第10話 ビッグラブ

 ルドルは昼間から赤ワインに耽溺たんできし、いささか「酒臭い」と伝えると。

「しゃーない、シャワーでも浴びて来ますかね。なぁエース、ルドルと一緒にお風呂に入る?」


 彼女はその台詞を割と本気な口調で言っていたと思える。

 冗談なのか本気なのかは聞き手の解釈かいしゃく次第だった。


 ルドルは義姉と言えど、美しい女だった。向こうも俺を義弟として意識してないだろう。一緒にお風呂に入れば彼女の裸体に欲情し、手で股間を隠す痴態ちたいを曝す羽目になりそうだ。


 その晩、俺は自室でうとうとと微睡まどろんでいた。

 そろそろ寝る時間、だと言うのに俺は彼女を、ブラッディーを待っていた。

 彼女に訊きたいことはまだあって。

 彼女はこの世界の全ての真相を掌握しょうあくしている、その昔父が言っていたのだ。


「エース? ルドルだけど入ってもいいかな? と言いつつ入っちゃうよ」

「今晩は、今日は残念な結果のようでしたけど、気を落とさないでください」

 来訪したのはルドルと小雪さん、二人の麗人だった。

 彼女達の手にはしっかりと赤と白のワインが握られている。

「まぁまぁ乾杯、乾杯しちゃったら飲むしかないな」


 ルドルが積極的に俺のために用意されたグラスに赤ワインを注ぐ。

 ルドルは俺の先輩だし、身分も俺より格上であると断言出来そうなものだ。

「ルドルだったらヌシを獲れるか?」

「私はあくまでヌシを愛護あいごする立場を崩さないぞ」

 動物愛護者だと言うのなら人も同じく愛護してやるべきで、それが聖人の義務だ。


 その想起で、俺はあの娘のことが気に掛かってしまった。

「エースくん、どこへ?」

「ちょっとチュンリーの様子でも見て来ます」

 チュンリーの名前を出すと、小雪さんは瞬きまたたきをしてワイングラスに薄紅色の唇を当てていた。


夜這よばいする気だな、気を付けろエース。チュンリーは本当に股開くぞ」

 ルドルは扇情せんじょうするだけに留まった。

 同情は禁物だ、それが聖人の鉄則、だが彼女は本当に――あわれだよ。


 ――コンコン……コンコンコン。チュンリーの部屋の扉を数回ノックし、返事がなかったのでそのまま入ると、彼女はベッドで寝息を立てていた。耳にイヤホンを付け、音楽を子守歌にしながら穏やかに眠っている。もうこの音楽プレイヤーは彼女にあげてしまうべきだ。なんて幸福の王子の精神に基づいた慈悲を与えて、果たしてそれで何になる? 聖人詐欺だ。


 そして再び自室に戻り、酒盛りの席に紛れ話しを未来形で切り出してみる。

「二人はもしもこの島から脱出出来たらどうします?」

「ルドルはエースについて行く、どこまでもどこまでも。小雪は?」

 小雪さんは漠然ばくぜんとした様子だった、彼女には帰れる家がある。

 だけど、他の四人には帰れる場所がない。


「私だけ、逃げるわけにもいかないわよね……」

「いえ、俺は束縛したくないんで。無理に協調する必要はないですよ」

「いえ、いいのです。その時は私もついて行こうかな」

 結束力なんて、詭弁きべんを掲げれば強制力だ。


 俺は彼女達に分の悪い選択肢を提示している。

 そう思い、ワインを口に含んだ。

「今はさ、本当に、先の話しは置いておこう。それよりも今はエースが私達に発情するのが先決だ」


 口に含んだ赤ワインには渋みがあって、味覚がルドルの直情的な誘惑をより一層き立たせる。

 彼女の甘言かんげんはとても蠱惑的こわくてきだ。


「エースくんの本命は? 教えてくれる?」

 小雪さんもその話題には乗り気だった。


「……、マオ、なんかいいですよね」

「マオちゃんをごっ指名~、うつだ死のう」

「どうして彼女が本命なのです?」

 マオのポロリがまだ鮮明だ、髪の丈も短く、しなやかな体躯たいくにそそられる。

 俺は聖人としても、人間としても未熟でまだ青い。


 女体になびくなんてその証左しょうさだ。

「単なる劣情れつじょうですよ」

 それでいてマオは俺に虚勢きょせいでも張っているかのように強気だ。

 献身的けんしんてきな面も見受けられる、マオはみんなのために炊事を引き受けている。


「あれあれあれ? おかしいな、ルドルお姉さんも純情少年に劣情持たれるナイスバディのはずなんだけどな? ルドル、ベッドの中だとすごいんだよ」

 ルドルはそう言いつつ、背を向けて髪をたくし上げ、うなじから肩甲骨まで露出させる。この島の女性に共通点があるとすれば、肌が綺麗なことだ。ウェンディの肌が最も純白で、透明感がある。


 彼女達はこうまでして、愛欲に飢えているのだろうか。

「よく男の三禁は女と酒とギャンブルと言われるが、聖人の三禁ってなんだろうな。ルドルが知ってるんだろ?」

「聖人の三禁? 情と金とドラッグだよ」

「なぁ、ルドルはどうして沖田教に? 壬生沖田の子供なら最も警戒するような組織じゃないか」


「うーん、門松の口にほだされちゃってな。しつこい勧誘にうんざりしてしまったとか、これは壬生沖田マイダディへの復讐なのだとか、ってな所かな」


 風祭かざまつり門松かどまつ――沖田教の教主、父の悪友、聖地のブラックリスト。


「門松とどんな接点があるんだ?」

「……知りたい?」

 ルドルは小首を傾げた後、濃厚な深緋こきひのワインを飲み干した。

 そしておかわりをグラスに注いでいる。

「それが聞きたいのなら、エースにちょっとお願いしちゃおうかな~」


「基本は知りたい、だが安易に話しに乗りたくはない」

「何だよっ。内容が内容だけに、大人の話しがしたいだけなんだけどな~、内容が内容だけに」


「私もう寝るわね。お休みなさい」

 小雪さんはそう言い、速やかに退席してしまった。

 まさか、拙いなりに空気を読んだとか、そんな訳じゃありませんよね?


「じゃあエース、どうしよっか? ルドルはこのままベッドインきぼう」

 俺は憮然ぶぜんとしていたというわけではない。

 もう引き返せない程、純情を踏みにじられ憤懣ふんまんとしていた、というわけでもなかった。


 ここから五〇〇メートルと離れてない海から、潮騒の音が聴こえてくる。

 俺の右手は彼女の頬に添えられていた、思ったよりも熱い。

 何も、異性に飢えているのは彼女達ばかりではなく……俺もそうだった。


「……エース、好きって……言って」

 波の音が冴え渡り、静けさに包まれた洋館にひろがって行く。

 この洋館も、この部屋も、俺と彼女も景色の一部に呑まれている。

 俺と彼女の影が重なって。

 俺は彼女に何事か伝えただろう。

 たぶん、彼女への気持ちを、――好意を。




「私はスパイだったんだよ、潜入先は沖田教だ」

 昨晩、ルドルはありのままの経緯を話してくれた。


 ルドルは聖衛官せいえいかん警邏隊けいらたいの出身で、当時連続して起こっていた聖人狩りの検挙を目的としていた。聖人狩りを実行してるのは沖田教だ。だから新人で顔の売れてないルドルは沖田教に潜入した。

 ――そこで彼女は失態を犯した。


「気付かれてたんだよ、私が聖地のスパイだってことに。それで気付けば私は二重スパイ状態になっていた。いいように利用されてな」

 ルドルから提供された情報を基に沖田教は摘発てきはつから逃れる。

 それはスパイとしてのルドルの売名行為だった。

 沖田教からの信頼を勝ち取り、組織の深部へと関わって行く。


 ルドルは最終的に沖田教の教主、風祭門松の所在を突き止め、聖地は強襲作戦を決行。ルドルはその作戦を手引きして、門松を追い詰めたらこの島に一緒に漂流していた。


 問題なのは、風祭門松の姿がこの島には見受けられないことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る