第30話 Apnea4

「……さてと」

 そろそろ日も真上に上がって来たことだし、今日の日課、いっとくか。海賊王マクダウェルの財宝を探索するために今日もコバルトブルーの海へ――その身一つで飛び込む。

 当たり前だが、海中に潜れば息が止まり苦しい。


 俺達がこの二十年間、ずっと気ままに旅を満喫していたと、ミセスや外部の人間は思っているのだろうか。この二十年間、俺は苦しかったさ――今もその気持ちは持っている、俺は苦し紛れに旅を続けている。その内容は現実主義のミセスが否定するほど向こう見ずな愚の骨頂だった。


 されど、俺達は苦しみだけでは生きていけない。時には笑ったり、時には愛し合う。父が殺害された苦衷くちゅうはこの二十年で色褪せてはいるが、俺は彼を見殺しにするのが恐ろしく思う。彼を甦らせることを断念して、夢を諦めたら、俺はその時どうすればいい――?


 長く、深く、冷たくそして、暗い。海底には光の恩恵など存在しなかった。財宝はないが、深海魚をたまに見かける。そいつは必死で繋ぎ止めている息が危うく乱れて溺れそうになるぐらいの異形だ。


「お前は本当に化け物だよ」

「ミセス、そんなに物欲しげな表情されても……たぶん今日も無駄骨に終わるな」

 海底の探索から引き上げると、ミセスが船上で待っていた。


「あっははははは! 見て見てぇ、ウミガメ獲ったどぉおおお!」

 ルドルが天に高々と甲羅を突き出している。

「止しなさい、彼等は愛護されるべき存在よ」

 どうやら小雪さんの眼はウミガメに愛嬌を以て見詰めていた。

「……お前らが。お前らみんな怪物のようだな」


 この二十年間の長旅がみんなをたくましくし、そしてちょっと野生的にしていた。ミセスの監視下で俺は幾度も海底を浚っている。浮上する度に彼女から出迎えられては、期待外れの内容しか報告出来ずにいた。


 その間みんなは海賊の箱庭で海水浴を楽しんでいるようだ。


「ここ、水深何メートルあると思ってる。よく潜水服もなしにそんな潜れるな……やっぱ化け物だな」

 ミセスはずっとこの作業を眺めていた。

 深海に潜り、海上へ帰還する単調な作業と、体で息を吐く苦し紛れの俺の葛藤と肺呼吸を。


「海底から上昇して、貴方の姿形すがたかたちが見えてくると俺は安堵する」

 揺れる水面の先にはマクダウェルが愛した彼女の姿形が陽光を伴って窺えていた。


「へぇ……安堵か、知らない間に頼られてるってことか?」

「違うさ、貴方を目に入れることで、俺はやっと、息を吐けるからな」

「私に惚れたとか、そっちの話じゃなかったな」


 ミセスは欄干らんかんに頬杖を立てて、失望したと言わんばかりの言葉をつむいでも視線を俺から背けなかった。


 彼女は今も目で俺を追っている。

「この海域ちょっと移動した方がいいかもな、とりあえず、ここには財宝はない」

「あぁそうか。しばらくは付き合ってやる、だけどその分の貸しはいずれ返してもらうからな」


 返ってくる言葉は手厳しいけど、ミセスは気長に付き合ってくれる。

 フェイスタオルで髪と顔を拭い、俺は彼のことを思案していた。


「それとも、もう一度マクダウェルに訊いた方がいいかもな」

 だけど今あいつはどこを彷徨さまよっているのだ。

「またあの人の幽霊の話か、しつこい」


 ミセスはもう信じまいと心に決めたらしい。何かを決意した人を、改めるのはそう簡単にはいかないだろう。だが、こちらとしても海賊王マクダウェルの亡霊の話をしつこく続ける気はない。


「海賊王マクダウェルの財宝は、私達が長い歳月掛けても発見することは出来なかったんだ。それをお前らが漁夫の利でも浚っていくかの如く発見出来るわけないだろ」


 俺は元々夢見がちな性格をしている。そうでもなければ冒険家など目指していなかった。そうでもなければ――父の死の真相を闇に葬ろうとしなかった。今日の日課はもう引き上げて、暗黒の物悲しい海底に体はすっかり冷え切っている。後は、体が茹るように熱いシャワーを浴びよう。


                ☠ ✗ ☠


 お風呂から上がった後、甲板で小雪さんとちょっと話す機会があった。

 後ろではジギルの聖典である朧ブルースが掛かり、空は茜色に染まっている。


「小雪さん、鳳凰座の方から何か言われてたりしませんか?」

「そうですね……、特には」


 小雪さんの突然の失踪劇に、鳳凰座は彼女の捜索に躍起になっていたのだろう。一説では小雪さんの捜索が一つのビジネスチャンスとして業界を震撼させたとか。孤島に永らく囚われていた小雪さんはずっとそれが気掛かりだった。


 だけど俺と彼女が初めて出逢った時、小雪さんは歴七十年の失踪のベテランだったため、もう今では特に鳳凰座に執着してないらしい。昔の彼女だったらありえないことに、彼女は――


「鳳凰座には利用出来るだけ利用させてもらいましょう」

 鳳凰座を骨の髄まで食い散らす、そう宣言している。


「俺も小雪さんにそう思われているんですか? 俺も小雪さんに利用出来るだけ利用され、骨を残さず食ってしまおうと」

「そんなことしませんよ。エースくんは私の生き甲斐ですから」


 二十年前、俺は彼女を誘った。

 俺と一緒に世界の最果てを目指してみないかと。

 もう大分昔のことだけに、当時の気持ちに新鮮味を与えることは出来ない。

 だけど俺はきっと、小雪さんに傍に居て欲しかっただけなのかも知れない。


「私も色々ありましたから、もう込み入った事情や、複雑な人間関係にはうんざり」


 波瀾万丈な人生を送り、胸に灯っていた野心がすっかり霧散した彼女。

 そんな小雪さんでも、所謂持ち芸があった。


「貴様みたいに純情で何かと有能な豚を飼い馴らすぐらいが今の私には丁度いい」

 小雪さんはふと女帝の人格に戻って、周りを高嶺から「豚」とからかうのだ。

「今日から小雪様とお呼びした方がいいのでしょうか?」

「悪くは、ありませんね。だけどやっぱ小雪って気軽に呼んでもらいたい。そんな人は今まで両親ぐらいしかいなかっただけにね」


 彼女はムードのためにルドルや他のみんなといった仲間の存在を消してしまったらしい。

 小雪さんの中で今ここは、俺と彼女のたった二人きりの世界だった。




 朱色の空が宵闇に変わると、マオが夕餉の支度をしだす。

 マオはこの船で一番献身的な女性だ。

「……ジギル、ひょっとしたら寝てる所悪いが、もう辺りは暗いぞ」


 一方でジギルは日がな一日、甲板に備えられているリクライニングシートに寝そべっている。気楽にしているのはいいが、いざって時は頼りにしてるぞ。ここは場所が場所だし、外部の人間にとっては安全地帯じゃあない。


 本日の夕餉には、ルドルが獲った鮮魚が食卓に並べられていた。

「ウッマァ――――!! うんうん、自分で釣った魚は特に美味しい」


 これぞ海の旅の醍醐味である。海賊島にしたって食べる物に困ったら近海から漁をして獲ってくればいい。ミセスもこの船自慢のシェフが出すご馳走に舌鼓している。俺の目は彼女の食事作法を査定していた。


 ミセスは箸に慣れてないようで、フォークとナイフで鮮魚の刺身を平らげていた。

「……なぁ、お前らも海賊王を名乗るからには今まで襲ったことあるんだろ。その時の話を聞かせてくれないか」


「さーてと、うーまかった、ご馳走様でした」

 ルドルが逸早く離脱した。

 俺達には皆それぞれに負い目がある。

 家柄だったり、両親だったり、お国柄だったり。

 分の悪い雰囲気にはスルーするのが俺達の鉄則だ。


「海賊はどこも時化た内容か」

 ミセスの解釈は俺達に取ってエレガント、都合良ければ尚つ美しい。

「まぁ、この船のメンバーは答え辛いことにはスルーするのが癖だから」

「そう言えば、お前ら一体どこからやって来たんだ?」

 この内容も言及しては不味い。


 俺達の出身は聖地だが、それはたちまち聖人だと明かしてしまう様なものだ。

「幽霊島と呼ばれている名も無い孤島だ」

「ふーん。人口どのくらいだ?」

「鉄則に則り、今日はもう寝ることにしよう」

 と言い、俺は静かに席を立った。


「私を無視するとは、いい度胸だエース」

「とんでもない。誤解だよミセス」

「お前みたいな男は初めてだ」


 彼女はそう言いながら俺を指で差すのだが、彼女の手はエレガント、美しくもあれば海賊団『マクダウェル一家』の首領を務めている様な悪行の血に染まっていなかった。ミセスは声を潜めて言葉を続ける。


「ところで、今夜とか……どうだ?」

 そこで彼女も席を立った。それが彼女からのお誘いであるならば、俺は……。


「ミセス、俺と一緒に世界の果てを目指さないか?」

「お前まだそんなこと言ってるのか」

「でなければ、貴方に負い目が出来るだろ? これで俺は貴方に――」


 極一過性で、一夜限りの恋も悪くない。

 彼女からの甘い誘惑に、俺は報いたい。

見縊みくびるな。私は男一人に惑わされたりしない……ただ、お前には気が許せる、体を許せる程度には何かを感じている。それじゃあ駄目か?」


「気のせいか、まるで俺のほうが乙女チックな心情だ」

「よく言われる。私を相手にしているとまるで花摘みされる野菊になった気分だってな」

 一概に理解し辛いが、彼女は海賊の首領なのだ。

 役職に見合うだけの威勢と、迫力はある。


「それがミセスの風格なんだろう。貴方はさすがだな」

「褒めるにはまだ早い。私のセックスはちょっと激しいぞ。今日一晩で、お前をぼろぼろにしてやる」


 自分のことを激しい気性と自負する人。

 そんな彼女から認められ、寝る権利を与えられた。

 彼女はこうやって雄のプライドを立てているだけなのかも知れない。


 どうせなら、――今日はとことん彼女を味わいたい。

 何しろこれは今日で最後。

 これでまた明日から普段通りの接し方で彼女と言葉を交わそう。


 そしたらまた明日は、彼女は俺を誘ってくれるだろうか――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る