第16話 -桜と茉莉-

 昨日と変わらず自然公園の中は人で溢れかえっていた。

 大半は桜が咲き誇るエリアに集まっている様だが、思いのほか他の場所――ランニングコースを走る若者や犬の散歩をする夫婦、湖へと向かうカップルと多種多様な状況だった。

 そんな中、俺と陽伊奈は桜見目的の人間が作り出す流れから早々に外れて湖のある方角へと歩き出す。


「やっぱり人の多い場所は苦手だねぇ」


「陽伊奈はそもそもはしゃぐタイプに見えないしな。ただまぁ……気持ちは分かるよ」


 まだ4月の中頃だというのに背後からは未だ熱気が漂ってきていた。

 人が集まればこうも不快感が変わるものなのかと陽伊奈の気持ちが理解できる気分だな。


「それにしてもここは昔から変わらないものだね」


「急にどうした?」


 隣を歩く陽伊奈は両手を後ろに組み周囲を懐かし気に見渡していた。

 陽伊奈の視線に釣られてその先を見る。

 大通りと違い、舗装されていない小道。草木を隔てるかのように置かれた罅割れた煉瓦。

 目新しさもなく、ごく普通の光景にしか見えない場所の様だが……


「君も何時か同じことを感じると思うよ。人の人生は有限。だからこそ人々は自分達の成長と比例するかのように街を発展させていく。ボク達の想像を超えてね。だけど、そんな中でも変わらない光景があるのさ。昔何度も桜と一緒に歩いたこの場所の様にね」


「あ……」


 それは幻なのか。

 仲の良い姉妹にしか見えない二人の少女が手を繋ぎ歩く姿。

 一人は桜色の髪をした少女。一人はその少女の真似をする為に必死に伸ばしたであろう銀髪の少女……


「……ここには残滓が少し残ってるみたいだね」


「ぇ……」


 陽伊奈の声にハッとする。

 湖へと続くこの小道には周囲には陽伊奈以外おらず、少し離れた位置に疎らに歩く人の姿しかなかった。


「今のは……」


「すまないがその答えはもう少しだけ我慢しておくれ。あと、今は何も聞かずにボクの手を握ってくれないか。まさかボクと一緒にいることで君にそこまで影響があるとはね……」


「――――」


 陽伊奈が何を言っているのか理解出来ない。

 だが、俺は何時もの様に反発するではなく差し出された手を言われた通りに繋ぐことにした。

 傍から見ればカップルが手を繋いだだけのこと。しかし、俺にとっては迷子の子供がはぐれない為に繋いだ気分だった。


「素直な君も中々唆られるものだね。まぁ、安心するといいよ。彼女はボク達に危害を与えてくることは絶対にないのだから」


「後で覚えてろよ……」


 俺達は手を繋いだまま湖の外周を歩き、奥手にある細道へと入り込む。

 こうしてみるとこの場所は明らかに違和感がある場所だった。だというのに俺達と同じように湖の奥へと進む人は皆無。

 それは何故か。見えない結界があるのか――それとも人の本能が近づいてはいけない場所だと訴えているせいなのか。


 歩くたびに緑の匂いが急激に濃くなり咽返すほどに呼吸がし辛くなる。

 陽伊奈に引かれるまま歩き、鬱蒼とした森が突如光が差し込むかのように拓けた。そして――


「久しぶりだね桜。元気だったかな?」


 昨日見た光景と同じ――周囲の木々と比較にならない程凌駕した大きく聳え立つ桜の樹が俺達の正面へと姿を現したのだった。


「ボクが初めて彼女と出会った場所がここだったんだよ。矢岡の初代守護者であり、桜の魔女と呼ばれたボクの姉――八重垣桜。いや、エルーシャ=ローレックと出会った場所は――」


 大樹の根本に造られた墓標。その墓前へと辿り着いた陽伊奈は俺と向かい合う形で振り返り語りだす。


  ◆◆◆◆


「あの時のボクは色々なことに疲弊していた。それこそ他人を信じることが出来ない程に。ボクが何をしたって言うんだ?助けを乞われたから叶えたというのに何故ボクだけが糾弾されなければいけなかったのか、と」


 夢で見た陽伊奈は悲惨としか言いようがない程ひどかった。

 助けた少女に怯えられたのが始まり。平和な時代を過ごしてきた俺では考えられない様な飢饉、疫病、不作による危機を願われるたびに叶え、その代償による記憶を失った人達から仇を返され続ける日々。

 陽伊奈が人間不信になるのも無理がないことだった。


「だけどさ、一人でもいなかったのか?陽伊奈に感謝の言葉を返してくれる人間は」


「零二。君が思うほど人間は優しくはないんだよ。欲の塊だと言ってもいい。もちろん少なからずいたさ。願いを叶えてくれて有難うという人はね。けど、その人に限って次はこれを――この願いを叶えてくれと言ってくる。それこそ際限なく……ボクが生まれた時代は過去に大規模な魔女狩りが行われた時ほどひどくなかったにせよ平和な時代でもなかったんだよ。他人のことを心配する余裕なんてない。何時我が身に災いが降り注いでくるか怯えて過ごす人達。それにボクは無知だった。教会の魔女に対する憎悪は時代を超えても人の根底に根付いていることに気づいた時には全てが遅かったのさ」


 陽伊奈が初めて俺のことを名前で呼んでくれた気がする。

 そのことが陽伊奈の話す内容に嘘偽りなどなく、全てが真実であることを物語っていた。


「『記憶を失った人は悪魔に魂を喰われたのだ』それが教会が流布した話の一つ。それがお伽噺や童話、言い伝えとして根付いていたんだよ。だから彼等は願いが叶ったという事実より先に記憶を失ったという恐怖に囚われてしまった」


「だからって何で陽伊奈がひどい目に合わなきゃいけないんだよ!!」


「君って奴は……はぁ。分かっていながらその言葉をボクに投げかけるのは時には罪になるってことを覚えておくといいよ。とにかく、話が進まないから次へといくよ。この辺りの概要は夢で見たのだしね。そんなボクが噂を頼りに極東の島国である日本へと渡り、そしてここ矢丘へと辿り着いた時はもう限界だったんだ。微かな希望を頼りにやってきたボクの頭の中はそれでも疑念でいっぱいだった。もしも魔女の噂が偽物だったらどうしよう。魔女がいたとして会えなかったらどうしようってね。同じ魔女が聞いて呆れる様だったよ。でも、そんな考えは全て杞憂に終わったんだ」


 確かに魔女に会いたいと思ってそう簡単に会うことが出来れば苦労しないと思う。

 それこそ魔女である陽伊奈本人が一番分かっていることだろう。

 だが、杞憂に終わったということはもしかして……


「君にはまだ分からないだろうけど、この矢丘の地は見る人から見れば異常なんだよ。そしてその中心ともいうべき場所がここ――桜の大樹がある場所なのさ」


「異常……それってもしかして息苦しさを感じるほどのこれも関係があるのか?」


 あの時森羅が真っ先に気づいたように。この場所は俺から見ても俺の知る物理法則とは別の場所だと思える。

 そして俺はここと似た場所を知っていた。


「そうだね。この場所もボクが住むあの世界も魔女が作り出したものさ。だけど、それはボクじゃない。恥ずかしながらボクにはあそこまでの世界改変を行えるほどの力はないと思っているよ。この場所もボクが住むあの場所もエルーシャ=ローレックが作り出した世界。矢丘の地に降り立ったボクが誘われるかのようにやって来たここで彼女と出会ったのさ」



『ボクを探しているのはもしかして君なのかい?』



「彼女ほど桜を愛し、桜に愛された者はいないと思っている。今でさえ彼女は本当は魔女なんかじゃなく桜の精霊なんじゃないのかと思える程にね」


 見た目は自分とさほど変わらないはずの少女。桜色の髪。女の子が使う言葉とは思えない喋り方。だというのに威風堂々と自身に満ち溢れた姿――


「一目で彼女がボクの探し人だと分かったよ。自分が言うなと思うけど、どこからどう見ても彼女は普通の人じゃなかった。だからかな、初めてボクと同じ同族に出会えた安堵感があったんだろうね。ボクは彼女の言葉に返事する間もなく意識を失ってしまったのさ」


 そこで陽伊奈は言葉を一度区切って空を見上げる。

 何かを言うでもなく落ち着いた雰囲気を見せる陽伊奈。

 声を掛けるべきか否か……何となく同じように空を見上げてみると快晴ではないもののどこから見上げても変わらないであろう太陽が明るく照らしつけていた。

 そしてそれとは別に視界に入ってくる存在。大樹とも言うべき桜の樹。その花弁が無数に決して枯れることなく舞い散っていたのだ。


「ボクが目覚めたのはこことは別の場所だったよ。世界は夜。空には大きな満月。そして永遠と続きそうな程に連なる桜並木。一瞬ボクは異世界にやって来たのかと思ってしまったよ」


 まぁ、無理もないよなぁ。

 この場所も目の前に聳え立つ桜の存在が明らかに常軌を逸しているとは思うけど、あの世界ほどじゃないと思う。

 前にも思ったけど、あそこは人の住んでいい世界じゃないと思う。


「そんなボクの目の前で彼女は月と桜を肴にお酒を優雅に飲んでいてね。ボクが起きたことに気づくと無言で盃を差し出してきたんだよ。君だったらそんなことされたらどうするかい?」


「俺だったらって……そもそも未成年だしなぁ。断るんじゃないか?」


「君も真面目だねぇ。まぁ、それはボクもなんだけどな。長い年月を過ごしてきたからと言ってボクはそういった大人が経験する類の事は皆無だったよ。まぁ、それは今もなんだけどね」


 陽伊奈の実際の年齢は知らないし、知ろうとしても教えてくれない。

 まぁ、俺の想像を超える年月を生きていることは確かだし、今更数百歳だと言われても反応に困るのも確かだしネタにすることはあっても無理してまで知りたいとは思わなかった。

 だが……今陽伊奈は何と言った?大人が経験する事……その経験が未だないという。

 陽伊奈ってもしかして処――


「それ以上考えたらこの場に墓標がもう一つ増えるからな?」


「ゴメンナサイ」


 こえぇぇぇぇ……

 今のは間違いなく陽伊奈には伝わっていなかったと思うんだけど、俺ってそんなに考えてること丸わかりなのか……それとも陽伊奈の勘が鋭いだけなのか……


「全く……君は本当にデリカシーってものがないね。大体普通に過ごすのに不要なものばかりじゃないか。桜も事あるごとに誘ってくるし何がそんなにいいんだか……」


「陽伊奈さーん?これ以上考えないから戻ってきてくれー」


「むぅ……まぁ、いいさ。君が戸籍上、二十歳を超えたら一緒に経験するのも悪くないしな」


「一緒にって……」


「もちろんお酒のことに決まってるじゃないか。大体あれだけボクとはそういった関係になる想像が出来ないと君自身が言っていただろう?」


「だよな……」


 まぁ、分かってたよ。


「ああもう話が脱線しすぎたじゃないか。とにかくボクは彼女の誘いに乗らなかった。彼女の機嫌を損ねてしまう可能性も考えずにね。けれど、彼女は怒ったり拗ねたりしなかった。逆に笑っていたよ。面白い娘が現れたものだとね」


「陽伊奈の話を聞く限り、そのエルーシャさんはかなり破天荒な人間に思えてくるな」


「あながち間違っていないことが彼女の凄いところだとボクは今も思っているよ。ちなみにエルーシャ=ローレックというのは海外で聞いた名でね。ボクは彼女のことを暫くエル姉様と呼び親しんでいたよ。それが何時からかな。彼女はこの日本では八重垣桜と名乗っていた。だから自然と彼女と共にいることでボクも彼女のことをエル姉様から桜と呼び方を変えて今となっては桜という呼び方が板に付いてしまったのさ」


「なるほどなぁ。となると陽伊奈ももしかして陽伊奈茉子って名は通名だったりするのか?元々海外から来たんだよな」


 陽伊奈の見た目は銀髪であることを除けば日本人らしい顔つきだ。もしも彼女が黒髪だったならば純和風の美少女と言われても納得できると思う。

 だから俺はこれまでずっと彼女が外国人だと思ったことはないし、思うことはなかったのだが――


「あながち間違いではないのだけどボクには陽伊奈茉子以外に名前はないとだけ言っておくよ。確かに陽伊奈茉子という名は桜と一緒に考えた名さ。ここまで言えば君はこう思うだろう?じゃあそれまでは何と名乗っていたか――と」


「そりゃまぁ、そうだな」


「その回答は正直面白くない話だから簡単に言うよ。ボクに名なんてなかったのさ。産みの親が何と名付けたのかなんて知らない。呼ばれる前に捨てられてしまったのだからね。そしてボクは名を呼び合うほどに関係が深い相手がそれまでいなかった。理由は察しろよ?だからボクに名なんて必要なかったのさ」


「……すまん」


「謝ったりしないでくれよ。今のボクには陽伊奈茉子という名があるんだ。だからそれでいいじゃないか」


「そうだよな……ごめん」


「あぁ、もう!!そんなに申し訳ない気持ちがあるなら君に命令だ。いい加減ボクのことを陽伊奈じゃなく茉子と呼んでおくれよ。ボクのことをここまで話したというのに未だ他人行儀な呼び方には正直ムカムカしていたんだからな!!」


 ぐっ……そうだったのか。


「茉子という名は茉莉の花から取っているんだよ。別名はジャスミンだね。ほら丁度そこにも咲いている」


 陽伊奈の――いや、茉子が指さす先には地面に積もった桜の花弁とは別に白く咲き誇る美しい花が咲いてあった。


「あの時もそうだったよ。桜の咲く時期と同じ時期に咲く花。実際は秋にも咲くのだけどね。たまたま見つけたこの花をボクはとても気に入ってしまったんだよ。それを見た桜がその花の名を茉莉だと教えてくれた。そして桜にとってボクはまだまだ子供の様なものだったから茉莉の子として茉子と名乗ることにしたんだよ。だからさっきは命令としたけど出来れば君にも茉子と呼んでほしいのさ」


「茉子か……いい名を付けてもらったんだな。分かった。これからはそう呼ぶよ、茉子」


「あはは、有難う。実際呼ばれると嬉しいものだね。ふぅ……少し話疲れたかな……少し休憩しようか」


「ずっと立ちっぱなしだしなぁ。大体何で俺達立ったまま話をしてるんだよ」


「そんなことボクだって知らないさ。疲れたのならさっさと座っていれば良かったのに」


 茉子が八重垣桜の墓標を慈しむ様にしながら話してたというのに、それを聞いてる俺だけが座る訳にはいかないだろうが。

 と、いい加減そんなことまで言葉には出さない様にしないとな。俺だって成長してるんだぞ?


「ははっ。君が今何を考えているのかは気にしないでおくよ。ほら、君も隣に座りなよ」


 いつの間にか茉子の下にはレジャーシートが敷かれており、人一人分を開けて座った茉子は手で早く座れと促していた。

 あまり大きくないシートだからはみ出さないように座ると茉子と密着してしまうのだが……仕方なしに言われるがまま茉子の隣へと座りこむ。

 さすがにこうも近くに女子という存在を感じると同一存在だと言われても緊張してくるな。何か気分を紛らわせる話題はないものか……あ、そうだ。


「そういえば茉子の話を聞いて一番気になっていることがあるんだよな。ただ……」


「うん?君が口ごもるなんて珍しいね。気になることがあれば聞くといいさ」


 これは俺の口から聞いていいものなのか?

 正直今俺が気にしていることはある意味茉子の核心の部分に値すると思う。

 けど、遅かれ早かれその話は茉子自身から聞くことになるんだよな。なら――


「言いたくないなら言わないでいい。そして気に障ったならはっきり言ってくれて構わない。――八重垣桜は何故死んだんだ?魔女は不死の存在なんじゃないのか?」


「…………零二。君は――ッ!?」


 その時だった。

 誰かが草花を踏みしめ草木を掻き分けて近づいてくる音が俺達がやって来た方角から聞こえてきた。そして――


「え?零二君と陽伊奈さん……?」


 そこに現れたのは昨日一緒にこの場所を見つけた俺のよく知る少女――八舞麻衣だった。

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