第37話 小雪の選択 その終

 翌日は俺の日課から始まる。空の気分は俺の心情よりも晴れやかだ。

『お、おう、もう朝か、しもしも?』

 受話器越しの母さんの肉声は頓狂としていた。


「マドカ、この名前に聞き覚えは?」

『魔法少女?』

 母さんの返答が寝惚けなのか天然なのか判断付かないが。

「俺に兄さんって居たんだな」


 まずそこがおっかなびっくりだ。

 小雪さんの話しから察するにマドカと俺は似てないらしい。

 それとも昨夜のあの話は俺への遠回しの褒め言葉だったんだろうか。


『まぁ、な。ちょっと事情があって黙ってた』

「母さん、今度からは如何なる理由でも俺に隠し事したりしないでくれ」

『息子が怒った。まさかもうこんな日が来るなんてオーアールズィー』


 怒ったつもりはないが、寝起きのせいあって喉の調子と機嫌が悪いのかも。

「……マドカは今どこで何をやってるんだ?」

『消息判ってたらお前に黙ってたりしないよエムエム』

 母に電話を入れれば、小雪さんの話の裏が取れてしまった。


 疑う方がおかしいが……だから、だから小雪さんは、兄マドカへ復讐する一心で父を手に掛けた? いや小雪さんは何と言った、彼女は腹をくくった様子で俺に――ルドルが犯人だと教えてくれた。焦点をずらし、『復讐』というキーワードを引用すれば、今朝の献立はマオの復讐だった。


「さぁ、倍返しだ。今回のカレーは自信あるから」

 ラウンジでは赤味掛かったカレーがマオの自信作として出された。

 マオの発言とカレーの色味が妙に毒々しく思える。

「わっはーい、期待してるよマオちゃーん。いただきまーす……カッッッラ!」


 ルドルは大口を開いてマオの自信作のカレーを逸早く舌鼓していた。

 マオのカレーは思わず咽てしまうほどの辛さだ。


「むへは、ほっはひ、こ、こらあかん」

「姐さんこれは致死量だよ」

 ミヤビやチュンリーもギブアップしている。

「まぁ最後まで食べるけどね、ルドルお姉さん行儀いいから、いただきまーす、カッラ! こんなもの食えねっ!」


 渦中の最中にあるルドルは普段通りだった。小雪さんは意気揚々としたルドルを気にせず激辛カレーを黙々と食べている。彼女はこの後すぐに仕事の予定が入ってるから、今日も今日とて律動的に日常を再開させる。


 カレーの辛味が掻かせたのか、それとも独善的な緊張感から俺は発汗してしまう。

 その後朝食を終えた俺は、もう一度昨夜の小雪さんの言葉を整理するとしよう。

 考え事していた俺はラウンジから抜け出て、陽のあたるサンデッキに居た。

 

「ルドルお姉さんの、寝返り」

 サンデッキではルドルが退屈凌ぎのように多動症を患っていた。俺はルドルに猜疑心を向けようと試みている。彼女が父を殺害した……そう思うと、俺の体は竦んでしまう。罪悪の情念から苦しい心境に追い込まれるだけだ。


「ルドルお姉さんの、寝返りそのニ」

「ほうっ、ここに上出来の肉便器が。ふぃ、お腹パンパンなんだよなっ」

「ぬぁあああああああああ!!」


 小雪さんはあぁもおどけるルドルを犯人に挙げた。

 小雪さん自身、俺の兄壬生マドカへの復讐から父を殺す動機があった。


 そして彼女はその犯行をルドルに押し付けた、だとしたら? マドカの弟である俺を手籠めにし、彼との繋がりを篤くすれば、狡猾にも罪から逃れ、壬生沖田の殺害を完全犯罪に仕立て上げている。


 もうこれでこの話は切り上げよう、俺はミセスに顔を合わす理由がある。決別した過去をぶり返して自己を苛め苦心を――生きる苦しみを味わうのはもう嫌だった。彼女、ミセスに会いに行くのは俺の現実逃避で相違ない。


 逃げるようにしてミセスの許へ向かえば、そこにはもう一つの事件が待っていた。ミセスと一緒に深海へ沈んで行ったあの時、誰が彼女を甲板から海中へ落とした? あの時、誰が俺と彼女を救出してくれた? あの時だって視界に居たのはルドルと小雪さんだった。


 俺とミセスの再会は劇的にとはいかなかった。

 俺も彼女も片手を挙げて簡略式の挨拶を済ませた。


「しばらく振りだなエース」

「しばらく振り、ミセス」


 彼女は専用のソファに腰を下ろし、上げた手を粗雑に下ろした。俺は彼女と違い上げた手を滑らかに下ろせば彼女の無事息災を窺っていた。俺もミセスも事件の影響は見受けられなかった。以前のように面識のある知人という関係性も変わってない。その手合いとの話題は現状の所これしかなかった。


「唐突な話ですが、ミセスには上のご兄姉って居ますか?」

「それをお前に教えてやると思うのか?」

 彼女は迂闊にはその存在を教えてくれない。まるで俺と同じだな。


「ミセスの兄姉も、後ろめたい存在なんですか?」

「私より上は、私に取っては脅威だな」


 俺もマドカを脅威的な存在と見做しているのだろう。つ彼の全貌は依然不透明で、まだ底が見えない。壬生マドカという人間性と事件性を斟酌しんしゃくしては、彼の闇を見詰めている。見詰めたって見て取れるものでもない深い、闇だ。


「結局、海賊王の財宝はこの世に存在しなかったんですかね?」

「さぁな、だがこの島のみんなはあって欲しいとその存在を妄信している。海賊に取ってお宝は糧だからな……財宝と兄と何か関係あったのか?」

「いえ、兄とはまた話が別ですよ」


 今昔、二十年前と今とでは大分違う。

 二十年前までの俺は兄姉の誰とも面識がなかった。

 それが幽霊島でルドルに出逢い、その七年後にはジギルとレオポンに出逢った。

 海賊島へ導かれれば、父の最後の子、俺の妹であるミヤビと出逢えた。

 これも縁と、数奇な廻り合わせに怪訝を寄せれば、天運への感謝を弛まない。


「そう言えばミセス、また話は変わるのですが」

 孤島で一番危険だった人物、父を殺す動機が最も濃かった女の存在を忘れていた。

「風祭門松、彼女について何か知りませんか?」

「あいつか、そう言えばいつの間にか姿を見かけなくなったが、ここ五、六年の話だ」


 父や母達は、神出鬼没の彼女のことを『三流の悪党』と蔑称する。

 母達に取って親しみのある人物でも、周知されている風祭門松の印象は世紀的な大罪人だと思う。


「私に取っては、あいつは口だけの女だったな。よく回る頭で甘辞かんじを紡ぎ、島の男連中を篭絡してるようだったな……門松が居た頃はまだこの島も活気があった、だからな、きっとあいつはすっかり衰退したこの島に愛想尽かしちまったんだ」


「そうですか、それと、あれからシドーと連絡は着いたんですか?」

「いいや、シドーはあれ以来ずっと消息不明だ、恐らく例のジンクスで死んじまったのさ」

 まだ先は長い、と言えど、先を急がなくてはならない。

 そろそろこの島を出立するべきか否、留まるべきか、今はその判断で揺れている。


「……そう言えばミセス、俺のお見舞いに来てくれたようで、ここにお礼します」

「気にするな、あれはちょっとしたトラブル、大事なのは後に引きずらないことだ」


 ミセスは俺よりも元気そうにしている。

 健康面は問題ないだろう。

 彼女からは、母さんの匂いがした。それで想起したのだが。


「付かぬ事訊きますが、ミセスにお子さんはいないのか?」

「さっきと同じ回答だ。それをお前に教えると思うのか?」

「俺がそいつらを人質に取るとでも?」


 彼女の警戒は心外ではあるが、彼女の立場を考えると致し方ない。しかし俺が致し方ないと呑み込むことで、この島に残されている問題を解決出来なくなっている。


「お前らはいつまで滞在する予定だ? あぁそうだな、一生ここに居ろ」

「これは純粋なただ一つの理由だ。ここは魅力に欠けるんだよ、そんな不毛な土地に永住する酔狂な奴が居たら紹介してあげますよ。旅先で、色んな人に」


 彼女を慮れば、今の発言はどうしようもない絶望を味あわせていたか。

 海賊島ここは将来性が枯渇しきっている。

 それが彼女達の海賊としての誇りであるならば、どうしようもないことだ。


 俺はミセスに一つお辞儀を済ませ。

「今日からでも義に生きてみろ、そしたら人生観変わる、そうすれば海賊島の未来も救われるでしょうね」


 それが聖人、壬生エースとしてのせめてもの救済案だと彼女に打ち出せば、彼女は中指を突き出し悪態を吐いてぞんざいにしていた。


                ☠ ✗ ☠


 ミセスの部屋を後にし、第二の故郷である彼女達が待つ船へ戻った。

 兄マドカの影響からか、それとも小雪さんの昔話を聞いたからか。

 俺は小雪さんと距離を取っている。

 小雪さんはサンデッキで黄昏ていた、通常だったら俺が一声掛けているところだ。


「……――」

 小雪さんと視線が合い、唇の動きを読唇術で解読すると――私が怖い? と言っていた。少なくとも俺は彼女からそう見られているようだ。本当の小雪さんは周りを喝破し鼻白ませて、敢えてその存在になろうとしている。だけど、本当の本当は、彼女はそんな人ではなかった。


「……怖くはないですよ」

 俺は小雪さんに伝えたいことがあった、伝えるには歩み寄るしかないから彼女に歩む。

「貴様、さては私を舐めているな?」


 今まで一度も彼女を怖いと思ったことはない。

「たぶん、この船のみんながそう思ってますよ」

「舐められていたか」

 それでも俺は言葉に一貫性を持たせる。


「今の小雪さんだったら、百人が百人とも溺愛するでしょうね」

「……結局、あの男からプロポーズされることはなかった。私の母も怖いお人だ、だからあの家には帰りたくなかった……今帰ってしまっては、エースの傍に居られなくなる」


 小雪さんは声音を震わせて、嗚咽に堪えながら漏れ出る涙を手で拭っている。

 本当に怖い人が、傷ついて、涙を流したりしないものだから。

 彼女の分かり易すぎる虚勢が、俺の胸を撫で下ろす。

「……っ」


 塞き止められない涙を流す彼女に、どうしても一つ訊きたいことがあった。

 この質問は今の状況だと卑怯な内容なのだが……。


「小雪さん、俺とマドカ……どっちを愛してますか?」


 そしてその日、俺は兄を呪った。

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