第5話 鼻歌

 少年たちが火災現場である肉屋から戻ったのは、飛び出してから数時間後のこと。ラウンジには出た時と変わらず銀髪幼女が椅子にちょこんと座っており、二人を出迎える。


「……どうだったの?」

「……ん。幸い怪我人は出なかったって。――でも、お婆ちゃんのお店は……」


「――予定変更だ。今日で終わりにする」


 口調こそ普段と変わりないものの、その声音は冷たく響く。少年は短く一言だけ残して控え室へと向かった。再びラウンジへと戻ってきた際に手にしていたのは、白い包帯。救急箱から取り出された物だが、マスク少女が言っていたように、怪我人などは出ておらず、もちろん二人とも火事で怪我を負ったわけでもない。


「それってもしかして――」

「…………」


 少年は応えず、カウンター席へと腰かけると、無言で包帯を巻き始めたのだった。左手首から始まり、左肩まで。それが終わると、今度は顔を隠すように――


「毎回思うんだけどさ。やっぱり変じゃない、これ。……いや、“私たち”がこんなことを言うのも野暮って話なんだけども」

「……この仕事の時は、これが一番落ち着くんだよ」


 ようやく少年がそう答えた頃には、一人で器用に包帯を巻き終えており、左腕から顔までがすっぽりと隠されていた。包帯の切れ目から覗く口、目。そこには数時間前までトランプに興じていた少年の面影は一切見えない。


「……身バレ防止」

「おぉう、現実的意見……」


「身バレ? 関係ないね――」


 準備は整ったと言わんばかりに勢いよく立ち上がった少年は、どこからか取り出された日本刀を肩に担ぐ。


「――向かってくる奴は皆殺しだ」






「そりゃあ、ボロ屋だからなぁ。油が染み込んでて豪快に燃えたことだろうよ」


 夜更けの人通りが少なくなった路地裏で、野太い男の声が響き渡る。先日と同じように、適当な店で飲み明かしていた壮二郎が、携帯電話と話をしていたのだった。通話の相手は他でもない、商店街の肉屋に火を放った部下である。


「口で言っているうちに話を聞いときゃ良かったんだよ。まったくもって馬鹿な婆さんだ。――何日かしたら権利証を取りに行くからな、忘れるなよ」


 一通りの話を聞き終わり、上機嫌で携帯を懐に仕舞う。そして壮二郎は――そこでようやく異変に気づく。車を回しに向かった部下も、付いていた筈の幹部たちも、いつの間にか姿を消したきり誰も戻って来ない。


「あぁ……? どこに消えやがったんだ、あいつら」

「残念だけど――あんたの周りにいた奴ぁ、刀の錆になっちまったよ」


 暗闇に浮かぶ白い影。左手に握られた日本刀。どこかで聞いた覚えのある声。


「お、お前……昨日のガキか?」

「いちいち説明する必要もないよな? 調子に乗りすぎだぜ、あんた」


 影から出てきた少年の左腕は真っ赤に染まっていた。正確には、左腕に巻かれた包帯が染まっているのであり、染み込んでいる血液が少しずつ流れ出し、ぽたり、ぽたりと、下ろされた日本刀の先から雫を落としている。


「こりゃあ、ワタシが調べる必要も無かったかもねぇ」

「……お掃除、もうすぐ終わる?」


 いつの間にか少年の背後に現れていた二つの影。少年と同じぐらいの身長をした、黒髪の少女と――その半分程度の身長しかない、銀髪の幼女。その片方の特徴に見覚えのあった壮二郎は、目を剥き怒鳴りあげる。


「そのマスク……あの店の従業員だった奴だろう……! こいつを仕向けたのはお前か? 俺のことをペラペラと喋りやがって……!」

「ペラペラとだなんて心外ですねぇ、心外ですとも。これでも“金を積まれない限りは口が裂けても言わない”と有名な情報屋なんですけども――」


 向けられた怒気に構うことなく、マスク少女は嘲笑交じりに前に出る。すいと上げられた左手は、自分の掛けているマスクへと伸びていた。


「何だったら証拠をお見せいたしましょうか? そう言えばお店で何か言ってましたっけ、美人だとかなんとか。いやぁ、この台詞を言うのも久しぶりな気がするねぇ」

「証拠……?」


 少女がマスクを外したその下には――


「――っ!」

「――ワタシ、綺麗?」


 耳元から耳元まで、すっぱりと裂けた口がそこにあった。


「ば、化けも――」

「おっと、それ以上喋るなよ」


 少年は壮二郎の首筋へ、日本刀の刃を添わせる。その冷たい感触は、壮二郎に刀が紛れもない本物だということを否応なしに認識させる。命の危険に口をつぐむ壮二郎へと距離を詰める少年。


「俺がこの刀で切り殺すと、死体がいつの間にか消えてんだ。便利だよなぁ、アンタらみたいなのを掃除する時にはさぁ」

「っ……!」


 このままでは殺されてしまうと判断した壮二郎は、傷を負うことを厭わず刀を払う。右腕に深い切り傷を負ったものの、そのまま背中を見せて走り出した。


 ――逃亡。


 しかし少年たちはそれを追うこともなく、ただ街角へ消えていく様子を眺めるばかり。


「あーあ、逃げちゃった。……どうすんの?」

「……あたしが行くの」


「任せた。ついでにこいつを持ってけ」

 

 少年が持っていた日本刀を手渡すと、銀髪幼女は自分の身長の半分以上あるそれを大事そうに抱きかかえる。


「了解なの。それじゃ、行ってくる」


 月が雲に隠れて辺りが暗くなる中で、抜き身の刃が光を反射して輝いていた。






「あの店の名前はなんだったか……。舐めたマネをしやがって、ただじゃおかねぇぞ。ケジメを付けさせてやる――おい! なにをグズグズしてんだ!」


 遅れて車を回してきた部下を怒鳴りつけ、組の総本部へと出発させる。辺りに先の少年がいないことを確認すると、シートに深く腰掛け体重を預け、懐から携帯電話を取り出した。


「組の奴等を全員呼び出せ! 場所は――」

「――……。…………」


 電話の接続音が聞こえるや否や、部下に大声で指示を飛ばす壮二郎。だが、向こうの調子がおかしいのか、上手く聞き取ることができない。


「チッ。こんな時に……。おい! 聞こえてるか!」

「――…………ん。…………の…………の」


 ノイズが酷くなり途切れ途切れにしか聞こえない声に、加速度的にイライラが増す。再び響く怒鳴り声に、運転手がビクリと肩を震わせる。


「……あ゛ぁ? 何言ってんだ、はっきり喋らねぇか!」

「――――」


 向こうの電話から流れてくる雑音が消え、急にクリアになったかと思うと――

 部下のものではない、女の子の声がはっきりと耳に届いた。


「――あたし、メリーさん。今あなたの後ろにいるの」

「――っ!」


 次の瞬間、壮二郎の視界に入ってきたのは――刀の切っ先。


 トランクルームから真っ直ぐに伸ばされた剣先は、まるで豆腐でも切り裂くかのようにシートを貫通し、壮二郎が声を上げるよりも先に、その喉笛を深く貫いた。


「カッ――カッ……、コ……、ォ……」


 刃がずるりと引き抜かれ、声にならない声が壮二郎の口から漏れ続けるも、運転手は気づかない。その間にも溢れ出る血液はシートを赤く染め上げており、ようやく異変に気が付いた頃には、既に壮二郎は絶命していた。





「――さて、そろそろか?」


 路地裏に残っていた少年は、おもむろに携帯電話を取り出すと画面の確認をすることもなく電話をかけ始める。少年にとっては、どうせ直ぐに切ることになるのだから、かける先は何処でもよかった。


「あた――」

「ん、おかえり」


 電話口から聞こえる声。少年は電話に耳を当てたまま、振り向くことなく後ろにいる銀髪幼女に声をかけた。


「――し、メリーさ……ん……。……むぅ」

「お疲れさま、メリー」


 言い切る前に返事をされてしまったため、決め台詞が尻すぼみになっていく。不機嫌そうに頬を膨らませるのだが、マスク少女の労いにすぐに機嫌を取り戻す。


「……うん」

「さて、帰ろうか。ママさんもお店で待っているだろうし――って、なんで先に帰ろうとしてんの」


 マスク少女が銀髪幼女の手を引く頃には、少年は返された日本刀を肩に担ぎ、鼻歌を歌いながら先を歩いていた。


「~~、~~♪ ~~~~、~~♪」


「……それ何の歌?」

「……さぁ?」


「はぁ? 何の歌か知らないのに歌えるの? 変なの」


 ――さっぱり要領を得ない回答。


「どこで聞いたか、さっぱり覚えてないんだわ」


 ――ぼんやり浮かんだだけの、記憶にないフレーズ。


「……?」


 ――その場の雰囲気。

 

 三人はそれぞれの理由に首を傾げながら、《ムラサキカガミ》へと戻っていった。

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