立ったドラゴンは柔らかな瞳で一同を見つめた。

「ヴァラオム殿こそ、元気でしたか」

「こちらは仲間が増えましたぞ」

「じいちゃん、このドラゴンと友達なの!?」

「いいや、シレアの友人だ」

[はっはっはっ。そなたたちとももう友人であろう]

「ところでヴァラオム殿、その手におるのは」

[うむ、ソーズワースである]

 ヴァラオムに抱えられているシレアのカルクカンは大人しくしていた。相手はドラゴンだというのに、驚かずにはいられない光景である。

「ギュネシアに置いていくと言った時は驚いたが、ヴァラオム殿が連れてきてくれるとはシレアも喜ぶだろう」

[おや、ユラウス殿は知らぬのか。呼び戻す魔法がからけられておるのだよ]

「なんですと?」

 一度使えば切れる魔法だが、それをかけておけば呪文一つで飼い主の元に転送される。使える者の少ない特殊上級魔法だ。

[今回は我が運んできたので魔法は継続されておる]

 ソーズワースのあごを爪で撫でながら応えた。難しい魔法を駆使するくらいなら連れ歩けばいいとは思うが、離れた時には役に立つ。

「今度オイラも教えてもらおうかな」

「相当に癖のある魔法じゃぞ」

 昔に覚えようとして出来なかったことを思い出す。相変わらず習得力の高いシレアに感心した。

「あ、シレア」

 出てきたシレアとディナスにヤオーツェが駆け寄る。

「大丈夫かの」

「問題ない」

「そうか」

[シレア、健やかであるか]

 声をかけたヴァラオムに友の言葉を交わすシレアをユラウスは静かに見つめた。

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