第4話 過去の傷跡 前編

 この窓から見える世界が私のすべてだ。そう思うようになってから、もう3年は経った。映画やドラマのような不幸がまさかこの私に降りかかるなんて思いもしなかった。私の足が動かなくなって2年、腕が動かなくなって1年、日に日に私の体は動かなくなっていった。もう死ぬのかな。何度もそう思った。私は泣いた、泣き続けた。こんなにも辛い日々が続くなら、いっそ死んでしまった方がラクだ、なんて思う時もあった。

 けれど、兄さんはお見舞いに来るたびに言ってくれた。


―――智里ともり、死にたいなんて、考えるな。


―――お前が死のうとするなら俺は止める。


―――お前が泣くときは俺が胸を貸す。


―――お前が苦しんでいる時は俺が傍に居る。


―――お前が諦めても俺は諦めない。


―――お前を絶対に助ける、約束だ。


 兄さんは私がどんなに悲観な言葉を投げつけても、「大丈夫だ、心配するな」と言ってくれた。兄さんだけは誰よりも前向きで明るく私に接してくれた。

 そんなある日だった。ある研究所からある薬が送られてきた。なんでもヒーローを研究する過程で発見されたもので、私の原因不明の病に対して効果があるものだという。私は藁にもすがる思いでそれを飲み干した。

 数か月後、動かなかった私の両腕が回復していた。もう1年以上も動かなかったため筋肉は以前と比べ少なく、動かすのに相当な体力が必要にはなったが、確かに腕の感覚が私の元へ戻ってきたことを感じた。

 少しでも回復への兆しを見せたこの病、もしかすれば近いうちに完治するのかもしれない。兄さんも一緒になって喜んでくれた。その時の兄さんったら、もう立派な大人だっていうのに鼻水まで垂らして、顔、ぐしゃぐしゃにして。


「信じて良かった。私、兄さんが傍に居てくれなかったら今頃死んでいたかもしれない」


 兄さんはにっこりと笑い、言った。


「俺はみんなのヒーローである前に、智里、お前のヒーローなんだ。ヒーローは困っている人を見捨てない。家族だってそうだ。それにな、かわいい妹の命、救って見せないで何がヒーローだ!家族を守れて初めて俺は本当のヒーローになったんだ。嘘じゃないぞ、だから」


「今日は智里と俺が生まれ変わった日でもあるんだ。これからお前の世界はどんどん広くなる。約束さ。そして俺は、これからもお前を守り続けるヒーローになる」


 優しい兄さん、あなたのおかげで今の私が居る。生まれ変わった私。腕が動くようになっただけ、たったそれだけのことなのに。まだ、完治には足りない。けれど、兄さんが一緒なら何も、もう怖くないよね。

 ありがとう、兄さん。だから、私、頑張るよ。もう弱音なんか吐かない。


「私、これから強くなる。少しでも兄さんに追いつけるように。だから待ってて、必ず追いつく」


 兄さんは、「まいったなぁ」なんて言いながら嬉しそう。しょぼくれるな、私。この病は治る、信じていればきっと。あの時、諦めなかった兄さんのように、今度は私も諦めちゃ駄目な時だ。



 少女は誓った。いずれこの病を克服し、自身を救ったヒーローに自分もなると。誰かを悲しみの淵から救い出すことのできる、英雄に。





 ここは『GOTH中国地区作戦本部』。外見は東京の摩天楼の一角としてそびえたっていそうな印象を与える高層ビルディング。外壁は真白く塗装され、光を浴びるさまはまさに正義を象徴するに相応しい輝きを見せる。

 外から見れば荘厳な雰囲気を漂わせる建物であったが、現在の内部はちょっとした混乱状態に近いものであった。

 それは昨夜の怪人追跡中において、ヒーロー2名が死亡するという悲惨なもののせいであった。

 中国地区は比較的に他の地区と比べ怪人一体一体の能力が低く、またGOTHの1人であるフレアスターの指揮の元、被害を最小限に留めての怪人殲滅戦が行われていたためである。今回も怪人側の予期せぬ行動に対処できるように二人組のチームでの行動をさせていたのだが、それを超える性能の怪人が現れたため、このような結果になってしまったのである。

 少なくとも、結果から見ればそう言わざる負えない。それほど見事なまでに作戦は失敗し、多大な被害を被ってしまった。

 

 この時、GOTHの1人で中国地区担当であるヒーロー、フレアスターは予想外の出来事だけでなく、なにより追跡中だった怪人を仕留め損ねたことへ苛立ちを募らせていた。


「なぜ、このタイミングで幹部クラスの怪人などが出てくる!索敵班は何をやっていたのだ!クソっ!もう時間がないというのに...」


 ヒーローとは職業の一つである、故に給料というものが当然ある。一介のヒーローならまだしもGOTHとなれば功を焦らずとも生活するには十分と言っても差し支えない、それ以上の額が支払われているものである。

 しかし、フレアスター、彼は焦っていた。

 彼のデスクには彼と彼より年下であろうか、大学生くらいの女性が仲良さそうに写っている写真が飾られている。彼は頭を唸らせると、デスクに置かれた写真へと目をやった。

 その時、部屋の扉をノックする音が彼の耳に入ってきた。「入れ」と言い、写真から目を離す、彼の部下である1人のヒーローが何やら資料を持ってやってきたのである。その資料を受け取った。瞬間、彼の目には希望の光が灯った。


「待っててくれ、智里。ついにお前を救ってやれる」


 その資料には昨夜追跡に失敗した怪人のデータが記載されており、また潜伏先となる場所も書かれていた。

 

―本名:乾田 番

―特徴:40~50代男性、怪人時、犬のような姿

―能力:不明、クラスは戦闘員程度と推測される

―備考:彼の息子である乾田 堅一朗けんいちろうが市内の病院に入院中、接触の可能性あり。

 

 


 

 

 その頃、件の怪人、乾田番は疲れていた。昨晩、アヴェンジャーと名乗った怪人に助けられ無事ヒーローたちから姿を隠すことのできた彼であったが、張り詰めていた気が緩むと同時にそれまでの疲労が一気にきたのであろう。しかし、彼にはやるべきことがあった。それは市内の病院に入院している息子のことであった。彼の息子は数日前に怪人が絡んでいるとされている大きな事故に巻き込まれた。その時の怪我により入院しているのだ。そんなときだった。

 乾田が怪人として目覚めてしまったのは。

 突然だった。病院に入院している息子への誕生日プレゼントを抱え小走りしていたときだった。まるで心臓を誰かに押さえつけられたかのように苦しくなり、やがて視界が黒く塗りつぶされていった。そうして自分の意識を一度手放してしまったのか。急に視界が明るくなった。急に胸の動悸も収まり、何事だったのかと辺りを見渡す。


 ふと近くにあった鏡を見ると、獰猛な獣の顔を持った化け物が映っていたのだ。彼はひどく怯えた。恐怖のあまり動くことができなかった。これがテレビのニュースで見る怪人なのか?こんなにも恐ろしい生き物が自分たちの街に住んでいるのか?

 彼は恐怖した。恐怖して今にも飛びかかってきそうなソレに殺されるのではないかと。恐怖した。

 しかし、目の前の怪人は一向に襲ってこない。

 やがて、周りにいた人たちが怪人の存在に気付き、怯え、通報し、警察車両が駆けつけ付近が封鎖されたころ、彼は自身が怪人そのものになっていることに気付いた。

 そして、捕まることを恐れた彼はヒーローたちが駆けつけたタイミングで逃走。あの夜まで逃げ続けていたのだ。

 

 そうして逃げた先は昔、友人たちと見つけた山小屋だった。彼からするともう数十年も前のことだったのだが、どうやら小屋は健在であったらしい。雨風を防ぐことができ、今となっては人も寄り付くことはない。

 

(あぁ、ここにいたとしてもいずれはヒーローに見つかり殺されてしまうだろう。)


 今となっては叶わぬ願いになってしまった息子への誕生日プレゼントを小脇に抱えたまま、乾田はうめき声を上げた。


 そんなときであった。ふと、小屋に人の気配を察知した。怪人になってからか運動能力だけでなくこういった周りを認識する力も強化されているのか、確かに小屋の外に誰かが居る、と確信した。身構えつつ小屋の扉に手を近づけ、開けようとした。


「無事、逃げることができたようだな。乾田さん」


 それは昨晩に自分を助けてくれたアヴァンジャーと名乗った怪人の声だった。乾田は安心したのか、扉を開け出迎えようとした。しかし、そこに立っていたのは1人の男性だった。見たことのないその男性、身長は180を超えそうな長身で茶のコートを纏い、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。

 

「忘れたのか。私だ、アヴェンジャーだ。いや、そうか。見たところあんたはまだ怪人になって間もないのか」


 それを聞いて首を傾げる乾田。

 この男は何を知っている?怪人になって間もないのは確かだが。


「アンタは怪人についてどこまで知っている?それに人間に戻ることができるのか?」


 もし人間に戻ることが出来るなら息子にプレゼントを渡すことができるかもしれない。

 そう思った乾田にわずかな希望が訪れた。が、


「例え、私のように人の姿に戻ったとしてもヒーローたちはあなたの本名、顔、家族構成、個人情報の何から何までもう調べ、特定しているだろう。ヒーローとはそういうものだ。死人でもない限り、怪人が日の下を歩くなんてのは出来はしない」


 それを聞いた乾田はガックリと肩を落とした。

 

 (やっぱりなぁ、そううまくはいかないよなぁ...)


 しかし、乾田は思い出した。昨夜の目の前の男との会話を。


「死んだ男の名など教えたところで意味はない」


 確かに、目の前の男は言ったのだ。死んだ男、と。つまり、彼ならこのプレゼントを息子に届けることが出来るのではないか。


「アンタ、1つ頼まれてくれないか。命まで助けてもらって図々しいのは百も承知よ。それでも、最後の希望なんだ。これが。俺には病院に入院している息子がいる。事故でケガしちまってよ、誕生日はもう1日遅れちまったがこれだけは届けてやりたい。きっと、もう会う事なんてできないだろうしよ。後生だ!頼む、それさえ届けてくれれば、俺は安心してあの世に行くことができる、怪人となっちゃ、この世は地獄と変わらんよ。どこまで行ってもヒーローは追いかけてくる。逃げられやしないのさ」


 そんな乾田の言葉を聞いたアヴェンジャーに、ふと、あの時の光景が浮かんできた。



―――それは、忘れもしないあの日。


―――必ず守ると約束した。


―――大切な、大切だった。




―――復讐者となった、を。




「乾田さん、あなたの話は分かりました。その依頼、引き受けましょう。でも、受けるにあたって一つ条件があります」


 乾田が喉をごくり、と鳴らす。


 なんだ、条件って?でも、この依頼を引き受けるならどんな地獄にでも落ちよう。


 そう彼は決心したが、アヴェンジャーの条件は意外なものであった。


「あなたには、生きて広島から脱出してもらう。それが条件です」


 大きな犬の目をぱちくりとさせた。


 そんな、そんな条件でいいのか?本当にそんなもので


 しかし、考えても見れば生き続けるということはヒーローから永遠に逃げ続けるということになる。確かに、これ以上の辛いことは無い、と妙に納得してしまう自分がいた。アヴェンジャーは言葉を続けた。


「もちろん、永遠にヒーローから逃げ続けるわけではありません。ここから南下して行くと山口県のとある場所に怪人を集めた秘密結社のような組織があります。そこへ向かってもらいます。そこに行けば当分の面倒を見てくれるでしょう」


 乾田は、信じられず慌てた様子でアヴェンジャーに言った。


「な、なんでアンタは見ず知らずの俺にそこまでするんだ。アンタにメリットなんてないだろうに。」


 アヴェンジャーはその紳士然とした態度でこう言った。


「乾田さん、あなたに私と近い何かを感じたのです。けれどもあなたはまだ間に合う、そしてあなたのような人こそ死ぬべきではない。かつて、ヒーローになりたかった私は今では人を脅かす怪人だ。すでに心までも染め上がってしまった。けれど、あなたの中のヒーローはまだ生きている。あなたは息子さんにプレゼントを渡したいと言った。例え自分が死んでも。故に私はあなたを、あなたの家族を死なせはしない」


「アンタ、本当に怪人か。それじゃまるでヒーローだね」


 アヴェンジャーは苦笑しつつ言った。


「確かに。変ですね、やはりあなたを見ていると思い出してしまうのでしょうか。懐かしい日々を...さて、この話はこれで終わりましょう。あなたはここから逃げる。私はあなたの息子へプレゼントを届ける、やることは決まりました。後は、あなたがどうするかだ」


 乾田は深く息を吐いた。


 その瞳に決意の炎を灯しながら。

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