第12話

 英君という犠牲を払って、あいつから逃亡した翌朝——。

 本日も天気はとてもいいが、玄関の扉を開けた私はため息をついた。


「……はあ」


 私の心模様は曇りです。

 朝からため息だなんて、幸先が悪くて幸せが逃げてしまいそう……。


 これだけ続けば、ある程度は予想はしていた。


「黄衣、おはよう」


 登校しようと玄関の扉を開けると、今日も今日とて奴はいたのだ。

 英君の背中からみたクズはとても恐ろしい表情だったが、何故か今は昨日よりもキラキラしている気がする。……なんで?

 昨日の険しい顔との落差が激しくて、やっぱり恐怖しか湧かない……。


 あのあと、生贄になった英君は大丈夫だったのだろうか。

 今日クラスに行ったら、英君の机の上にお花が置いてあったらどうしよう……!

 どきどきしながら教室に入ることになりそうだ。


「あの……もう私を追いかけるのはやめてください。いい加減にして貰えませんか?」


 率直に抗議したのだが、クズは素敵に微笑んだままだ。

 妙な経験値を貯めて、レベルアップしちゃいましたか?

 精神力を回復するアイテムでももっているのだろうか。

 そうじゃないとおかしい……。


「俺は黄衣を見ているから」

「はいぃ?」


 素敵な笑顔で恐ろしい言葉を吐かれ、鳥肌がたった。

 今の発言を録音して警察に行けば、ストーカー被害として処理してくれるかもしれない。

 クズは放っておいて、私はスタスタと歩き始めた。

 そのあとをクズが追いかけてくる。


「手を繋いで行かないか?」

「やっぱり頭おかしいんですよね」


 おかしいんですか? とは聞かない。

 分かっているから確認で十分だ。

 気を抜いていると手が伸びてきて私の手をとろうとした。


「あいたっ」


 ぺしっとはたき落とす。

 何をナチュラルに手を繋ごうとしているのだ。油断も隙もない!

 何人と繋いだんだ、その手は……!

 汚れた手め、霊山に登って山頂の湧き水で清めてから出直してこい!







 広い調理室には、女子生徒が雑談をしながらも調理に勤しんでいる姿があった。

 午前の後半——、この時間は選択科目の授業だ。


 この学校の選択科目は『家庭』『技術』『情報』で、私は家庭科を選択していた。

 今日は調理実習でお菓子作りだ。

 甘い匂いが広がっていて幸せだ……。


「……うん?」


 女子がなにやら窓際に群がっている。

 先生が席を外しているのをいいことに、自由にしているようだが……何ごと?

 同じように窓際に行き、彼女たちの視線の先を見てがっかりした。

 なんだ、ただのゲスか……。

 二年生男子は体育の授業中で、運動場であいつがサッカーをしていたのだ。


「きゃー!!」


 女子達が揃って黄色い歓声を上げている。

 あいつがシュートを決めたのだ。

 静かに……!

 そんな歓声をあげていると先生が戻ってくるぞ!


「カッコイイね!」

「やっぱり葵先輩が一番素敵!」


 女子達の会話が聞こえてくる。


 まあ、確かにシュートしているところは、いい絵面であったことは認めよう。

 でも、ただそれだけだ。

 これ以上見ていても時間の無駄だと戻ろうとしたところで……うわっ、目が合った。

 ここは二階で、結構な距離があいているというのに、あいつとバッチリと目が合っている。


「ええ!? ちょっと先輩、こっち見てるよ!」

「嘘!? きゃー! 葵先輩~!」


 歓声を聞きながら、急いで窓際から離れた。

 目が合ったのは気のせい……そういうことにしよう。


 オーブンを覗き、マフィンの焼き具合を見ていると先生も戻ってきた。

 お腹空いたし、早く食べたいなあ。







「あ、きいちゃん!」


 家庭科室から戻っていると、生贄になったけれど無事だった英君の声が聞こえた。

 あれ、どこだろう。

 声はするのに姿は見えない……と思ったら、コンピューター室から出てきた集団の中にみつけた。

 さすがモブ、人に紛れる能力はピカイチだ。

 手を振ると、人懐っこい子犬のように嬉しそうにこちらにやってきた。

 母性をくすぐられる、可愛いぞ英君。

 英君は私の心のオアシスだ。


「英君の選択科目は『情報』だよね」


 情報の授業では、パソコンの基礎知識や就職に有利な資格についてを教わることができる。

 希望すれば資格取得の試験も受けられるとか。

 株についても話してくれるそうで、かなり有用な科目になっている。 


「うん。進学するにしても就職するにしても、やってて損はないから」

「偉いね~!」


 私は『眠そう』という印象しか抱かず迷わず『家庭』を選んだが、英君は偉いなあ。

 こういう実直なところがとても好印象だ。

 旦那様にしたいタイプだ。


「いい匂いするね? お菓子を作ったの?」


 英君が私が持っている紙袋を見ている。

 ここには調理実習で余ったものが入っている。


「マフィンとクッキーだよ。調理実習で作ったの。あ、食べる?」


 そういえば英君には生贄になって貰ったお礼をしていなかった。

「こんなものでよければ」と差し出すと、英君の顔がパアッと明るくなった。


「オレが貰っていいの!?」

「どうぞどうぞ」

「ありがとう!」

「おい、伊藤! 俺にも!」


 英君に渡すと、彼と一緒にいた友達も騒ぎ始めた。


「やめろ! さわるな! これはオレのだ! オレが貰ったんだ~!」

「ずるいぞ! 俺にも分けろ!」

「おい、こっちにもまわせ!」


 近くにいた男子まで英君に群がって騒ぎ出した。

『おやつを取り合う子供達』に見えて、何だか可愛い。

 わたしはお母さんの気分になりながら「あらあら、まあまあ」と見ている。

 あまりないけど、ちゃんと分け合って食べるんだよ?


「え、きい。葵先輩にあげなくていいの? あの勢いだとひとつも残らないけれど……」

「うん。いいの、いいの。たぶん他の子から、いっぱい貰っているだろうし」


 また神楽坂先輩が悲しむ、と叱られるかと思ったが、友達は「それもそうか」と納得してくれた。

 よかった……やっぱり友達が敵になるのは回避したいので安心した。


「あ、先輩。私は行ってくる!」


 友人が走り出した先には、体育を終えて戻ってきたあいつがいた。

 あいつのまわりに、続々と女の子が集まっていく。

 気づけば、調理実習で一緒だった子が殆どあいつの元に集結していた。

 今までの私は、あれの先陣をきっていたわけで……。

 あー……記憶を消したいなー!


「やっぱり神楽坂先輩凄いなあ」

「だが今日は、俺達にはこれがある!」


 しみじみと呟いている英君の隣で、彼の友達が私のあげたクッキーを自慢げに掲げている。

 えっと……あなたは誰ですか?

 気づけば私のマフィンとクッキーが渡った男子は、かみしめるようにありがたそうに食べていた。

 そうか、女子が調理実習で作ったものは殆どあいつの元にいってしまうから、他に出回らないのか。

 なんて気の毒な……お菓子の貰えない子供達……。

 奪い合って一口しか食べられなかった男子も嬉しそうにしている姿を見ると、涙がでそうになった。


「あ」


 英君の顔が私の背後を見て強ばった。

 何かと思い振り向くとあいつがこちらを見ていて、群がる女子をゆっくりとかき分けながら進んでいた。

 え……こっちに来るつもり!? 怖い怖い!

 あんな女子の一団をくっつけて来られたら……私は何を言われるか!

 全女子が敵になることが確定してしまう!


「き、きいちゃん、逃げて!」

「英君!?」


 私を庇うように、英君が一歩前に出た。

 英君……あなたという人は!

 私を逃がすために、また犠牲になってくれようとしているのね!


「お、俺たちだって!」

「え?」


 英君のお言葉に甘えて逃げようとしていると、お菓子を食べていた男子達が壁になり、あいつの進行を塞ぎ始めた。

 ああ、あんな一欠片のお菓子の恩に報いてくれるなんて……なんて健気な子供達なの!

 そこまでしてくれなくてもいいんだけどね!?


 あいつの姿は見えなくなってはいるが、近くにいることは確かだ。

 折角の足止めを無駄にするわけにもいかない。


「皆ありがとう! またお菓子配るから!」

「「「!!!!」」」


 そう言うと、男子の嬉々とした顔を一斉に向けられ焦った。

 あいつも怖いけど、この状況も怖くなってきた……!

 逃げろ~!

 私は慌てて教室に戻ったのだった。

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