第15話 あの世

 夕日が水平線に沈む頃、環さんは野外キャンプの準備を始める。

「環さん、寝泊りする場所だったら」

「あぁごめん、俺こうしてないと落ち着かないんだ」

 その日、俺は彼とばかり会話を交わし、独り愉悦ゆえつを味わっていた。


 環さんは生来から定住地がなく、ずっと野宿する生活だったと聞かされる。

「環さん、もしも同情されたらどうします?」

「そうだなぁ、同情されたら……それだけで嬉しいかな、人の優しさに触れた気がして」

 悲しすぎるっ。

 同情されただけで人の優しさに触れた気がするだなんて、悲しすぎるだろ。


 もしも、逸話として語られる彼にまつわる童話が本当だとすれば、彼はどれほどの悲しみを乗り越えた。盗賊団と争ったりと、魔人と契約したりと。だが世間からしたら興醒きょうざめなのだろう、最後は決まってリンリン無双なのだ。


「あ、でも見てくれよ」

 環さんは寝そべりながら星空を指差す。

「ここって聖地のすぐそばだ」

「な、え、あ……本当ですね」


 何と言うことだ。


 環さんの指摘でようやく俺も気付いたが、島の座標が聖地の近海にあることを星の位置から知れた。

 どのくらいの距離かと言うと、恐らく聖人の遠泳で踏破とうは出来る。

「止した方がいいど、したらたちまちお前は海のウンコになるど」

「心を読むな」


 ウェンディの台詞を翻訳ほんやくすると、「無茶な真似をすれば海の藻屑になる」と言いたいのだろう。尤もだ。こんな解決策で済ますような性格じゃないだろうあの女は、ブラッディーは。

 だけど、どうしよう。


 環さんは「時が来ればきっとここから脱出できるよ、おやすみ」と言い寝てしまった。彼とはもっと色んなことを話したいのに。人は又とないチャンスの時、そわそわするものなんだな。


「……――は」

「おう、どうしたウンコ、血相変えて」

「上手くいけば、環さんの旅に同行出来る」

「然様で御座いますか」

「ウェンディ、お前は策士か?」

「チッチッチ、ウンコじゃよ」

 俺もウンコで彼女もウンコで、って考えるだけ無駄か。


「俺の、一番の自慢は……親のコネだ」

 母さんと父さんのコネクションは強力で、俺に幸運をもたらすパワーストーン、成功例のポーズ。環さんが聖地に帰る理由は両親と落ち合うためだ。中には沖田教の教主、門松も居るし、千年に一度しかない機会なのだろう。


「その輪の中に入って、両親に帰省きせいの挨拶をしがてら、裏で母さんに頼み込んでちょっと融通ゆうずうを利かせてもらう。よっしこれだ」

「よく恥ずかしげもなくそのような見っとも無い方法を最有力候補に挙げますね」

「言っただろ、俺の一番強力な力なんだよ」

「でしたら、貴方の所信表明を振り返ってみてはいかがですか」

 ウェンディは俺に過去を振り返れと言い、言われるがまま星空を見上げ回想している。


「壬生巴も不甲斐ない貴方の身を案じるのでは? 今度はきっと止められますよ。それこそ、千年に一度の機会ですから」

 俺は母さんに別れを告げた。

 母さんに見送られ、出立する時、眦から零れる涙をゴーグルで誤魔化した。

 必ず帰るとも言った、絶対夢を叶えるとも言った、だが今生の別れだった。

「お前はウンコじゃ」


 ウェンディは二十四時間、不眠不休でずっと砂のお城を造っている。

 ブラッディーに力を奪われたと言えど、その行為は尋常の沙汰さたではない。

「稀人がさ、人を頭から丸のみにするって言う噂の真相は?」

「稀人には生きる意味がないのです、そうでもしなければ生きる意味がない」

 ――その中でも、ブラッディーは敵無しです。


 それが英雄でもなければ、平和への叛逆者はんぎゃくしゃブラッディーに太刀打ちできる存在はこの世にいない。この果てしない世界の何処にも。この世界の――最果て以外に、希望は残されてない。

 問題としては、俺はこの瞬間から、みんなの所に帰るに帰れなくなってしまったことだ。


 そこが、あの世と呼ばれている場所でなければ、まだ抗っていた。

 黒い潮騒が、白い輪郭線で描かれていて、やっと流動していることが分かる。

 もしも夜であれば、この世界には黒しか存在し得ない。


 生の終局点。


 俺はある女の姦計かんけいによって、あの世へと誘われた。

「――」

 目の先ではブラッディーがドレスのすそをたくし上げて頭を垂れている。

 彼女と出逢った時、俺はこうなる確かな予感がしていたはずだ。

 未熟な俺は、彼女に命乞いでもするしか助かる方法はなくて。


 だがそこには彼女の非情な性格を鑑みてなかった、未熟な推察だった。

 ならば俺は、負け犬として相応しく、彼女に吼えることぐらいしよう。

「してやられたよ、お前の甘言にまんまと騙された」

 攻撃的に指で差し、彼女の心を揺り動かそうとして、俺は彼女を糾弾している。


「人間とは斯様かよう脆弱ぜいじゃくで、本当に陳腐なものです」

 絶海の孤島で迎えた最初の晩、彼女は俺にこう言った。

 俺のために、世界の最果てに『あるもの』を残しておいたと。


 俺はそれを聞いて、自分がして来たことにやっと意味を持たせられると、価値を見出した。だから俺は彼女を受け入れてしまった。大勢の祖先を葬って来た彼女を許容してしまったんだ。


「聞いて下さい、貴方をこのままで終わらせるつもりはない」

「なら俺はこの先どうなるって言うんだ」


 俺は死んでしまったみたいだ。

 だが、誰かが世界の最果てに辿り着けば――死者を甦らせる唯一の方法がある。

 彼女は俺に、そう言ったんだ。



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