第13話
「はあ……実習のお菓子であんなことになるとはなあ……」
一日の授業が終わり、帰宅するために教室を出ながら呟く。
無事あいつからは逃げられたが……。
戻ってきた男子達が、何かを成し遂げた戦士の顔をしていたのはなぜなのか。
あいつはそんなに強敵だったのかなあ。
そんなことを考えていると、小さくお腹がぐぅと鳴った。
調理実習で食べたマフィンのせいで、お昼ごはんをあまり食べることができず、おにぎりを一つ食べたのだが足りなかったようだ。
早く家に帰って何か食べよう。
疲れているからか、下駄箱までの道のりがやけに遠く感じる。
廊下ってこんなに長かったかなあ。
窓から入るそよ風で飛ばされそうだし、エネルギー切れで倒れそう。
とぼとぼと俯きながら歩いていて……油断した。
「!?」
突如近くに人の気配がしたかと思うと、進路を塞がれた。
壁に手をついて私を通せんぼする、腹が立つほどスタイルの良い男は男子達の宿敵であるあいつだ。
急に現れないでよ、予告して!
体が近いし何気に壁ドンになっていないか……これ……。
「……黄衣のお菓子、食べたかったな」
お菓子関連のことは何か言われるだろうとは思っていたが……うん?
纏っている空気が、いつもと少し違うような……。
妙な妖しさがあるというか……機嫌が悪い? 怒っている?
翡翠のような瞳に、刺すような鋭さがある。
……なんなの?
私は今、こんなことをされて不機嫌になりましたが……。
お腹が空いていることもあり、苛々してきた。
「沢山貰っていたじゃないですか。あれ以上食べたらメタボになりますよ」
いっそメタボになって体型が崩れ、周りからも見放されればいいのにと思う。
「黄衣が作ったものが欲しいんだ」
「お菓子を食べたいならコンビニでどうぞ」
「黄衣の手作りが食べたいんだよ」
「それなら諦めてください」
今日は逃げ切ったと思っていたのに……最悪だ。
日に日に私に張り付いてくる頻度が上がってきている気がする。
そのうち授業も机を並べて参加してきそうだ。
もしかして、他の攻略対象の好感度はMAXになって、ハーレムを完成させるには残すは私だけ……とか?
だから、私に執着しているのだろうか。
「通してください」
まあ、クズのハーレム事情なんてどうでもいい。
私はお腹が空いているのです!
こいつに触りたくはないけれど……。
帰るために遮断機のように封鎖している腕を退かさなければいけない。
「通して……なっ!」
避けようとした手が、あいつに捕まってしまった。
「どうしてあんな奴にあげるんだ。他のどうでもいい奴らにも……」
スラッとした大きな手が、私の手首を掴んでいる。
……少し痛い。
鋭かった目は、更に切れ味を増していて……怖い。
「黄衣、俺を見て……」
スッとこちらに向けられた視線は、悲しげなものに変わっていた。
今度はチクリとした嫌な痛みが胸に走った。
この痛みは大嫌いだ。
……逃げなきゃ。
「離してっ」
力一杯振りほどくと先輩も油断していたのか、私の手もすぐに自由になった。
今のうちだ! と、先輩の横をスルリと通り抜け、駆けだした。
廊下を走ると怒られるが、今は緊急事態なので許して欲しい。
「黄衣!」
「来ないで!」
あいつが追いかけて来ている。
当然向こうの方が足は速いわけで……あ、駄目、捕まりそう……!
慌てて階段を降りようとした、その時――。
「ちょっと、葵!」
階段の上の方から、大きな声がこちらに向かって飛んできた。
誰かがあいつを呼び止めている。
対象は私ではなく付き纏っているゲスだが、つい反応してしまい自分も足を止めてしまった。
振り向くと、声の主が姿を現した。
先輩と同じ二年生で、運動神経抜群のツンデレクラスメイト、
緑色のストレートロングに黄緑の瞳、釣り目が印象的な勝ち気美少女だ。
彼女は水曜日に好感度が上がる攻略キャラだ。
翠にはまだ覚醒を促す手紙を渡せていない。
昨日渡したかったのだが、奴から逃げるのに必死で時間がなかった。
彼女は眉をつり上げ、怒りに満ちた顔をしていた。
「どうして昨日、私の所に来てくれなかったのよ!」
「それは……」
昨日、私は逃げて帰った。
あれからまだ時間があったはずだが……クズは翠の所に行かなかったのか。
クズは気まずそうに翠から視線を逸らすと、伏し目がちにこちらを見た。
……ちょっと、何でこっちを見てくれちゃってるの!?
まるで私が原因だといっているようじゃないか!
「そう……あんたが葵を連れ回したのね!」
ほら、こうなるじゃないの~!
「違います! 誤解です!」
「ごめん、翠! 黄衣は何も悪くないんだ。俺が悪いんだ!」
そうだ、すべててお前が悪い!
……というか、こちらに仕向けておいて庇うとか……わざとしているのか?
いや、多分何も考えていないと思うけど!
「これなら、私はいらないのでどうぞ!」
のしを付けてお渡ししますとも!
ゲスの背中を押して差し出した。
ほら、あっちへ行きなさい、しっしっ。
「…………はあ?」
翠の顔から表情が消えた。
真顔でじいっと私を見ている
……あ、まずい。
何かの地雷を踏んでしまったことが分かった。
「……あ」
もしかして……と、翠の心情を察した。
私は心の底からこいつなんていないので、何の含みもな「く『いらないからどうぞ!』と渡したが、よく考えれば……私、凄く『嫌な女』だ。
「こんな男、いらないから貴方にあげるわ」的な、高飛車悪女のように思われたかもしれない!
「あんたね……!」
抜群の運動神経を使い、翠が一気に階段を飛ばして詰め寄ってきた。
その勢いで気圧されて……。
――あっ
ここが階段であることすっかり忘れ、私は一歩下がってしまった。
気づいたときには足を踏み外していて――。
体が傾いていく……落ちる……!!
そう覚悟をして、身体に力を入れたが……あれ?
衝撃はあったが、全然痛くない……どうなっているの?
落ちたはずなのに、床は堅いどころか柔らかい。
……ん? 柔らかい?
無意識に閉じていた目を開けると、そこには――。
「……黄衣。大丈夫?」
以前は見るだけで、ドキドキと胸が苦しくなっていた端正な顔が目の前にあった。
今は――。
「はいぃぃぃぃ!?」
違う意味で苦しくなる、動悸が起きる! 近い! 怖い~!
ゾゾゾとしながら、慌てて飛び退いた。
先輩は階段の下で倒れていたが、私を庇って下敷きになっていたようだ。
アクシデントとはいえ、あいつの上に乗っていたなんて……恥ずかしいこわいっ!
情緒がバグる……って、そうだ!
「ごめんなさい! 怪我は!?」
つい条件反射で嫌がってしまったが、助けてくれた人に対してとる態度ではなかった!
今の私は人としてだめだった! ごめんなさい!
思い切り乗りかかってしまったが……大丈夫なのだろうか。
「葵! 大丈夫!?」
翠が駆けつけ、私を押し避けてあいつに寄り添った。
「おっふ……」
心配なのは分かるけれど、そんなに突き飛ばさなくても……!
翠は起き上がろうとするあいつを支え、顔を覗きこんでいる。
私も怪我がないか心配だったが……幕はなさそうだ。
翠はひどく焦った様子で先輩の心配をしている。
先輩よりも翠の方が狼狽していて、余裕がなさそうだ。
「翠、俺は大丈夫だから……」
「で、でも……! 私が飛び降りて行って、あの子に詰め寄っちゃったからこんなことに……ごめんなさい……」
「本当に大丈夫だよ。大丈夫だから――」
先輩に優しく慰められ、とうとう翠は泣き出してしまった。
優しくされた方が、涙腺を刺激されちゃうんだよね。
うんうんそれは分かる、と思うが…………あの、帰っていいですか?
涙を流す美少女に、頭を撫でて慰めるイケメンの図は良い雰囲気が出ている。
もう……勝手にやっていてくれませんかねえ!?
「ほら、翠。怪我もしてないし――。…………っ」
あれ……?
翠を心配させないように怪我をしていないアピールしたようだが、右足を動かした時に一瞬顔が強ばっていた。
「うん……葵に怪我がないならよかった」
翠は気がついていないようだが、先輩は妙に汗をかいている気がする。
もしかして、足が痛い?
捻挫でもしたのだろうか。
「黄衣は大丈夫だった?」
「あ、はい……私は大丈夫です……」
私よりも、あなたが大丈夫じゃなさそうですが……。
でもそれを口にすると、翠が心配する。
痛い本人が隠しているのだから、あえて言うことでもないか。
「ご、ごめん。二人とも。トイレに行きたくなったから……」
そう言うと、先輩はそそくさとトイレの方向に歩き出した。
我慢しているようだが、よく見ると右足を庇って歩いている。
「……私、葵と帰るから。鞄を取ってくるわ」
「だから抜け駆けするなよ!」と言いたげな視線を残し、翠は掛けていった。
やれやれ、どうしようかな。
とりあえず奴先輩の様子を見に行こう。
トイレの方に向かって追いかけようとしたのだが、すぐ近くで先輩は壁に手をついて止まっていた。
……随分痛そうだ。
「……足、大丈夫ですか? 捻挫ですか?」
「……黄衣、バレてた?」
「はい。……格好つけちゃって」
「あはは……」
苦笑いを返して来る表情も余裕がないように見える。
かなり痛いようだ。
「翠はね、以前わざとじゃないんだけど……友達に怪我をさせてしまったことがあってね。それですごく、自分を責めているところがあるから……」
「……そうなんですか」
そのことは、ゲームの知識で知っている。
翠が中学生の頃、幼馴染の男の子に仕掛けた些細な悪戯が、大きな事故を引き起こしてしまったのだ。
それは不運な偶然だったけれど、彼は大怪我を負ってしまった。
怪我は治ったけれど、足に後遺症が残り、陸上の短距離選手として活躍していた彼の夢は難しくなっていた。
そのことを彼自身は頑張って乗り越えようとしていたのだが、翠はそうではなかった。
彼と同じ陸上選手だった翠だが……贖罪の念で陸上をやめてしまった。
それが彼を怒らせ、二人の間に溝を作った。
その時の記憶が蘇ったのだろう。
だからあんなに狼狽えていたのか……。
先輩に翠がいないことを伝えると安心したようで、その場にしゃがみ込んだ。
「保健室に行きましょう」
「大丈夫だよ。翠が戻って来るんだろう? 保健室にいたら、心配するから」
女の子に心配を掛けないという姿勢は素敵だと思う。
クズだと知っていなければ惚れ直していたところだろう。
……こういうところ、好きだったな。
もう、あまり思い出したくはないけれど……。
「じゃあ、湿布を貰ってくるので、ここで待っていてください」
「いらない」と口が動くのが見えたが、そんなものは無視だ。
怪我をしたのは私のせいでもあるし――。
翠が戻らないうちに貼ってしまえるよう、急いで湿布を貰い、先輩の所に戻った。
捻挫したという足首は少し腫れていた。
大したことは無さそうだが、捻挫は目で判断できない。
「帰ったら、ちゃんと治療してくださいね」
「ありがとう、黄衣」
「私こそ。助けてくれたことは、その……ありがとうございました」
「黄衣に怪我がなくて、本当によかった」
大好きだった微笑みを向けられ、胸になんとも言えないモヤモヤとしたものが広がった。
……私は、この笑顔を憎みきれていないのかもしれない。
許せない……だから憎まなければいけないのに……。
「自分のせいで人が怪我をするくらいなら、自分が怪我をした方がマシです。だから、二度庇ったりしないでください。余計なお世話です」
言った直後に、こんなことばかり言っている自分が嫌だと後悔した。
なんてひねくれていて可愛くない子なのだろう。
「自分が怪我をした方がいいなんて、黄衣は優しいね」
「…………っ」
あなたは何を言っているの?
助けてあげたのに。こんな言い方をされて……。
視線を向けると、まだ穏やかに微笑んでいた。
……毒されてしまうのだろうか、この笑顔に――。
あんなに傷ついたのに、絆されそうになる自分に呆れてしまう。
もう、笑っちゃう……。
「翠先輩が傷つかないように気を配るあなたは……少し、素敵でした」
無意識に言葉にしていた。
こんなこと、言うつもりは無かったのに――。
でも、本当に少し……少しだけ見直した。
『これが本当のあなたであって欲しい』
そう思った。
「…………」
俯いていた顔をあげると、先輩は驚いた顔をしていた。
……何?
「嬉しいよ。黄衣が久しぶりに笑ってくれた。俺に笑顔を見せてくれた」
「……え?」
私、今……笑っていた?
いや、これは自分に対する嘲笑というか……決して奴に笑いかけたのではない!
絶対そうだ!
でも……悪い傾向だ。
もっと、壁を厚くしなきゃ……最後まで絆されてはだめ……。
「ねえ、黄衣。やっぱり、俺は黄衣といたいんだ。もっと黄衣の笑顔が見たい。黄衣のことをもっと知りたいし、黄衣にも俺のことを知って欲しい。……見てくれないかな」
「……そんなこと」
『お断りします』
そう言うつもりなのに――。
「…………」
――言葉が出なかった。
今も目に映っている微笑みが、私の何かを崩そうとする。
もう少し早くその言葉を聞けていたなら……。
私は素直にもう一度あなたに向き合ってみると……『はい』と応えられたのだろうか。
でも……今の私は言えない……絶対に……。
私は意地っ張りなのだ。
それは時間が過ぎるほど増していって、私の首を絞めるようだけれど――。
だから、もっともっと、あなたに思い知って欲しい。
私がどれだけ傷ついたか。
どれだけ悲しかったか、痛かったか。
もっともっともっと頑張って、私の気を引いて――。
…………え?
――違う、違う違う、今私……何考えていた?
そんなことは……違う、憎まなきゃ。
関わらないのが一番なのに、気を引いて欲しいなんて、そんな馬鹿な……。
「も、もう……構わないでください!」
「黄衣……」
叫んだ直後、翠の足音が近づいて来ていることに気がついた。
先輩のことは翠に任せて、私は先に帰ろう……。
帰って、今の気持ちをリセットするんだ。
ちゃんと明日も憎めるように――。
あいつが何かを言っている声が聞こえたけど、構わず逃げた。
「はあ……はあ……」
昇降口まで辿り着き、走っ手荒くなった息を整えながら振り返った。
――誰もいない。
翠にも見つからず、ここまでこれたようだ。良かった……。
「鳥井田さん」
「!」
安心していたところに、急に声をかけられてびっくりした。
振り向くとそこにいたのは茉白だった。
「……少し話せるかしら」
無表情で何を考えているか分からない……。
少し嫌な予感がしたが……私は頷いた。
「……分かった」
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