第21話

「……今日もいないか」


 火曜日の朝も、玄関の扉の向こうにあいつの姿はなかった。

 予想ができていた分、昨日より驚きは少ない。


 玄関の向こうの景色が、今日もやけに殺風景に見えた気がしたが、これが本来の景色なわけで……。

 私は知らぬ間に、あいつに随分と毒されてしまっていたようだ。


 早くあいつがいない本来の生活を取り戻さなければいけない。

 気合いを入れて一歩踏み出した。


 一人で歩くと、今日も同じように早く辿り着いてしまった。

 気合いが入っていた分、昨日よりも早くなってしまったかもしれない。


 校門から昇降口を目指していると、またクリーム色の髪に目が止まった。

 ……あいつだ。


 一人で歩いていたが、目指している方向は紫織がいる花壇だ。

 なるほど、火曜日の今日は紫織様か……。


「あっ」


 あいつの動きを見ていると目が合った。

 私を見て驚いていたが、そそくさと逃げるように花壇の方へ去って行った。

 ……なんなの?

 紫織様の元へ行こうとしているのがバレて焦ったの?

 一緒に登校しなくても苛立たせてくれるなんて素晴らしい。

 一種の才能だと思う。


「やっぱり二次元に帰れ! 禿げろ!」


 髪がなくなったら、あのクリーム色に目が吸い寄せられることもなくなるだろう。

 私のむしゃくしゃも晴れるし、一石二鳥である。



 ※




 あいつのことはなるべく頭から追いやり、とても落ち着いた一日を送った。

 気になったことと言えば、英君が男子に囲まれていたことくらいだ。


 授業が終わって、私は帰宅するために教室を出るところだったのだが、席について俯いている英君の周りを。無言のクラスメイトが取り囲んでいた……。

 いじめ!? と焦ったけれど、結局何も言わないまま男子達は解散していった。

 あれは何かの儀式ですか?


「ちょっと、そこのあなた!」


 凜とした声に呼び止められた。

 この麗しい声は……。


「紫織様!」


 振り返ると、思っていた通りの……いや、思っていた以上の美の女神のお姿があった。美しい~!

 いつもより迫力が増しているというか、『絶対美』の圧を感じる。


 呼び止められた場所は、以前声を掛けられた場所と同じだった。


「あなたにまんまとしてやられたわ。あれは作戦だったのね? ……なんてね」


 話し始めは鋭い目つきを向けられたのだが……最後は穏やかなものに変わった。

「なんてね」と言いながら小首をかしげる姿を見て、胸が爆発しそうになった。可愛い~! 尊い~!


 お姫様と言うより女王様っぽい紫織様が見せる可愛らしい仕草なんてずるい。

 胸を打ち抜かれないわけがない!


 ああ駄目だ、話をしなければいけないのに、美しさに圧されて頭が働かない。

 今のは何の話なのだろう……。


「あの……今のはどういう……?」

「この前、貴方が言ったことが本心だということは、何となく感じたわ。だから納得したの。むしろあれが作戦なら敵ながら天晴れよ。……というか、貴方はそんなにお利口なタイプではないでしょう? だから『作戦』ではないわよね」


 口元を隠しながらクスクスと笑う姿は、何度見ても優雅で綺麗だが……もしかして、今……私は笑われています?


「——そういう運命だった、ということでしょう。私は私の成すべきことをするわ。大切な人達と一緒にね」

「! ……はい!」


 よく分からないこと続きだが、後半の言葉を聞いて嬉しくなった。

 紫織様は本当に目が覚めたようだ。


 本来の凛々しい美しさが全面に出ている。麗しい~!

 胸にある大切なペンダントも前回会ったときよりも輝いて見えた。


「では、車を待たせているので失礼するわね。あなたと違って私は忙しいのよ。これからやらなければいけないことが、沢山あるのだから――」

「紫織先輩、頑張ってください!」

「あなたには応援されたくないわ、ふふっ」


 言葉は嫌みのようなものだったが、表情は終始穏やかだった。

 胸がじーんと温かくなる。

 女神が本来の美しさを取り戻した!

 う~! 好き~!

 信者は歓喜に震えております!


「あ……黄衣……!」

「ん? ……あ」


 呼ばれたような気がして振り向くと、以前と同じようにあいつも姿を現した。

 薄ら寒い劇場の時と同じ……ってあれ?

 先輩の片方の頬が赤く腫れている気がする。。

 ぶつけたのか、叩かれたのか――。


 ジーッとこちらを見ているので、何か用があるのかと思ったが……。


「…………っ」


 何も言わず、逃げるように去って行った。

 何なの……用がないなら名前を呼ぶな!


 ……私も帰ろう。

 再び昇降口に向かって歩き始めた、その時——。


「きいちゃん! 待って!」


 あいつが去って行った反対側から、英君が駆け寄って来るのがみえた。

 儀式から解放されたあとは呆然としていたが、回復したようでよかった。

 呼び止められたので英君の到着を待っていると、目の前に突如、壁が現れた。


「ん?」

「お前は黄衣に近づくな」


「壁が喋った!?」と思ったら……壁の正体はあいつだった。

 あれ、去ったと思ったのに……。


 あいつは到着した英君を威圧するように見下ろしている。

 そんなに差があるわけではないが、あいつの方が英君より背が高いのだ。

 英君の姿は先輩の背中でという壁に阻まれて見えない。


「あ……えっと……」


 ずれて横から覗くと、英君は蛇に睨まれたカエルのようになっていた。

 え、可哀想! これは注意しないと!

 儀式に遭ったり蛇に睨まれたり、英君は災難続きだな。


「黄衣、金曜日に会いに来るから。待っていて……」

「?」


 突如振り向いたかと思うと、真剣な表情で謎の言葉を残して去って行った。

 去り際にも英君の耳元に何か呟いて言ったが……何を言ったのだろう。

 滅びの呪文とか?


「英君、大丈夫?」

「う、うん。だいじょばないかも……」

「だいじょばない!」


 それは大丈夫じゃないってこと?

 どうしよう、英君が壊れちゃった……!


「保健室に行く? 気分が悪い?」

「大丈夫……ありがとう……」

「無理しないでね? あ、私に何か用があったの?」

「あ、うん……でも……。今日は……やめとく」

「? そう。じゃあ、また明日ね」

「またね……」


 ぽつりと挨拶をして、英君はとぼとぼと引き返していった。

 大丈夫かなあ?




 ※




「当然、いないか……」


 今日は水曜日だ。今朝も先輩は現れることはなかった。


 金曜日に来ると言っていたから、それまでは接触されることはないのだろう。

 なんとなく前日よりも気分は軽い状態で、一人でも気持ちよく登校した。


「あ、また……」


 学校に到着すると、今度は翠とあいつが昇降口から校舎に入っているところを見かけた。

 やっぱり昨日の言葉は、私に『金曜日まで順番待ちしていなさい』ということなのだろう。


 先輩、あなたは国王様か何かですか? この学校は後宮ですか?

 もしくは大奥の奥泊まり感覚?


 シャツの襟首を掴んで問いかけたいところだが……。

 あいつのことは頭から追い出すのが精神衛生上ベストだ。


「ふんっ」


 短く鼻を鳴らし、教室に向かった。

 私は何も見ていませんし、気にしていません!




 ※



 授業が終わり、今日も私はまっすぐに家に帰ることにした。


 月曜、火曜の放課後に、その日に好感度があがる攻略対象キャラの女の子に突撃されるということが起きている。

 そうなると、今日もまた同じことになるのではないだろうか。

 予想していたその時――。


「ちょっと顔かしなさい!」


 教室を出ると待ち構えていた翠に腕を掴まれ、強制連行された。

 あ~やっぱり~!

 こうなることは予想できていたけれど、理由はさっぱり分からない。

 混乱したまま引っ張られて連れて来られたのは、実習棟にあるひと気のないトイレ。

 上級生からトイレに呼び出し!?

 ど、どうしよう……シメられる!


「あんたって本当に嫌な女! ちゃっかり抜け駆けしちゃってさあ!」

「はい……?」


 抜け駆け……とは? 何の話?

 壁に追いやられ、ドンと手を突かれた。

 はっ……これは壁ドンだ! まったくときめきはしないけれど!


「聞いてるの!?」

「はい! 多分聞いてます!」

「多分?」

「あ、ちゃんと聞いてます……」

「まったく、こんな子のどこがいいのよ……」

「…………?」


 よく分からない続きだが、貶されていることは分かるので、顔を顰めてしまった。


「まあ……でも……『ちゃんと向き合いたい』か」

 

 眉毛を吊り上げていた翠だったが、ぽつりと何か呟いた。

 そして、はーっと大きく息を吐くとまっすぐに見た。


 ドンをしていた手が離れ、私は開放された。

 それと同時に、翠の纏っていた雰囲気がガラリと変わった。

 どんよりとしていた曇り空が、快晴の青空のような爽やかなものになった。


「仕方ないわよね……完敗だわ!」


 翠はモデルのように腰に手をあて、キマッたポーズで微笑んだ。


「葵にあんなこと言わせるほど、惚れさせちゃったんだから。私が入る隙はないわ」


 そう言ってどこか遠くを見ている目は、赤里先生のように何かを受け入れている様子だった。


「私もやっぱり……逃げちゃだめよね。本当は全部分かっていたの。自分が成すべきことも……葵のことも……。あんたのことは、憎たらしいからひっぱたいてやりたいけど!」

「憎たらしい!? ひっぱたく!?」


 あれ、私……やっぱりピンチなのでしょうか!

 身構えて一歩下がった私の手を翠が掴んだ。

 まずい、叩かれる! と思ったのだが……。


「今度一緒にお茶しよ! 葵を落とした技を是非教えてね?」


 握られた手はぶんぶんと振られただけだった。

 ただの握手だった……。


 誰を落とす?

 私、何か犯罪をしましたか?


「何の話をされています? ……ってもういないし!」


 会話が成り立たないまま、翠は去って行った。

 まるで嵐のようだった。

 よく分からないけどお茶の約束もしたし、仲良くなれた……?

 ちょっと……いや、かなり嬉しいハプニングだったが……。


 でも、この攻略キャラが突撃してくるイベントはなんなの!?

 一体何が起きているというのだ。


 言いようのない不安は燻るが、翠が何か吹っ切れたことは分かった。

 彼女も目が覚めたのだろうか。

 先輩は朝、彼女達に何を話したのだろう。




 ※




 本日は木曜日だ。

 攻略対象者の中で最も気になっている存在——、茉白の好感度アップ日だ。

 今までの流れだと、今日も月曜日から続いていることが起こるはずだ。


 先輩は朝一番に、一年生の教室が並ぶ廊下に姿を現した。

 想像通りに茉白を迎えに来たようで、二人で連れ立って階段を上がって行った。

 先週の金曜日も話をしているはずだけれど……改めて話すことなどあるのだろうか。




 ※




「鳥井田さん、一緒に帰らない?」

「え?」


 放課後になったので、今日も攻略対象キャラが突撃してくるイベントが起こる――。

 おそらく、茉白が話しかけてくるだろうとは思っていたが、一緒に帰ろうと誘われるとは思っていなかった。


「うん!」


 嬉しくて勢いよく首を縦に振った。


「…………」


 鞄を持って駆け寄ると、顔を背けられてしまった。

 きっと誘ったことを照れているに違いない。

 やっぱり茉白は可愛い。


「今日、声をかけたのは……あなたに言っておこうと思って」


 今日の授業や、特徴のある先生についてなど、他愛のないことを話しながら並んで歩いていたのだが、校門を出たところで茉白に表情が変わった。

 真剣な表情——。

 大切なことを話してくれるのだと分かった。


「私は……寂しさを埋めるために、葵先輩といたわけではないわ。誰でも良かったわけではないの」


 先輩についての話だということは察していた。

 でも、こんなに素直な気持ちを私に打ち明けてくれるとは思っていなくて……とても驚いた。

 どういう気持ちでこの話をしてくれているのかは分からない。

 でも、茉白が真剣に話してくれているので、私はすべて受け止めようと思った。


「私は確かに、先輩が好きだったわ」

「……うん」


 ちゃんと先輩のことが好きだったと……誰かに知っていて欲しいのかもしれない。

 以前、私が茉白の恋心を疑うようなことを言ったから、ちゃんと好きだったと正したかったのかもしれない。

 茉白の真意は分からないけれど……先輩を好きだった、という気持ちはちゃんと分かった。

 痛いほど分かった。

 私も先輩を好きだと思っていたときの気持ちは本物だったから……。


「……分かればいいわ」


 ゆっくり頷くと、暫くお互い無言で歩いた。

 静かな時間で、周りから見れば何も話さず黙々と歩いている光景は喧嘩でもしているように見えたかもしれない。

 でも、私にはとても居心地のいい空間だった。


「母にあなたと遊園地に行ったことを話したの。……あなたに会いたいと言っていたわ。家に連れてらっしゃいって」

「えっ! 家にお邪魔していいの!?」


 もうすぐ分かれ道というところで茉白が口を開いた。

 遊園地の帰りもそうだったが、茉白は別れ間際にならないと話をしてくれないのだろうか。

 なんとなく、間際だと照れくさいことを話しても、言い逃げることができるからかな? と邪推した。

 茉白は照れ屋さんだからね!


 今も私が嬉しくて、ぱあっ! と顔を綻ばせながら茉白をのぞき込むと、勢いよく顔を逸らされた。

 ほら、照れている。


「……来たかったら、勝手に来ればいいわ」

「行く! 絶対行くね! 行くね! ね!」


 ――ガシッ


「うぅっ!?」


 照れている姿が可愛くて、しつこく顔をのぞき込んでいるとガシッと正面から両頬を捕まれた。

 何これ……格好悪いし……痛いし……ひどくない?


「いひゃい」

「ふっ……タコみたい。間抜けな顔。ふふっ」


 頬を結構な力で捕まれていますから、そりゃあタコになりますよね。

 恥ずかしいんですけど!

 顔を振って茉白の手を振りほどいた。

 茉白を見るとツボに入ったのか、吹き出すのを我慢していた。


「ツボに入ったの? タコだけに?」

「頭を踏みつけたくなるほどつまらないわね」

「嘘! 天才なのかな、ってお思うほどうまく言ったでしょう!?」


 さっきまで可愛く微笑んでいたのに一気に刃物のような視線になった。

 私だって、言ってからちょっと後悔しているんだから……許して……。


 でも今の私達……とても仲良しでいい感じなのではないでしょうか!


「ねえ、『茉白』って呼んでいい?」

「なれなれしいわ」

「冷たい!」


 もう呼び捨てにしてもいい段階だと思ったのだが……早かったようだ。

 一瞬で撃沈した。

 そうこうしているうちに分かれ道に辿り着き、茉白は自分の家の方向に進み出していた。

 別れの挨拶もなしですか。

 しょんぼりと肩を落としながら茉白の背中を見送っていると、角を曲がって姿が見えなくなる手前で茉白の足が止まり、こちらを見た。


「じゃあね、『黄衣』。……それにしても、黄衣って変な名前ね」

「!! うるさーい! 私の親に謝れ~! 名前も可愛い『茉白』、また明日ね!」


 茉白は顔を赤くしてキッと私を一睨みすると、角の向こうに消えていった。


『じゃあね』って言ってくれた!

 ちょっと傷ついたけど、名前を弄ってくるなんて嬉しい!

 追いかけてタックルしたかったな!




 ※




 金曜日の朝になった。

 以前は待ち遠しくてたまらなかった、今では思い出すと胸が痛くなるだけの金曜日だ。

 先輩は宣言通りに、私のところに来るのだろうか。


 登校するため、靴を履いていると、妙に緊張してきた。

 玄関の扉を開けたら、先輩が……。


 いても、いなくても、どっちでもいい。

 そう思っているのに、なぜか少し手が震える……。

 息を止め長rあ、玄関の扉を開けると、その先には――。

 

「……いないじゃん」


 昨日までと同じ、やけに広く感じてしまう景色があるだけだった。

 先輩はいなかった。


 あの宣言はなんだったの……?

 からかわれたのだろうか。


「もういいや……先輩のことなんて」


『考えないようにしよう』


 これもこの一週間で何度考えたことか……。

 何だかもう疲れたな……。


 自分の一日が、頭の中が、結局は先輩に支配されている――。

 この状況にくたびれてしまった。


 私はいつになったら……どうしたら楽になれるのだろう。

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