◆第四章-困難な道程-

*誇り

 ──次の朝

 目を覚ましたシレアの視界に、向かいのベッドに腰を落とし深く考えることでもあるのか、まぶたを閉じて瞑想をしているユラウスが見えた。

 黙ってそれを見ていたシレアはふと、目を開いたユラウスに怪訝な表情を浮かべた。前方の空間を見つめたまま、まばたきもせずぴくりとも動かない。

 何かを見ている? その様子をしばらく眺めていたが、どうにも暇で立ち上がる。

「まて」

 朝の空でも仰ごうかと扉に手を掛けた青年を呼び止めた。シレアが振り返ると、彼の表情は複雑な色を示し、その感情は読み取れない。

「解ったのか」

 ユラウスは深く息を吐き出し、シレアを見上げてゆっくりと頷いた。


 ──シレアが外に出ると、昨夜倒したゴブリンの死体を集めている最中だった。さすがの光景に眉間のしわが深く刻まれる。

 かといって、このままにしておけるはずもない。エルフたちの顔にも珍しく、嫌そうな感情が見て取れた。

 集めた死体を荷馬車で運び、遠くの平原に捨てに行く。それは獣たちの腹を充分に満たすだろう。

 その様子を見やり、山積みの死体を眺めているアレサの隣に立つ。

「昨日はすまなかった。まさか、客人が来ている時にこんなことになるとは」

「構わない」

 言って、周囲を見渡す。

「すさまじい光景じゃな」

 渋い顔をしながらユラウスが歩いてきた。

「突然、何が起こったというのか」

 眼前の死体にアレサは顔をしかめる。大戦のときならば納得もいくが何故、今更に?

 しかし、この数では残ったゴブリンは多くはないだろう。もう攻めてくることはないと思いたい。こちらにも被害がなかった訳ではないのだから。

「アレサ」

 振り返ると、エルフの青年二人が口角を吊り上げて近づいてきた。

「昨日はちゃんと見えてたか?」

 アレサはそれに、さして顔色を変えることはなかった。けれども、聞いていたシレアとユラウスは、なんとも皮肉めいた言葉だと眉を寄せる。

「わたしの母の血を馬鹿にするのなら、相手になろう」

 淡々とした物言いに、二人のエルフは小さく舌打ちして離れていった。

「見苦しいところをすまない」

「おぬし、まさか」

「母は人間だ」

 己の血を誇りにしているエルフの中にあって、他種族との間に生まれた子は時として辛い仕打ちを受ける場合がある。

 それはエルフだけではなく、他の種族にも起こり得る。混血の者の中には互いの血に心がせめぎ合い、葛藤を繰り返し堕ちていく者も少なくはなかった。

「わたしは父の血と母の血に誇りを持っている。恥ずべきものなどない」

 その強い意志は、彼の表情からも見て取れる。両親の血に敬意を抱き、揺るぎのない誇りに誰をも彼をさげすむことなど出来はしない。

 エルフと人間の混血であるアレサの、戦士としての能力は誰にも引けを取らない。だからこそ彼は、この集落で戦士たちを束ねる隊長たり得るのだ。

「私と来ないか」

「なに?」

 突然の言葉にアレサは目を丸くした。

「大気が揺らいでいることに、気がついているだろう」

「わたしの気のせいだとばかり」

 まさか気付いていた者がいたのかとシレアを見つめる。

「我らは、その中に飛び込む者じゃよ」

「なんだって?」

 突然の告白に、どういうことなのかと二人をいぶかしげに見やる。しかし、その真剣な眼差しに偽りはないようだった。

「彼の先詠みでは、私がそれに深く関わっているらしい」

「先ほど見えたヴィジョンは、おぬしの姿じゃった。やはり、冷たい炎に呑まれて苦しむ姿ではあったが」

「敵は、私の仲間と成りうる者をことごとく滅しようとしている」

「つまりあれは、わたしを狙ったものだというのか」

 シレアの言葉が昨夜のゴブリン襲来と結びつく。

「未だ見えない脅威は、わしの少し先をんでおる」

 にわかには信じられず、アレサは視線を泳がせた。

 彼らの言葉は本当なのか、嘘ではないのか。その真意は見えないものの、いま考えれば昨夜のゴブリンには、何か巨大な意志があったようにも感じられた。

 肌を刺すような鋭い感情がゴブリンの背後から放たれていて、それが否応なく奴らを争いへと掻き立てていたようにも思える。

 邪悪な存在は容易に支配されてしまう。昨日のゴブリンたちが、その見えない脅威とやらに操られていたとしても不思議ではない。

「しばらく、考えたい」

 これが何かの策略だとして、自分を集落から引き離す理由などあるだろうか。とはいえ、すぐに信用は出来ない。

「あまり時間は無いぞ」

 遠ざかるシレアの後ろ姿をじっと見つめ、戸惑いつつも手にした情報を整理するべく目を閉じた。


 ──その夜、アレサはとある部屋の扉を叩く。

 扉をくぐると、静かな空間にやや冷たい空気が漂っていた。まるで、アレサの心情を物語るかのように肌に少しの痛みを与える。

 そこは、シレアたちが通された部屋よりもふた回りほど狭く、落ち着いたタペストリーが壁に飾られ蝋燭の明かりが温かく室内をほんのりと照らしていた。

「どうしたのかね」

 いつもと変わりない面持ちのアレサだったが、キケトは何か悩み事があるのだと気付いていたようだ。

「キケト様、お話ししたいことが──」

 神妙な面持ちで語り始めるアレサに、長老はただ黙って耳を傾ける。

 それほど親しい間柄とは思えなかったシレアとユラウスには、とても大きな運命が待ち構えていること。さらに、アレサもそれに関わっていること。

 それらはキケトを大いに驚かせた。真実なのだろうかと疑うも、嘘とも思えないからこそ、アレサはここに来た。

 実はキケトもアレサと同じ不安を空に感じていた。それは少しずつ大気に紛れ、ゆうるりと足元から這い上がってくる。

 混沌とした暗い感情に、誰もが気付かぬうちに心を支配されてゆき、抗えぬ強大な力が世界を蹂躙しようと迫り来ている。

 それに気付いたとて、何が成せようか。そんな感情がいつも心に過ぎっていた。よもや、アレサがそのただ中にいようとは。

 ──そうして、話し終わったアレサの心を探るように、キケトはその瞳を見つめた。長く、短い沈黙が部屋を満たす。

「そなたの心は、すでに彼らと共にある」

 ゆっくりとだが綴られた力強い言葉に、思わず目を眇める。心の奥底を見透かされていたかと拳を握りしめた。

「彼らに、ついて行きたいのだろう?」

 アレサはそれに応えず目を伏せる。

 保守的なエルフの中にあって、アレサの父は珍しく放浪者アウトローだった。旅先で人間の女性と出会い、恋に落ちてアレサは産まれた。

 エルフの集落に戻れば、酷い待遇を受けるかもしれない。そう語ったが母は、「それでも構わない」と父と共に集落にやってきた。

 集落に戻ったのは、お腹にいたアレサを気遣っての事だった。

 人間の中でハーフエルフとして生きるよりも、まだ温厚なエルフの中で生きた方が産まれてくる子どものためだと考えたのだろう。

 母は冷たい視線を浴びながらも、エルフの中で暮らしアレサに目一杯の愛情を注いだ。母への冷遇に気づかないアレサでは無かったが、それにもめげずにいつも笑顔だった。

 一度、そのことでアレサが語気を荒げたとき母は優しく、

「私がここでは異質なのよ。だから、誰も憎んではいけない。私はあなたも彼も、エルフたちも愛しているのだから」

 そう言って、幼少のアレサを抱きしめた。

 誰も責めたくて責めている訳じゃない。自分たちとは違うものを恐れる事は、当り前のことなのだ。

 もちろん、それが良い事とは言えない。それでも、彼らを憎む事は自身を不幸にするだけだ。己の幸せは、他人を憎む事で成し得ることなど出来はしないのだから。

 母は、集落全ての者に冷たくされていた訳じゃない。彼女の心の強さを認め、仲間たちと同じように接していた者も少なからず存在した。

 アレサはそんな母を尊敬し、大切な人を護るためにと己を鍛えた。

 年月は流れ母が寿命を迎えたとき、父は再び旅に出るとアレサに打ち明け「いつか迎えに来る」と言い残して集落をあとにした。

 強くなった我が子を確認しての決心だろう。父にとって、命の危険を覚悟してまでの魅力がこの世界にはあるのだ。

 ──そうして、旅立つ父の背中を見送ってから十年ののち、父は帰らぬ人となった。

 モンスターに襲われていた人間を救うため、己の身を挺してモンスターと闘い相打ちとなったそうだ。

 その礼と、彼の持ち物を届けるため集落を訪れた人間は、「我々さえいなければ彼は死ぬことはなかった」とアレサに何度も謝った。

 アレサは唇を噛み、へたり込む彼らに視線を合わせるように膝を折る。

「もう充分です。あなた方を救った父を、わたしは誇りに思います」

 気丈な言葉に、そこにいたエルフたちも喉を詰まらせる。

 それからアレサは、わだかまりを振り払うためなのか闇雲に己を鍛え続け、いつしか誰も彼を「半端モノ」とは呼ばなくなった。

 しかれど、その心の奥には父の生きてきた道を辿る自分がいたのだろう。シレアの誘いに、思いがけずも胸が躍った。

「あのとき、父がわたしを連れていればと何度も考えました」

 二人だったなら、父は死なずに済んだはずだ。是か非でも、ついていくと言えば良かったとアレサはしばらく悔い続けていた。

「彼にはそれなりの想いがあったのであろう」

「解っています」

 そう思えるようになるまでに、長い時間がかかった。危険な道程みちのりに息子を巻き込みたくはなかったのかもしれない。

 それでも、わたしの意思を問うてほしかった。そして、父と共に旅をしたいと素直に言えていれば、あのような結果にはならなかった。

 父と共にあるのなら、わたしは死をも悠然と受け入れよう。

 自分がシレアとどう関係し、見えない脅威と対峙して、どう苦しむのかは解らない。先の見えない事に不安は感じていても、シレアの言葉に心が強く惹かれたのは事実だ。

「キケト様、わたしは──」

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