*その行く先に何を見る

 大地に立ったシレアは、この地の気を読み取るべく目を閉じて周囲の気配を探っていた。

 今はまだ右も左も解らない状態だ。新たな慣れない地を把握するには、多くの時間を要するだろう。

 エルフには、敵や自然の気配を探る生まれ持った能力が備わっているが、人間はそうはいかない。

 澄んだ青い空に、どこか刺すような空気が肌に伝わる。これが緊張からなのか、見えない敵の気配のせいなのかを計りかねた。

 そのとき、馬を進めていた三人の頭上に大きな影が過ぎった。

「む?」

 耳に響いた羽ばたきの音は小鳥などではない、とても大きな生き物だ。考えている暇も無く影は突如、一同の前に降り立ち驚いた馬がいななく。

「うおっと!? どうどう」

 未だ混乱している馬をなだめ、眼前の存在に目をやった。

「まさか──!?」

 それは馬のふた周りほどもあり、体を覆う乳白色の鱗は天高く昇る陽の光りを受けて輝いていた。

 アレサの頭をひと呑みにしてしまうほど大きな口には、びっしりと並んだ白い牙に赤い舌がちろちろと覗く。

 黄金色の瞳はユラウスたちを見下ろし、背にあるコウモリに似た翼は広げれば本体よりも大きいだろう。

 その雄々しい姿は紛れもなく──

「ドラゴン!?」

 銀の瞳は驚きに満ち、目の前の生物に正しくその名を答えた。

[ほう、これはまた珍しい一行だ]

 薄い膜が張った翼を折りたたみ、それぞれを一瞥していく。

「オスか」

「おぬしの感性が解らぬ」

 クラーケンのときといい、シレアには呆れるばかりだ。

「これは……。智の竜?」

 エルフの言葉に、ドラゴンはよくぞ気付いたと目を細める。

 智の竜とは、人語を解し知識に長け、魔法を操るドラゴンだ。ドラゴンとしては小さい部類に入り、彼らのほとんどが人間には友好的もしくは中立の立場をとっている。

 ドラゴンと呼ばれる種族は多種多様に富んでいる。翼の無いもの、知能の低いもの、神に近いもの。炎を吐くものや強烈な酸や毒を吐くものなどと様々だ。

 智の竜と呼ばれたこのドラゴンは、立派な翼を持つ「空を統べる者」と呼ばれる種族である。

[汝に問う]

 初めて目にする威厳ある姿に見とれていたユラウスにドラゴンは突如、鼻先を向けて問いかけた。

[年月とはなんぞや]

「うひょ!?」

 よもや問答を求められるとは思わず、ユラウスは変な声をあげた。

「取り戻せないものだ」

 目の前の男からではなく、背後からの声に目を向ける。そこにいたシルヴァブロンドの人間を見やり、次にエルフに視線を移す。

[汝に問う]

 アレサは唇を引き結び構えた。

[夢とはなんぞや]

「……夢?」

 切れ長の目を丸くして顔をしかめる。彼の中では、様々な言葉が渦巻いていることだろう。長い時間、考えているためかドラゴンが少し苛つき始めた。

「掴めぬ明日あすだ」

 またしても聞こえた声に顔を向ける。

「掴んだ瞬間から、それは別の名を持つ」

 ドラゴンは、続いた言葉にやや感心するように鼻息を荒くした。そして、今度はしっかりとシレアを見下ろす。

[汝に問う]

 輝く宝玉のごとき瞳を向け、静かに続ける。

[この世とはなんぞや]

 この問いかけには、さすがのシレアも難しいだろうとユラウスとアレサは険しい表情で見守った。

 しかし、シレアは少しも躊躇うことなく、その美しい金緑石の瞳をドラゴンの視線と合わせた。

「許容するかいなだ」

[ほう……? 面白い]

 笑っているようにも見えるが、違っているかもしれない。

 ドラゴンはゆうるりとシレアに近づく。それを見る二人に、もし機嫌を損ねていれば、シレアは食い殺されるのではないだろうかと緊張が走る。

[久しいな]

「二年振りか」

 親しい友に再会したかのごとく挨拶を交わし、爪と拳を打ち合う双方に二人は目を丸くした。

「どういう事じゃ」

「知っているのか」

[ハッハッハアッ! 我と彼は友なのだ]

 ドラゴンは二人の反応に満足したのか、高らかに笑った。

「シレアも人が悪い」

「年寄りを驚かすでないわい」

 ホッと胸をなで下ろし、シレアとドラゴンに歩み寄る。

[そなたがギュネシアまで来ようとはな]

「私は放浪者アウトローだよ」

[そうであった。全ての地を歩きたいと言うておったな]

 それからドラゴンは、はたと気がつく。

[おお、まだ名乗っておらなんだ。我はヴァラオム。そこのシレアとは旧知の仲だ]

 嬉しさに駆け寄って体をすり寄せるソーズワースのあごを爪でくすぐる。その様子にユラウスとアレサは安堵して口元を緩めた。

 いくらシレアの友人と言われても相手はドラゴン、その力の恐ろしさを知っていれば警戒もするというものだ。

「わしはユラウス・マノアルス」

「アレサと申します」

 そうして、この出会いに感謝すべくシレアたちは食事の準備を始めた。アレサとシレアは狩りに、ユラウスは火をおこしながらヴァラオムと二人を待つことにした。

「シレアとはどこで?」

[そうだな、あれはエナスケアの南にある平原だったか。今日のように、あやつに問答をかけたのだ]

 ヴァラオムは放浪者アウトローを見つけては問いかけをしていた。迷惑な話だが、これは彼の楽しみでもあった。

 ドラゴンからの問いかけに、機嫌を損ねると殺されるのではないかと怯える者のなかにあって、シレアだけは冷静に答えていたという。

[こちらが戸惑うほどに落ち着いておった]

 こんな人間は初めてだと、シレアに多大な関心を寄せた。

[ほんに、不思議な人間だ]

 宙を見つめてつぶやいたヴァラオムに、確かにそうだとユラウスも心中で同意した。



 ──夕食を済ませた一同は、たき火を囲い酒を酌み交わす。アレサとユラウスは、このドラゴンにいささか呆れ気味だった。

 気さくという以上に気さくで、これが本当にドラゴンなのかと思わせるほどお喋りだ。

[古の民ロデュウに会えるとは我は運がよい]

 シレアの持っていた酒瓶を大きな手に持ち、声高に発する。夜に三人で飲もうとワジャジャルで買った酒はほとんど彼に飲まれてしまった。

「あなたが智の竜を初めて見たとは意外です」

「智の竜は気むずかしいんじゃ」

 人間とはよく話をするくせに、ロデュウとはあまり接してくることはなかった。

[すまぬの。我らは人間にすこぶる興味を持っていたのだ]

 気がつけば古の民は姿を消していた。あまり話をしなかったことに今更ながら、残念で仕方が無い。

[おお、そうであった。そなたにこれを渡したく思い、探しておったのだ]

「うん?」

 ドラゴンは、頭の角にさげていたペンダントを爪でちょいとひっかけてシレアに差し出す。

[先日に爪が抜けてしもうての。人間はこういうものをよく飾りとして加工するであろう。我もそれにならってドワーフに作らせてみた]

「ほう」

 真珠のような艶と輝きにツタの彫刻がなされ、それを囲むように美しい金銀の装飾があしらわれている。

 金銀細工に長けた種族が手がけた見事な仕上がりに、流石だと見とれてしまう。彼らドワーフは主に炭坑を好み、背は低く男女共にヒゲが生えているという。

 鍛冶職人が多く、豪快な性格で強靱な体に似つかわしくない繊細な作業をし、酒をよく飲む。

 エルフほどに長寿ではないものの、人間よりは長生きだ。

[友人は多くおるが、そなたはその中でも美しい。それを持つに足る者である]

 その言葉に薄く笑みを浮かべる。男としては複雑な心境だ。

 ドラゴンは美しいものがとても好きで、種族の違いである美しさも理解していた。人間の容姿のみならず、彼らの持つ強い欲望にも興味を持っている。

 これほど個体差の激しい種族も珍しいと、ヴァラオムにとっては昔から関心の対象なのである。

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