第06話 -連絡しない結果がこれです-

「…………さむっ」


 未だ冬を感じられる春風が吹き抜けていく。

 ズボンの両ポケットに手を入れて身体を丸くして歩く。

 時刻は既に19時前。日は当然暮れており歩く先々を照らすように街灯がポツポツと点灯を始めていた。

 日中でもあまり人が通らないであろうこの住宅路は閑散としており、現在俺以外に歩いている人物はいなかった。

 ふと背後を振り返る。そこは変わることのない風景の様に変化のない住宅が並び連なっている。

 こうして見ると先ほどまでの出来事が夢なんじゃないかと思えてくる。

 見渡す限りの桜。そして矢丘に棲む不老不死の魔女。


 陽伊奈茉子……


 俺を死の淵から救ってくれた人物。そして、俺と彼女は一種の同一素体――言い換えれば運命共同体になったということだった。

 信じられるだろうか。つい数日前までは魔女の存在すら知らなかった俺が今はその魔女に一番近い存在となっていることに。

 全くもって実感がない。陽伊奈は俺が陽伊奈と同じ不老不死になってしまったと言った。

 自分の身に変化が起きたことは特に感じられない。ただ一つ違うことは、陽伊奈と俺の感覚が共有されているということだった。


ガタン――


 自販機から熱くて持てないほど温まった缶コーヒーを取り出す。

 その場でプルタブを開けて火傷しないように飲み始める。

 頭をずっとフル回転していただろうか。仄かな甘さと苦みがとても心地よく感じる。


「はぁ……俺人間じゃなくなったんだなぁ」


 俺の独り言に返してくる人物は誰も居ない。それはそうだ。周りに誰も居ないのだから。

 先程まで俺の考えていることにすら反応していた陽伊奈もあの不思議空間から出てからは全く脳内に聞こえてこなかった。

 それは今俺が考えている内容は陽伊奈に伝わらないようにしていたからだった。


 人間じゃなくなった。言葉にすることでそれが紛れもない現実だと理解することになる。

 そして何より人の道から外れてしまったということにそこまで驚いていない自分がいた。

 魔女との魂の共有。そして不老不死……

 本来なら取り乱してもおかしくない内容ばかり。それなのに何で俺はこんなに落ち着いているんだろうな。




―――…


――


 陽伊奈が泣き止むまで俺は黙って彼女の傍に座り続けていた。


「すまなかったね。みっともない姿見せてしまって」


「いや、気にして無いさ……」


 暫くして見せた陽伊奈の表情は笑顔だった。目尻に残った涙を人差し指で拭いながら彼女は笑みを見せていた。

 泣いている女の子を慰める方法なんて知らなかった俺には無愛想に返すのが精いっぱいだった。

 真白は昔からほとんど泣くことがなかったからなぁ……


「あはは。気持ちだけで十分だよ。無理して慰めようとしても墓穴を掘るだけだろうさ。それにね、ボクだってまさか自分が涙を流すだなんて思っていなかったんだよ。本当に何時以来だろうね……」


 陽伊奈が顔を赤くして恥ずかしそうにしていた。

 彼女は嘘をついていない。本当のことなんだろう……


 君がこんなことになってしまったのはボクにも原因があるというのに……か。


「っ――!?」


「ん?」


 陽伊奈が眼を見開いて俺を凝視していた。どうしたんだろう?


「ま、まさか……君、さっきボクの考えていたことが聞こえてたりしたのかい……?」


「え?いや、えーっと……」


 確かにさっきのあれは今まで陽伊奈が俺に会話するかのように伝えてきた内容とは違っていた。


『有難う……君がこんなことになってしまったのはボクにも原因があるというのに……罵られることを覚悟していた。非難され罵倒されることすら覚悟していたんだよ……けれど、君は心の底から本当に感謝していた。ボクは間違っていなかったのかな……?』


 うん、やっぱり俺と同じで誰かに伝える内容じゃない。というか、他人に知られたく内容だなこれ……


「ぁ、ぁぁぁぁぁああああ……まさか伝わっていたなんて……感情の起伏で考えていることがダダ漏れだとかボクの馬鹿馬鹿馬鹿……」


 ぉぉぅ。陽伊奈が頭を抱えだして唸りだした。

 どうやら陽伊奈は俺と違って伝える内容の取捨選択が出来る様だな。魔女だし当然の事か。

 けど、さっき聞こえた内容は陽伊奈自身も想定していなかったということなのだろうか。


「ぅぅ……あまりボクを辱めないでくれないか……そうだよ。君の思っている通りさ。ボクは君に口に出して話すのと同じように伝えたいことだけを伝えることが出来る。君もやり方を覚えればすぐ出来るだろさ。けれど、まさかボクがあんなに感情をコントロールできなくなるなんて……」


 耳まで真っ赤になった陽伊奈を見てさすがにこれ以上何かすると後が怖いと感じた俺は早々に考えていること全てを陽伊奈に伝わらないようにする方法を聞くことにしたのだ。


――


―――…


「けど、それがこんなに簡単なことだったなんてな……」


 飲み干した缶コーヒーをゴミ箱に放ると、再度周囲に人気がない事を確認した俺は静かに眼を瞑る。

 そして、脳内にイメージを起こした。


 相手と会話するために必要な物。それは俺達の世代にとって必需品とも言えるスマホだった。


 何時も使っているスマホを脳内に思い浮かべる。画面は消えたまま。

 この状態が相手に――陽伊奈に俺の考えていることが伝わらない状態だ。

 そして、スマホに電源を入れる様に念じる。脳内でスマホの画面が明るく照らされる。その画面に写された物は通話画面。LEADのようなチャット形式のアプリも考えたが、俺にとっては陽伊奈とはLEADでやり取りするよりも電話で話す感覚の方が強く感じれた。だからこそ通話の画面を思い浮かべる。そして、その通話に陽伊奈茉子へと電話を掛ける様に頭を切り替えていく。


『陽伊奈、聞こえるか?』


『聞こえてるよ。どうやらうまくオンオフの切り替えができるようになったみたいだね』


『おかげ様でな』


『それにしてもスマホを思い浮かべるとはね。現代っ子ならではといった方法恐れ入るものだよ』


『思考を切り替えるスイッチを作れと言われたときは最初本当に単なるオンとオフが書かれたボタンを思い浮かべたんだが、全然うまくいかなかったしな……』


『あはは。あの時の君は傑作だったよ。ボクが黙っているのをいいことに聞こえていないものだと悪口をいっぱい言ってくれたしね』


『ぐっ……しかたねぇだろうが。どれが伝わっているのか伝わっていないのかなんて分からなかったんだから』


『ごめんごめん。けど、今は何となく分かっているんだろ?その調子さ』


『あぁ、そうだな……』


 こうして脳内にスマホを思い浮かべて陽伊奈と会話している間も考えていること全てを陽伊奈に伝えているわけではなかった。

 陽伊奈に伝えたい部分だけをスマホから流すようにしている感じだ。けど、これ結構疲れるな……


『まぁ、慣れてくれば無意識に行えるようになるはずだよ』


『そうだな。すまん、そろそろ疲れてきたから終わりにするな』


『そうするといいよ。今日は色々とあったんだしゆっくりと休むといいよ』


『さんきゅ。じゃぁ、またな』


 ………ふぅ。

 ゆっくりと瞼を開ける。

 やっぱりまだ練習が必要だな……

 伝えたいことを伝えるには結構集中しなければまだ無理な状況だから、最低でも目を開けて歩きながらでも出来るようにはしないと……

 確かに陽伊奈が言うとおり今日は色々とありすぎた。

 こんなに慌ただしい日なんて生まれて初めてだ。


ブブッ、ブブッ――……


「っと、次は本物のスマホの方か」


 ポケットに入れたスマホが振動する。電話の振動じゃなくこれはLEADの通知……ぅぁ……

 俺は基本的にLEADの通知は全てオフにしている。だが、その中で唯一一人だけオンにしている人物がいた。


真白:兄さん?まだ帰ってこないんですか?


 これが20分前。

 俺がまだ陽伊奈の家にいた時間だ。

 そういえばあそこ圏外だったな……話に夢中でwi-fiも借りなかったし。

 そして次が15分前。


真白:兄さんなんで返事がないんですか?もしかして何かあったんじゃ……


 すまん真白……。時間を忘れて話し込んでた兄さんがすべて悪い……

 そして、そこから怒涛のチャットが5分前まで延々と来ていた。


真白:何で既読にしてくれないんですか?真白何か悪い事しましたか?

真白:もしかして学校で何かあったんですか!?

真白:兄さん本当にどこにいるんですか!?GPSが反応してくれないんです!!


 え。真白さん……GPSが反応しないってまさか俺の居場所確認する方法持ってたりするの?

 いや、そんなまさかね……

 そこからのことは見たくないほど真白は暴走していた。

 そして途切れる直前の今から5分前の最後のチャットが、


真白:今から探しに行きます。待っててください、兄さん。


 まさか、この時間に真白は外に出たって言うのか!?

 いや、待てもう一つたった今来た通知があったんだ。

 けど、俺はそれを見なければよかったと後悔するのだった。


真白:兄さん、見つけた。


 ひぃぃぃぃぃ!?

 慌てて周囲を見回す。けれどどこを見ても真白の姿がなかった。


『な、なんだい!?急に叫んでどうしたっていうのさ!?』


 変わりに陽伊奈の慌てたような声が脳内に響いてきた。


『ご、ごめん……真白からのLEADに驚いちゃって……』


『真白って妹さんだよな?あまり心配させちゃいけないよ?』


『いや、心配って言うよりこれは……』


 そこでついにスマホに通話が来た知らせが来る。相手はもちろん俺の妹……


『驚かせてすまん。じゃ、俺は死んでくる……』


『ちょ、不老不死だからって死んでは困るよ!?』


 陽伊奈の声は無視だ。未だ鳴り続ける真白からの通話をオンにして恐る恐る耳に当てる。


『あぁ、兄さんです。待っててくださいね、兄さんの場所ようやく補足したんで今すぐにそっちに行きますね』


「いや、待つんだ真白!!今すぐに帰るからお前は家で待ってるんだ!!」


 妹の声が怖いと思う兄は統計的にどれだけいるんだろうな。

 スマホから聞こえてくる真白の声は笑っていた。なのにこれほど恐怖を感じるのは何故だろうか……


『真白は大丈夫ですよ?それよりも兄さんが心配です』


「いや、俺は大丈夫だ!ちょっと新しくできた友達の家に行ってただけなんだよ。そいつの部屋地下にあってな、圏外になってること気づかなくてさ」


 咄嗟の言い訳だが、及第点と言えるのではないだろうか。

 頼む、このままいい子で家に戻ってくれ……


『……本当なんですね?危ない目になんて合っていないんですよね?』


「あぁ、本当さ。だから、もう暗くなってるしいい子にして家に戻ってくれないか。兄さんの言うこと聞いてくれるな?」


『はい……真白は兄さんの妹です。すぐに帰ってきてくださいね』


「分かった、すぐに戻るよ。そうだ、帰りにお前の好きなプリン買ってくるから」


『兄さん大好きです!真白はいい子にして待ってます』


「じゃ、電話切るぞ」


『はい、待ってますね兄さん』


 …………


 ふぅ。

 もう寿命なんてないに等しいんだけど少し縮んだ想いだった。

 どこを育て間違えたんだろうか……共働きの両親の代わりに真白の相手をする時間が一番長かったからだとは思うけど、それにしても他の家庭とは明らかに違う感じがする。


 電話をしながら必死に早歩きで歩いてたら何時の間にか矢丘神社前まで来ていることに気付く。

 何となくふと立ち止まって石段を見上げる。確かここの階段は150段ぐらいあったはずだった。階段の上はそこまで立派ではないもののきちんとした参道と拝殿や本殿がある由緒正しい場所だったはずだ。

 今から昇ってたんじゃ、それこそ真白がやばいことになってしまう。せっかくここまで来たんだからお参りの一つでもしていきたい気分だがまた今度にするかな……

 そういえば陽伊奈がここでの休憩すると思った時駄目だと言っていたがその理由なんだったんだろう?わざわざ今聞くほどの事でもないし、今度でいいか。


 そんなことをぼんやりと思っていたその時、見上げていた石段の中段辺りに人が立っていることに気付いた。


「こんな時間に出歩くのは危ないと思いますよ?」


 いつの間にか視界に現れた人物は巫女さんだった。それも同じ年ぐらいの少女。


「あは。矢丘高校の人だったんですね」


 巫女服の袴を揺らしながら石段を下りてくる少女。

 段々と街灯に照らされていくその姿。巫女服に合わせて結ったのだろうか、ポニテにした髪と小袖が風にゆらゆらと揺れていた。

 神社の関係者だろうか。


「えっと……」


「あ、すみません突然驚いちゃいましたか?同じ矢丘高の人を見かけたのでつい声かけちゃいました。あは」


 にこっと笑いかけてくる少女。同じ矢丘高ってもしかして……


「君も矢丘高の生徒なのか?」


「その通りですよ。ごめんなさい、申していませんでしたね。矢丘神社の神主の娘、森羅佐奈って言います。今年から矢丘高の1年ですよ?」


「!!君も同じ1年だったのか。俺は神谷零二。同じ1年のクラスは3組だよ」


「わぁ、偶然ですね!あたしは1組なんですよ」


 森羅と名乗った少女は人懐っこく話しかけてくる。巫女装束を着ているのに清楚っぽい感じが皆無だった。

 それに同じ高1とのことだか、正直あれだ。中学生、連続へたすると小学生にすら間違われそうなほど小柄な少女だった。


「あ、ごめんなさい。帰る途中だったんですよね?盗み聞きするつもりじゃなかったんですけど偶々聞こえちゃって」


「いや、大丈夫だよ。今から走れば十分間に合うから」


「あは、良かったです。でも、何かの縁ですし学校で会ったら話しかけてくださいね!!零二君」


「ッ――」


 急に名前を呼ばれたことにも驚いたけど、何故か森羅が急に急接近してきたのだ。

 それこそ人が入るスペースがないほどの密接するほどの距離。


「いきなり何を……」


「ぁ……ごめんなさい、何でもないんです。あは?」


「ならいいけど。じゃ、俺急ぐから。じゃぁな、森羅」


「はい、さようならです。零二君」


 急に現れて話すだけ話してきた少女。何だったんだ?急いで帰るために踵を返して走り出そうとしたその時、森羅が近づいてきた理由を知ることになった。


「やっぱり……魔女の臭いがする……あはぁ。やぁぁぁっと見つけた」


 ゾクッ――……


 心臓を握られる気分だった。

 俺は脇目も振らず全力で駆けだした。その場から一刻も早く逃げるために。

 独り言だったのだろう。微かに聞こえてきたその声に俺は反応することが出来なかった。いや、反応したくなかったのだ。

 森羅が何故魔女という言葉を口にしたのか。俺はその事を問い質す勇気もなくただ、その場から離れるために走る速度を上げ続けたのだった。

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