第32話 目覚めれば

 微睡まどろむ意識が徐々に覚醒していく。鼻先に……母さんの匂いがした。瞼を開け、俺はある一点の情景から十全を得ようと無駄な努力をしていた。目に映る白色の天井はいつも通りの船長室だったが、今そこで介護していたのは誰なのか、予測付かなかった。


「おうウンコ、気が付いたようじゃの」

 意識が戻り、一番最初に俺の視界に入ったのはウェンディだった。

 稀人の超感覚とも呼ばれる能力の恩恵だろう。


「ウェンディ、ミセスは?」

「あの後救助してな、今は海賊島に停泊してるんじゃ」


 俺は一度かぶりを振った。

 冷静に考えればあの時、ミセスを海へ突き落とした犯人も気掛かりだ。

「おうウンコ、冥土の土産じゃ。ちょっと今から私について来いやこのドアホォ」


 先程まで意識不明の重体だったはずの俺は億劫にもならず、ウェンディの後をついて行く。

 それは学校で叩き込まれた聖人特有の屈強な心技体の証だ。


「ウェンディ、霊安室なんて連れて来て一体」

「これは私だけの秘密でした。今日からはこの秘密を貴方と共有しましょう」


 俺は、自分を霊安室に案内した稀人を一瞬恐怖した。がウェンディは霊安室の棺に潜り込み、際どいアングルになっている――ガコン。機械音が耳に届いたかと思ったら、何かが動作した。


「おう、真・船長室のお出ましじゃ」

 二十年間、俺達はこの船に隠されていた部屋の存在を知らされてなかった。

 船長室と同一の造りで、『真・船長室』という掛け軸が飾られている。

「ウェンディ、いつからこの隠し部屋に気付いていた?」


「おう、丁度海賊王の財宝が話題に上がった時閃いたんじゃ。もしかしたらここにもそんな隠された財宝があるかも知れんとのぉ~」

「素晴らしい、その発想はなかった、素晴らしいだろこの発見は」

 ウェンディを初めて褒めてみた。


「おうよ、お前の賛辞は最高じゃ」

 するとウェンディも俺をおだてる。そんな俺達は最高の相棒になれそうだ。

「お前の舵取りに敵う奴なんて、この世界中探しても他にはいやしない」

「いいぞウンコもっとやれ、もっとじゃ、もっと私の腹ぁパンパンに肥やしてみい」


 ウェンディを熱賛しても無駄だ。ウンコの肥やしにしかならない。『褒め殺し』という戦術も稀人には意味を成さない。そしたらかつて稀人と戦争していた聖人はどんな戦略を取ったんだ?


 その後また秘密の敷居を跨いで、甲板に顔を出し、みんなに俺の無事を報せた。

「すまない、心配掛けたみたいだな」


 甲板にはルドルや小雪さん、マオとチュンリーが心配した様子で待っていた。

 俺が居なくなったらこの旅も終わりを告げてしまうのだろうか。

「エース、あんま無茶すんな、しばらくはルドルお姉さんとゆっくりしてよう」


 しばらくは財宝探索も控え、安静にしてるよう促される。だから俺はいつまで経っても落第生のレッテルが拭えないんだ。今の俺は彼女達から憂慮ゆうりょを向けられ、誰も失意や落胆を露わにしていない。


 恩師である近藤教官がこの場に居れば「そいつを甘やかすな」と一喝いっかつする場面だ。だが彼女は違う、女帝との異名を誇り部下を叱咤し続けていた小雪さんであれば、緩んでしまった緊張感を再度指摘する……と思っていた。


「エースくんは日増しに成長していっていると思いますよ」

 小雪さんは嫣然えんぜんと微笑み、今回の俺の失態を度外視しては、俺の成長を認めてくれた。


 何もそれは俺に限らず彼女にしたってそうだ。彼女とは彼是かれこれ二十年パートナーとして共に旅をしてきた、そんな彼女と互いに成長していることを実感し合う、小雪さんの発言を反芻はんすうすれば、彼女から信頼されている事実を確かにする。それは揺るぎない明日への希望を心に灯す一言だ。


 などと、小雪さんとの信頼関係を深め、警戒心や憂鬱ゆううつを失念していればフラッシュを焚かれた。光源の方向を見ると例のカメラ小僧のアミーゴが、ってアミーゴ、アミーゴ!


「ルドルお姉さんの、聖人の端くれその証明」

 アミーゴはルドルの諸手突きを受けて紺碧の海へ叩き落とされた。

 アディオスアミーゴ。

「……ふぅ、この旅も長いわね」


 小雪さんは額に手を当てて嘆息し、憂いを払っていた。彼女はどこか疲れている面持ちだ。小雪さんのような令嬢にとってはこの大冒険はありえないのだろう、「らしくない」小雪さんの過去を知っている人間なら誰でも今の彼女をそう言う。


「……私のことが心配?」

 俺の思惑が表情となって露呈していたようだ。

「えぇ。無理はしないでください」

「下賎民から心配されようとは、私もすっかり地に落ちたものだ」


 小雪さんのさげすみは今やこの船ではお馴染みだ、こんな時は今日も小雪さんの女帝ぶしが出たと、こんな状況だから尚更気が緩んでしまう。すると小雪さんは俺の意を汲んで、均整の取れた胸部に麗しい手付きを添え凛然りんぜんとしては。


「私は泣く子も黙る鳳凰座小雪だぞ」

 俺こと、壬生エースが誇り敬愛する女帝を演じてくれる。この人ならば、鬼相手でも喝破するのだろう。だけど、彼女が地獄の鬼相手に喝破する、すなわち彼女が地獄に落ちる理由があるのだとしたら――俺の父を殺したとがだと思う。


 あれから二十年経とうとも、俺は父の殺害状況を克明こくめいに覚えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る