第43話 空は澄み渡り

「いらっしゃい」

 ミヤビは母親の門松には似ず、屈託のない笑みを見せる、営業スマイルって奴か。

「……ミヤビはこれからどうするんだ?」

「もちろん、エースくんに着いていくよ」

「ならもう仕度しないとな、俺達はもうここを発つよ……ミヤビには傍に居て欲しいから」


「ありがとう、なんや恥ずいね」

 彼女の反応は嬉々たるものだった、俺の自尊心を立てられ、彼女の好意を伝えられる。ミヤビとの会話は今のが本題で、マクダウェルに付いての情報は閑話だろう。


「ミセスから意味深なこと言われて来たんだけどな、海賊王マクダウェルに付いてミヤビに訊いてみろって」

「海賊王マクダウェルに付いて? 前に言わなかったっけ?」

「?」


 恐らく、俺とミヤビは今一噛み合っていない。二人の間には齟齬そごが生じていた。

「それとも、海賊王の裏の伝説のこと言っとるのかな?」

「あ、あぁ。きっとそれだ」


 ミヤビ、彼女は決して裏表のない人格だと今まで誤解していた。

 ミヤビの陰湿な気配を、文字通り彼女の背後から窺っている気分になれた。


「……あのなエースくん、海賊王マクダウェルは実在しないんよ」

 思わず俺は「は?」と頓狂な声音で口に出していた。


「実は、マクダウェルは母さんが作り上げた架空上の人物なんよ」

 ミヤビは空のカップを見受けて「おかわり要る?」と訊いてきた。

 予想外の展開に話の腰を折るのも釈然としないから気にせず話を続けてもらった。


「二十年前、ここへやって来た母さんがね? ミセスを抱きこんだのよ。こうすればもっと獲物が近寄って来るって言うてね、だからみんな嘘やったちゅうわけ。結構単純な話やろ?」


 俺は、ミヤビの話を訝しがり、彼女から視線を逸らしカウンター席に落とした。では、実際俺が発見したあの財宝はどう説明が付く、マクダウェルの娘の彼女の存在はどう……全ては『虚構』と、『偶然の産物』で片が付く、かなり強引な推理だ。この際ミヤビに俺が想起した不可解な点を尋ねても、知らない、の一言で済まされる。


「けど、大人気ない人達がまんまと騙されてな、海賊王の財宝とか。この島にも居るよ、海賊王マクダウェルの存在を信じとる人」

「……ミヤビ、俺は彼の存在が本物だと知っている」


「ふーん、何か理由があるの?」

 視線は下に落とし、顔に影を作り、瞼を閉じたまま彼女に、俺達が遭遇した彼の霊体の話をしてあげていた。冷静になれば、ミセスが俺達をあしらうのも頷ける。頭を切り替えると、あの幽霊の存在こそ疑わしい。


「その話を広めてやってよ、海賊王マクダウェルの逸話に箔がつくからね」

 門松、という人物像をまだ把握してない、けど、俺はこうしてまた騙された。

 父の件にしたって、あいつに罪を被せて断罪してもいいぐらいだ。


「……母さんにも、ほんのちょっとやけど、良心があると思うんよ。そのなけなしの良心を傷つけないであげてエースくん」

 俺は咄嗟に口を手で塞いだ。俺は口が軽く門松への悪口を漏らしては、彼女に余計な心労を掛けてしまったことを悔いた。


「門松はどこへ?」

「さぁ、私にはここに残れって言って、どっかへ消えてしまって」

「もう駄目だ。ミヤビ、俺達と一緒に行こう」

 彼女を連れ攫って一緒に世界の最果てへ。

 こんな所に娘を置いていく無関心が分からない。


                ☠ ✗ ☠


「聞きましたよミセス。全ては嘘だったと」

 ミヤビの店から引き返し、再度ミセスの屋敷へ俺は出向いた。

「あっそ。それで被害を被るのはお前だけじゃない、その真実が周知の事実となったら、私達は終わりだよ」


「要は、この海賊島の問題を解決するんだとしたら、そうすればいい。海賊王マクダウェルの法螺話ほらばなしをみんなに知らしめてやればいい……貴方の口からだ。俺は、貴方のためにそんなことは出来そうにもない」


 彼女の海賊の頭としての肝の据わりようだけは認める。

 ミセスは微動だにせずに、俺を見詰め、気構えていた。

「ミセス、やっぱ俺達と一緒に来ないか?」


「そうか、お前はそっち側の人間だったか。故郷のことなんかどうでもよくて、故郷を捨てていく無責任な連中だ」

「お前らはそんな胸を張れる連中じゃない」


「手を差し伸べるのか、見放すのかどっちかにしろよ。勿論私は前者であれと願う」

 これは『聖人詐欺』だと瞬間にして判断した。

 俺は現状この島へ立ち寄ったことを後悔している。


 聖人詐欺に遭えば最後、その聖人は人生を食い潰される。

「聖人さんはこんな時――っ、四苦八苦して馬鹿やるんだろうな」


 先程のドラッグの影響からか、ミセスは窃笑していた。彼女は俺を嘲弄している。俺は彼女をこの時改めて――魅力的だと捉えていた。彼女の未来が音を立てて崩れゆく廃滅を、可哀相に思えば、美しくも思う。


「……まだしばらくは居るんだろ?」

 こんな彼女が憐れで、その同情が俺の愛情表現だった。

「貴方は、海賊王マクダウェルにずっと追い縋ってるべきだったんだ」

 現状の彼女に感極まってしまう。


 それでも彼女は俺の手を取らなかった。

 その手を引き、俺は最後の博打に打って出る。

「……ちょっとここを離れてみようと思う」

「裏切り者が」


「いや、すぐに帰ってくる」

「っふーん、私は、お前に一生ここに居て欲しい」

 最後は、そんな彼女と俺はキスをしていた。

 ミセスは幾度か俺の服を衝動的に引っ張っていたが、それを最後に彼女とは別れた。


「エース」

「お前の件はどうしたものかな」

 マドカ、悪魔の様な佇まいの男が、ミセスの部屋の前で俺を待ち望んでいた。

「餞別だ、海賊王マクダウェルの書記……だが期待しないほうがいいだろう」


 ――それとな? と言うマドカの切り返しには不穏な響きが漏れ出ていた。

「俺だったら、今の一時でお前の仲間を惨殺しきっていたぞ」


 唐突にマドカは俺に脅迫的な内容を仄めかした、それにはまだ堪えられた、マドカの台詞はまだ可能性の範囲に留められていたから。だが俺はもう既に臨戦態勢に入っていた、マドカはミセスと違って口だけの男じゃない。


「父さん、殺されたらしいな……俺だ、彼を手に掛けたのは俺だよ」

「……あの時の状況を話してくれないか? 殺害状況を」

「良かったなエース。お前はルドルと添い遂げ、小雪様と結ばれ、マオと愛し合い、チュンリーを生涯寵愛する、ウェンディとは恋慕を重ね友好的、だそうだ」


 マドカは俺の言葉の意を介さずに、無軌道なことを言ってないか……?

 俺の目から見た彼は屈強な聖人の精神から堕落し、在るが侭に狂っている。


「小雪様にしたって嵌めたのは俺なんだ、ルドルを誑かしたのも、俺だ……だが、これだけは信じて欲しい、うんざりしてるんでな。ロロって知ってるか?」

 壬生ロロ――壬生家で唯一戦死した気高く尊い兄、彼の死因は。


「お前が殺した兄だ」

 俺が今相対しているマドカの手に掛かって死亡した。

「違う。俺はロロを殺してなんかいない」


 マドカの言うことは順序立ててないから、支離滅裂に映っている。

 沖田教によくある、破滅型の人間だ。

「……だが、他は俺が殺ったと認めよう」

 ――――――――っ……!


 マドカから喰らった初撃による地響きは俺の耳にはよく聴こえてこなかった。

「手加減はしてあるぞ、お前が取った行動は怯懦きょうだから来る死んだ振り、エース、お前いつか本当に死ぬぞ」


 戦うしかないのか? 俺の実の兄と、折角邂逅出来た兄と、何故だ?

 ならばそれは、壬生マドカが父を殺した犯人であるから。

「戦え、俺と、そして俺を屈服させろ、それ以外にお前が真相に辿り着く術はない」


 聖人の戦闘による勝敗は生死で別つだけだ。

 マドカから貰った奇襲のダメージが大きい。


「俺は、両親とあの家が嫌いでな、ロロの母親が面倒な人だった、ロロの件で軍事裁判に掛けられて、長い間の拘束と尋問を受けた後、彼女は俺に訊いて来るんだ、涙を流しながらな……だけど、彼女の嫌いな点はその執拗さじゃない」


 眩暈がする、吐き気を伴って「――っ」少し嘔吐する。

 ダメージを喰らった部位は左脇だ。


「ロロの母親、会津ネロは、好奇心の塊だ。ロロの件にしたって彼女は好奇心で面白がっていた」

「……知ってたさ、お前が俺達を嫌悪してるのは、お前がいくら取り繕うと、お前に自覚がないだけで、お前は無情な殺意を向けてくる」


 その殺意にてられれば、俺の息は詰まっていた。呼吸が止まる。

「俺はかつて、納得の行かない渾名を付けられ憤っていた、戦時中にも関わらず周囲は俺のことをこう呼んだ――死神のマドカ」


 そこから先の記憶は、熾烈な物だった。母、壬生巴の息子達による交戦は海賊島の景観を破壊していく。マドカが軽く流しているシャドーの一発一発が砲弾に匹敵する威力を持ち合わせ、俺の肉体を破砕していく。兄マドカとの実力差に――苦しめられ、死の予感をする。


 俺は英雄の生まれ変わりと、幼い頃からその将来性を買われた。だから俺は劣勢を覆す、彼女はそう思ったのか。この世の何処かで今も、彼女は俺を見詰めているのだろう。彼女は全てを知りながら、俺が死に行く現実から逃避するのか――ブラッディー。


「――……お前が弱いことは訊かされていた、――……一矢報いろ、俺に」


 いいやマドカ、もう、無理だ。もう俺は立つことも適わない。だが――聖地での苛烈を極めた経験が、無意識の内に俺を棒立ちさせていたらしい。聖人と言うのは恵まれた立場じゃない、聖人は今の俺みたく、死に方を選べないのだから。


「……ルドル」


 壬生沖田を殺したのは、お前なんだろ。そうだと分かるんだ。

 死を目前にした俺は、天を仰ぎ、彼女の幸せを祈ってしまった。

 天啓だよ、空は澄み渡り、空は、鳥の影一つすら落ちてなかった。

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