第5話 過去の傷跡 後編

 病院の一室、新堂智里は向かいのベッドにいる乾田堅一朗という男の子と過ごしていた。最近、ここに入院してきたその子は、怪人絡みの事件に巻き込まれ怪我をしてしまい、そのためここで療養しているらしい。


 智里は堅一朗の話を聞くのが好きだった。また、彼女自身も兄がヒーローだという話をした時、堅一朗少年に受け、今ではよく一緒にテレビを見たり、ゲームをしたりと楽しく過ごしていた。


 そんなある日、時刻は午後23時。彼女たちが眠りについていると、窓の鍵が外れる音が聞こえ、冷たい夜風が智里の頬を撫でた。


「誰か、窓を開けたの?」


 眠たい目を擦り、ぼやけた視界が夜の闇に徐々に慣れていく。開けていくその視界に映ったのは、茶色のコートを纏った一人の大男だった。その男は何かを探すようにあたりをキョロキョロと見渡している。


 まだ自分に気付いていないらしい彼に智里は恐る恐る声をかけた。


「あの…その、何か探し物でも?」


 男はこちらへ顔を向け、少し申し訳なさそうに腰を低くして言った。


「あぁ、驚かせてしまってすまない。ここは乾田堅一朗君の病室だと伺ったのだが、合っているかなと思ってね。実は彼の父親から頼まれていてね、誕生日プレゼントなんだ。届けて上げたいのだけれど、どこにいるのか教えてくれないか」


 智里は思い出した。以前、堅一朗少年のお父さんが誕生日プレゼントを持ってお見舞いに来ると。しかし、何日待っても彼の父親は姿を見せることは無かった。目の前の男は、父親の代理のようであった。


「私の向かいのベッドが堅一朗君のベッドですけど、あなた、どちら様?それに堅一朗君の父親はどうしたんですか?」


 智里は少し疑うように聞いた。なぜならこんな時間に窓から侵入してくるなんて普通の人間ではない。そう疑問に思ったからだ。


「私かい?私は、近藤景虎。怪しいものじゃない…と言っても説得力は無いか。そうだ。君、このプレゼントを彼に渡しておいてくれないか。君の方から渡された方が喜ぶんじゃないかな。それと、彼のお父さんなんだが。実は、すでにこの世にはいないんだよ。君も知っているだろう。昨日、ヒーローが殺されたと。あの夜、彼もちょうどその現場に居合わせたらしくてね。倒れている彼を見つけて、その時に頼まれたんだよ。息子にプレゼントを渡して欲しい、とね」


 彼、景虎と名乗った男は、少し悲しそうに顔を俯かせて言った。


「あ、ごめんなさい。私、疑うような真似をしてしまって・・・。お話はわかりました、プレゼントをお預かりしても?」


 景虎は嬉しそうに小脇に抱えていたプレゼントを智里へと差し出し言った。


「すまないね、本当に。ところで、それと、もし良かったらでいいのだけれど君はどうして入院しているんだい?怪我、それとも病気?」


 智里は兄のことを話そうか迷ったが、兄がどのヒーローかなど自分でさえわからないのだから話しても問題はないだろう、そう思い口を開いた。


「病気なんです、原因不明で治るかもわからない、いわゆる不治の病というものでした。けれど、私の兄、ヒーローなのですが、その兄が政府の研究所に掛け合ってくれたみたいで。そこから頂いたお薬を飲んで今ではこの通り!腕も動くようになったんです。何年か前は身体を動かすことも出来なくなっていたのに、これって奇跡ってやつですよね」


 そう言って、智里は自分の腕をグルグルと回して見せた。話を聴いていた景虎の目は「ヒーロー」という単語に反応して一瞬だけ復讐者としての目に変わったことを新堂智里は知らなかった。


 目の前にいる男が、兄である新堂透、フレアスターのであることに。


 


 プレゼントを渡し終えた景虎は、智里に別れを告げ。窓から病院の外へと飛び出した。智里は受け取ったプレゼントをベッドの横にある棚の引き出しに入れ、深い眠りへと落ちていった。



 時刻は深夜0時になろうという頃、景虎は一人街灯の無い道を歩いていた。角を曲がろうと進むと二人組の男たちとぶつかった。景虎は突然の出来事に驚き、思わず尻もちをついた。顔を上げると、そこにはパワードスーツを着込み、腕や背中には銃や刀剣といった、武器を携帯している男たちだった。


 そう、ヒーローだ。


「すいません、大丈夫ですか。どこかお怪我はありませんか?」


 二人組の片方が声を掛けてきた。もう一人は景虎を見たまま何も言わない。


「あぁ、こちらこそすまない。少しボッーとしていたよ」


 景虎は自分の中に沸き起こる衝動を抑えながら平静を装い、答えた。


「おい、あんた。こんな夜遅くに出歩くなんて、ずいぶんと命知らずなんだな。先日、怪人が出た。まだ捕まっていないのをアンタも知ってるだろう。一応、スキャンしてみるからこっちに来い」


 静観していたヒーローが急に声を上げたかと思うと、景虎の手を引こうとする。それを見かねたもう一人のヒーローは遮るように言った。


「いくらなんでもピリピリしすぎじゃないのか?それに、かの怪人はヒーローが居れば見境なく襲うそうじゃないか。無闇に疑うのも良くないと思うぞ」


 突然、二人の間で警告音が鳴りだす。それは怪人が近くにいることを知らせるものであった。彼らは周りを見渡そうとお互いの背中を合わせ、戦闘態勢を取ろうと、


「え?」


急に倒れる同僚。一人残されたヒーローはいきなりの出来事に目を白黒させている。


 ヒーローの首から大量の血が噴き出したのだ。身体は地面へと崩れ落ち、あっという間に血の水溜りが出来上がった。未だ傷を負っていないヒーローは見たのだ。


 倒れた同僚の後ろに居る、影を。曇っていた空から月の光が零れ、その姿を照らしていく。


 血を浴び、ところどころを紅く染めた。


 ヤツが目の前にいた。コードネーム、復讐者アヴェンジャー。現場にはそう書かれた血痕が見つかっていた。そう、先日自分たちの仲間を殺した怪人だ。


 瞬間、ヒーローである彼の身体にノイズが走った。アヴェンジャーは逃がすまいとその腕を捉えられぬ速さで突き出した。


 が、まるで煙を突いたように。手ごたえがない。そのままそのヒーローは消えてしまった。アヴェンジャーとヒーローの死体一体を残し静まり返った道に、声が響いた。


 どうやら、足元の死体から聞こえてくるものであった。


「コードネーム、復讐者。お前の仲間を捕獲した。今からこの場所に来い、そこで全ての決着をつけよう」


 声と共に死体から表示された地図にはとある場所までの道しるべが映し出されていた。


 

 アヴェンジャーは夜の街を駆ける。仲間のためだけではない、ヒーローを殲滅するという目的が彼を突き動かしていた。指定された場所、そこはGOTHが管理する中国地区作戦本部内にあるヒーロー演習場であった。つまり、GOTH中国地区の拠点であったのだ。

 ヒーロー用の演習場はその強度や防音性などに考慮し、本部の地下第八階層目に建設された地下空間である。

 本部に到着したアヴェンジャーは地図が指し示す方向にひたすら歩みを進める。ヒーローどころか、人一人おらず、長い廊下を歩いていく。

 自分の足音だけが響く、コツコツコツ、と。非常用の照明だけがどこまでも続く廊下を照らしていた。



 八階層まで下りる階段を彼は、ふと。自身の過去について思い出していた。





 近藤景虎という男は一度死んだ。彼は、胸を撃たれ、焼却施設に放り込まれ、灰となって死んだ。

 

(そうだ、あの時死んだ。でも、どうしてだ。この右も左も立っているのか寝ているのかもわからない場所に、私はいる。身体の感覚はとうに無くなっているハズ、なのに。)


(そうか、ここは死の世界だ。何にもできなかった私が行きつくにはふさわしい場所じゃないか。はは、ははははははは。はははははははははは!)


 すると、真っ黒な世界で何かが動いた。目は見えないはずだ。音は聞こえないはずだ。何かに触れることはできないはずだ。何かを味わうことも、臭いを嗅ぐことも。


 それでも、そこには確かに何かがいた。


「オ前は、どうシてここにイる?何ヲしに来タ。ここハ、お前のような人間ガ来るとコろではナい」


 声だ。聞こえるはずのない声だ。

 

(いや、違う。聞こえる。)


 景虎は耳に触っていた・・・・・・・


(耳がある、とわかる。触っている?手が、身体があるのか?)


「こレも決まリだ、一つオ前に夢ヲ見せてヤろう」


(なんだ、何を言っているんだ)


 途端に、彼の身体には落下している感覚が襲ってきた。それまで黒だった世界は溶けるように消え、見慣れた建物の前へと変わった。そこは閑散とした住宅街、表札には『近藤』という文字が書かれていた。


 そう、ここは近藤景虎、彼の家だった。


 彼は思わず、家のドアに手をかけた。まだ、カガリは、虎二はいるだろうか。彼は勢いよくドアを開けると思わず大きな声で言った。


「ただいま!カガリ、虎二!いるのか!」


 答えは、返ってこなかった。玄関にあるカレンダーへ目をやる。その日付は景虎が獅童という男に呼び出された二日後であった。


 きっともう出ていったのだろう、そう思った彼は何か残ってはいないかと、玄関に上がろうとした。足元を見ると、


カガリと虎二の靴がまだあった。彼の頭の中に最悪の展開がよぎった。


 荒くなる息、震える足、目の焦点が定まらなくなりそうなほどに焦る。そんなことはありえない、と彼は靴のままリビングへと続く扉を開けた。






 紅だった。





 部屋に転がる二つの肉塊。無残にもハエがたかっておりとても誰なのか判別することができない。血は渇き、その色はすっかり濃く固まっていた。

 

 理解など、出来はしなかった。



 温かい日常があった。笑顔は絶えなかった。自慢の妻、自慢の息子だった。自分を褒めることは出来ずとも、家族を褒め、自慢することはできた。幸せだったのだろう。あんなことを、ヒーローになりたいなどと言ってしまったことが、こんな事態を招いてしまったのか?


 

 ハエがたかる死体の手には、カガリにプレゼントした指輪がはめられており、まだ幼い子供の方には、園児服のネームプレートに『とらじ』と書かれていた。




 胸が苦しい、息がつまる、涙は止まず、一人の男の悲鳴が、夕暮れであかくアカく赤く朱く紅く染まるリビングに木霊する。




(どうして、どうして、どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてッッ!!)


 





 その後、彼は研究所の元職員から事の真相を聞くことになる。話を聞いた景虎はそれ以降、自分という人間を捨て、



 『復讐者』として、化け物・・・へと変わった。

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