第41話 初会の兄

「しっかし、ミセスも無茶言うね。一体エースくんに何を期待しとるんやろ」

「……ミセスは俺に期待してたのか」

 一つの問題が不完全な形で収拾し、ケセラセラと思考を切り替えた。これからミセスにそれを報告しに行く途中で、俺はまたミヤビの営む喫茶店で一休憩している。


「分かっとらんかったの? 嘘嘘、エースくんの顔にはそう書いておらんよ」

 ミヤビは知り合ってまだ間もない。客観性は抜群だろう。

「じゃあ、俺の顔は何て書いてある? 自分の顔だから見えないんでな」

「……せやね、エースくんの顔はこう言うとるよ」


 ――ミセスみたいな強気な女も悪くない。


「ってな。どやろ、このままこの海賊島の一員になったらえぇんやない?」

「それはまずないな」

「うちらは新しい仲間は歓迎するよ。程ほどに刺激がって、エースくんなんか正に望む所やね」


 ミヤビの言葉を受けて、珈琲に螺旋を描いている乳白色にゅうはくしょくのミルクを、俺と彼女に置き換えていた。俺がこのままこの器に収まれば、黒い彼女は白と混ざり合い少しは穏やかになる……つまりは、ミセスには最初からその気なんてなかった。


 彼女はただ俺をこの器、海賊島に繋ぎ止める理由が欲しかっただけで、俺はその仮説を深く考え過ぎだと理性に訴えかけた。


「もう一度ミセスに会って、話してくる」

「気張ってな、ミセスは、強情なお人やからね」

 重々承知していたつもりだったが、俺の前では彼女は狡猾などではなく、常に柔和だった。

 俺とミセスの関係性はどんなものだったのだろう。


「……――貴方は?」

 ミセスの部屋に向かうと、見知らぬ男性が居た。ミセスの部屋は死角が点在しているため探り探り様子を窺うのだが、部屋に居るのは彼一人だけだな。彼は一見にして海賊ではないと分かる。白色の麻の簡素な上下服を纏い、佇まいは――聖人の其れ。この上背、鍛え抜かれた肉体、瞳の奥に潜む闇。


「初めまして。俺は君の兄だよ……君はまだまだ若いから、俺のことなど知らないだろ?」

 まさか、マドカか?


「名前は?」

「……ロロ、俺の母は会津ネロだ」

「ふーん……ミセスは?」

「席を外してるようだな」


「……疑問なんだがな、貴方は戦死したんじゃなかったのか?」

 二十年前、俺は彼の名を、壬生ロロを兄姉達の中で唯一父から訊かされた。

 壬生家の中でも唯一の兄で、その理由は彼が戦死という最期を迎えたからだ。


「結構誤解を招くものなんだ。戦争は生死確認が雑になってしまうから」

「じゃあ、ネロちゃんに生きているって報告すればいいじゃないか」

「俺はあの人が嫌いだから……あの家が。君も丁度そんな感じじゃないのか?」


 俺は不審な彼に態度をはっきりとしなかった。

 この人に共感を求められても、困るだけだ。

 俺が困惑し、戸惑う様を露呈していた時――彼から母の匂いがした。


「小萌巴ちゃん、だったかな? 君の母親は」

「あぁ、俺の母は彼女だ」


 素直に答えると、彼の胡乱うろんな瞳が一段階ぐらいけいを増す。

「彼女もあれで結構乱れている。モラルや道徳がな……彼女は人殺しだぞ」


 ――彼女は人殺しだぞ。


 彼のこの言葉はまるで敵意を以て対象への破壊を目論んでいた。

「嘘じゃないのか?」

「真実だ。今度訊いてみるといい、彼女は嘘を吐かない人格だからな、きっと教えてくれる」


 彼の言い分に疑念が過り、母さんの隠された過去もまた疑問視する。

 彼はそれを説いたことで自身の心象により不信感を煽っているようだ。

「……どうして壬生家には暗い過去の人ばかりなんだろうな」


「過去は誰にだってあるだろう。それが隠匿する内容かどうかはともかくな」

 彼の弁舌は達者だった。彼の諦観は人生経験の深さを物語れば。

「貴方のこと、ネロちゃんに黙っておくべきなのか?」

「好きに、君の好きなようにするといい。帰るつもりは毛頭ないさ」

 彼には揺るぎない嫌悪感がある。家や両親や、きっと俺さえも彼から嫌悪される。


 惜しむらくは彼はその嫌悪を許容する気概を端から捨て去っていることだ

「聖地朧町は腐ってる。ちょっと調べれば過去の汚職や失態が目白押しだ」

「そう言ってくれるな、聖地出身の俺としては、貴方の一言だけで腐ってしまいそうだ」


「おっと来てたのか」

 ミセスが用事を済ませ部屋へ戻って来た。すっかりこの兄に意識を奪われ、彼女を失念していたが、でも俺は純粋に彼との一時が楽しかった。ルドル、レオやジギルの様に面識のない兄姉達に出逢うという喜びは、お勧めしておく。かなりピーキーな一期一会だろう。


「君はそろそろここを発つんだろ?」

 と兄である彼が確認を取れば、俺は彼の前に手を差し出した。

「一緒に来ないか?」

「先に行って待っててやる」

「面倒な人っぽいな」


「しょうがないだろ。あれ以来、人生に余り意味がなくなってしまった。君みたいな弟を弄って楽しむのが余生の生き甲斐だ」


 彼に名残惜しむ感動は希薄で、すぐに退席し俺と別れた。その点に於いても彼の老成した精神が伺える。俺は一段落の踏ん切りがそこで着いてしまった。この時を以て海賊島に於ける壬生エースの冒険譚を終わるとしよう。


「エース、もう行くのか?」

「……今日でお別れ、ってことになりませんかミセス?」


 だけどミセス、この人はロロと違って別れを名残惜しんだ。

「もうちょっとだけ、居てくれないか」

「どんな理由でそう言っている?」

「……そうだな、賭けは私の勝ちだ。だから、お前は私のものなんじゃないのか」

「じゃあ、さっきの男がマドカなのか?」


 俺はミセスとある賭け事を約束していた――壬生マドカ、彼に先に出逢った方を勝ちとする賭けだ。しかし彼が俺に名乗ったのは壬生ロロという名前。マドカは故人の肖像を悪用し、身分を偽り始めていた。


「許して欲しいミセス、俺はその約束を反故にする」

 彼女が顔を顰めると同時に、俺は彼女が免罪符を出す功績を提示してやるまでだ。

 ――ドサ、麻で出来た袋を彼女の前に音を立てて置く。

「ほう、この宝石は?」

「……ミセス」


 俺の相貌は英雄に酷似している、伝承で聞き及ぶ英雄の人格は大胆不敵の一言。

 俺は彼の人格に倣い、この功績を最大限、自画自賛する。


「俺は――海賊王の財宝を見つけたぞ」

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