そして真相は闇に葬られる――海賊島――

第20話 Apnea1

 どうやら、俺は酷い小心者だったようだ。

 

 たかが、高が電話一本掛けるのに、アルコールに頼る以外思い浮かばなかった。

 冷蔵庫にあったピンビールを拝借はいしゃくして、それを片手にケータイを弄っている。

「――、……さてと」

 アルコール依存症でもないのに、操作する手が震えていた。


 違う、震えているのは俺の心だ。

 酒に酩酊めいていしているのか、それを自覚出来るほどには意識はある。


 彼女に電話する、その事がのどから水分を奪って行く。

 喉の渇きを潤すためにはビールが必要で、如何いかに俺が小さな人間か分かってしまう。

『しもしも?』

 受話器越しから懐かしい声が聴こえて来た。


 昔から聞き馴染みのあったその温かさに、つい目から涙を零してしまう。

 喉元がすぼまり、必然と声がかすれる。

「っもしもし、母さん?」

『おぉエース、元気か?』

 母に便りを入れるのに、俺は躊躇ためらっていた。


 それほどに俺は落ちぶれて、日の光を浴びれないほど人道を踏み外していた。

 だから、彼女にこうして電話するには虚構きょこうを装うしかなかった。

 彼女は母だぜ? 俺は肉親すらだます男に成り下がってしまったのか。


 そんな外道だから、俺は他人から意趣遺恨いしゅいこんを持たれてる。人間のクズだ。

 人を喰い物にして生きている。

 いつからか、他人を獲物にでも向ける眼差しでしか見なくなっていた。

『で、お前が言ってた目標は、夢は叶ったのか?』

「……あぁ、もうちょっとって所だ」


 ついうそぶいて、つい嘆息たんそくして、だけど安心しきって。

 その油断の隙を突かれた。

「――――ッ……」

 重い鈍痛に体が痺れ、母の声は甲板に音を立てて落ち、誰かが俺の下半身を持ちあげて海へ一気に叩き落とす。視線が宙を目まぐるしく舞い、一瞬にして海水に包まれる。

 

 あぶくを伴い、海上へ顔を出したが。

「……つう

 後頭部から嫌な感覚がする。

 激しい痛みと、海面に広がって行く俺の赤い血。


 さっきまで俺を乗せていた巨体が波をつくって体を酷く揺らす。

 もうそこで俺の命運は決まっていた、このまま死ぬのだろう。

「…………」

 元々、死ぬ覚悟はなかったが、俺は生きることを諦めていた。


 海面に仰向けになって、せめて彼女の幸せを天に祈った。

 照り付ける太陽が眩い、そして鳥の影一つすらない晴天。

 なんだか、神が俺に、彼女のことは任せろと言っている様に思える。


 次第に意識も弱まって行き、最期は目に映る光景だけが強く印象付けられた。

 窒息の苦しみすら俺の思い出にはなく、水面で揺れている陽光が神々しく思えた。

 その光の筋が見えなくなるまで瞬きを繰り返し、俺は、深い闇へと沈んでいった。


                ☠ ✗ ☠


『しもしも?』

「母さん、もしもしだろ?」

『おぉエース』


 先程まで暗雲がれ込めていた海域を抜けると、空の間隙から陽光が射し込み、甲板からは神々しくも凶兆めいた光景が一望出来た。俺の母である壬生巴に変わった様子はない。まぁ今は一時の未亡人となっているのか。俺達は今、そんな彼女のために世界の最果てを目指している。


 母の許から旅立ってもう二十年は経っている。が、一向に世界の果ては見えてこない。さっきの男だって、ふとした切っ掛けで母親に連絡を入れた。丁度今の俺みたく、欄干らんかんから身を乗り出して、久方ぶりの母との会話を楽しんでいた。その思い付きが彼を海の藻屑もくずにした原因となった訳だが、ちょっと怖くなった俺は後ろを振り返った。


「チャオ」

 案の定、そこには悪戯好きのルドルが居た。

「母さんの方はどんな感じなんだ?」

『まぁぼちぼちでんな』

 母さんのぼちぼちは平和のいい印だから、俺は胸を撫で下ろした。

『そっちはどんな調子よ? 世界の最果てにはいつ頃辿り着けそうなんだ?』


「不透明、それが判れば苦労はしないしさ」

『頼むぞエース。お前がやるつって、私達の期待を一身に背負って』

 母は今でも父、壬生沖田が好きなようで、何よりも壮健そうけんだ。父を甦らせる方法はこの世の最果てにしかなくて、この船はそんな目的を背負って針路を東西南北と迷走している。


『どうしてだよ、何でそんなリベロみたいに縦横無尽なんだよ。ゴール目指せゴール』

 彼女にそれを伝えれば、俺は思わず失笑してしまう。

「嘘さ、ほんのジョークだろ」

 本当は乗組員の気まぐれな方針からそうなってしまっていた。

 時に衝突し合い、意見をたがえ、しかし船は一つのため会議の模様を海図で表している。


「そんな所かな」

『エース、私は今手を逆さに下ろしたぞ』

「それでも俺達は世界地図に載ってない海域にまでやって来たんだ」

『ふーん』

「……だけど、今はちょっと寄り道することになりそうだ」


「ルドルお姉さんの、デキル女の処世術しょせいじゅつ。もしもし巴ちゃん?」

 するとルドルは俺からケータイを取り上げ、母と談笑だんしょうし出した。

「ルドル、俺の母さんと世間話に興じるくらいなら、自分の母親に電話しろよ」

「――――、あっそう、それ本当か?」

 最早、ルドルに俺の声は届いてないようだ。

 本当に楽しそうに俺の母と会話するからな……。


「おいウンコ」

「何だウェンディ」

 ウェンディも固執こしつしていた砂のお城造りから引き上げ、今ではこの船のかじを取っている。元々稀人まれびとである彼女は寝ること、休息を取ることに意味はなく、二十四時間不眠不休で操船してくれている。その彼女が操舵室そうだしつから抜け出し、甲板に顔を出す意味と言えば多分に厄介ごとの類だろう。


「正体不明の船籍せんせきが接近しとるど」

「ふーん、珍しいな。まぁ慎重にな。大事な船だから、衝突事故なんてもっての外だぞ」

「向こうは一直線にこの船を追ってる針路なんじゃボォケェ」

「……一応警戒しておいてくれ」


 そうそう、さっきの彼の話しをしておこう。

 彼は自分のことを『海賊王』だと自称していた。

 ここら一帯の海域を支配していた海賊団『マクダウェル一家』のかしらだと。

 彼は霊魂れいこんのまま海上を彷徨さまよっていて、俺達と出逢った。

 この船で霊感の強いマオが彼を発見し、海賊王の霊魂を俺の体に降ろした。


 俺は一応聖人という肩書だから、義務として世のため人のため功徳くどくを積むこととある。

 だから俺達は彷徨える海賊王の御霊みたまを救ってやることを選択した。

『――警戒態勢レベル3、各員非常厳戒態勢げんかいたいせいに備えるんじゃドアホォ』


 ウェンディが船内放送を使ってデフコン3を伝える。

 すると――――ッ! 船籍不明の相手からけたたましい銃声が上がった。

「ふにゃっ!? 騒々しいな」

「いいから、状況を把握したなら手伝ってくれよルドル……海賊のお出ましだ」


 海賊は計五艇の高速船、モノハル四艇、カタマラン一艇だ。

 俺とルドルで速やかに圧伏あっぷくしなければならない。

 それと、この船には期待の新戦力が乗船している。

 彼らには船の専守防衛せんしゅぼうえいを任せるとしよう。


 聖人は発砲に対して避け切る必要がない。

 で覆われた厚い防護壁の前には銃弾など無意味。

 俺に当たった銃弾が威力を失くし、薬莢やっきょう楽音がくおんが甲板に鳴り響く。

「無駄な抵抗は止せ――!!」


 訓練で教わった通り、警告は一度のみ。俺の恩師である近藤教官は「警告なんて最初からあってないようなものだと思え」と言っていた。相手は無法地帯のならず者らしく、こちらの警告を意図せず引き続き発砲してくる。


 この場合手加減が難しいのか、と――――――――ッッ!!

 ルドルだと思うが、海賊船の一艇が轟音を響かせ遂には炎上していた。

「だ、だっ、だぁぁ! 誰がブスだぁああああ――――あぁ! アオアオアオー!」

「無駄な抵抗は止せ、あぁはなりたくないだろ?」

 それでも海賊達は攻撃の手を止めなかった。


 向こうは「死なば諸共」と言いたげな強硬姿勢だ。

 ならば骨の一本や二本は覚悟してもらうぞ。

 海賊を一人ずつ脱臼乃至ないしは骨折させて駆逐して行く。

 こいつらにはまた別の用がある。

 捕獲し、ある程度の航行能力は残しておきたいところだ。


「おいおい、随分と乱暴なやり方だなエース」

「常々未熟と自負していたが、俺達はそれをお前のブラフか謙遜けんそんぐらいにしか思ってなかったぞ。何たる情けのない始末なのだろうな」


 一艇を制圧した頃、期待の新戦力ジギルとレオが俺の手際に駄目だしして来た。

 ジギルとレオも聖人で、かく言う俺の姉兄達でもあった。


 海賊の強襲は俺の兄姉達が手っ取り早く終わらせてしまった。

 制圧した海賊に訊いてみると、予想通りマクダウェル一家の末端戦闘員だと言う。

 このまま俺達をアジトまで案内してもらうとしよう。


「ルドルお姉さんの、質問。この世で一番美しい人物は誰ですか?」

 ルドルが召し捕った海賊の一人に先程の報復を済ませていた。


 先程まで夥しい戦闘が繰り広げられた反動で、辺りの景観は一際静寂に包まれる。

 このコバルトブルーの海こそが『海賊の宝石箱』と呼ばれ、海賊達の狩場だった。

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