第14話 -孤独と救いと別れ-
「君もボクを置いて先に逝ってしまうのか」
鬱蒼と生い茂る森の中。
そこには見上げてもその全貌を捉えることが出来ない程盛大に聳え立つ一本桜があった。
その根元とも言うべき場所に立ち尽くす一人の少女。
目の前には一つの墓標……
「君を守ることが出来なくてボクは後悔に満ち溢れているよ……君はボクの親代わりでもあり、ボクを支えてくれた姉の様でもあったというのに」
黒いローブに身を包んだその姿は懺悔する修道女の様であった。
何が彼女をここまで追いつめたのだろうか。触れば壊れてしまいそうなほど儚さを醸し出した彼女は決して答えることのない墓標へとポツリポツリと言葉を投げかけていた。
「君と歩んだ道も君からの教えもボクは全て忘れないと誓う」
人知を凌駕する程の長い年月を一緒に過ごしてきた。
苦しい時も悲しい時も。そして嬉しい時も楽しい時も二人は離れることがなかった、と少女は思い続けていた。
「だけどこれだけは言わせてくれないか。ボクは君のことを何でも知っているつもりだった。だというのに君の想いの底をボクは理解することが出来なかった。君が苦慮する程の想いをボクは理解することが出来なかったんだ」
少女達は不滅の存在であった。
死は理解できる。亡くした者の気持ちも理解できる。しかし、死した者の気持ちだけは理解することが出来なかった。
それが同じ存在なのだとしてもだ。
「君がいなくなってボクはまた一人になってしまうよ。一人は怖い。一人は寂しい。一人は……もう嫌なんだよ……」
少女の苦慮に応えてくれる者はもう誰もいなかった。
心に空いた大きな焦燥感は塞がることなく少女が孤独になってしまったのだと訴え続けていたのだった。
最初に少女が一人ぼっちだと気付いたのはまだ赤子の時だった。
産みの親から棄てられた少女は行く当てもなく彷徨った。既に人を凌駕する存在だった少女は寒さにも飢えにも耐えることが出来た。
しかし、一つだけ耐えれなかったことがあった。
それは人の愛。少女を包み込んでくれる存在。それだけが少女の望みだった。
だが、少女を見てくれる者など誰もいなかった。少女は常に一人だったのだ。
わたしは何のために産まれてきたんだろう……
そう考えるのは当然のこと。しかし、少女の言葉に本音で応えてくれる者などいなかった。
少女には魔法とも呼べる力があった。その力は他者の願いを記憶という代償を以って叶えるという一種の奇跡であった。
その力の使い方を少女は誰に教えてもらうでもなく理解していた。
善悪が希薄であった少女は何とか人々と関わる為に自身に力を使うことにした。この力は人々を幸せにする力。きっと皆が少女の力で笑顔になってくれる。友達になってくれるのだと信じて疑わなかった。
少女は何も知らなかったのだ。その力が人々にとって畏怖の対象であったことを。
その力が原因で同族達が迫害され狩りの対象となっていたことを。
『悪魔が近寄らないでよ!!』
初めて力を使ったのは麦畑が広がる小さな村で怪我をした村娘を助けたことだった。
助けを乞う村娘の願いを少女は叶えた。その時代であれば後遺症が残っていたであろう怪我は跡形もなく完治することができた。
少女は初めて自身の力で他者を救うことが出来たのだと面には出さないものの心の中で歓喜していた。
喜んでくれるかな?友達になってくれるかな?
少女の心の中は様々な想いが膨れ上がっていた。
感謝の言葉なんていらなかった。ただ喜んでくれて話し相手にさえなってくれればそれで良かった。
しかし、その想いは全て打ち砕かれることになった。
村娘は怪我をしたことを忘れていた。その上、数十日にも及ぶ記憶が失われていたのだ。
村娘にとってはいきなり場面が飛んだかのように風景が移り変わったと感じただろう。当然、気が触れたかのように錯乱し出した。
その様子を見て少女は何が起きたのか分からなかった。自分は願いを叶えただけなのに。
錯乱する村娘へと少女の手は無意識に伸びていた。微かな希望に縋るように震えた手を必死に前へと伸ばしたのだ。
しかし――
「ひっ――――!?」
村娘はひどく怯えていた。恐怖の対象は明らかに少女であった。
でも何故?少女にはその理由が分からなかった。しかし、この結果は必然だったのだ。
願いを起点とした力が発する契約は律を主とする確固たる力だった。
願いの大きさに比例して記憶を代償とするが、契約が一度発動されれば力は確実に願いを叶えるというものだった。
その代償の大きさも、無くした記憶の変わりに残る物が何なのかを村娘も、そして少女も知らなかった。
村娘は突然記憶を失ったのだという結果のみ漠然と理解したのだ。
その理由は願いを叶えるために必要であったこと。そして、その願いを目の前の人物が叶えたのだと。
その事実を知った村娘は目の前で手を差し伸べる少女が同じ人間には見えなかった。
それはまさに村娘が幼いときに読み聴かされたお伽話に出てくる存在を彷彿させたのだ。
記憶を喰らう化物――
まさに目の前にいる存在はお伽話から出てきた化物なのだと。
少女は最初自分に投げ掛けられた言葉だとは理解できなかった。
悪魔……?わたしが……?わたしが悪魔に見えるというの?
少女の言葉に応えてくれる者などどこにもいなかった。
村娘は何時の間にか逃げ出し、その場には少女のみが取り残されていた。
黄金色に輝く麦畑が夕焼けに照らされる中、少女は一人涙を流し続ける。
少女は諦めなかった。何処かにきっと心を通じ合わせることが出来る人がいるのだと自分に言い聞かせた。
行く先々の村や町で願いを叶え続けた。
不作続きの村を豊作に変えたこともあった。疫病が蔓延る町を救ったこともあった。
感謝の言葉が欲しかったんじゃない。少女はただ自分の願いの為に人々に願いを一心不乱に叶え続けた。
しかし、少女が感謝されることは一度たりともなかった。御礼ではなく誹謗中傷。友愛ではなく異形を見るかのように敵対された。
その度に少女の精神はすり減っていった。何度諦めようとした事だろう。何度死んでしまえば楽になれると思ったことだろう。
しかし、少女は死ぬことを赦されなかった。
飢饉を救った村の民から総出で襲われたこともあった。手足が折れ、呼吸するのが厳しくなる程の暴力を受けても少女は死ねなかったのだ。
わたしは何のために生まれてきたんだろう……
その問答は何度目になることだろうか。
精神が崩壊しそうな程の長い年月を一人で過ごした。
少女は何時しか願いを乞う人々に耳を貸さなくなった。
自業自得。
擦れた少女の心に彼等の言葉は耳障りな羽虫の音と同じだった。
そんな時、とある噂を聞いたのは偶然ではなく必然だったのかもしれない。
極東の島国に願いを叶える魔女が棲んでいる。
少女は長い年月で自分が魔女だという存在だと理解していた。
しかし、他の同類には一度たりとも会ったことがなかった。
過去に魔女狩りと称する魔女裁判が世界各地で行われたことにより魔女という存在は自分以外滅んでしまったのだと思っていたからだ。
そんな矢先に聞いた噂話。
それは少女の胸の奥底に眠る微かな希望を呼び起こす程に衝撃的なことだった。
わたしと同じ存在。彼女は何を想って願いを叶え続けているのだろうか。
少女は極東の魔女に会ってみたかった。同族なら少女の中で膨れ上がる想いを溶かしてくれるのではないのか。
しかし、今まで幾度となく蔑まされ続けた少女は同時に恐怖も感じていた。
だが、少女は極東の島国へと赴くことにしたのだった。最後の希望に縋る様に。
「ボクを探しているのはもしかして君なのかい?」
そして少女は出会った。
極東の島国≪日本≫にある小さな街≪矢丘≫。そこに棲まう魔女。
それは少女にとって知識をくれた母親の様な存在であり、生きる希望をくれた姉の様な存在だった。
女の子が話すには不相応な言葉使い。しかし、少女にはそんなこと関係がなかった。
唯一無二の存在となった二人は長い年月を共に過ごし続けた。
何時しか話し方を真似て、髪型も似せて。尊敬する姉へと一歩でも近づく為に。
それが永遠に続くものだと信じて疑わない少女。
しかし、別れは唐突にやってくる。少女が気付いた時には全てが終わった後のことだった。
「君の役目はボクが必ず全うするよ。それが君の望みじゃなくても……ね」
墓標の前で少女は決意する。
同時に桜の花びらが舞い散る程の風が吹き荒れた。
≪矢丘≫の地を守護し続けた魔女から少女へと。被っていたフードが風により拭われ素顔が露わとなった。
美しさを体現したかの様な銀髪を靡かせた少女。
「これで本当にお別れだね。ボク――陽伊奈茉子は矢丘を守護していた魔女――エルーシャ……いや、八重垣桜の代わりになるよ。だから安心して眠ってくれていいよ」
これは矢岡に棲まう魔女――陽伊奈茉子の遠い記憶。
一人の魔女が救われ、そしてまた孤独に戻った話……
―――…
――
カーテンから差し込む朝日に照らされて意識が浮上してくる。
俺は誰だ……?
そんな問答意味はない。
俺は神谷零二だ。自分自身を間違えたりするものか。
はっきりとした意志で身体を少し起こして時計を見る。時刻はまだ6時前。
普段であれば二度寝するとこだが、今日はそんな気分になれなかった。
「今見た夢はどうみても陽伊奈の過去だよな……それに――」
夢の中でも間違えることのない、大きく聳え立つ桜の樹……
あれは昨日麻衣さん達と見た場所にあったものと同じだった。
そして根元には魔女の墓標――
昨日俺達は夢の中で見た光景と同じ場所にいた。
不自然な程に大きな桜の樹と、そこに眠る魔女。
俺達はその事実を知った時、驚きを通り越していた。
俺はもちろん陽伊奈以外に魔女がいたことに。
麻衣さんは探していた魔女が実は死んでいたと思い込み、表情を青くしていた。
何しろ俺の口からは陽伊奈の存在は言えない訳なのだから、いると信じていた魔女の墓を見てしまっては仕方がないことなのかもしれない。
そして、俺達とは別に明らかに別の感情を発していた人物がいた。
――森羅佐奈。
彼女は墓標に書かれていた大半が掠れて読めない文字を凝視したまま、親の敵の様に睨み続けていたのだった。
普段見せている人懐っこい森羅からは想像出来ない程の憎悪。
元々理由は分からなかったが森羅が魔女を探していることは薄々気付いていた。
それが麻衣さんの様な願いを叶えてもらうのとは別の理由であることも。
しかし、この時の森羅は話しかけることが出来ない程に異様だった。
俺達は三者三様思うことは違えど、この場所は土足で踏み入ったいい場所ではないところだと気付いた。
誰一人喋らないまま湖まで戻った後、自ずと俺達はそこで解散することとなった。
自然公園からでる前に居なくなってしまった森羅(後ほどLEADで連絡が来た)とは別に意気消沈した麻衣さんを送り届けた俺は帰宅後、夕飯も食べずに何時しか眠っていたのだった。
「この夢は陽伊奈が見せてくれたものなのか?それにしては……」
陽伊奈と魂が繋がってしまったからこそ無意識下にある夢の共有がされてしまうことは理解できる。
しかし、どうみても今見た夢は都合が良すぎた。
陽伊奈という魔女の根元となる存在。八重垣桜――
俺達が見た墓標には違う名前だったが、夢の中の陽伊奈はこうも言っていた。
エルーシャ――
その名であれば墓標に書かれていた一部と合致するから、きっと八重垣桜という名は日本での通名なのだろう。
魔女■■■シ■=ロ■■ック こ■に眠る――――
「くっそ……考えても埒が明かねぇな……」
どうする……陽伊奈にあの場所のことを聞くべきなのか?
だが、どうみてもあそこは秘匿されていた場所だよな。昨日の帰り道で自然公園の方角を何度も見てみたけど桜の樹なんて見えなかった。あれほど大きく聳え立つ樹なのに、だ。
何故俺達はあそこに行けたんだ?
『それはボクと同じ存在だからだよ』
その時、俺の悩みに応えるかの如く脳内に声が響き渡った。
声の主に驚きはしない。だが、この時間、この時に俺の心を見透かすかの様に応えてきたことには正直驚きを隠せずにはいられなかった。
『な、なんで……』
考えていることが陽伊奈には伝わらないように気をつけていたはずだ。
なのに何故陽伊奈から答えが返ってくるんだよ……
『君がさっき目を覚ましたことぐらいボクには分かるさ。そして、君が昨日桜の墓標へと赴いたこともね』
『……怒っているのか?』
『怒る?もしかしてボクが君に対して怒るっていうのかい?』
陽伊奈の声色は普通だった。
しかし、わざとではないにせよ俺は陽伊奈の過去を二重の意味で知ってしまった。
『陽伊奈はあそこを隠したかったんじゃないのか?お前の唯一無二とも呼べる人が眠る場所を』
『…………君は墓荒らしをしたくてあそこに行った訳じゃないんだよな?』
『そんなの当たり前だ!!』
いきなり何てことを言うんだ!?
陽伊奈のことを抜きにしても魔女探しの為に墓標を荒らす気なんて毛頭なかったさ。
『ならボクが怒る理由なんてどこにもないさ。そもそもボク自身が失念していたんだからね』
『失念だと?一体どういうことだよ』
『君ももう気づいていると思うけど、あそこはボクが棲む場所と同じでこの世界とは隔離された場所なんだよ。そして、そこに入ることを許された人物は同じ魔女であるか、もしくは魔女が許可した人物だけなのさ』
『同じ魔女って、あ――』
そうか。そういうことなのか……
陽伊奈と俺の魂は繋がっている。それは陽伊奈という魔女と俺は同じ存在になったということなのか。
『君が八舞さんの為に手掛かりを探していることは知っているし、ボクはそのことを止めたりしなかった。あの場所を見つけてしまったのは正直想定外だけど、そこに怒る理由なんてどこにもないさ』
『その結果が陽伊奈の過去を知ったとしてもか?』
『もちろんそうさ。はっきり言うとボクの半生を知られて恥ずかしさは隠しきれない訳なんだけど、あの夢の出来事は全て本当のことだし君は知る権利を得たからこそあの場所での出来事を夢として見たんだと思うよ?』
『知る権利?なんかその言い方だとあの夢は陽伊奈が見た夢を俺も見たって訳じゃない様な感じだな』
『その通りなんだけどね。まったく野暮なことをしてくれるものだよね。お節介とでも言うべきなのか……』
どういうことだ?
陽伊奈は全て解っているようだが、俺にとっては解らないことだらけだっていうのに。
てっきりさっき見た夢は陽伊奈が見た夢が共有されて俺も夢として見ることになったのだと思ったのだが。
陽伊奈の言い方だとまるで……
『あぁ、ごめんごめん。君に隠し事をしてるって訳じゃないんだよ。ボクも懐かしくてね……』
『陽伊奈……?』
『ボク達が見たボクの過去。あれはね、矢岡の初代守護者であり、この土地で願いを叶え続けていた魔女――八重垣桜が見せたものなんだよ』
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