Chapter.2『鳥巨人、飛翔 - The name is iDeAcraNE』
クリスマスが近いということもあり、駅前の商店街は暖かな街灯と綺麗なイルミネーションの光に包まれていた。店頭からはポピュラーなクリスマスソングが流れ、ありきたりだとは思いつつも、不思議と気分を高揚させてくれる。道行く人々の中には当然ながらカップルも多く、そんな彼らを見て一人帰路を歩く俺は、多少なれども羨ましく感じてしまっていた。
クリスマス・イヴ。あと一週間ほどで訪れることとなるその日は、恋人たちにとっては特別な意味を持つ日でもある。キリスト教どころか、あらゆる宗教に関心を持たない筈の日本人が、なぜこの日を重要視するようになったのか理由は定かではないが、事実として大抵の日本人は『12月24日は恋人と過ごす日』と認識していることが多かった。平々凡々な少年である俺こと折原心もまた、御多分に洩れずそのような日だと思っている。
クリスマスセールでも開催しているのか、人で溢れかえっている百貨店の前を、俺は特に意に留めることもなく通り過ぎようとした。しかし、ちょうどそのタイミングで店から出てきた一組の男女を見て、俺は思わず立ち止まってしまった。
女性の方が大事そうに抱えている、綺麗にラッピングされた小包。あれは間違いなくクリスマスプレゼントというやつだろう。そういうものはもっとこう、サプライズ的に贈るものではないのかという至極もっともなツッコミを入れたくもなったが、幸せそうな二人の様子を見るとそんな気持ちも消え失せてしまった。
(クリスマスプレゼント……か)
心中で思わずそんなことを呟くと、脳裏に幸せそうに笑う千鶴の顔が思い浮かぶ。思えば、千鶴と付き合うことになってもうすぐ一年となるが、彼女に対してクリスマスプレゼントを贈ったことは一度もなかった。告白したのが今年の一月の出来事なので、当然といえば当然のことではあるのだが。
もし自分も何か素敵なものを贈れば、千鶴は先ほどの女性のように幸せそうな笑顔を向けてくれるだろうか。千鶴は元気になってくれるだろうか。
(へへっ、たまには普通の恋人っぽいことをするのもアリだよな)
思い立ったが吉日、俺は早速、クリスマスムードで賑わう百貨店の入り口をくぐることにした。
*
「ありがとうございましたー。またお越し下さい」
会計を済ませ、小洒落た商品袋を受け取ると、俺は胸がはずむのを包み隠さずに百貨店を後にした。
一時間ほど悩み抜いた末、千鶴へのプレゼントは手頃なサイズのスノードームにすることにした。これならば病室に置いても邪魔にはならないし、寧ろ芸術的な感性を持つ千鶴にはピッタリだとさえいえるだろう。我ながら完璧なチョイスであると自負していた。
店を出ると、やはり街中は依然としてカップルや会社帰りのサラリーマンたちで溢れかえり、ともすれば例年以上の賑わいを見せていた。それはまるで店中から流れるクリスマスソングに身も心も踊らせ、現実を忘れようとしているようにも見えた。
それもそのはず。まだ日本には出現していないため実感こそ沸かないとはいえ、こうしている間にもイミューンの脅威は世界中に迫りつつある。多くの人々はすでに『人類に勝ち目はない』ということを悟っており、こうして羽目をはずすことで、いずれ迎えるであろう終焉から目を逸らしているのだろう。かくいう自分も、もしかしたら千鶴に精一杯尽くすことで、現実を忘れようとしているのかもしれない。こう改めて客観的に物事を見てみると、何もかもがどうしても虚しく感じられてしまう。それが、今を生きる全人類の状況であった。
「……帰ろう」
制服の上から来た厚手のコートのポケットに手を突っ込み、再び帰路を歩もうとしたその時。
鼻先に、なにか冷たいものが触れるのを感じた。
俺はつい顔を上げ、夜空を仰ぎ見る。周りの通行人たちもみな、同じように上を向き始めていた。
「……っ! 雪だ……!」
天空から降り注ぐ無数の粉雪。それらはまるで、この場にいる人々を祝福しているようにさえ思えた。ここら一帯では初雪ということもあり、周囲はすぐに笑顔で溢れた。雪をみてはしゃぐ者、スマートフォンを取り出して写真を撮る者など、反応は様々であったが、いずれにしても彼らの表情は希望に満ちていた。そしてそれは、俺に関しても例外ではない。
(千鶴も見ているのかな。俺と同じ空を)
彼女がいつも描いていた、現実離れした美しい空。それを実際にこの目で見れたような気がして、俺はわけもなく嬉しくなってしまった。
しかし現実は、俺たちが一瞬でも抱いてしまった幻想を、いとも簡単に打ち砕く。
通行人の一人が上空のある一点を指差し、俺や他の人たちもつられてそちらへ視線を向ける。街灯が照らすこの場所から見上げる夜空に星の輝きは見えなかったが、そんな星々なんかよりも遥かに現実離れしたものが見えた。
「嘘だろ……? ベルリンにロンドンにNYと来て、なんで次は東京じゃなくて、こんな地方都市なんだ……?」
受け入れがたい光景を目の前にし、ついそんな声が漏れる。されど、上空に現れたそいつらは、カラスを彷彿とさせる漆黒の両翼を一斉に広げると、徐々に地上へと近づいてきているようだった。“世界の終焉”なんていう見飽きたネット記事の見出しが、今になって急速的に現実味を帯び始める。
「なんでこんなところに来るんだよ……! なあ、“イミューン”……ッ!!」
西暦2019年12月17日。
その日は、日本にイミューンが初めて襲来した日となった。
*
「はぁ……はぁ……! 千鶴、きっと無事だよな……!」
千鶴のことが心配で居ても立っても居られなくなった俺は、気付けば病院へ向かうべく来た道を全速力で逆走していた。
相変わらず上空では、イミューンが自衛隊の戦闘機を相手に、一方的な殺戮を繰り広げている。どうやら奴らは不思議なバリアを纏っており、通常兵器の類は一切通用しないらしい。背後で戦闘機が爆散し、空中で炎が炸裂する。オレンジ色の光に照らされながら俺は、しかし決して後ろを振り向かず、がむしゃらに走り続ける。
(それにしても、あいつらの正体は一体何なんだ……!?)
イミューンの正体については、ネット上でも各所で話題にされ、物議を醸していた。そもそもこの“
「はぁ……はぁ……っ、み、見えてきた……!」
真っ白な病練をようやく拝むことができ、俺は息切れを無理やり押さえ込むようにして尚も走り込もうとする。足はもはや棒のように感じられ、冷たい風が露わになっている耳や鼻の感覚を徐々に奪ってゆく。それでも、俺が足を止めることは一切なかった。
ようやく俺は、近辺では有数の広大な総合病院の、その駐車場にまで辿り着く。院内にはまだ患者が取り残されているのか、病練の窓ガラスには灯りが点っていた。
「おいおい、避難もしてないってのかよ……!」
つい苛立ちを口にしてしまったが、すぐにそれは軽率な批判であると理性がそれを咎める。あれほどの脅威なのだ。何処に逃げようと、結果は同じなのかもしれない。
(だったら、せめて……)
最後に千鶴と会いたい。どうせなら、二人一緒に終焉を迎えたい。
心のどこかで、そう思っている自分がいた。
「心くん。こっちだよ」
すると背後から、鈴を転がすような少女の声が聴こえた。
待ち望んでいた、ずっと聞きたかったその声を聞くなり、俺はすぐさま声の主のほうを振り向く。そこには、やはり病衣に身を包んで立ち尽くす野上千鶴の姿があった。
「千鶴……!? えっ、でもなんで後ろに……?」
彼女の立っている場所は、つい先ほど自分が通り過ぎた所である。当然、自分が通過する際に彼女の姿はなかったはずだ。しかし、こうして出会す事が出来たのだ。そこにいた理由など、この際どうでもいい。
「でも、よかった……千鶴……。無事みたいで……」
「……来る」
「えっ?」
俺はつい聞き返すと、千鶴はどこか遠くを見るような眼差しで虚空を睨んだ。彼女が見つめる方角に、俺も視線を移す。黒い翼を広げた怪物が、こちらに向かって刻一刻と迫りつつあるのがみえた。
「あのイミューン……。まさか、こっちに来てる……!?」
人間のそれよりも遥かに細く長い四肢をもち、猫背のような姿勢で巨大な翼に身を委ねているそのシルエットは、次第に大きくなってゆく。もし奴らの目的が本当に人類の殲滅ならば、俺たち二人の命も危うい。
「千鶴っ!!」
俺は咄嗟に、千鶴を庇うように抱き寄せる。
直後、怪物のものらしき咆哮が鳴り響くと共に、アスファルトの地面を強い振動が駆け抜けた。
もう、ダメだ。
力強く千鶴を抱き締めながら、そう思ってしまっている自分がいた。
「心くん。大丈夫、目を開いて」
「え……? 俺たち、生き……てる……?」
ついさっきまで力んでいた瞼を開くと、そこには俺に肩を掴まれながらも平然とした表情をしている千鶴がそこに居た。必然的に彼女と見つめ合う形となる。しかし、彼女の眼差しはまるで俺を見ていない。まるで俺の背後にある何かを見つめているようだった。
(って、背後……?)
背中に何か奇妙な気配を感じ取った俺は、すぐに後ろを振り向く。すると、なぜ自分たちがイミューンから攻撃されてもなお生きていられたのか、その理由が明らかとなった。
「何だ……コレ……」
それは、巨大な卵のようにも見えた。50メートルくらいはあるであろう楕円体をしたソレは、青く光る結界のようなものを展開し、まるで俺たち二人を守ってくれているようだった。
「鳥巨人」
卵を見据えながら、千鶴が意味あり気に呟く。
「トリキョジン……って、絵に描いてあった、あの……?」
俺が問いかけると、千鶴はコクリと頷いた。
まるで意味がわからない。何が起きているのかがさっぱりわからない。
千鶴はあたかも、この事象について何か知っているような素振りを見せている。そのことが、俺には理解できなかった。
「なあ、千鶴。これは一体……」
「心くん」
すぐにでも問いただそうとした俺の言葉を、千鶴が遮った。
「な……に……?」
「心くんは私のこと、これからもずっと愛していてくれますか……?」
「な……っ!?」
先ほどから、千鶴の意図が全く読めない。
これから、って何だ? 世界はもうすぐ終焉を迎えてしまうというのに。
ずっと、ってどういう意味だ? 死後の世界で、とでもいうのか?
突拍子もない彼女の問いに、俺は少なからず戸惑ってしまったが、ありのままの素直な思いを告げることにした。
「も、勿論だとも。俺は千鶴のことが……大好きなんだからさ……!」
「……ありがとう。心くん」
刹那、千鶴が急に背伸びをしたかと思えば、彼女の小さな唇が俺の唇に触れていた。
甘い味が全身へ一気に広がり、頭が溶けてしまいそうな錯覚に陥る。口元についた生ぬるい粘膜が触れ合い、暖かみのある感触が俺を包み込んでいるようだった。
5秒ほど接吻を交わした後、千鶴はゆっくりと俺の口元から顔を遠ざける。突然の出来事に冷静さを欠いていた俺はつい千鶴を見詰め返したが、彼女はまるで俺の視線から逃げるように、目を背けてしまった。
「……ごめんね」
千鶴の口から、なぜか謝罪の言葉が漏れる。
それと同時に俺の視界は真っ暗に覆われるのだった。
*
「……はっ!」
次に目覚めた時、俺はまるで見覚えのない場所にいた。真っ暗で自分の手や足さえも見ることができなかったが、尻や背中に羽毛のような柔らかい感触が当たっていることから、少なくとも自分は今“何かに座っている”らしいということだけはわかった。
あたりを見回してもそこは暗闇以外の何でもなく、千鶴の姿さえも見当たらなかった。
「そうだ。千鶴は……?」
無意識のうちに、指で口元をなぞっている自分がいた。つい先ほどまで確かに彼女は自分の目の前にいたはずだ。その感触だって、ほのかに残っている。
(ファーストキス……だよな)
あの甘い感触を思い出す。最初のキスはレモン味などという言葉をどこかで聞いたことがあるが、それは少し違った、と確信する。形容しがたいものではあったが、無理やり言葉に表すとしたら、いちごミルクのぬるま湯に浸かっているような……そんなドロっとした感触だったように思えた。
──産マレヨ。
「……っ!? 誰だ!」
不意に、頭の中で声が響いた。女性にも男性にも、老人にも赤ん坊のようにも聞こえる、そんな不思議な音色。耳で聴こえたのではない、まるで脳内に直接語りかけているような、少し薄気味悪い感覚だった。
(違う、これはおそらく声ですらない。まるで頭の中に突然言葉が現れたような、そんな……)
奇妙な感触を味わい、俺は悪寒や気怠さを感じてしまう。それに、“産まれよ”とは一体どういう……?
(もしかして、あのさっきのデカい卵のことを言っているのか……?)
産まれるというキーワードを思い浮かべ、俺は咄嗟に卵を連想させる。
“産まれよ”という命令文のような言葉。
先ほど俺や千鶴を守ってくれた大きな“卵”。
高級なソファーのように俺を包み込んでくれている“羽毛”のような感触。
そして、千鶴が口にしていた“鳥巨人”。
「……! まさか、嘘だろ……?」
我ながら馬鹿げた発想だとは思う。しかし、それはイミューンという存在にとっても同様であり、もはや現実とオカルトの境界線などないに等しいというのが現状だ。つまり、たったいま俺が頭の片隅で導き出した結論が真実である可能性は十分にある、ということだ。
「俺はいま、“卵”の中の“鳥巨人”に入っている。……って、いうのか……!」
強引な発想ではあるが、それでも辻褄は合う。
つまり、俺が今するべきことは、殻を破って“産まれる”ことであるらしい。
そう思い至った瞬間、まるで頭の中がクリアになるような感触に襲われた。全ての煩悩が洗い流され、感覚が研ぎ澄まされていく。
こいつの動かし方さえも、いつの間にか理解している自分がいた。
「……“
「“
直後、これまで視界を遮っていた殻は破られ、白き鳥巨人は天空へと舞い上がった。
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