第8話 ヌシの正体

「……なんか俺って、英雄の生まれ変わりみたいだな」

 翌朝にはブラッディーは去って、俺は居間にいる皆の前でこう口にした。

 二十年余り生きてきた人生で、一番自慢できる高徳だ。

 すると、何気に惹かれ始め、視界の端に捉えていたマオが俺を凝視していた。

「あんたはれんじゃないね」

 今は彼女の自信と俺の自信がせめぎ合っている、どちらかが欺瞞ぎまんだ。


「ルドルお姉さんの天気予報、今日は生憎の悪天候でしょう~、オゥノォ~」

 だからそれはこの曇天どんてんを見れば分かり切っている。


「まぁ俺は英雄じゃない了解。でも根拠は?」

 マオはそれきり、何ら論破して来なかった。天候は雨だと言うのに、ウェンディの姿がないのを見るに、またやってるのか? チュンリーは俺の音楽プレイヤーで退屈を凌いでいた。あれはこのまま彼女にあげてやってもいいと思える。だがそれは聖人詐欺だ。


「ルドルお姉さんの、透けーっる、セルフシースル~。やいやいルドル、それって意味不明だぞ、自虐か、自虐なのか。ノンノン、これはルドルお姉さんの高等なテクニック」

 ルドルは面積の少ないTシャツでテラスから外に繰り出し雨に打たれていた。

 それで髪も服も濡らし、マオに軽く怒られる。

 カビるだとか、家が汚れるだとか。


 目測推定九〇の大台に乗ったルドルの胸、そのっパイが透けてブラジャーの刺繍ししゅうが浮き彫りになっている。俺の恰幅も一八五センチと立派だし、とても壬生沖田の子供とは思えないこの掛け離れたDNA配合の神秘。

 チュンリーは俺の心を汲んだようで、目で「こいつ、単なる胸フェチだったか、哀れ」と哀れんでいた。


「それでエース、昨日の話し、あれから結論出たのか?」

 ルドルは扇情的せんじょうてきな恰好のまま、俺に昨日の続きを聞いて来る。

 ここに居る彼女達を素直に帰すことに、何か弊害へいがいがあったか?

 帰れるようになったら自分の足で帰ってもらいたい。

 もしくは、自分の意志で俺について来るかだ。


「私はついて行ってやっても、構いませんが何か? まぁその分きっちりと労わってもらおうかな、っは。何か?」

 ルドルはこうも尊大そんだいだが、こいつは逆に足を引っ張らない。こいつは聖人としての実力があるから信頼出来る。個人差はあるものの、聖人は航空機と同速度で飛行出来る。


 ルドルに肯定的な意見を唱えると、マオがある情報をくれた。

「煉は瞬間移動ができるって話しだけどね」

 それで思い出したのが、聖地の悪魔と名高い近藤教官の口癖だった。

 近藤教官は訓練の時によく「サ○ヤ人を見習え!」と喝破かっぱする。

「マオは彼のことを知ってる素振りだな、どこで知り合ったんだ?」

「……言いたくない」


「マオちゃんは貧困を理由に両親から売り払われちゃったの、表向きは人材派遣会社だけど、そこは変態さんを顧客こきゃくにした愛玩専門店でな。チュンリーとはたまたまそこで出逢った」

 マオの素性はルドルが横やりして語り出した。

 もしもそれが事実ならば、聖地が介入する。

 現時点でまだそんな暗躍があったのか。


「それでな? チュンリーがある日、逆上して」

「チュンリーのは正当防衛だし、その会社は沖田教が母体になってる」

「嘘吐くなよマオ、ルドルには何でもお見通しだぞ」

 俺はルドルの発言からある一つの推測に至った。


「ルドル、お前まさか心眼しんがんが使えるんじゃないのか?」

 心眼とは、聖人に伝わる技だ。聖人の中でも特殊な役職に就いて初めて体得するとされる、何かと曰く付きの聖人の切り札だ。諸刃の剣となるから特別な人間にしか伝授されない。


「よしよし、分かった分かった、一つ懺悔ざんげ代わりに私から告白しよう……。私は聖地の悪魔、壬生近藤の妹なのですだ! キリ、小悪魔のドヤ顔」

 心眼は対象の過去の記憶を覗くという技だ。ルドルが近藤教官の妹という点は置いておき、心眼は主に聖人の警察機関が使用する。聖人の中でも聖人を取り締まる生え抜きの魔窟だ。

 その機関は他にも消防なんかと合併して聖衛官せいえいかんと呼ばれる。


 聖人の中でも数少ない、言わばエリート集団だ。

「ルドルは聖衛官だったのか?」

「まぁね、調べればすぐに分かることだしな」


 聖衛官は希望して、様々な関門を合格した後、欠員が出るまでずっと輩出されない。これは聖地の原始的なルールだ。父は例外だが、聖地に住む大体がそのルールに準じている。


 そして聖人は聖地で出生した新生児のみに限られる。

 外部から許諾することはまずない。

 聖衛官の職務は熾烈しれつを極めると言われているが、夢の職業だ。

 聖地で唯一の安泰職と言い換えてもいい。


「ルドルお姉さん、その中でも特殊な配置でさ。もうすっかり欠員枠」

「初耳なんだけどねルドル」

「知ーられたくなかった~」

 ルドルの素性は今まで隠されていたらしい。

 七十年もここに居る小雪さんも初耳とのことだ。


 聖人は一般人よりも責務が重いとされ、どんな刑罰でも結構重たい。

 だから、聖人って言うのは恵まれたものじゃない。


「……?」

 チュンリーの瞳はどこかぼんやりとしていた。

「駄目よ、ダメダメぇ、チュンリーは今の話しに理解が追い付いてないから」

 だがチュンリーの目は「おごるな小僧」と言っている。


「近藤教官の妹?」

「その話しは後、ウェンディ呼んで来て」

 話しが徐々に煮詰まって来たというのに、ルドルは俺を小間使いだとでも思っている。俺が彼女の弟であること、俺が彼女の後輩であること、以上の理由から雑事を押し付けられる。


 今日の天気は本当に崩れている、俺が外に一歩出た時――――! 轟音ごうおんを吐きながら雷が付近の海上に落ちたらしい。見上げれば暗雲が天を覆い尽くし、顔には大粒の激しいスコールが降り注いでいた。


「ウンコじゃああああああ!」

 ウェンディは砂浜で雷雲に向かって吼えていた。

 彼女にとって雷雲すらも実像をつくり、莫大な静電気をウンコにしてしまう。

「あ、あぁ……はぁ、はぁ……あぁあ!」

 海上で発達したスーパーセルは空を覆い、紫電が雲の間隙を走っている。

 ウェンディが吼える瞬間は、落雷などではなかった。


「み、見てろ、見てろよウンコ、来るど」

 何でもアイツはここら一帯のヌシ。

 一瞬括目かつもくしてしまう魚影が、巨躯の怪物が飛沫しぶきを上げ、海上に躍り出る。

「ウンコじゃああああああ!」

 そのヌシの正体はウンコ。

 俺はウェンディの華奢きゃしゃな肩に手を置いて「いい加減にしてくれないか」と諭した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る