第11話 そして友達になる

 アルテミが去る直前、ハクリの買収に成功したあたし達は、彼女の家、その客室で一夜を明かしていた。


 裏ギルドのボスというだけあって、住む家は豪華だ。

 あたしはふかふかのベットに体を投げ出し、やわらかい枕に顔を埋めていた。

 すると、思い浮かぶのはアルテミが最後に見せた悲痛そうな表情だ。


「ずいぶんうだうだ考えてるね」


 そんなあたしに、リコリスは語り掛けてくる。

 昨日は泣きそうな顔をしていたくせに、今はもうずいぶんケロッとしていた。


「リコリスはもう平気なのかよ?」


 薄情者めと思うあたしに、彼女は優しく寂しそうにも微笑みかける。


「平気じゃないけどさ。ハクリさんが部下の人を使ってアルテミを探してくれてる。この街は地続きだし、人魚の彼女がそう遠くまで行けるとも思えないわ」


「無理やり連れ戻す気か?」


「まさか。でも、私はまた彼女を仲間にしたいの」


 そう言ってリコリスはあたしの隣に腰かける。

 彼女はふかふかのベットを撫でながら、あたしに優しく話しかけた。


「私ね、もう気にしない。アルテミがモンスターでもいいと思ってるの」

「でも……アルテミは気にしてるっぽいじゃん」


 彼女はあたし達の前から去った。

 それは、アルテミにとってあたし達が正体を隠さなければ一緒に居られない程度の仲だったと言うことじゃないか?

 それに……あたしはあの場で、彼女を引き留められなかった自分を許せないでいた。

 胸の内で、切なさと悔しさが考える度にないまぜになっていく。

 けど、リコリスはあたしとは対照的な顔をしていた。


「そうかもね。でも私はもう気にしないわ。いいじゃない? 人魚の友達がいたって。人魚に人間の友達がいたって」


 にっこりと幼馴染はあたしに笑いかけ、言葉を紡いでいく。


「私はね、それをあの子に言いに行きたいの。そして、もう一度彼女を仲間に誘う。チーノだって、そうしたい筈でしょ?」


 その言葉に、あたしはこくりと頷いた。


「大丈夫よ、チーノ。私も、あなたみたいにみょうちくりんな能力を持ってる人と友達になれたんだもん。むしろ人間、一人や二人くらいおかしな友達がいた方が人生華やかになるわ。それは、相手が人魚で、モンスターでも変わらない。大丈夫よ、きっと上手くいくわ」


 リコリスの声はまるであたしを優しく包み込むようだった。

 だが、それも束の間。


「それにね。あたし達、彼女がいないととても困ることになるのよ?」


 そう言うと、彼女はにやりと口元を歪ませた。

 すると、コンコンと部屋のドアがノックされた後、ハクリが顔を出す。


「たくっ、ひどい損失だぜこりゃ……」


 彼女は、一枚に紙を手に何やら難しそうな顔をしていた。





 二人に正体がバレた。


 人目を避け、街道の陰に身を潜めるように歩く私の心境は暗い。

 気分は沈みっぱなしで、頭の中は暗い想いでいっぱいだった。

 そのせいか、地上に上がろうと考えていた時のことを考える。

 他人のお金を増やすこの力、うまく使えば人魚でも地上で人間と仲良く暮らせると信じていたあの頃。


 思えば、あの時の私はなんて無知だったろう。


 冷たい海ではなく暖かい木漏れ日に思いを寄せ、固い海底ではなくやわらかい草原に寝転がることを夢見る……視界に広がるのは宝石のようなサンゴ礁ではなく、愛らしい花々。

 なんて生活を送れると思っていた。


 でも、私を待っていたのは力を利用されるだけの日々。


 暗く寒い部屋で過ごし、固い床に横になって眠る……視界に映るのはさびれた街並み。

 夢見た生活とは程遠いものだった。

 そんな日々から私を救い出してくれた人達。

 私は、よりにもよってその人達に自分の正体を晒してしまったのだ。

 モンスターと人間が手を取り暮らすなんて、祝福がある筈がない。

 だから、正体がバレるようなことがあれば海へ帰ろうと……初めから私は決めていたんだ。


 思わず、ため息が出る。


 けど、二人に正体を明かしたこと……あの時、あの場の選択に後悔はなかった。

 けど、心残りはあった。

 私は、心の底から……もっと二人と旅をしていたかったと、そう思っていたんだ。


 そして、それは今も……。


 今、地上を歩く私の足取りは重い。

 二人と旅をしていた時は、羽のように軽かったのに。

 ここが海なら、私はどれだけ速く進めただろうと、意味もなく考えた。

 人の脚は、なんて不便なんだろう。

 私は、トボトボと歩く。

 一人で、ただただ海を目指して。


 でも――


「アルテミッ!」


 ――急に名を呼ばれ、あたしは歩みを止めた。


 思わず顔を上げ、視界に映る彼女達の姿に自分の目を疑う。

 つい、嬉しいと思ってしまった。


「どうして、ここにいらっしゃるんですかっ」


 困惑と共に瞳がうるうるとしてくる中、私は問う。

 すると――


「お前を、連れ戻しに来た!」


 ――チーノさんはそう言い放ち、その直後、私に駆け寄――……いや、すり寄った。

 そして、彼女は臆面もなく言うのだ。


「というか、あたし達を助けてほしいっ!」


 それは、悲痛というにはあまりに焦りを孕んでいて、よもや私を迎えに来てくれたのでは?なんてセンチメンタルな考えを吹き飛ばすには十分過ぎる前向きな嘆きだった。


「い、一体何があったんですかっ?」

「5億! 5億イェンが今すぐに必要なんだよっ!」

「へ?」


 唐突に提示された大きな額に、思わず妙な声が漏れる。


「そ、そんな大金……あっ! まさかアンリエットさんがまた現れたのですかっ?」


 ふと、そんな考えに思い至ったが、チーノさんは首を振る。

 その後、ゆっくりと私達に歩み寄ったリコリスさんが一枚の紙を私に見せ、説明を始めた。


「これね、有り体に言うと賠償請求なのよ」

「賠償請求?」

「そ。アルテミが水魔法で水浸しにしてダメになったスパイスのね」


「あの時! 一階の商業ギルドフロアにさ! あいつらが商売に使うスパイスが大量に置かれてたんだよ! スパイスって言ったら金より価値があるって言われてさ! それで5億イェンの賠償金だ! でもさ、あたし達そんな大金ねぇんだよ!


 ハクリを買収するので3億も使っちまったから!」

 今にもわんわんと悪戯っ子のように泣きべそかきそうなチーノさんを私は抱きとめる。

 そんな様子を、リコリスさんはおかしそうに見ていた。


「ま、なんて建前もあるんだけどさ。いい加減、素直になったらどう? チーノ」


 それは意地悪くも優しい姉のような声の出し方。

 リコリスさんの言葉に、チーノさんは罰が悪そうな顔になる。

 それから、一呼吸おいて彼女はボソボソと言った。


「あんな……あんなバイバイの仕方って、ねぇだろ……」


 小さな、とても小さな声だった。


「ちょっと、それじゃアルテミに聞えないよ?」

「わっ、わかってるって!」


 ううん……ちゃんと、聞こえましたよ。

 でも、なぜかそれが声になって出ない。

 勝手に嬉しさが溢れて来て、私は……自分勝手にチーノさんの先の言葉を想像してしまう。


「あのさ……アルテミは、あたしを助けてくれただろ? その、だから……アルテミはもうあたしにとって英雄というか、ハクリと渡り合えるなんてこの国に必要というか……」

「もう一声」

「アルテミと、もっと一緒に旅がしたいっていうか……」

「もう一息」

「仲間に……勝手にどっかいかれるのは寂しいっていうか」

「もうひと押し」


 チーノさんは、リコリスさんに促されるように気持ちを吐露していった。

 そして――


「もっと、ずっと一緒にいようぜ! アルテミが人魚でも関係ねぇよ! あたし達、友達なんだから!」


 ――思わず、ずぎゅんと来た。

 それは、大げさに言えば愛の告白だ。

 うぬぼれて良いなら、親愛の告白。

 胸が熱くなり、この瞬間……私は言葉を失った。

 すると、リコリスさんがそんな私の顔をのぞき込む。


「ちなみに、私もこのお姫様と同じ気持ちよ、アルテミ」


 なんてことをにこりと彼女が言うと、チーノさんは出汁にされた! とばかりに恥ずかし気に伏せていた顔を上げた。


「なっ! ずるぃぞリコリス! あたしだってやばいくらい恥かしいのに! お前も自分の言葉で伝えろ!」

「やぁよ。あたし照れ屋だもの」


 そのあと、喧嘩をするように二人はじゃれ合う。

 まるで、隣り合って風に揺れる二輪の花のように……。

 そんな目の前の光景に、私は心が温かくなる。


 海の中で私が地上に夢見ていたもの。

 暖かい木漏れ日。やわらかい草原。愛らしい花々。

 けど、そんなものより、ずっと素晴らしいものがあることを、あの時の私は知らなかった。


 それは、なんて愚かしいことだろう。

 今、私は……海の中では夢にも思えなかったものに手が届きそうだ。

 いや――


「あの……チーノさん、リコリスさん! 私を、もう一度二人の旅に連れて行ってください!」


 ――いつの間にか、私はそれにしっかりと手を掴んでもらっていた。


「そんなの、当り前だろ」


 チーノさんに続き、リコリスさんがこくりと頷く。

 私に、人間の友達ができた。

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