第18話 魂と命

 その後、意識が戻ったのはある船上でのことだった。

 朦朧もうろうとしていた意識が徐々に正常になって行く。

 

 意識が混濁こんだくとしている最中でも、俺は決して暴れたりなどしなかった。

 何故ならば目の前に居る人物の迫力に、その威勢いせいを殺がれていたからだ。

 目の前にたたずんでいた男の輪郭が、エースだと認識出来るにまで回復した。

「いやぁん、久しぶりん」


 しかし、俺の目の前に居たのはエースではなく荒儀あらぎだと、言葉遣ことばづかいで判明する。

 まだ頭は重く、周りを見渡すと円窓から海が見える。

「なぁ荒儀、お前が居なくなってからもう千年は経つな」


 今までどこに? そしてこれから何を? 俺達は今、どこに向かっている。言葉の羅列られつが浮かんで来ては、荒儀を直視出来ずにいた。俺が訊かずとも、それが荒儀達の目的なのだから、いずれにしろ説明されると思うが。


 気付けば、巴は俺の直ぐ傍で寝息を立てていた。

 巴まで今回の騒動に巻き込まれていたらしい。

 巴がエースの母親であるからか……?


「荒儀、エースって奴を知らないか。背格好も目鼻立ちもお前と瓜二つの」

 荒儀は無言で、人差し指を天に向けていた。

 俺はただ呆然とその事実を、――無情なる現実を傍観ぼうかんしていた。


 巴はまだ寝入っているようだが、起きたら何と言えばいいのか、今は考えている。

「それと一ついいか? お前は、俺の知ってる荒儀あらぎれんでいいのか?」

 俺の知ってる荒儀は滔々とうとうとした濁流だくりゅうのように口数が多い。

 荒儀煉と言う男は今みたく、悄然しょうぜんとした印象は毛ほどもなかった。


 それを荒儀に伝えればこいつは。

「しょうがないだろ、彼女、ブラッディーが俺に指示したんだ、出来るだけその雰囲気を保つようにと。出来れば俺だって彼女の警戒網から逃げて、逃げてさ、ザキやリッター達に会いに行きたいところ、なーん、ですけど。久しぶりだな沖田くん。俺はまだお前から再会の言葉を聞いてないのは気のせいかな?」

 荒儀は口を開けば弁舌が立ち、腕っぷしも聖地で一番、おまけに結構な色欲魔だ。


 荒儀が言う、その雰囲気とは神妙で、日常的なものじゃなく、恐らくいまわのきわ

 誰の? と言えば俺しか居なさそうだ。

「後はまぁご自由に、沖田くんの自由に察してくれたまえ」

「不自由を強いて自由にとは是如何これいかなる矛盾むじゅんであろうか」


 俺達は門松に拉致らちされた。

 容態から察するに、門松に一服盛られたようだ。


                ☠ ✗ ☠


 悠然ゆうぜんとした荒儀が前を行く中、俺は荒儀の背について行けば、狂言誘拐の撮影場所に使われた古びた洋館へと辿り着いた。


「やっはろー、パーパ」

 一瞬、お前は誰だ、と疑ってしまう。ルドルは人間性が変貌へんぼうしてしまっていた。

 俺がルドルの顔を最後見たのは仕事の一環で帰省していた時だったから。

「ねぇ父さん、私はエースを愛してしまったんだよ。私達の仲を許してくれるよね」


 ルドルが、エースを愛してしまった?

 両者ともに本音で語り合えない子供だった。

「まぁそれには、父さんのご協力がちょっと必要なんだけどね」

「そう言うことだ、さぁ壬生沖田、以下の二択から選ぶといい」

 荒儀は先程と打って変わって溌剌はつらつとした声色だった。


 連中が狂言誘拐を企み、要求として俺の身柄を出したのはこのためだった。

 ――ひとつ、壬生沖田が死に、壬生エースの魂が蘇るか。

 ――ひとつ、壬生沖田は逃れ、壬生エースの魂は永遠に闇を彷徨さまようか。

「さぁ、選んでもらおうか」


 荒儀は俺に迫る。

 俺は、愛息子の魂と俺の命を天秤てんびんに掛けられてしまったのだ。


「パーパ、いつも役立たずだった貴方が息子のために死ねるんだ。ならさ、ここは見栄張って、潔く息子のために死ねよお前」

「ルドルお前」

「ん~? 何かな~?」


「はは、ルドルちゃんは沖田くんの子供って感じやね。よう似とると思うわ」

「別に嬉しかないさ」

 門松かどまつが妙にルドルと親しげに接していた。

 門松のことだ、今度はルドルを懐柔かいじゅうしやがったんだろう。


「壬生沖田さんですね、初めまして、私の名前はチュンリーって言います」

「初めまして、私の名前はマオ」

「いつもエースさんにはお世話になってます」

 エースもすみに置けない、ってことなのかな。


 きっとここに居る彼女達はみんな、エースを慕っている。

「初めまして、私の名は鳳凰座小雪。と言いましても、以前も一度お会いしましたね。私のことはお覚えでしょうか」


「……、いいや、全く覚えてません」

 彼女とどこかで会っただろうか?

 女と見れば見境みさかいない俺が、一見にして「お、美人」と思うような人を忘れるのか?

「お父様、実は私もエースさんと……将来を誓い合った仲、と言いましょうか。私達の仲をお許しになられてくださいませんか?」

 この麗人れいじんとエースが? あぁ別に構いません。


「……お前ら、俺に、死ねって言うのかァッッッ!? ハァアアア! ハ、ハァアアアア! ありえないよあり、っえない!! 何このエロゲそれ何てエロゲェエエエエエエ!」


「沖田くん、しばらく会わんうちにすっかりSAN値消え失せとるね。昔の君は結構ハート強かったはずやろ? とりあえず落ち着こう沖田くん」

「門松ぅぅ~!」


御託ごたくはいいからさ、あんたも今年でもう幾つになるよ? もう思い残すことなんてないだろが、え?」

 どうして今のルドルは俺への風当たりが冷たいんだろう、門松のせいだな。


「お父様、何卒なにとぞご慈悲を。エースくんを救ってやってください」

 小雪さんは俺に嘆願たんがん申し出る。

「お前らは大いにたぶらかされている! おかしいよ! その二者択一はおかしいだろ!」

「それはしょうがありません。そもそも彼女達に抗う術はないのですから」

 今まで置物と化していた白髪の少女が、うやうやしくも無情なことを言う。


「とにかく、一度帰らせて貰う。俺の命はもう、俺一人だけのものじゃないんでな」

「はは、そら君の盛大な詭弁きべんやね。あかんよ」

 かつて、門松がここまで強硬だったのは聖地を侵攻して来た時以来だな。

 視界の端ではエースの肉体を乗っ取った荒儀が、マオと口付けを交わしていた。


「あ、そうそう。それと沖田くん、改めてありがとう。やっぱ沖田くんを支持しといて良かったわ。この世界は僕にとって最高や。これも何もかも沖田くんのおかげ、かも知れんからね」

 すっかり向こうのペースに乗せられている、これはマズイぞ。

「巴ちゃん、君が選ぶならどっちにするの?」

「ん? ふむす、そうだなぁ……バッキャロ、選べるはずがねえって」


 この極限とも取れる状況を、俺は過去に経験したことがあったはずだ。

 恐らく、これが本当に最後だろう。

 これを乗り切れば俺の人生は生涯安泰あんたいする。

 でも、ちょっと寂しくもあるけどな。


 かつて、俺は朧町から迎えられ、朧町から愛され、また俺も朧町を愛した。朧町は俺達に様々な試練を与えて、それが彼女なりの愛情表現なのだと気付いたのは、ブラッディーにこの世を支配されてからだった。

 その頃、俺は朧町の新たなメンバーに荒儀を迎え入れたから、荒儀に心酔しているブラッディーの逆鱗に触れてしまったのだ。


 失った子供は何もエースに限ったことじゃない、戦争で亡くなった子もいた。

「おかわりいります?」

「いやこれで結構だよ、年をとってすっかり少食になったから」

「ご馳走様でした。いやー先輩、豪華な最期の晩餐ばんさんだったな」

 俺と巴はこの孤島でコック担当のマオの手料理を、最期の晩餐として頂いている。

「誰がユダか当ててやろうか? それはお前だよ巴!」

「裏切ってもいいんだぞ! 口に気を付けろやっ」


「ははは、君らの夫婦漫才も相変わらずやね、無限に続くわぁ~」

 一番不気味なのが門松だ。以前にはなかった妙な迫力がある。

「とりあえず判断は早急にな」

 荒儀が俺のかんさわるように急かして来た。

「でないとまた開戦しちゃうだけだな。君の判断にまた大勢の命が懸かってるんだよ、ぬふふ、ぬは、あっはっはっは!」


 戦争にはいい思い出がなかった。

 戦時下の飢餓きがを経験した訳ではないが、直接的な被害をこうむった訳でもないが。

 子を、一人二人と失ってしまったから。


 その後俺と巴は個室に移され、返答期限は明日か明後日でいいと曖昧あいまいにごされた。

 この侘しく物も満足にないような場所では、自然と瞑想めいそうに費やす時間も多くなる。


 エースや他の皆がそうして来たように、俺もまた。

「…………、ふ、ふふふ、はは。そーら、高い高いの次は、低い低いだー。はは。これっくらいの、えぇっすっの、おっちんぽこっ」

「正気になれ!」

 巴は即座に俺を我に返すが、これは俺の経験に則ったやり方なんだよ。


「先輩、私はちょつと、エースの嫁候補とコミュ取って来るな」

「それが妥当だな、分かった」

 巴は積極的に動く、昔からそうだった。


 巴が立ち去った後、俺は部屋で独り瞑想に戻った。

 こんな状況だからか、感触の悪い思い出ばかりが蘇る。

 

 ロロ――ネロとの間に設けた子供が戦死した時の、ネロの気の乱れようを思い出す。

 そうか、俺はまた過ちを犯したんだ。

 あの時、戦争に子供を行かせてしまったこと、今回もそうだった。

 エースを無茶な冒険に行かせなければ、もう誰も失うことはなかったのに。


 目が覚めたら、太陽があおかった。

 空は琥珀色こはくいろに染まっていて、海は黒い。

 そこには英雄の姿もった。

「意外と来るの早かったな」


「……エースは?」

「ブラッディーは俺には比較的素直だ。今頃現世にでも居るんだろうな」

 そうか、俺は死に、エースは蘇った。


 ここは、あの世か。

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