第08話 -魔女狩り-

「あれ、どうしたんですかぁ?零二君」


 部室の入り口で立ち竦んでいた俺の元に森羅が立ち上がって寄ってくる。

 ほとんど零距離といってもいい触れ合う距離。

 甘い柑橘系の匂いが森羅から漂ってくる。

 触れ合う程の至近距離で森羅が本心なのか分からないが不思議そうに俺を見上げてきた。


 昨日は薄暗い場所でそこまで考える余裕もなかったのだけど、こうしてみると森羅はかなり小柄だった。

 妹の真白も結構小柄だと思っていたが、真白と同じぐらいに思える。身長145センチメートル程度か?すぐ近くに唖然とこっちを見ている八舞さんが女子では平均的な155センチメートル程度だろうし。どうみても中学生にしか見えなかった。

 って、そんなこと考えてるんじゃなくて!!


「ッ――。いいから離れてくれ!」


「つれないですねぇ。まぁ、そこが面白いんですけど。あは」


「ああ、もういい加減離れろ!!」


 本当になんなんだこいつは。


「えーっと……」


「八舞さん、早く資料見せてもらってもいいか?」


「あ、うん。ちょっと待っててね」


「あれ?何か探してるんですかぁ?」


「お前には関係ない事だよ」


 森羅の前で魔女の事を調べてると言いたくないな。そもそもこいつがきっかけで調べようと思ったぐらいなんだし。

 陽伊奈に相談するか?いや、でも……


「………?(にこにこ)」


 駄目だ。森羅の前で念話と言えど陽伊奈と会話をしたくなかった。

 昨日去り際に聞こえた魔女の臭いが何なのか気になるけど、陽伊奈への相談は後にするか……


「はい、神谷君。これを読めば大体のことは分かると思うよ?」


「助かるよ。これ借りて帰るのって大丈夫?」


「え、ここで読んでいかないの?うーん……どうかな、森羅さん」


「佐奈でいいですよ?魔女の事調べようとしてたんですね。それならそう言ってくれればいいのに。でも、それ持って帰るのは駄目なんですよ。なので、ここで読んでくださいね?」


 自席へと戻って椅子の下で足をパタパタさせながらだらけていた森羅。


「むぅ……ならそうさせてもらうけど、静かにしててくれよ」


「分かってますって。零二君の邪魔なんてしませんってば~」


「仲良さそうだなぁ、二人とも……」


 どこをどう見ればそう見えるのかね。陽伊奈との時もそうだけど八舞さんが見てる景色は何処かおかしいんじゃないのか。

 まぁ、とにかく目的の資料が見つかったわけだ。

 八舞さんから受け取ったソレは何処からか出版されたものではなく表紙がボロボロになった一冊の本だった。

 日焼けで黄ばんではいるが中身を読むには問題はなさそうだ。表にも裏にも何も書かれていないところを見ると写本じゃなく誰かが書いた原本ということなんだろうか。

 空いている席に座ってページを捲ってみる。

 それはとある昔話だった。


 時代は中世のヨーロッパまで遡る。当時人間は魔女という存在と共存をしていたと言われている。

 しかし、ある時を境に魔女は災厄の化身と呼ばれるようになった。

 ヨーロッパを中心に魔女狩りと称した大規模な魔女裁判が勃発し、教会に騙された魔女達はその数を徐々に減らしつつあった。


 そもそも魔女とは何か?彼女達は本来神の使徒とも言うべき存在だった。

 人々を導くために地上に降り立った彼女達は教えに従い、時には救いの手を、そして時には悪しき者を裁く裁定者として裏から世界を支えていた。

 しかし、ある時とある町に住んでいた一人の魔女が怪我をした村人を癒したのが全ての始まりとなった。

 教会の管理外で信仰を増やしていく魔女が気に入らなかったのだろう。教会はその町に一つの噂を流した。


 魔女は悪魔の信徒だと。奴らのソレは呪いだ。魂を穢されるぞ――と。


 実際そんなことは紛れもない嘘偽りだった。しかし、侵略と支配が日常であったその時代。教会からの言葉を人々は鵜呑みにしてしまったのだ。

 奴等は悪魔であると。災厄の魔女なのだと。事実魔女と関わりを持った人物には記憶の一部が欠如している人達が多数いたのだ。

 彼らは知らなかった。契約の代償に記憶の一部を失うことに。

 その結果が悪魔に魂を喰われたと思う人々が増長し、教会の思う壷となってしまったのだった。


 魔女達は大半が優しい少女ばかりであった。他人を疑うことなんてしなかった。だからこそ、彼女達は騙された。そして穢され、焼かれ、壊し尽くされた。

 魔女達はそう簡単に死ななかった。それが彼等教会を更に冗長させることになったのだ。

 教会は拷問とも言える所業を犯し続けた。その光景はどちらが悪魔だったのだろうか。そして、彼等は一つの理に辿り着いた。魔女を殺す術を。


 泣き叫ぶ魔女は言った。

 何故私達がこんな目に合うのかと。

 そもそも教会側に理由はなかったのだ。ただ自分達の教えに反した存在が気に食わないだけ。そして自分達と同じ姿をした彼女達が怖かったのだ。

 当時、教会の権威は絶対の物だった。しかし、それを揺るがす存在が現れた。

 邪魔だったのだ。だからこそ、民を操り彼女達を迫害の元に晒したのだ。

 そこから数百年。その火種は全世界に広がり何時しか彼女達は伝承で語り継がれていくだけの存在と成り果てたのだった。


 災厄の化身――魔女と呼ばれる存在のことを……


「何だこれ……」


 要約して読み進めていき、やっと半分程を読み終えたが、吐き気を催す程の気持ち悪さを感じていた。

 魔女狩りという言葉は聞いたことがあった。

 確かローマ教皇庁の主導で異端審問が活発になり、教会の教えに反する人物たちを魔女と呼び糾弾し裁いていったと。

 けど、この本に書かれていることは似ているようで全然違うことだった。

 気持ち悪い……何故彼女達がこんな目に合っているんだ。

 脳裏に陽伊奈が火に焼かれる姿が思い浮かぶ。陽伊奈自身が何時から生きているのか俺には分からない。だが、これが事実なら魔女は何の為にこの世界に降り立ったって言うんだよ……


「神谷君大丈夫ですか?これ飲んで落ち着いてください」


「ぁ……ありがとう……」


 自分でも分からないほど多量の汗をかいていた。

 視界に紙コップに注がれた液体が目に入ってくる。

 八舞さんの気遣いに禄に反応することも出来ず、それを一気に飲み干す。

 冷たい麦茶が喉を潤していく。出来ればこのまま先を読まずに逃げ出したかった。

 けれど、俺にはそれを知る義務がある。知らなければいけないんだ。


「あはぁ。魔女の臭いが濃くなってきてます。ゾクゾクしますねぇ……」


「佐奈ちゃん?」


「あ、いえ何でもないですよ?あは?」


 女子達が何か話している様だったが耳に入ってこない。

 俺はそのままページから離れることのない右手で次へと捲り、続きを読んでいく。


 20世紀初期の事だ。世界から既に魔女という存在は語り部から聞かされるだけの虚構へと成り果てていた。

 そんな時だった。この地――矢丘で一つの噂話を聞くようになったのは。

 それは狂い桜が咲き乱れる場所に棲まう魔女の話。彼女は普段人間の前には決して姿を現すことはしなかった。

 しかし、心の底から願う人が現れた時、魔女はその人物の前に現れる。

 だが、皆一様に魔女の姿を覚えていなかった。ただ一つ憶えていたことは自分が魔女に会えたということだけ。そして、願いは叶ったのだと。

 彼女は決して悪に染まらなかった。魔女としての本来の役目である人々を導くこと。それを全うしているのだと思う。

 だからこそ私は知りたいのだ。彼女が何故この矢丘に住んでいるのか。何故あれ程までに迫害され続けながら願いを叶え続けるのかを。


 そこで本は終わっていた。書いた人の名前も分からない。ただ、これを書いた人は知りたかったんだろう。

 願いを叶えた相手に迫害され、その人数を減らしてきた魔女が何を思っているのか。

 陽伊奈茉子という魔女がこの街で何をやっているのかを。


「ふぅ……」


「読み終わりました?」


「あぁ……」


 これほどとは思わなかった。あの飄々としている陽伊奈からは思いもよらなかった。


「ひどい話ですよね。彼女達はただ皆の願いを叶えたかっただけだっていうのに」


「そう、だな……何でこんなに魔女を怖がったんだろう。教会の思い通りにならなかったから?それだけで彼らは罪もない人達を殺したっていうのか?」


「零二君。それは違うと思いますよ~?」


 俺の気持ちに共感したかのように話していた八舞さんと違って、俺達に異を唱えてくる人物がいた。


「違うってどういうことだ?」


「だってそうじゃないかなぁ。何の見返りもなく願いを叶え続ける人だなんているわけないでしょ」


「いや、見返りもないって代償にきちんと記憶をもらってるわけだろ?」


「それは代償であって報酬じゃないですか。だからこそ当時の人達は怖かったんだと思いますよ?それが魔女の罪。人間は等価交換じゃない出来事を訝しむ者なんですよ。それはどうしようもない事実」


「…………」


 森羅の言うことに反論が出来ない。陽伊奈から詳しい事は聞いていないが願いに関する代償という物は魔女の契約そのものが決めるということだ。

 魔女自身が当人の記憶を欲したから代償にするのではない。契約を遂行するに必要だからこそ記憶を奪っているのだ。

 だから魔女自身には何も得られるものはないということだ。


「それに願いを叶えられた人全員が幸せになった訳でもないんですしね……」


「ん?何か言ったか?」


「い~え、何も言ってませんよ?あは?」


「それで神谷君の知りたかったことは知ることが出来ましたか?」


「そうだね、有り難う。本当に助かったよ」


 欲を言えば森羅自身の事も何か掴めないかと思ったが、今日は諦めることにしよう。

 陽伊奈の事を多少なりとも理解できたんだ。今日の夜にでもまたきちんと話してみるかな。


「ふふっ。どういたしまして!で、どうかな?このまま魔女研に神谷君も入っちゃわない!?」


「え、俺が?」


「あ、それいいですね。零二君も入ってくれたらアタシも嬉しいですよ!」


「いや、辞めておくよ」


「あ、ひどいです。アタシがいるからですかぁ?」


「そんなことないって。ただ、まだ何するか決めかねているから明日の新入生歓迎会で他の部活動紹介もあるだろうし、そっちも見てから決めようかなとね」


「そっかぁ。神谷君が入ってくれるとワタシも嬉しいんだけどな」


 嬉しい事を言ってくれるものだ。けど、陽伊奈に森羅の事を話すまでは極力同じ空間にいることを避けたかったのも事実だ。


「まぁ、いいですよ。零二君おもしろいし、会いたくなったらアタシから会いにいっちゃいますから!あはぁ」


「いや、それはマジ勘弁」


「なんでですかぁ~~」


「むー……」


 戯れてくる森羅に結構本気で拒否してたらまた八舞さんが眉に皺を寄せて睨んでいた。


「まぁ、今日は有り難うな。じゃ、そろそろ俺は帰るから」


「あ、ワタシも帰ります!途中まで一緒に帰りましょうよ」


「あはぁ。まいまいも零二君と仲良いじゃないですかぁ。お二人ともお疲れ様ですよ。アタシはもうちょっと残ってますね」


「佐奈ちゃんも気を付けて帰ってね。お疲れ様~」


 俺に続くように八舞さんも部室から出てくる。


「さてと。なら帰ろっか」


「そうだね」


 綺麗な夕焼けが廊下に差し込んでいた。今日は暗くならないうちに帰らないとな……


  ◆◆◆◆


「それにしても意外だったなぁ」


「意外って何が?」


 人が疎らになった帰り道を八舞さんと並んで歩く。

 背にした夕焼けが俺達の影を映し出し地平線の先まで届きそうな長さとなっていた。


「だって魔女だよ?普通信じるかなぁ。ワタシ聞いてみたんだよ。クラスの友達に矢丘の魔女のこと知ってる?って。そしたら何て返ってきたと思う?」


 八舞さんの口ぶりからして期待してた回答ではなかったことは確かだ。

 実際矢丘高の約三分の一を占める矢丘中出身の俺は魔女の存在自体を知らなかったんだ。たぶん、他の人達も似たり寄ったりだと思う。

 陽伊奈のいるあの不思議空間が同じ場所からしか入ることが出来ないのかどうなのかは聞いていないから分からない。

 けど、昨日陽伊奈から案内された場所は矢丘西中の区域だった。矢丘神社も同様にだ。

 矢丘西中出身の上宮の様に魔女のことを知っている人物もいるだろうけどきっと少数派なんだろうな。


「知ってるのは2人だけだったんだ。それも単なる願いを叶えてくれる魔女がいるっていう話を聞いた程度。だから神谷君が魔女の事を調べたいって聞いた時はワタシびっくりしちゃったんだ」


「そっか……」


 そもそも八舞さんは何でそこまで魔女に固執しているんだろうか?彼女は他県から一人暮らしをしてまで矢丘高校に来ているぐらいだ。何かしらの理由があるということ。

 魔女に固執する理由。もしかして……


「八舞さんって、もしかして叶えてもらいたい願いがあるの?」


「ぇ――」


 俺の言葉が予想外だったのか八舞さんが立ち止まる。


「八舞さん?」


「……ぁ。あははは、やっぱり気づいちゃうよね」


 照れ臭そうに笑う彼女の姿は今にも消えてしまいそうな儚さを見せていた。


「やっぱり話すしかないよね……。ね、神谷君」


「な、何かな?」


「今から少し時間もらえないかな?……ワタシの家に来てほしいの」


「………え」


 唐突に誘われた女子からの誘惑。恋の告白の様に恥ずかしそうに俯く八舞さんに対し俺はただ頷くしか出来なかった。

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