第5話 閑話

 翌朝、聖人の起床時間は平均して午前五時と早い。

 十二年にわたる義務教育の受難が、聖人の人生観を統制するのだ。


 にしても、今俺は二日酔いによる頭痛を恨めしく思っている。俺の体質、俺の実績、人生負け越してる上で今朝も酒に負けたという事実は自尊心に新たな傷跡が付いた。館に備えてあった石鹸で洗顔し、酒気を薄めるために水を、とにかく体内に水分をりこんだ。


 その後、足枷あしかせでも付けたかのように重い足取りで砂浜へと向かった。砂浜から見える群青の水平線に、暁の明かりが溶け込んでいる。その光景の中に「ウンコじゃ、ウンコじゃ」と呟きながら砂のお城を造っている少女がいた。


「……ブラッディーの娘らしいな」

 昨夜、ブラッディーからウェンディは私の娘だと世間話程度に聞かされた。

「そうです、ブラッディーは稀人まれびとの起源です、この世に存在する稀人の全てが彼女の子孫です」

「稀人って一体何なんだ?」


「お答えすることは適いません。私はブラッディーから稀人としての力を奪われ、記憶も一緒に取られました」

 だが、逆に言えば稀人は人智を越えたその奇跡的な御業みわざを可能にしてしまえる。

 ウェンディは存在理由も分からずに砂のお城を造っていると言う。

「それまたどうして?」

「私なりの彼女へのメッセージです」


 ウェンディの造る城の精巧さが、費やして来た茫漠ぼうばくな時間を物語っていた。

 

 俺は彼女の話しを聞き、無心だった。どうとも感想出来ない。それが聖人と稀人の対立関係であればこそ、彼女に同情も覚えず、また彼女の説明から恐怖も消え失せた。

 そのままここで砂のお城を造り続けていれば世は平和なもの、だからだ。


 日の出を見届けてから隣で勤しむ彼女に「頑張れよ」と侘しい声音でお茶をにごした。来た道を戻り、次は洋館の裏へ回って上空から見下ろした巨樹の下へと足を延ばした。

 この樹は何と言う品種、学名なのだろう。


 口から出るのは「見事」の一言で、最大の賞賛をこの巨樹に贈っている。

 ――チリンチリン、背後から鈴の鳴る音が聴こえる。

「お早うございます」

「お早うチュンリー」

 今朝から彼女と挨拶を交わすのが嬉しい、チュンリーとはそんな清廉せいれんな娘だ。


「その剣、気になりますよね」

 名も知れない巨樹の梢には剣の柄が刺さっていた。刀身の八分は埋まっているようだ。俺がこの絶海の孤島にやって来るまでの間、長らく風雨にさらされても、剣の装飾は真新しいままだ。

「姐さんも私も、誰も引き抜けなかったんです。ですがエースさんならきっと」

 チュンリーは俺であればこの剣を引き抜くことが出来ると期待している。


 俺の予感はこう告げている――またラッキースケベが起こるぞ。ラッキースケベのエースとは俺の渾名あだなだ。教室の扉を開ければ女子の誰かが肌蹴ている。トイレに入れば女子の誰かが用を足している。

 その都度に俺は聖地の悪魔と名高い近藤教官から色々と、ってどうでもいい。


「…………」

 だからマジ嫌な予感しかしない。

 それとは別にチュンリーの眼差しは「いつやるの? 今でしょ」と言っている。

「エースさん、やってみてください」


 チュンリーはどう考えても薄幸な娘だ。

 彼女が足運びする度に鳴る鈴に、紐をくくり付けただけのアンクレット。

 それが唯一、両親から貰った物だと言っていた。


 これも一種の聖人詐欺だ。貧困に苦しめられている所に聖人が介入して助ける、一種の美談だが、俺達が先生から聞かされた聖人詐欺の代表例だ。それは童話口調で語られ、その後物語に登場した聖人の苦悩を辛辣しんらつに言い聞かされる。


「やらないのですか?」

 だけど、いいじゃないか。聖人の責務に背いて彼女達と懇意こんいを契っても。

「チュンリー、この剣にはどんな曰くがあるんだ?」

「ルドルさんが力説してました、伝説の英雄が蘇ると」

 大戦を自らの犠牲で治めた英雄様か、俺はその英雄ともある共通点があった。


 頭髪は紅蓮の炎のように赤く、獲物を射殺す炯々とした目付きと精悍せいかんな口元。

 俺の相貌は英雄と瓜二つだと、父や母、英雄を知る人は口を揃えて言うのだ。


 理由は母にあった、母の父親が英雄その人だったらしい。

 俺は彼の生まれ変わりだと、隔世遺伝という因果を受けて呼ばれていた。

 その英雄の名は――荒儀あらぎれんという。

「やった!」

 剣は呆気なく抜けてしまった。逆手をひるがえし、剣舞を振る舞い覇気を高める。


 すると刀身が眩く輝き出し、剣と同調して巨樹も光芒こうぼうを迸らせた。

「おおおおお」

 チュンリーが吃驚きっきょうとしている。俺もここまでの反動があると思ってなくて、これはまずラッキースケベじゃないなと確信した。それからこの樹の正体と役目が判明する。光の中から現れた人物が説明してくれたのだ。

 だがその人物は「妾はまず聖地の様子を見てくる」と言い、消えてしまった。


「結局、あの人は一体何者だったんでしょうかエースさん」

「さあ」

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