*冬の心

 ──明け方

[いずこかで会おうぞ]

 ヴァラオムは記憶に刻み込むように三人の顔を見やると、朝焼けの空に飛び立った。

「本当にお喋りなドラゴンじゃったわい」

「まさか夜通しになるとは」

 二人はぐったりしながらも旅の用意を進める。

「いつもより長かった」

「そうなのか」

 よほど楽しかったのだろうと、シレアは転がっている幾つもの空瓶を眺めた。

 ロデュウについては、少なからず思うところがあるのかもしれない。共に、古き種族であり、ヴァラオムは智の竜では若い方だがその滅びを見てきた。

「例えドラゴンであろうと、我らの滅びは止められはしなかったよ」

 古の民はこの世の役目を終えた種族だ。今更、誰かを憎んだところで何が変わるというのか。

「最期くらいは、笑って逝きたいものじゃ」

「そうですね」

 いずれはエルフも、そのあとに続くことだろう。それを思えばこそ、彼らと共に旅をしている己が何を成せるのか。

 大きな運命に立ち向かうべく選ばれた己の誇りを決して忘れぬよう、アレサは強く心に念じた。



 ──その夜

「今日はわしが火の番じゃな」

「寝るのは勘弁してもらいたい」

「失礼な! あれはちょっとした油断からじゃ。おぬしらはゆっくり寝ておれ」

「それでは、よろしくお願いします」

「うむ」

 ユラウスは胸を張り、たき火に乾いた小枝をくべる。ずいぶんと自信ありげだが、本当に大丈夫なのかと不安になりながらシレアは目を閉じた。

 シレアはしばらくして、消えかけた火に小枝を投げ込む。溜め息を吐き寝入っているユラウスを見下ろした。

「なんとものんびりした種族だ」

 ユラウス以外には古の民を知らないのだから、もちろん一概には言えない。きっとこれは彼の性格なのだろう。

 パチパチと音を立てる火を眺め、赤みがかった下弦の月を見上げる。

 野宿する時は交代で火の番をするのだが、ユラウスは必ずと言っていいほど寝てしまう。長年、危険の無い聖なる森で暮らしていたせいもあるのかもしれない。

 朝になって謝るユラウスに、シレアは怒ることもなく呆れて許すだけだった。

 エルフのそれと違い、シレアの許容はとても広いのだと二人は感心する事が多い。エルフは表情が見て取れないし、薄いというだけで感情が無い訳ではない。

 しかし、シレアは人間にしては、いささか感情の起伏が薄すぎるようにも思えた。

 シレアは拾われたときから、己の感情をあまり外には出さなかった。集落にいた子どもたちは新入りに興味を示しからかうものの、シレアはそれにまったく反応を見せなかった。

 あまりの反応の薄さに違和感と畏怖の念を覚えた子どもたちは、いつしかシレアを敬遠するようになっていた。彼を拾った長老は気が気ではない日々を過ごしたことだろう。

 見下ろす不安げな顔を思い出し、喉の奥から笑みをこぼした。

 長老には申し訳なく思う。けれども、私は意地を張っていた訳でも、何かに怒っていた訳でもなかった。

 そんなことを考えていると、ぴりりとした感情がシレアの肌を刺し、黒い気配がゆうるりと心に触れてきた。

「──っ」

 心の奥深くに入り込まれる感触に顔をしかめる。しかしすぐ、それは離れていった。

 身震いし、自身の体を抱きしめる。ほんの短い間だったが、重く冷たい腕に心臓を掴まれたように動けなかった。

 心に入られたとき、抵抗しようと思えば出来たが、あえてそうしなかった。奥底に沈み込んでいる記憶を引き出してくれるかもしれないと淡い期待を抱いたからだ。

 しかれど、それすらもシレアの奥深くには入り込めなかったのか、逃げるようにかき消えた。

 これは相当に厄介なものなのだろうかと肩をすくめる。

 二人の寝顔を見やり、瞬く星々を仰ぐ──過去の記憶など、本当はどうでもいいのかもしれない。

 幾度となく、それをたぐり寄せる試みに結局は適わなかった己の心情には、さしたる落胆も絶望も、少しの哀しみすらも見あたらない。

 瞼を閉じて広大な大地に立つとき、意識は遙かな遠方を目指して拡がっていく。吹き抜ける風は、シレアの心をさらに遠くへ運び、訪れたことのない土地の景色までも映し出してくれるようだった。

 瞼の裏の景色を見たくて私は旅をしている。己の過去のことなど、付け足しに過ぎない。

「お前の心は、まるで凍てついた冬のようだ」

 ずっと昔に投げられた、仲間の言葉が脳裏を過ぎる。それに対する怒りなどなく、確かにそうだと思ったものだ。

 今でこそ友人も多くいるが、それでも彼を冷たい人間だと思っている者も少なからず存在する。

 されど、シレアの奥底の優しさを知る者がいる。その心にある気高さを知る者がいる。

 シレアはただ、己が理解されることを望んでいる訳ではないというだけだ。そこに在るものをたっとび、敬意を抱くことが重要なのだと養父から学んだ彼にとって、自身を中心に置く意識はあまりなかった。それだけなのだ。

 もちろん、自分の考えが正しいとも思ってはいない。人にはそれぞれ、やるべきことがある。全て同じという訳にいかないのは、当り前なのだから。

 ユラウスが言ったように、大きな運命の中心にいるのならば──自分にはどういった役割があるのだろうか。

 予期せぬ流れに考えはまとまらない。抗えないものならば、それを見届けてやろうじゃないか。

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