第44話 そして真相は闇に葬られるApnea
死――とは?
俺は以前『あの世』と呼ばれる場所へ招かれたが、どうやらここは違う。俺の肉体はマドカに敗れ、そして海賊王の様に水葬されたのだろう。死に行く先が流転すれば、俺は死んだ自覚すらも侭ならない。
「……人間で言えば、お前は死んだ、稀人である私から言わせれば――逃すと思うのか? 死ねば私から逃れられるとでもお前は思っていた、しかし否と、お前は否定するだろう、あぁ当然だ。今のは私の適当な発言だったからな」
ミセス、覚醒と同時に窺えたのは揺蕩う体感と、傍に居た彼女。
周囲には青白い光跡が闇に揺らいでいた。
光は、俺の中心から外に向かっている。
「お前的に、ここは天国地獄、霊界とでも認識すればいいんじゃないか。私は比較的愛している人間の意思を尊重したい」
思うに、死とは、これが死であるならば何故これ程の快楽を感じるのだ。
気のせい、思い過ごし、勘違い、そう考慮しても――
「お前に話そう、海賊王マクダウェルの真実を」
考慮しても、ミセスが発言する度に快感を覚える。
――ミセス、俺は……何だ。俺の言葉が、声が出ない。俺の言葉が音とならない。
「安心しろ、私にはちゃんとお前の声が届いてる、気持ちいい塩梅だ」
そこで俺はようやくなのか、死んだ自覚を持った。ミセスから海賊王マクダウェルに纏わる不可解な点の真相を訊かされるのだが、彼女の一言一句が俺の琴線に触れては快楽を与える。
俺が発する言葉は水泡となって上昇して行く。
「マクダウェルの正体は、元はお前と同じ冒険家だ。奴は二十年前に弟のシドーと共に海賊島に上陸した……あいつが架空の人物だとミヤビから訊いたお前は、その出鱈目な話をどう推理した、っ確か、虚構と偶然の産物で辻褄が合うだったか」
――それもそうだが、貴方が稀人だとは思ってなかった。
「そうだったのか、気を付けろエース、お前は騙されやすい、お前は今もあの女に騙されてる」
――あの女って?
心当たりは二人、乃至は三人だ。ブラッディー、ルドル、小雪さん。
「話が逸れた、マクダウェルは私が海賊王へと誑し込んだ、奴は架空の人物でもなければ幻でもない。聖人と比較すれば脆弱な一人間だった、奴の凶悪性は私のお墨付きだが……全ては壬生エースの注意を惹きつけるための伏線だった。そこに門松の入れ知恵が混じって、十五年前、マクダウェルは死に、奴の存在自体を架空と偽って闇に葬った」
彼女の語る海賊王マクダウェルの逸話と顛末は残酷非道、なのに――快感だ。
――結局、マクダウェルを殺した犯人は?
「直接手に掛けたのはシドーだが、裏で糸を引いていたのは私だ」
ミセスはシドーにマクダウェルの抹殺を命令し、シドーは財宝を探しながら俺達の来訪と共に死んだ。図らずしも海賊王マクダウェルの二つの願いは果たされていた。ミセスは一つキスをすると。
「――……お前との約束を思い出せ、壬生マドカと先に逢った方が勝ちで、私は『お前』を要求した」
――俺は死んだのか?
今さらながら彼女に壬生エースの生死を確認する。その意図は俺には果たさねばならない事がある。海賊王マクダウェルの様に俺には唯一つの目的があった。ミセスはそれを知らない訳じゃない。
「なら死んだことに……だけどそれじゃあ退屈だよな、それじゃあ、私はお前に固執しない。お前は死んだかも知れないが、マドカは生きてるんだぞ。私はずっとお前達の関係性を重んじていたんだ、彼是千年はな、しかしな……お前は世界の最果てに行かないと、約束してくれないか」
世界の最果てを目指すのは、二十年前ブラッディーから植え付けられた使命だった。俺の本当の夢は世界を一周すること。世界の果ては俺の夢からすれば過程でしかない。だけど世界の最果ては俺の生きる意味だった。
――理由は?
それを踏まえて俺はミセスに問い質した。
「お前は悪くない、全てはブラッディーの御意向だからな、つまりはこの世に生きとし生けるもの全員が、ブラッディーに太刀打ち出来ない情けない話だ。しみったれてるな」
彼女は出逢った時からそうだったが、口調、情報、態度、全てを出し惜しみする。
「聖地でも有名じゃないか、彼女が二極に対して放った宣戦布告の台詞は」
――あぁ、学校で試験問題として出された。
ブラッディー、二つ名は『平和の叛逆者』彼女は対極する勢力に向けて世界の終焉を宣誓した。しかし結果は、彼女が唯一愛する英雄の犠牲を払って、世界の平和は守られた。
――それは回答にならない。
何故ならばそれが歴史だからだ。
ブラッディーが宣誓した世界の終焉は英雄が治めたはずだ。
「……いいや」
ミセスの声色は軽かった。彼女は声色に抑揚を余り付けない。
「本当の所は私にもよく分からない、が、お前が産まれたことによって彼女は動向を見せた。彼女の画策するこの世の終わりはお前を軸に動き出している、ブラッディーはお前に何か言ってなかったか?」
ブラッディーが俺に何か告げていた、だとしても二十年前の事を思い出せとは難題だ。
――特には訊かされてない。
とミセスに嘯けば、彼女は安堵するのか。
「で、お前はこの先どうするエース、どうするんだ海賊王……――エース」
俺に一段階上の快楽を齎そうと、彼女は誘惑的な呼気音を吐く。
死とは?
俺の現状を死と呼ぶには全く、全く苦辛ではないと言える。ミセスが俺の名前を呼び、俺に触れれば孤独とも掛け離れている。彼女との性交に近しいやり取りに常に曝され、耽溺しては明るく眩い未来を語らい合っている、それが。ただそれだけの行為が全て、全て快情動に変換される。俺が思い描いていた死とは無数に蠢く黒々とした蟲毒の壺の底で魂が毒液に溺れ、もがいて――苦しむ。
「……くだらね」
と彼女が言えばそれもまた気持ちいい。
言い終えた彼女は身を寄せれば気持ち良かった。
「あの女、ブラッディーはお前を待っている、お前を、お前だけを見ている。それが何を意味する、あの世界の終焉しか目論まない単純な真紅色のドレスを纏った貴婦人さんがよ」
周囲を舞う光が一度激しくなる、俺の絶頂が近まって来たらしい。
身も、心も、裸になっている、特に将来を誓った仲でもない彼女の前で。
「エース、またみんなの所に帰りたいだろ? ルドルや小雪、マオやチュンリー、ウェンディ」
――貴方は歌唱力も持ち合わせているんだな。
彼女が仲間の名前を歌詞にして歌えば聞き惚れる。
大切で、失ってはいけない仲間の名を。
――帰りたい、みんなの所へ。
この発言は些か滑稽に思えた、懇願するにしても相手が悪すぎる。
彼女は海賊の首領を俺の前で演じきった悪党だぞ。
「あぁ、そうしてもらおうか、現世に帰れエース」
――ありがたい。彼女のお許しか、彼女の慈悲を俺は賜ったらしい。
――…………。
しかし待って数十秒、一向に俺は現状のまま。
――帰してくれないのか?
「叫べ、心の底から咆えろ、思い切り全力で、全身全霊雄叫べ」
やってやるさ……彼女の鼓膜を破裂させる程、声を轟かせてやろ。
――――――――ッ!!
「アァアアアアァァァァッッッ――――――!! っ……」
不意に、気付けばマドカと目が合った。
叫喚を上げている最中、俺の呼吸は止まっていた。
「死に損なったかエース」
マドカは俺の胴を抱え、海賊島の中空を漂っていたようだ、俺をその場で放ると。
「……良かったじゃないか、俺もお前に死なれたくないのが切実な所だ。ならば逆はどうだ、お前は俺を殺したくないか」
マドカは俺を人差し指で挑発していた。
マドカの過去に何が遭ったか知らないが、壬生家への憎悪は相当根深い。
それを証拠にマドカと対峙していれば鬼気迫る。
「冥府から生還した気分はどうだ、少しは腕を上げたか……一発でもいい、俺に一発喰らわせてみろ」
それが適わなければ、マドカはまた俺を殺すのだろう。
マドカに取ってこれは試練でもなく、単なる児戯でしかない。
「やぁやぁやぁ、そこの、そこの恰好ぅいお兄ちゃん、おんやぁ? あーた、あーたの顔はどこかで見たっー、どこだったかな~」
「誰かと思えばお前かルドル、レオとジギルの顔を見るのもいつ以来だ」
幸運か悪運か、マドカとの交戦が再開されようとしていた時、ルドルとレオとジギルが彼の背後から宙を昇って現れた。
「やっぱ生きてたのかマドカ」
「殺す、俺達の目的はお前を討ち取ることのみ」
ジギルがマドカの生存状況を視認すれば、レオは身構える。多対一ならば、マドカを制するやも知れない――……レオに次いで俺がマドカに構えれば、俺達聖人の熾烈な兄弟喧嘩はもう止まらない。誰も止め立て出来ない。
「――、殺り合う前に一つ忠告しておこう。これは俺の鉄則、ゲームだろうとスポーツだろうと殺し合いだろうと、俺はまず敵の中で最もたる雑魚から始末する。気を付けろエース、この場合それはお前のことだぞ」
俺はかつて、教官達から落第生『戦場で使えない奴』の烙印を貰った。
聖人の秤でもある、『戦場で使える奴』、『戦場で足を引っ張る奴』ルドルとレオとジギルは前者だ、俺は後者だ。それでも俺は聖地の義務教育を突破した、聖人の端くれだ。
「……一斉に掛かって来い、今だ、今だ、どうした早くしろ」
マドカは――半身を捻じっただけだ、それだけで奇襲を仕掛けたジギルを反撃していた。その所作は出鱈目で美意識に拘った実のないものだ。無駄もないが、斯様な威力を有しているとも思えない。
――――――――ッッッ! ルドルがマドカの正面から特攻し、レオがルドルと連携を取り仕掛け、岩窟に覆われた海賊島を戦闘による残響が地響きとなって震撼させる。
「……小雪さん、一つお願いがあるんですが」
彼女は衝撃音で鼓膜が破裂しないように両耳を手で押さえていた。
「何だ? 一体何が、起こっている?」
戦闘中、この場は危険だと思い、彼女達に避難する様に頼み込んだ。そしてそのまま針路を世界の最果てに向けて、出立してもらう。絶対とも、必ずとも言わないが、これが彼女達との今生の別れ。そうなってもおかしくない。甲板に集った小雪さん、マオ、チュンリー、彼女達には拙く手を振って俺は……恐らく死地、俺の最期を迎える覚悟を腹に据え、今日初めて出逢った兄と対面していた。
マドカは三人の攻撃を悠然と受け取めて、気力と体力を殺いでいく――――ッ! マドカはまずレオに一撃叩き込み、次いでジギル、最後にルドルにそれぞれ一撃ずつ与えては、俺との再会を感慨し合う猶予を捻出していた。
「…………何と言ったらいいのか、心は虚しいだけだ」
そう言うマドカは存在感が希薄だ――死んでるんじゃないか?
そう疑念する程生気を感じられない。
彼の息吹を吸えば精神に支障をきたす妄念までする。
――マドカの声に耳を傾けてはいけない。
――マドカの過去を探ってはいけない。
――マドカを兄と思い、気を許してはいけない。
身長一八五センチ、彼は俺と同等の体格を誇り、強靭に伸びる四肢を俺の攻撃と鏡合わせにして攻防を凌いでいる。それは無意味な退屈凌ぎ、俺の攻撃はマドカに届かない。
「……お前は死んだはず、俺が看取った、だがお前は死ぬに死ねなかったようだ」
「…………」
そして、俺はまたマドカに歯牙を剥き、息が――……一瞬止まる。その繰り返しだ。猛然と連撃を操り出し、衝撃波と、痛みに耐えては、息を止めていた。言わば窒息感を味わっているだけで、勝算の見込めない戦いに(――いつ終わるんだろう)結末を願っている。
「……――」
何を切っ掛けにしたのか、マドカは俺の視界から消える。瞬間、俺の後頭部に鈍痛が走った。意識が昏倒しそのまま海面へと着水する。全身が海水に浸かり、海水を飲んでしまうと、マドカは俺の背広を掴んで引き上げた。
「エース」
「……何だよ」
マドカの息吹など気にする必要もない、肉薄しても彼の呼吸を感じられないんだよ。只冷徹に、只無情に彼は在り、発する息も声も無機質だ。
「お前は何か意味が合って、生き返ったんじゃないのか。お前はこれからも生きるんだろ」
あぁ、だけど体が痺れて動かない、後頭部から嫌な感触がする、視界も正面の一点しか動かせない、視界にはルドル、レオ、ジギルは居ない。敵となった兄マドカが居るだけだ。
「きょうの、きょうの俺は、敗戦……」
「……俺は壬生ロロを殺したりしてない、あいつが死んだ時期が丁度俺の人生の転換期だった。俺は死神と呼ばれ、俺に関わった人々は不幸に遭う。壬生家の呪いだ、俺が実証したようにあの家は呪われている。嫌われてるんだあの人のせいで、父壬生沖田のせいだ」
走馬灯の様な幻覚を俺は見ていたと思う。虚ろな意識と思考で。
「ち……違う」
父を責める聖人、亜人、稀人を払いのけて……彼を救いたかった。
視界に映るマドカは直立していた。
俺は自分の状態に気付くのにしばらく時間が掛かったらしい。
俺は脱力し、海面で仰向けになって波に漂っていた。
「……エース、俺はお前に、余生最後の功徳でも施してやろうとでも思い始めている。お前達の余りの惨めな始末に憐れんで涙するしかない。俺に涙させる自身を今は羞じろ」
俺の頬には雫が穿つ感触がする、マドカ、お前は本当に涙を流している。彼の涙に触れたくないのに、それを拒む力さえ無い。しかし俺は現状を不可抗力と受け止めている。誰が促されるがまま、簡単に自分を羞じ、自責の念に翻弄されようと言う。
彼は『泣き落とし』を弟に図ってくる女々しい兄だと思う、だが強い。こいつは強過ぎる。暗い過去ばかりで気が触れようとも、身体能力が心を十分に補っている。だからマドカは俺の前に立ちはだかる、だから生きていられる。
「……マドカ、俺達を見逃してくれないか……俺達は、世界の果てに行かないと」
「無駄だ、俺一人に太刀打ち出来ないお前達にそれは……余りにも無謀と言うものだろう、ならばエース、今は胸に希望を抱け、夢を見ろ――いつかきっと、誰かが世界の最果てに辿り着く、ここで死に行くお前達でも後世に希望を託すことぐらいは出来るはず」
老獪な奴だ。清廉潔白とした外見とは裏腹に『外道』で、彼の考えていることはもう分からない。そう言って奮い立たせようとしている、そう言って絶望させようとしている、真意が混濁していそうだ。
「俺が死ねば、この世も終わるらしいぞ」
「なら生きないとな、お前は俺を斃し生きろ」
徐々に回復して来た意識と体の自由、後頭部を確かめれば赤い俺の血が流れていた……上着を脱いで引き裂き、止血として強く巻きつける。マドカは先制を取ろうとは思っていなかった。俺達を逃しはしないが、勝負を制そうともしない。
「……ミセスもお前も、何で俺の誘いを断るんだ、念のために訊いておきたい」
「……彼女の理由は俺にも察しが付かない、俺個人の意見では、面倒だからだ」
もしも、もしも俺がマドカを斃せたのなら、彼の安らかな永眠を願う。
攻め手に欠ける今の俺は邪にも兄の杞憂をしている。
無意識に俺はマドカの前で演武を舞っていた。俺の切り札であり最も頼りにしている右拳で轟々と空を――撃つ。反動で引いた左半身に力を注ぎ込み、丹田を練って凶々しい左拳の一撃をやはり空に――放つ。右足で大気の壁を切り裂き、空気抵抗を筋肉と氣力を繰って押し退け、音速を超える速さと威力を以て空を――圧潰する。
「……エース、死に物狂いで、掛かって来い」
後はそう、彼の言う通り死に物狂い。先程の演武に多変を加え死力を尽くし「――アァッ!」咆えては激烈と打ち込んだ。マドカは俺と鏡合わせに攻防し、撃てば鳴り、撃てば響き、撃てば轟く。一撃放つ毎に海面は衝撃波で荒れ狂う。
俺の息が切れるまでか、俺の命が尽きるまでか、どちらの足が早いだろうか。
無呼吸――その状態は命が尽きるまで続く。
生きるには血が足りない、酸素が足りない――力が、足りなかった。
「……エース、俺はお前と運命を共する、お前が生きるならば俺は死に、お前が死ぬのならば、俺も死のう……俺の人生はもう無意味なんだよ」
明滅とする意識の中、マドカは俺を抱いていた気がする。そして海へ優しく俺を葬ってくれた。視界に映るのは光、水面に射し込んだ光が屈折して俺の網膜に飛び込んでくる。記憶に残ったのはその光景と、右手に繋がれたマドカの左手の感触だけだった。
☠ ✗ ☠
――エース……聞こえないのか、起きろよ――エース!
二十年前、父が死んだことを知らずに俺は微睡む意識から覚醒した。
俺を呼んでいたのは彼女、壬生ルドル他ならない。
言い訳ではないが、俺はその時父が死んでいたことを知らなかった。
ならば、俺と彼女はその時劇的な再会を果たしていた訳で。
あの世からこの世へと舞い戻った俺と彼女の再会は感極まっていた。
彼女はあの時涙を流していた、俺の記憶に間違いがなければだが。
俺は彼女と抱きしめ合い、彼女とキスを交わせば。
本能的な焦燥感と性欲が込み上げ、気付けば彼女をベッドに押し倒していた。
「……――」
父の無残な遺骸を目にしたのは、彼女との情事の後だった。
男の俺が死んでいる彼を見て、悲鳴を上げるのはおかしいのだろうか。
「……何故、何故なんだよ、センパっ……」
俺の悲鳴に駆け付けた母が父を見て嗚咽を漏らす。
父が流した夥しい赤い血が、脱力しその場にへたり込んだ母の膝に付きそうだった。
母は彼を愛していたから、その大きなショックも受け止められない。
母が彼を愛していたのを俺は知らなかったから、日々の言動が母の虚勢だったのを知る。
何故彼は殺されたのか? その意味をルドルから聞かされ、俺は――
「……実はなエース、私達はブラッディーから、交換条件を出されてたんだよ。気を付けろ、父さんを殺しちゃった人間は、こ・の・な・か・に、居る。だけど私はそいつを責めたりしないよだって、でないとお前は帰って来れなかったんだぞ」
俺はその時、人生最大の苦心を味わった。
俺が背負うべき重責が生まれた瞬間だった。
彼女達を決して責めたりしないと意したのは、それから時が経ち、彼女達への愛が深まった頃のこと。時が経ち、父が殺された傷心が安らいだ頃のことだった。だが、だがおかしいだろ。ルドルはどうしてあのタイミングで俺の名を呼んでいた……別にいいのだ。
もう俺はその真相を知る由もないのだから。
☠ ✗ ☠
そして真相は闇に葬られる。海賊島に於ける壬生エースの冒険譚は――
「――――っ」
俺は彼女から人工呼吸されていた、父を殺した彼女からだ。
俺は息を吹き返し、飲んだ海水を甲板に吐き出しては、息を継ぐ。
幾度と肺呼吸を繰り返し酸素を送っては、激しい動悸を抱えて彼女と、キスをしていた。
海賊島に於ける壬生エースの冒険譚はこれで終わりとなる。
俺達の船は海賊島を出立し、次なる新天地、冒険王の死地へと針路を取っていた。
「エース、一ついいことを教えてやろう」
俺に声を掛けて来たのはミセス、彼女だった。彼女の正体が稀人であると判明するや否や、唐突に何の用だろうか。辺りは宵闇に包まれ、ジギルが愛聴する朧ブルースは侘しい海上で潮騒と共に旋律を奏で合っている。
「私はミセスなんて呼ばれちゃいるが、まだ未婚だぞ」
俺は彼女の忠告に戸惑った「ふーん」と鼻を鳴らしそれで済ましてくれれば僥倖なぐらいの――どうでもいいことだ。反応が悪い、もっと驚け等と言われても困り果てる。
「……ミセス、丁度いい機会だし」
今甲板には俺と彼女の二人きりだった。
この機会を良い雰囲気と捉えるか凶兆と捉えるかは相手にも因るだろう。
ミセスは俺に取ってどんな人であっただろうか。
「何だよ」
彼女の身体は倦怠感に包まれ、緊張の糸がほぐれたまま欄干に寄り掛かっていた。彼女が纏う黒装束は背にしている宵闇には映えず、出来ればミセスに似合い、どんな場面であろうとも彼女の魅力を引き出してくれる衣装をいつか贈ろうと思う。
「稀人って言うのは予知能力も兼ね備えてるものなのか?」
知りたいことがあるとすれば、この質問を肯定された先にある。稀人の彼女は俺の腹を、心を的確に読み取っているならば、先程思案した『彼女に似合う衣装』を代価として俺は真相に迫りたい。
するとミセスは俺の双眸を覗く。
「エース、お前は世界の最果てには絶対に辿り着けない」
「――」
俺は彼女の言葉に呆れを呈した。
嘆息を吐き、手を仰向けに中腰まで上げ、彼女の根拠なき真実を信じなかった。
「なら俺達が世界の最果てに辿り着くにはどうすればいいって言うんだ?」
「言っただろ」
ミセスは蠱惑なる声音を手繰り、その言葉を残して俺の目前から霞の様に消えた。
ミセスが姿を晦ませた理由は定かじゃないが、気付けば彼女が俺を見詰めていた。
「んねぇねぇエース、ルドルお姉さんと恋人演じてみようよ」
「……それも悪くない」
宵闇は暮れ、本当の闇へと変貌する。頼りになる明かりは橙色の船内灯のみ、恋人を演じる恋人達を照らしてくれる。その時俺のポケットに収まっていたケータイが鳴る、母さんからの着信だった。
『しもしも?』
母さんの業界用語癖に、俺はつい安堵してしまう。ある種の俺の自虐ネタなんだよな。母さんに現状を伝えると、母さんは俺を他愛もない談笑に付きあわせようとしていた。
つい嘯いて、つい嘆息して、だけど安心し切って。
その油断の隙を突かれた。
「……父さんを殺したのは私なんだよね」
俺の隣に控えていたルドルが、父『壬生沖田』を殺したと自白する。だから俺は、彼女達と共に世界の最果てを目指している。だから、先程ミセスに問い質したのだ。しかしミセスは「絶対に辿り着けない」と断じた。
ならばもう、俺には彼女の罪を贖う術はなくて、俺達は今何処へ向かっているかさえも分からない。
――――っ……なんだか、息が……苦しかった。
この船の未来は悲観的な針路を辿っている。
一筋の残光は過ぎ去った道に置かれていた。
それは深くて、混濁とした不透明な闇の――世界の果てへ、向かっている。
そして真相は闇に葬られる。
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