第20話
翠、茉白と過ごすというとっても濃い休日を過ごし、週が明けて月曜日になった。
なんだか休みがあった気がしない……。
中々の疲労が溜まった気がするが、得られたものも多くて有意義な時間だった。
しっかりと朝食を取って英気を養いたかったが食欲がなく、ヨーグルトを少しだけ食べて出発することにした。
「いってきます」
きっとこの玄関の扉の向こうには、今日も精神負荷をかけてくるあいつがいるのだろう。
そう思いながらドアノブを回したのだが――。
「え?」
扉を開けても、誰もいなかった。
左右を見てもいないし、遅れているのだろうかとあいつの通学路へと目を向けたが、それらしき姿は見つけることができなかった。
……あいつが迎えに来ない。
前世の記憶が戻ってから初めてのことだ。
「……よかったわ」
とうとう諦めてくれたようだ。
やけに玄関からの景色が広く、寂しく見えた。
……って、『寂しく』なんておかしい。
『清々しい』の間違いだ。
うるさく話しかけてくることもないし、手を繋いでくることを警戒しなくて済むしいいことばかりだ。
それなのに……妙に足取りが重い。
静かで落ち着く……なんて思っているのに、胸はざわついていてまったく静かではない。
むしろ、あいつがいる時より落ち着かない――。
私はどうしてしまったのだろう。
「そうだ、疲れていたんだった」
単純に体が疲れているだけだろう。
そういうことにして、あいつのことを頭から追い出し、進み始めた。
※
誰と話すこともなく淡々と登校して到着した。
一人で歩くと早足になっていたのか、いつもより十分程早い時間に着いた。
十分違うだけなのに、いつもは生徒で賑やかな校舎はまだ眠っているように静かだった。
「あ」
前を見て歩いていると、目がスッとクリーム色の髪に吸い寄せられた。
神楽坂葵だ。
あいつは外から見える渡り廊下を、赤里先生と二人で歩いていた。
そして、二人仲良く校舎の中へと消えていった。
「……そういうことか」
赤里先生と過ごすために私のところには来なかった、ということか……。
今日は赤里先生の好感度がアップする『月曜日』だものね。
今から告白イベントでもあるのだろうか。
……少し見直していたのにな。
やはり人格なんて、すぐに変化するものではないということか。
いや、もしかすると赤里だけを愛すると決めたのかもしれない。
改心したのならそれでいいが……。
「散々掻き回された私は何なの?」
とても不愉快だ……。
私のことを知りたい、なんて言っていたのはどの口だ!
もう関わらないでくれるならいいですけどね!
「知らない……私には関係ないし」
無性に腹が立ってきた。
苛々するし、胸は槍で突かれてしまったのかと思うほど苦しくて痛いし。
これ以上乱されたくない。
あいつの顔を見なくて生きていけるよう、どこか遠くに引っ越したい。
「早く教室に行こう」
気づけば不自然に立ち止まってしまっていた。
人が少ない時間でよかった。
※
「授業を始めます」
……あまり見たくない顔なんだけどな。
教育実習生の赤里先生が教壇に立った。
彼女はやけに私に険しい視線を向けてきた。
睨んでいるというより、何か思い詰めている様子だった。
だが授業を進めるうちに、陰は薄れ……。
次第に生き生きとした様子で教鞭を振るい始めた。
それは良かったのだが――。
「鳥井田さん、ここを読んで」
「はい」
「鳥井田さん、黒板に解答を書きに来て」
「……はい」
「鳥井田さん、この問題は少し難しいけれど分かるかしら?」
「……分かりません」
何故か私は、集中攻撃を受けた。
ことあるごとに当てられるのですが! 何の嫌がらせ!?
「鳥井田さん」
「はっ、はい……?」
授業を終え、机の上を片していると赤里先生に声をかけられた。
集中攻撃のあと話し掛けられるなんて怖すぎる……!
私は思わず身構えた。
「貴方ばかり当ててごめんなさいね。私の……ささやかな嫌がらせなの。これで納得したから……」
「はい……? あっ」
赤里先生が教科書と一緒に持っている赤い手帳に目が止まった。
表紙にかけられた透明なカバーの下には一枚の写真が――。
それは、彼女と恩師の思い出の写真だった。
「私の恩師で、憧れの存在なの」
赤里先生は私の視線に気づいたようだ。
「毎日目にして、初心を思い出せるように手帳に挟んだの」
写真に落とした眼差しは澄んでいた。
「彼も前に進み出したようだし……。私も大事なことを忘れて立ち止まっていたら駄目ね」
俯きながら零した言葉は聞き取れなかったけれど、穏やかな表情をしている。
付き物が落ちたようなすっきりとした笑顔だった。
「今日答えられなかったところは、ちゃんと復習してくるように!」
「は、はい……!」
『先生』の顔をした赤里先生は、足取り軽く去って行った。
私はその背中を見送った――。
……今のは何だったのだろう。
納得って何を……?
ゲスと朝に何かあったのだろうか……。
「きいちゃん」
「あ、英君」
「どうしたの? 何かあった?」
赤里先生の変化について考えていると、英君が心配そうに話しかけてきた。
難しい顔で静止してしまっていたので気に掛けてくれたようだ。
「ううん、なんでもないの。あ、そうだ。これ……クッキー作ったの」
「え……オレにくれるの!? わあ……ありがとう!」
日曜日に茉白と分かれたあと、家に帰ってから焼いたクッキーだ。
英君にはちゃんとお礼ができていなかったし、チケットも使ってしまったので、これくらいはしないとね!
あいつから逃げるために生贄になって貰ったし、英君には何かと癒やされている。
それに『お菓子を配る』と約束していたし――。
「いっぱいあるから、みんなで分けて食べてね」
「え? ……あ、オレだけじゃないのか……」
「?」
「あ、うん、なんでもない。ありがとう! あとで配るよ、一番に食べるのはオレだけどね!」
うんうん、好きなだけお召し上がりください。
一つ一つは小さくなってしまったけど、結構な数があるからすぐに無なくなる心配ないだろう。
「あ、あの! きいちゃん、これなんだけど……」
「うん?」
急にそわそわし始めた英君がポケットから紙を取り出した。
差し出されたので受け取ると、それは映画のチケットだった。
「いっ、一緒に行きませんか! 貰い物なんだけど……こういうの、苦手じゃなかったら」
奴と見たゾンビアクション映画の最新作だった。
苦手どころか大好きです!
見たいと思っていた映画だし、英君には借りが沢山あるから、断るのは心苦しい。
「うん、いいよ。見たかったし……」
「そうなの!? やった~~!」
笑顔で返事をすると、私よりも何倍も明るい笑顔を返してくれた。
可愛い、やはり英君には母性をくすぐられる。
英君の後ろで、実習のクッキーを貰えない子ども達だった男子陣が妙にざわざわしているが……。
さすがにお母さん、みんなを映画に連れて行くことはできませんからね!
※
その日の放課後——。
早速二人で映画館に向かった。
あいつが連れて行ってくれたネットカフェがあるアーケードの中に、映画館もあるのだ。
そこに歩いて三十分ほどで到着した。
そういえば、一緒に教室を出ていると、男子の冷たい視線が英君に集中していたのだがどうしたのだろう。仲間割れ?
私が渡したクッキーをちゃんと配らなかったのだろうか。
喧嘩にならないか、お母さんは心配です。
「きいちゃん! 何飲む? オレ、買ってくるよ!」
英君自身は、男子達のことなどまったく気にしていないようで、頗る元気だ。
パタパタと尻尾を振っているワンコのように見える。
柴犬っぽいな……。
「ありがとう。えっと、ホットのミルクティーがいいな」
「分かった! ……ん? ミルクティーってあったっけ?」
「あー……えっと、一緒に行くね」
メニューには『紅茶』としか載っていない。
でも、ミルクと砂糖は自由に取ることができるので、それも取ってきて欲しかったのだが……。
説明するより自分で行った方が早そうだ。
ゲスだったら『ホットのミルクティーだよね』と確認してくれるだけで済むのだが……って駄目だ。
あいつと英君を比べるなんて、感じがわるいぞ、私。
買ってきてくれると言っている人に感謝できないなんて最低だ。
「英君は何飲むの?」
「オレはコーラかなあ。ポップコーンも食べたいな。あっ、横で食べてもいい? 音は出ないと思うけど……」
「いいよ。私も食べようかな」
「じゃあ、オレ大きめのを買うから一緒に食べようよ! 何味にする?」
「えっとねー」
売店には少しだが列ができていたので、二人で並びながらメニューを見て話す。
好きなのはキャラメル味なんだけど、今は普通の塩味がいいかなあ。
「はあ! 制服デートとか羨ましいな!」
「俺が高校生の頃は、デートどころかまともに女の子と話せなかったわ。あー、しかもあの坊主の彼女、すげー可愛いじゃん。爆発しろ」
後ろに並んでいる大学生っぽい男子二人組の会話が聞こえてくる。
どうやら、私と英君のことを言っているようだが……デート!?
もちろん『彼女が可愛い』という台詞も聞き逃さず密かに喜んでいるが、それよりも『デート』という言葉が衝撃的だ。
そっか……周りから見たらデートに見えるのか。
英君が『彼氏』かあ。
……いいかも?
旦那様にしたいタイプだなと思っていたし、英君と一緒だと穏やかで幸せな生活を送れそうだ。
「ん? きいちゃん?」
「な、なんでもないよ。私は塩かキャラメルがいいな」
「じゃあ塩でいい?」
「うん!」
英君の顔を見ていると、目が合ったので慌てた。
妙に意識してしまうと疲れてしまいそうだ。
勝手に彼氏だと想像してしまうのも失礼だよね。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
注文はパパッと英君がしてくれた。
紅茶とポップコーンのお代を渡したのだが、受け取ってくれなかったので、英君のズボンのポケットに突っ込んだ。
急に触ったので、英君は飛び跳ねる勢いで驚いていた。
お触りしちゃった、セクハラごめん。
「きいちゃん、本当にこういうゾンビが出てくる映画は大丈夫?」
「うん。全然平気! 大好き!」
チケットに書かれていた座席に座り、雑談しながら上映時間を待つことにした。
平日だからか、客入りはまばらで私達の周りは空席だった
「そっか……じゃあ怖くて飛びついてくれるとかはないのか」
「ん?」
「な、なんでもない!」
何やら呟いていたのだがどうしたのだろう。
もしかして、英君は怖いのだろうか。
男の人の方が怖がりだと聞くし、あいつも前作を見てとてもビビっていた。
……って今はあいつのことは考えないでおこう。
今隣にいるのは英君なのだ、あいつじゃない……あ。
(……そうだ、あいつじゃないんだ……)
改めてそれに気づき、よく分からない衝撃を受けた。
私の隣にいるのは英君で、あいつの隣にいるのは私じゃない誰かだ。
「……」
どうしよう、なんだか落ち着かない……ちょっと泣きそうかも……。
英君が好きな映画について話しているのが聞こえるし、それに言葉を返してはいるが……。
意識は全く別のところに行ってしまった。
「あっ、始まるね」
証明が落ち、他の映画の宣伝が始まった。
口を閉じて、静かにしなければいけないこの状況は、頭の中が真っ白になってしまった私には天の助けのようだった。
宣伝は終わり、本編が始まったが……あまり頭に入ってこない。
大好きなシリーズなのに、全然ワクワクしない。
どうしよう、大好きなゾンビなのに楽しくないなんて泣きそうだ。
なんでなの?
私の頭はおかしくなってしまったようだ。
楽しまなければいけないと思えば思うほど楽しくない。
帰りたいな……。
ちゃんと見なきゃ……。
つまらなさそうにしていたら、誘ってくれた英君に失礼だ。
でも……結局最後まで映画を楽しむことができなかった。
分からない……どうしてなの?
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