*真紅のドレス

 出航までの三日間、シレアたちは町に滞在する事になった訳だが──

「手持ちはあるか」

 シレアが二人に尋ねると無言で見合った。

「そうだろうな」

 森の中で暮らしていたユラウスと、人間社会を初めて見るアレサが金を持っているとは思えない。

 いや、エルフと人間は交流がまったくない訳じゃない。おそらく、集落自体では商人たちとのやり取りはあっただろう。

 金というものに馴染みはあるが、稼ぐ必要の無い彼が金を持っているとは考えられない。

 シレアは溜息を吐きつつ頭を抱えた。渡航費はある。しかし、滞在費が足りない。町から出て野宿も考えたが、ユラウスは必ず反対するだろう。

「ちょいと兄さん。お困りのようで」

 どうしたものかと思案していると、背後から声がかかった。出っ張った前歯と猫背の小柄な男は、三十代後半と見受けられる。

「なに用か」

 アレサが無表情で問いかけると、少しだが怯えた表情を見せる。エルフは感情の起伏があまりなく、そのため威圧的に感じることがあるためだろう。

「おいしい話があるんですがね」

 男は気を取り直してシレアに向き直り、ごますりよろしく本題を切り出した。

「ほう?」

「なに、ダンナなら絶対、大丈夫!」

 危険なことはありやせん。本当、信じてください。

「怪しいのう」

「そんな! まっとうな仕事ですって」

 違ったらその場で殺してもいいですぜ。

 そこまで言うのならと、シレアたちはひとまず男の案内に従った。



「ここは……」

 シレアは目の前の光景に目を丸くした。

「何って、ドレスの品評会場でさ」

 リシャルと名乗った男がシレアたちを案内した先は、縦長の舞台が設置された裏手にある大きめの小屋の入り口だ。

「リシャル、見つけたの?」

 小屋から出てきた一人の女性が男を見つけて歩み寄る。そして、シレアを見た途端、言葉を失い凝視した。

「どうですか?」

「良い。いいわ。よくやりました」

 そう言ってリシャルに金貨二枚を手渡すと、男はそれをポケットにねじ込んだ。シレアは、これから自分はどうなるのかと身売りされた気分になる。

「あなた、名前は?」

「シレア」

「詳しいことは聞いている?」

「いや、何一つ」

「私はアガット。みんなからはマダムアガットとか、ただマダムとか呼ばれているわ」

 解らないまま小屋の中に促される。

「あら、いい男」

「マダムの恋人?」

 女性たちはシレアの容姿に感嘆するが、着替え中の自分たちについては叫び声ひとつあげなかった。

 男の一人や二人、入ってきたところで揺るがない精神力を彼女たちは身につけているのだろう。ここまで堂々としていると、男の方が逃げ出すかもしれない。

 彼女は主に貴族などの衣服を作成しているのだが、他の針子たちが作ったドレスをまとめて野外で披露する催しも不定期に行っている。

「品評会を開くのはいいのだけれど、一着だけサイズの大きいドレスがあったの」

 後日、寸法直しをして新たにお披露目することも考えたけれど、そのドレスがあまりにも素晴らしくて、ここで披露できないことがもどかしい。

 着られる者がいるのならば、すぐにでも着てもらいたいと思えるものであったため、ドレスに合う人物を探すようにと従者のリシャルに頼んでいた。

「つまり、このドレスを着ろと」

 マダムが広げて見せたドレスに眉を寄せた。

 シンプルでいて、ゴージャスなドレスを呆然と眺める。赤いドレスには七色のスパングルと、宝石に似せたガラスが散りばめられていた。

「あなたならきっと着こなせるわ!」

 そんな自信たっぷりに言われても。マダムはシレアの困惑を意に介さず、メイク担当の女性を呼び寄せる。

「頭はウィッグと羽根飾りであでやかに。化粧は濃くなく薄くなく、その瞳を強調するように、気品を損なわず仕上げてちょうだい」

 マダムはてきぱきと指示を出していく。

「あたしはメアリー、しばらくよろしくね」

 メイクをするために鏡の前に座らせたシレアに、にこりと笑いかける。

「どうすればいいのか」

「大丈夫よ。前の女性が歩いている通りに歩けばいいだけだから」

 言われて再びドレスを一瞥する。純白のレースが体のラインに沿うように螺旋状に縫いつけられ、男の私が着てもいいのだろうかと金緑石の瞳を白黒させた。

「みんな! 手伝って!」

 アガットが手を叩くと、手の空いた女性たちが一斉にシレアを取り囲んだ。



 ──舞台の前にある席にユラウスとアレサは腰を掛け、品評会の開催を待っていた。

「これは、ドレスの品評会じゃよな?」

「ええ、そのはずです」

 そこから導き出される結論に、ユラウスは複雑な表情を浮かべる。

「どんな恰好か見ものじゃな」

 薄紫の瞳を前方の舞台に向けて口角を吊り上げ、テーブルに置かれた飲み物を口に含んだ。二人はシレアの仲間という事で、特別に間近でのショーの観覧を許可された。

 ユラウスは嬉しそうにしているが、アレサは少し不安だった。

 エルフでさえも魅入られそうな整った顔立ちと印象的な瞳──身長は低いとは言えないが、出来上がりは相当なものになるのではないだろうか?

 彼はシレアの容姿を正しく認識していた。



 ──そうして客席が賑わい、楽隊が音楽を奏で始める。ぶどう酒が振る舞われ、会場の雰囲気は上品さを失うことなく盛り上がっていった。

 酒が振る舞われるのは富裕層だけであるため、アルコールが入っても乱れることなく品評会は続けられる。

「お、始まったようじゃ」

 静かに幕があがり、ユラウスが舞台に目を向けた。客席は、わきから登場した進行役であろう男性に注目する。

 男は第一声を待ちわびる観客を見渡し、丁寧に腰を折った。

「紳士淑女の皆様! 今日のこの日にお集まりいただき、誠に恐縮です。さてさて──」

 そんな、長々とした演説まがいの言葉のあとに、ようやくショーが開始された。

 ゆったりとした演奏に合わせて着飾った女性が出たり入ったりしている。人間の服装など、さほどこだわらない二人にはあくびの出るものだ。

「シレアはいつなのじゃ? 奴が出たらここから抜け出したいわい」

「もうすぐでしょう」

 そのとき、演奏が盛り上がれといわんばかりに音量を上げ、観客たちは舞台上を見つめた。

 満を持して現れた影に、いっそうの歓声が上がる。大柄だが歩く姿は美しく、妖艶を身にまとったような容貌に客席からは溜息まで漏れていた。

「おおう? なんという美しさじゃ」

「あれは」

 アレサはすぐにぴんときた。

「知っておるのか?」

「ええ、まあ」

「教えてくれんか?」

「目の色で解りませんか?」

 思わせぶりな発言にユラウスは眉間にしわを寄せる。

「わしも知っておるのか?」

 言われて、優雅に歩く女性をじっと見つめた。ふと、その女性と目が合い思わず照れ笑いを返すが、当の女性は複雑な表情を見せた。

「あのような美女をわしが知っている訳が──」

 しかしすぐ、

「シレアか!?」

「ようやく気がつきましたか」

 やっと気付いたユラウスに呆れて溜息を漏らす。確かに化粧はしているが、よく見れば解りそうなものだ。

「化けたのう」

 舞台袖に去っていく後ろ姿を眺めてつぶやく。それから、建物の裏手に回りシレアが出てくるのを待った。

 舞台では品評会の終わりを告げる声が響き、小屋にいる女性たちはドレスを脱いで帰り支度をしていた。

「みんな、お疲れさま! 品評会は大成功よ!」

 マダムの言葉で、そこにいた女性たちは一斉に喜びの声を上げた。


「お?」

 ドアが開き、女性たちに混じってシレアも出てくる。

「随分と疲れた様子じゃな」

「そりゃあね」

 慣れない環境で精神的に疲れたと肩を落とす。あれだけの女性に囲まれたのは初めてだ。集落にいたときはそれなりに囲まれたことはあれど、今回は多すぎる。

 彼女たちは肌を少しも隠すことなく、むしろ見て見てと言わんばかりにシレアの前で着替えていたことも疲れの原因の一つかもしれない。

「よくやったわ!」

 シレアを見つけたマダムが嬉しそうに歩み寄る。

「これは約束の報酬。ねえ、これからも働かない?」

「好意は有り難く受け取っておく」

「そう、残念ねぇ」

「すまない」

「また機会があったらよろしくね」

 惜しむように遠ざかる背中を見送り、渡された革袋の中を確認する。

「どうじゃ?」

「足りそうだ」

「それは良かった。出航の日までのんびりするとしよう」

「しかし、化けたのう」

 シレアだとは気付かずに心惹かれた己が情けないとユラウスは、眉間のしわを深く刻んだ。

「女性の温もりが欲しいときは呼べ」

「うぬうう……。くそ」

 とにもかくにも、一同は宿に向かった。

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