第35話 小雪の選択 その二

 母、鳳凰座誠一の信条は『物事をスムーズに運ぶこと』だった。

 鳳凰座は母の手腕で世界に名立たる有数財閥となっていった。


 そんな折、私が産まれ、私は母から英才教育を受けて育っていった。

 しかしそれは母自ら教鞭を振るっていた訳ではない。

 主に教育担当だったある一人の男がいたのだ。

 母もそうしてきた様に、影ながら支えてくれた付き人を持っていたからだろう。


「……――そいつはお前の兄だ」

「俺の兄?」

「あぁ、名前を壬生マドカと言う。彼は聖人だった」


 マドカは教育係兼付き人として常に私の傍に控えていた。何かと有能な男だったよ、強く美しく、そして賢い男だ。だから私はあの男だけには盲目だった。マドカは惜しげもなくその有能さを仕事で発揮してくれる。その日もある大口の業務委託契約を取ってきた――


「小雪様、例の件ですが滞りなく締結致しました」

「そうか……良くやったもんだなマドカ、吐け、一体どんな魔法をいや、裏工作を?」

 マドカは大言壮語を私の前で常用していた大物だ。

 その日のマドカもいつも通りの奴だった。


「恐らく、小雪様が嫉妬してしまう小細工ですよ」

 例えば私の業務は上役として会社をマネジメントすることだ。時には不景気の影響から何かとカットすることだってあった。賃金をカット、ボーナスをカット、そして人材をカット。


 貴様みたいな世間知らずはそんな憂き目とも縁はないのだろう。

 だから……だけどそれは唐突な話だった。


「小雪様は昨年の大規模なリストラをお覚えでしょうか?」

「知らん、と言いたい所だが、あれはこちらとしても不景気な話だったからな」

「実は、その怨恨の延長で小雪様に報復を働こうとする計画があるようでして」


 私は、そんな風に人から怨まれる女だった。


 至極当然のことだと受け止めても、報復される筋合いはないことだ。当初の私はそのリストラを不当解雇だと考えてはいなかった。そのために母はマドカを私の付き人として付けているのだろう。その時になってやっと母と同じ心境になれた気がした。鳳凰座の家名に入り、世界的な巨大財閥の跡継ぎとは、一説では世を転がすと言われ育った。


「で?」

「神経質かも知れませんが、一応少しの間だけ小雪様には安全な所で隠れていて欲しいのです」

「それ程のことなのか?」


「小耳に挟んだ限りでは、彼らは沖田教と接触を図ったらしいのです」

「なるほど。如何にも無職の連中らしい顛末てんまつだ、と言うことは鳳凰座に勤めている時から何らかの関わりがあったのだろう。愚かだよな、その素行の悪さがリストラの原因だと言うのだ」


 沖田教、紛いなりにもエースの父親の名前を冠しているシンジゲートだ。

 奴らがどんな集団かぐらい訊いたことがあるだろ?


「お前はどうするんだマドカ?」

「それは言わぬが花でしょう。私に全てお任せください小雪様」

「……ふ、一体何をするつもりなんだ貴様。余り無茶なことは止せよ」


 マドカは物心ついた頃から一緒だった。母代わりで、父代わり。マドカは私にとっては乳母のような存在で、あいつの代わりなど探そうにも居ない。私の――最愛の人だった。


 その経緯があって、マドカが手配した飛行機で私は鳳凰座の別荘に行く手はずだった。行き先ではマドカの知り合いが警護してくれると言う。思い返せばきっとそいつらはジギルとレオのことだったと思う。聞けばマドカとは戦友だったと言っていたからな。


「……もありなん、奴らが私を怨む理由がよく分かる」

 行先は南国諸島だと訊かされていたものでな。

 身に着ける服飾も軽装で日焼け止めやサングラス、水着も勿論用意した。

 いい機会だったから全て新調したんだよ。


 鳳凰座の私財の中にプライベートジェットがある。空港でその贅の限りを尽くした機を瞥見すれば、怨まれる理由はしかと存在していたと独りごちた。私はそれに搭乗し、一路マドカの用意した避難地へと旅立った。


 航行中、マドカから一通の電話が入った。


「マドカか?」

『小雪様、実は少々厄介なことになってしまいました』

「……どうした?」


 航空機の窓から曇天を窺い、雨粒が窓に付着しては垂れて行く。

 状況は凶兆を予感させる最悪な光景だったのだろう。


 マドカは冗談の類でもなければ決して弱音や失態など見せなかった男だった余り、私は事態の重さをその時直感してしまった。脳裏に嫌な汗を掻き、心臓の動悸が速まる。


「……それとも、またお前の嫌がらせか?」

『――っ、失敬。小雪様にとって私は意地の悪い男だったのですね』

 マドカは受話器越しに苦笑しているようだった。


「マドカ、私ももう若くないんだ。心臓に悪いことは控えろよ」

『……小雪様は今年でお幾つになられました?』

 マドカはまるで昔を懐かしんだように慈しむ声音で語りかけてきた。


「結婚適齢期、といったぐらいだな」

『そうですか。小雪様はすっかり大きく、そして美しく、何よりも強く成長なさられた様子で、貴方のことを産まれた時から知っている私としては嬉しい限りです』


 言わば、それは私のせめてもの駆け引きのつもりだった。あの時彼がそのまま身を引けば首を切ればいいだけの話。あの当時の私はそれを何とも感じずに決断出来ただろう。正々堂々と私情を理由に切ってやるつもりだった。


「マドカ、お前は私を処女と馬鹿にしたいのか? 幾度となく私と床を共にした身の程知らずな奴は誰だったと思っている」

『小雪様、この件が無事に終わった暁には……私からの拙いプロポーズを受け取ってくださいますか?』


「お前は安月給ではない。私への愛を示したいのならそれなりに叩けよ」

『重々承知しておりますよ。小雪様、私が貴方を愛しているということは、嘘偽りもないことです』


 マドカと過ごした歳月を思い返し、彼の言葉には万感の思いだった。私は独占欲が顕著であると自覚しているつもりだ。マドカは強く、賢く、そして美しい。その美貌だけでも希少価値を見いだせる程、容貌に秀でた男だ。


 ずっと以前から、私はマドカを愛していた。

 そして以前から、マドカを征服したかった。

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