第9話 あたしは空振った

「ちょっとチーノどういうことよ!」

「あの受付女、買収金額が3億超えてるんだよ」


 あたしの返答に、リコリス達は目線を受付嬢へと一斉に向けた。

 すると、あたしに集まっていたならず者達の視線が、ちらほらと受付嬢に集まり出す。

 しかし、受付嬢は張り付けたような笑顔を決して絶やさない。


「お客様、おもしろい冗談をお言いになるんですね」


「こんなの冗談で言うかよ。あんたは今ここにいる誰より強い。なんでこんなとこに居るのか不思議なくらいだ……あんた、ひょっとして裏ギルドを仕切ってるっていうボスだったりするか?」


 そう言うと、この階にいる人達は一斉にざわめき出した。


「まさか、冗談だろ」

「あの受付嬢のねぇちゃんが裏ギルドのボス?」

「ははは、ねぇよ。ないない」


 驚いたような声や不信感に満ちた声、嘲笑なども混じっている。

 だが、あたしの能力を知るリコリスとアルテミだけは疑いもせず、不安と緊張感を抱いてあたしの傍に集まった。


 そこに、スライムゴーレム男が声を掛けてくる。


「き、気の強いお嬢ちゃん、いくらなんでもそりゃ無理があるぜ? あのねぇちゃんはとても裏ギルドのボスなんてガラじゃねぇ。いつもニコニコしてるのがトレードマークの愛想のいいねぇちゃんだ」


「それこそ、カモフラージュって奴なんじゃねぇのか? 何にしろ、あたしはマジでビビってるよ。それこそ魔王にでもなれそうな人間が、こんなところでならず者相手に笑顔振りまいてるんだからな」


 あたしは今、目の前でドラゴンがこどもにアメを配り歩いてるのを眺めてる気分だった。


 思わず、緊張でごくりと唾を飲み込んでしまう。

 その時、にこにこと微笑んだまま人形のように表情も姿勢も崩さなかった彼女が、ふいに俯いた。


 次の瞬間――


「ふふ……ふふふっ。あはははははははっ」


 ――彼女はせきを切ったように笑い出した。


「ははは――はは、あー……ふぅ……いや、失敬失敬。オレもまさか君みたいな嬢ちゃんに見破られるだなんて想像もしてなかったからよ。もうバラしてもいいやって気になっちまったよ」


 そう言うと受付嬢――いや、裏ギルドのボスはきちっと止めていた受付嬢の制服、そのボタンを緩めていく。

 急に人が豹変ひょうへんした彼女に、あたしを含め、ここにいる全員が唖然とした。


「じゃあ、マジであんたがここを仕切ってるボスなのか? 幹部とかじゃなくて」


「なんだよ嬢ちゃん。オレの実力を見破ってみせた癖に、そんなことでまだ自信がないのか? オレが正真正銘、裏ギルド『牙』を仕切ってるよ。名はハクリ。それとも、女のオレがボスじゃ意外

か?」


 可笑しそうに訊き返すハクリに、あたしは首を振る。


「いいや、つい先日人を見た目で判断しちゃいけないって実感したところでさ。さっきも言ったけど、あんたみたいな強い人がここで受付嬢なんてしてることにビビっただけだよ」


 そうして、あたしとハクリが話している間に、彼女の周りにはボディガードと思しき男達が集まり出した。

 人数は4人。どいつもこいつも、頭上に1億を超える金額をくっ付けていやがる。


 彼らの雰囲気に圧倒され、あたしはその場で後ずさりしそうになった。

 ハクリは、そんなあたしを見て「ククク」と笑って見せる。


「それで、あんた達オレに用があるんだって?」


 彼女は聞くだけ聞いてやると言わんばかりにあたし達に告げた。

 あたしはびくびくと震え、緊張で固まるアルテミとリコリスを背に、引いてはいけないと思い一歩踏み出す。

 すると、ボディガードの男達がギロリッとあたしをにらんだ。

 だが、そんなことでひるむ訳にはいかない。


「あ、あたしらは裏ギルドのボス――あんたを買いに来たんだよ」


 直接彼女と交渉できるのだと、あたしは自分に言い聞かせ、ハクリに真意を告げた。


 だが――


「ぶはっ! か、買うだってっ!?」


 ――ハクリは吹き出して笑い、あたしの言葉を一蹴する。


「おい、聞いたかお前らっ、あの嬢ちゃんあたしを、買いに来たんだとよ」


 ゲラゲラと笑うハクリにリコリスが噛みついた。


「何が可笑しいのよっ!」


「いや、失敬失敬。しかし、そんなことを言われたのは初めてでね……あー、いや昔に一度男に言われたかな? にしても、あたしを買うねぇ……で、お嬢ちゃん達、一晩あたしを買ってナニがしたいってんだい?」


 呼吸を整えつつククッと笑うハクリに、あたしは大真面目に声を張り上げる。


「ハクリさん、あんたを買うのは別に一晩だけじゃない。それで、ナニをしてもらうかって? あたし達は、あんたに魔王を倒してもらいたいのさ」


 すると、ハクリはピタリと笑うのをやめた。


「へぇ……そいつはずいぶんと楽しいお誘いだ。で、いくら出す?」


 彼女は、狩場に獲物を誘い込むワイバーンのように冷たく鋭い目であたしを見つめた。


 その視線にぞくりと背筋を冷やされる。


 あたしはアルテミ達へと手を伸ばし、札束の入ったかばんを受け取った。


「3億2000万……だ」


 そして、かばんをそのままハクリに向かって突き出す。


「ほぉ……そいつは大金だ」


 ハクリはボディガード達を手で制し、カツカツと靴を鳴らしてあたし達の方へと歩み寄った。


 ボディガード達とハクリとの距離が遠のいていく。

 その分あたし達とハクリの距離が近づいていった。


 そして、ハクリがあたしの射程内に入るっ。


 直後あたしは、札束の入ったかばんをそのままハクリにぶつけるつもりで振り上げ、叫んだ!


トラディショナル・コーナー・イン有無を言わせぬ買収行為


 この瞬間、あたしは3億2000万の女を買収できた――筈だった。


「のろいなぁ。しかし、商売相手に金をぶつけようなんて、お嬢ちゃんどういうつもりかな?」


 しかし、気付けば札束の詰まったかばんの一振りは空を切っている。

 あたしの攻撃は、いとも簡単にハクリに避けられたのだ。


 この事実を認識できた時、あたしはとんでもない絶望感に襲われた。


 あたしの能力は買収額に応じたお金を、相手にぶつけられねば発動しない。

 いくらお金があろうと、敵さえも従わせることができようと、当たらねばどうすることもできないのだ。


 あたしは今、決して勝つことのできない盤上ばんじょうに立っていることに気付いた。

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