第13話 花鳥風月

「ルドルお姉さんの、お早う……つってな」

つう

 先程までの光景を、夢で終わらせてくれたルドルに感謝を。

 だが俺はちょっとした絶望を味わっていた。


 絶望級に、頭が痛ぇ。飲み過ぎた。


 周期的に訪れる頭痛の波に耐えながら、中央階段の手すりを滑って一階に降り立つ。これは暗に俺の虚勢だ。昨夜の小雪さんとの睦言むつごと、その翌日に限って頭痛に押し潰されるヘタレには映って欲しくなかった。


「おうウンコ、顔がどどめ色しとっど、まるでウンコじゃ」

 それでも今日ばかりは安静にしていよう。

 ウェンディには「顔からウンコが出る病気だ」とうそぶいた。

「――顔から、ウンコが出る病気じゃと?」

 ウェンディの顔には意味不明な集中線が入った。


「昨日痛飲したアルコールが抜けてくれないらしい、頭痛が酷いんだよ」

「ふむふむ、したらルドルにお任せあれ。酔い覚ましのツボ知ってるから」

 居間には朝食を求めてこの孤島にいるメンバー全員が集っていた。


 少なくとも、小雪さんの表情はケロンとしている。まさか自分だけは抑えて、俺にだけ鯨飲げいいんさせて昨日のムードを作為的に演出したのか? それは何たる策士っぷりだろうか。

「ふぉ~、あたー」

 ルドルが俺の背後の頭、首、肩、背中から腰元にかけてツボを突いてくれる。

「あ、治った」


「でしょでしょ、んふふふ……マッジッで!?」

 小雪さんに視線をやると、テラスから降りしきる雨を漠然ばくぜんと視界に捉えていた。

 昨夜、俺は彼女と二人きりの時間を過ごした。

 昨夜の小雪さんは久しぶりに傲然屹立ごうぜんきつりつとした彼女に戻っていた。

 だが、今日の小雪さんはいつもの御淑おしとやかな彼女に戻っていた。


 その彼女が昨夜はあぁも乱れた。

 それが、俺が彼女を求める理由なのかも知れないな……。

 今日もお酒に悪酔いしていることだし、お湯に打たれて酒気を飛ばそう。


(部屋に誰か入って来た)

 シャワーを浴びている最中、俺の五感が部屋に侵入した誰かの気配を感じ取る。

 恐らく昨日の誰かさんだろうと推察しているが、その正体は人ではなかった。

「違う、鳥だ」


 俺の部屋を訪問したのはある一羽のペリカンだった。

「お前もこの孤島に迷い込んだのか? これはようこそ、お越しくださいました」

 この奇妙な来客を、俺はどうしたらいいものか。

 だけどこれで、俺の夢の一つが叶った。

 旅の道中で、鳥獣と共にすることもあるだろうと胸を期待に膨らませていたのだ。


「うわっ、どうしたのそいつ」

 ペリカンを皆の下へ持って行くと、マオがビックリしていた。

「可愛いです」

 チュンリーがそのペリカンを撫でようと近づく、ペリカンって獰猛どうもうだったかな?


「よく分からないけど、俺の部屋に居たんだよ」

「かぁー、眼福眼福、ペリカンと美少女、微笑ましいねぇ。赤ワイン越しに眺めてみたりみなかったり、くぅ~!」

 ルドルが眼福に預かっている光景、これがペリカンでなければ然して珍しい光景でもなかった。元来、人と動物は共生して生きて行くものだから。よく動物は人里に巣を作るし。


「……」

 小雪さんはそんな彼に戸惑い、どうしたらいいのか分からないようだ。

「ごめんなさい、私動物とか結構苦手かも」

「ふーん、意外ですね」

「そう? 人間は慣れたものだけど、動物と触れ合うことは少なかったから」


「ペリカンって何を食うんだっけ?」

 ルドルが素朴な疑問を口にする。

 このままここで彼を養って行くとして、彼が口にしていいものって何だろうな。

「マオ、この子に何か出してやってくれないか? 魚だったり、何かないか?」

「えぇ、しょうがないなっ」


「おやおや、マオちゃんがデレたねぇ。エースの女殺しぃ、んっふふふふ、っあん、き、気持ちいい、エースの女殺しプゥワーが、わ、私を滅茶苦茶にぃぃぃ~」

 ルドルの奇行はどうでもいいが、こうしてこの島に新しい仲間が増えた。


 ――チリンチリン。

「チュンリー、その鈴あげちゃうの?」

「これで、この子がどこに居ても分かるから」

「でもその鈴は形見だって」

 チュンリーが親から貰った鈴のアンクレットを彼の首元に付けてやっていた。


「っあー、その鈴うっさいんだよな。ずっとイライラしてたんだよ」

 ルドルは特にチュンリーを苛める。

 最早ルドルに聖人としての資格、誇りはない。

「止しなさい。放っておけばそのペリカンだってどこかへ飛び立って行きますよ」

 小雪さんが言うように、ペリカンは渡り鳥だ。

 彼には空へ羽ばたく翼がある。


「…………」

「駄目だよお前ら、チュンリーが決めたことなんだから、尊重してやって欲しい」

 マオはチュンリーを擁護ようごする。チュンリーは彼への施しを良かれと思ってやっているのだから。もしもチュンリーが聖人であれば、俺の同朋であればこうも憐憫れんびんすることはなかった。


「ふぅ、ねぇ君。君はどこからやって来たの……?」

 小雪さんは今日もまたため息を吐いていた。彼女のそんな憂いもまたいいと思えてしまう。俺が知らない以前の、女帝としての小雪さんよりも、今の小雪さんの方が断然いい。


「名前とか、必要じゃありませんか?」

 チュンリーは瞳を輝かせていた。

「ドロップくん、なんて言うのはどうですか?」

「小雪さんのイジワル」

「?」

 きっとチュンリーが名付けたかったのだろう、だが小雪さん命名、今日から彼の名はドロップくんだ。


「ドロップ、彼は幸運を運ぶ鳥、きっと私達にも幸運を落としてくれるから」

 花は綻びほころび、鳥は舞い込み、風は砂の城をさらって行き、月は、島を照らしていた。


 夜になると雨も上がり、木々のこずえに雨雫が垂れている。

 雨上がりの夜の浜辺は悄然しょうぜんとして、耳朶じだに触れるのは波の音だけだ。

 この孤島の中で一番矮躯わいくのウェンディが、屈んでは体躯をさらに小さくしていた。

「何か用かウンコ?」


「ウェンディ、お前ってずっとそうしてるけど」

 ――だけど、それに何の意味がある。

 彼女を自然的に試しているのか、彼女の日常的な所作、信念に疑問を投げ掛けた。


「阿呆ぅ、これは私の執念じゃボォケェ……ブラッディー、彼女がいつか私を認めてくれるその日まで、私はただ一つのことを繰り返す」

 稀人としての能力を奪われた彼女の細腕は非力そのものだ。

「彼女の愛はウンコじゃあほぉ」


「あぁ、ブラッディーの愛はウンコだな」

「無理に合わせる必要はない」

 ウェンディはいつからそうやっていたのだろう。そう考えると、彼女が費やした時間の分だけ尊敬の念が膨らんでは、その念は俺の妄想に新たな夢を萌芽ほうがさせるための受粉となっている感じだ。

 

 空を見上げれば、幻想的にも星々が瞬いている。ウェンディはあの星達に願ったりしないのか。俺には砂でお城を造る行為よりもご利益がありそうに思えるのだが。だからと言って俺が彼女ために祈ったりすることもない。一心不乱な彼女を憐れに思うのは、彼女を憐れな存在に脚色する意外の意味はないと思ったまでだ。


 ウェンディの掌には砂粒が付いていた。その光景は砂の一粒が燦爛さんらんと輝く星一つに劣らないぐらい、彼女の願いを満たす御神体に昇華されて行く奇跡的な……光景だったんだろう。

 俺は健気な彼女の姿と、彼女の母親の物腰を推し量って「ウェンディのメッセージは必ずブラッディーに届く、応えてくれる」と彼女の背中を押した。無責任なまでに、我儘わがままなまでに。


 そして俺はウェンディに「もう行くな、おやすみ」と言い残し、館へ帰った。

「あ、エースぅ~、どこ行ってたの?」

「今晩は、また一杯どうです?」

 自室に帰ると、ルドルと小雪さんの二人がまた酒盛りしていた。

「ちょっと外ぶらついて、景色を楽しんで来たんだよ」


「ふーん。沖田教って言うのはさ、人間社会も自然の一部と捉えているんだよ。小雪のような裏切り、陰謀策謀、そして戦争の代名詞、虐殺。それら全て自然の一部だと見做みなしているんだ。沖田教は浮世の人間だから」

 沖田教が掲げる啓蒙けいもう思想をルドルから教わる。

 小雪さんは白ワインを口に運びながら、その話しに耳を傾けていた。


「素敵だねぇ、人間社会っていう情緒溢じょうちょあふれる風景が。それを肴に一杯やろうよエース」

「……私は、家から捨てられた身だからね。エースくんもそうだったわね」

「えぇまぁ」

 俺達は共通認識を持たないと生きて行けない。

 この絶海の孤島では、個の持つ強さなど大自然を前にすれば余りにもちっぽけだ。

 そんな空しい悟りをする前に、こうやって酒盛りでもしていた方が有意義だろう。


「カンパイ」

「――乾杯、エースくんも」

 乾杯の音は万雷ばんらいの拍手にだって匹敵するさ。

「んふ、んふふふふぅっ、エースの黒歴史」

 ルドルは俺の語り部を失笑するが、小雪さんは違った。


「君のロマンティズムは私達を勇気付けてくれる」

「んふふふふふ、はいはい」

 ルドルは一旦その話しを水に流そうとしていたが、先手を打ったのは小雪さんだった。

「ねぇルドル、今日もまたお節介焼いてくれないの?」

「えぇ? さては溜まってるな小雪」


 ルドルは一度逸らした視線を再度小雪さんに向けて僅かに身をすくませる。

「貴方のその下品な感服はいいから」

「はぁ、分かった。私はお姉さん、老婆心から若い二人を祝福してあげよう。はぁ、はぁ、今日この後でこいつら滅茶苦茶セックスした! おやすみ」

 小雪さんがまた俺と二人きりになりたがっている。


 女性が、男性とその様な機会を持ちたい時は、好意の表れだと受け取るには容易かった。

「小雪さん、また昨夜みたく誰かに威張いばりたいってことですか?」

「いいえ、今日は別の話しでもしようかな」

 彼女はまず、俺との共通認識を増やそうとする。


 そうやって俺達は慈愛精神で支え合って行く、この孤高とした侘しい小さな島で。

 だけど、そんなの関係ないさ。

「あ……」

 俺は彼女をその場に押し倒した。

 俺と小雪さんはまた重なり合い、自然に溶け込んだ。



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