Chapter.3『聖戦 - The struggle』
その姿は、白く神々しい化身だった。
全身は白い翼に包まれており、遠目にみれば、ホラー映画なんかに出てくる白い包帯に覆われた不気味なゾンビのように見えてしまうかもしれない。それほどまでに、その存在がこの空間に居ること、それ自体に違和感があった。
「イデア……クレイン……。俺は、そう言ったのか……?」
病院の窓ガラスに反射して薄っすらと浮かび上がっているその姿を見つめながら、俺は先ほど無意識のうちに呟いていた単語を復唱する。これまで記憶になかったはずの言葉が、今は確かに自分の頭の中に存在している。そんな信じがたい現象に、俺は少なからず気色の悪さを感じていた。
「千鶴……君は一体……?」
彼女に対して疑心を抱く。
確かにこれまでも、俺は彼女の語る言葉に首を傾げることは少なからずあった。しかし、今回に関しては、今までのそれとは本質的に異なる。今自分が抱いているこの感情は、千鶴に対しての不安感なのだ。自分の中の千鶴像が、音を立てて崩れてゆく。それを恐れているのだ。
されど、そんな感傷すらも吹き飛ばすように、黒い影が視界に飛び込んでくる。
「う……ぐぅ…………ッ!!」
細長い手から鋭利な爪を繰り出してくるイミューンに対し、俺はつい萎縮してしまう。身体中の神経が強張り、脳が必死に“逃げろ”と警告していた。
刹那、爪がついに眼前まで迫り来るのをみて、俺は咄嗟に目を瞑ってしまう。少し遅れて、猛烈な衝撃が俺のいるこの空間を揺さぶった。
もう駄目だ。そう思ってしまった自分がいた。
しかし、恐る恐る瞼を上げて、その光景に驚愕する。
鳥巨人の内部に居るであろう自分と、襲いかかってきたイミューン。その間を、群青色をした青く透き通った障壁のようなものが隔てていたのだ。
「なんだ……これ……、バリア……!?」
目の前にいるイミューンは、まるで見えない壁を必死に突き破ろうとするように何度も爪を叩きつけている。気付いたことは、それだけではない。
俺は試しに、自分の右手の拳を握って、開いてみせる。すると、まるでその動作に同調するかのように、鳥巨人もまた同じように右手の指を動かしたのである。
理屈や原理はわからない。しかし、ただ一つ言えることは……、
「“俺の思い通りに動いてくれる”、そういうことなら……っ!」
イミューンを倒す。そうしなければ、こちらがやられてしまう。
本能的にそう判断した俺は、すかさず“両の手を前へと突き出すイメージ”をイデアクレインへと送る。するとこちらの思惑通りに、翼に覆われた力強く巨大な両腕は、展開されているバリアすらも突き破って、イミューンのか細い首元を強引に掴んだ。
イミューンが耳障りな悲鳴をあげる。されど、俺は拳に入った力を緩めることなくイミューンの首を締めていく。
「お前たちは……ッ! お前たちなんかが来るから……ッ!!」
その感情は、イミューンという名の理不尽に対する苛立ちであった。異形の怪物に対する怒りや憎しみ。そんな負の感情を拾い上げたかのように、イデアクレインは背中から一対の真っ白な翼を広げる。
「空に還れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
イミューンの首を両手で掴んだまま、夜空へと羽ばたく。驚くべきことに、飛翔したイデアクレインは一瞬にして街中を見渡せるほどの高度へと達してしまった。しかも、急上昇によるGなども一切感じられなかった。
(殺してやる……! 殺してやる……ッ!!)
衝動に身を任せ、俺はなおも上昇し続けているイデアクレインの拳に、精一杯の力を込めさせる。生存本能からなる、かつてないほどの破壊衝動。それに応えるように、イミューンの首を掴むイデアクレインの両手の掌が青い光を放つ。
二度の発光と、二度の衝撃。それらが立て続けに起こったあと、尽き果てた様子のイミューンはイデアクレインの手を離れ、力なく墜落してゆく。落下中、イミューンは黒い羽根となって散らばり、やがて虚空へと消え去った。
「はぁ……はぁ……。倒し……たのか……?」
消滅してゆくイミューンを見届けながら、俺は今起こっている事態に理解が追いつかず、ただ驚愕することしかできなかった。
息を整えつつも、必死に頭の中を整理する。
俺と千鶴の前に、突如として出現した巨大な卵。その中に、この
(何もかもが解らない……。だけど、一つだけわかる)
千鶴が何を知っているのか、俺は知らない。
なぜ俺がこいつを動かせるのか、考えたところでわかるとも思えない。
しかし、いま自分が一体何をすべきなのか、それだけははっきりとわかった。
(“俺は
千鶴への疑心や不安は未だに取り除かれてなどいない。寧ろ、イデアクレインの常軌を逸脱した強さを目の当たりにする度に、彼女に対する懸念は募っていくばかりだった。それでも、自分にとっての目先の目標が明らかとなっただけでも、先ほどまでよりかはずっと気が楽になった。
決心を固めた俺は、眼下に広がる街へと目をやる。イミューンの一方的な攻撃により建物は燃え上がり、炎の海と化していた。自分が日々を過ごしてきた景色が、焼けていく。その事実だけでも、俺がイミューンに対して怒りを爆発させるには十分すぎる理由と成り得た。
*
「があああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
一体のイミューンを地面に叩きつけると同時に、燃え盛る大地へと舞い降りたイデアクレインは、近くを漂っていたイミューンの編隊を捉え、すかさず掌を向ける。使い方は、知らずとも解っていた。
(ビームを撃つ……イメージ……ッ!!)
掌から光が迸る。イデアクレインから放たれた群青色の閃光が、群れをなして飛行していたイミューンのうち一体の漆黒の身体を容赦なく焼き貫いた。
すると、こちらの存在に気付いたらしいイミューンの群れは、散開して切迫してくる。こちらもやられまいと両腕を上げ、先ほどと同様の方法で一体一体を確実に撃ち落していく。しかし、それでも全てを迎撃しきることはできず、敵編隊のうち一体の接近を許してしまった。
「早いッ!? なら、剣のイメージで……ッ!!」
緊迫した状況の中、俺は必死に念じる。すると、イデアクレインの右腕の手の甲から、先端の尖った光の板のようなものが伸びた。それはまさしく、俺の望んだ武器……光のツルギであった。
一閃。イデアクレインが横薙ぎに振るったその剣は、急迫してきたイミューンの頭部から腰にかけてを、いとも容易く切り裂いた。
鬼神の如き気迫をみせるイデアクレインに、イミューン達が一瞬だけ動揺をみせる。今の冴え渡った俺の瞳は、それを見逃さない。
(塵一つだって残さない……。
炎の中に立ち尽くすイデアクレインが、その場で巨大な翼を広げた。翼に付いた羽根の一つ一つが、電撃を帯びた淡い光りを放ち始める。次の瞬間、両翼から数十本もの閃光が、四方八方のイミューン達へ向かって一斉に飛び出した。それら一本一本の曲線は、回避しようとしたイミューンすらも執拗に追い詰めては貫き、次々に消し炭へと変えてゆく。街中を飛び回っていたイミューン達が、文字通り滅殺されていった。
「はァ……はァ……、……っ! あれは……!?」
なにか嫌な気配を感じ取り、俺は上方を仰ぎ見る。遥か2万メートルほど上空、それまで何もなかった空間が突如として歪み始め、巨大な物体が出現する。不気味な形をした紋様が記されている円盤を見て、情報社会に生きる現代人である俺が唖然としないはずがない。
「UFO……いや、マザーシップ的な何かなのか……?」
円盤の中心部にあるハッチが開き、中からはやはり数体のイミューンが飛び出してくる。あれが奴らにとっての母艦なのか、はたまたワープゲートとしての役割を担っているのかはわからない。しかし、円盤がイミューンを排出する光景を目撃した以上、自分のやるべきことは決まっている。
「あれを仕留めれば終わる……! 行くぞ、イデアクレイン……ッ!」
轟。と、両翼を広げイデアクレインが再び飛翔する。
雪を降らす雲を突き抜け、音速を越え、亜光速にすらも達しつつある白き巨人が円盤付近にまで接近するのには、数秒を要することもなかった。
こちらを迎撃するつもりなのか、円盤の外縁部分から赤い曲線が撃ち放たれる。俺はイデアクレインに青いバリアを展開させ、臆することなく眼前の円盤を目掛けて突っ込んでいく。
「これで……ラストォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
これまで全身を覆うように張り巡らせていたバリアを、右の拳に集束させる。そのまま上昇する勢いを一切殺さずに、俺は円盤に向かってボクシングのアッパーのように拳を振り上げた。一筋の光となったイデアクレインが、巨大円盤を一気に貫いてゆく。
直後、中心部を貫通した円盤は一瞬だけ膨張したのち、収縮して終いには消滅していった。
*
街に現れた全てのイミューンを倒した後、気がつくと俺は病院の駐車場に戻っていた。念のため辺りを見回してみたが、先ほどまで自分が乗っていたイデアクレインの姿はどこにも見当たらない。それどころか、先ほどは駐車場にあったはずの巨大な卵さえ、いつの間にか消え去っているのであった。
それだけではない。最終的に退治することができたとはいえ、イミューンがもたらした被害は計り知れず、街は燃え、それによって多くの怪我人がこの病院へと担ぎ込まれているのだった。
何もかもが変わってしまっていた。唯一、今自分の目の前に立つ少女を除いて。
(千鶴……)
とりあえず、俺は彼女の名前を呼ぼうとする。が、それに続く言葉がどうしても思い浮かばなかった。
彼女の無事を喜べばいいのか。それとも、イデアクレインのことについて問い詰めるべきなのか、わからなかったのだ。
「心くん」
俺がどう声をかけてよいものか悩んでいると、先に千鶴の方から名前を呼ばれた。すぐに視線を逸らそうとする彼女の仕草は、まるで親に隠し事をしている子供のような、そんな印象を受けた。
やはり、真相を問い質さねばならない。
そう心に決めた俺は、再度彼女の名前を呼ぼうとした。
「なあ、千鶴……」
「ごめん……ね……」
しかし、まるで俺の声を遮るかのように、千鶴がまた俺に謝罪の言葉を投げかける。だが、これに対して俺が苛立ちを覚えるようなことはなかった。というよりも、そんな暇さえなかった。
千鶴は言い終えると同時に、まるで力尽きたかのように倒れてしまったのだ。状況を理解するよりも体がはやく動き、俺はすかさず千鶴の華奢な体を受け止める。
「千鶴……? おい、しっかりしろ……千鶴……!!」
呼びかけつつ、抱きかかえている彼女の体を必死に揺さぶる。しかし、千鶴は一切の反応を示さない。意識を完全に失っていた。
(こんなのって……アリかよ……ッ!!)
俺はわけもわからぬままあの鳥巨人に乗せられ、それでも千鶴を守るためにと戦った。ならば、この仕打ちはなんだ。これでは、俺の戦った意味すらないじゃないか。もっと、聞きたい事や、話したい事が沢山あったのに……。
──何をしている! まだ彼女に脈はある。はやく治療を受けさせたまえ!
「……っ! 誰だ!?」
声が頭の中で響き、俺は反射的に聞き返す。この声や感覚には覚えがあった。イデアクレインに乗った時に聴こえた声と同じだ。
──私の事など後だ! 今ははやく彼女を病院へ……!
有無を言わせない声に苛立ち、俺は咄嗟に何かを言い返そうとしたが、寸前で言い淀む。彼──といっても、性別はわからないが──の主張は至極もっともで、尚且つ冷静な判断によるものだと思ったからだ。
「……そうだな。あんた、名前は?」
──名前など、どうでもいいだろう。
「聞かないとお礼が出来ないだろう? 教えてくれないならそれでいいけどさ」
ふむ……、と声の主は一拍置いたあと、自らの呼び名について話す。
──私に名前というものは存在しない。……が、そこの娘には“妖精さん”などと呼ばれている。まあ、好きに呼ぶがいい。
何気なく語られたその名前に、俺は驚きを隠せなかった。
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