第四章 睡蓮の『灯』り PART11

  20.


 リリーと桃子は早速着替えとタオルを持ち一階に向かった。朝風呂に貸切とは贅沢なものだ。椿を待つためフロントで待機しているが未だ来ない。


 ……ん、そういえば。


 リリーの頭にふと疑問がよぎる。貸切風呂というのは男湯と女湯があるのだろうか。


 ……いや、あるはずがない。


 このままでは椿と混浴になってしまう。女将を探そうとロビーに向かおうとすると、桃子が宥めるようにいった。


「いいじゃないですか。二つ目の温泉では二つの樽湯があるんですから一人ずつ専用の温泉があるんですよ」


「えっ? 二つしかないよ、足りてないよ」


「大丈夫ですよ、お客さんの体なら見せても恥ずかしくないですから」女将が目の前を通りながらいう。


「そ、そういう問題じゃないですよ」


 こんなひどい状態で椿に裸を見せられるわけがない。しかもこのままでは桃子と共に見せることになるのだ。彼女の胸にちらりと視線をやる。私のサイズではとても太刀打ちできない。


「桃子ちゃんはいいの? 男の人とお風呂入って」


「え、別にいいじゃないですか。店長なら大丈夫ですよ。変なことにはならないです」


「でも……」桃子の胸に再び目をやる。やはり分が悪い。


「店長と一緒にお風呂入る機会なんて滅多にないですよ。あ、そうだ。私、最初は大浴場に行ってきます。後で露天風呂に入ろっと」


 桃子は独り言をいいながら大浴場の方に曲がろうとした。


「えっ? ちょ、ちょっと、二人で入れってこと?」


 リリーは必死に抑えようとするが桃子は止まらなかった。


「いーえ、そうはいってませんよ。ただ私は気が変わったので先に大浴場に行ってきます」桃子はニヤニヤしながらスリッパの音をぺたぺたと立てながら進んだ。


「あ、ちょっと、桃子ちゃん」


 リリーの叫びを無視し桃子は闇の中に消えていった。大浴場の方に向かおうとすると女将に肩を掴まれた。


「大丈夫ですよ、きっとお客様は満足すると思います」


「ええっ? それ以前に私達、そんな関係じゃないんですよ。ただの友達なんです」


「だったら友達からレベルアップしたらいいじゃないですか」


「そ、そんな。いきなり、そんなこといわれても……」


 リリーがあたふたしていると椿が降りてきた。


「お待たせしました。あれ、桃子ちゃんは?」


「連れの方は別府の景色をもう一度みたいといって大浴場に行かれましたよ」女将が答えた。


「あ、春花さん。なんか浴場は一つしかなくて……」


「ああ、そういえば……」椿は口をつぐんだ。


「それでですね……いいにくいんですが」


「そうですね、僕も大浴場の方に……」


「もうっ。じれったい」女将が一喝した。「何をいってるんですかお二人は。仲良く二人で行ってきたらいいんです」


 女将に引きずられ貸切風呂に向かわされると、亭主が玄関から登場した。


「お、露天風呂に行かれるんですか。そいつはいい、是非満足できると思いますよ」


「あ、お帰りなさい。お客様は?」女将が振り向く。


「ストックさんは帰ったよ。どうやら立ち寄る場所ができたらしい」


「えっ、もう帰ったんですか?」


 リリーは女将に掴まれながらいった。彼の答えを聞いていないのに、まさか実の娘を置いて逃げたのだろうか。


「たった今ね。そうそう、これをあなたにと……」亭主はリリーに封筒を渡してきた。


「何でしょう、これは?」


「風呂に入った後にでも読んで下さい。それよりお嬢さん、是非早く入った方がいい。今までに味わったことがない温泉を味わうことができますよ」


「え、でも」


 仙一郎はリリーの言葉を無視して続けた。


「温泉っていうのは心まで洗うことができるんだ。この別府の町はね……」


「さあさあ、お二人方、案内しますよ。こちらへどうぞ」女将がさらに仙一郎の言葉を無視した。「旦那の話を聞いていたら日が暮れますよ、さあさあっ」


 彼女の勢いに押されリリーは離れにある貸切風呂に一人で突っ込まれた。


 ……しょうがない、こうなればヤケだ。


 リリーは全ての衣類を脱いで脱衣篭の中に放り込んだ。椿に見られないよう籠の上に小さいタオルをそっと敷いて置く。体にバスタオルを巻いて風呂の戸を開けた。


「お嬢さん、入りましたね。それじゃ彼氏さんを投入しますよっ」


 ドスンという鈍い音が聞こえる。


「それじゃ、ごゆっくりっ」


 その次にはバタンという戸の閉まる音が鳴った。


 ……と、とりあえず、浸からなければ。


 足早に風呂に潜り込む。本来ならタオルを巻いて入るのはご法度だ、しかし今日はそんなことはいっていられない。


 心臓はすでに大きく唸っている、湯船が心臓の鼓動で波紋を広げるのではないかというくらいに。


「冬月さーん」椿の声が響く。


「は、はいっ」


「やっぱり僕、大浴場に行って来ますよ」椿は申し訳なさそうにいった。「今は一つ目のお風呂に入っているんですよね?」


「は、はい」


「三つ目のお風呂の感想、聞かせて下さいね」


 心の中で葛藤が生まれる。昨日椿が細工をした風呂を楽しんだのは亭主とストックだけ。当然彼も楽しみにしていたのだろう。


 リリーは体に巻いたバスタオルを眺めた。大丈夫だ、次の温泉は樽湯だし別に見られることはない。


「あ、あの」蚊も鳴かないくらい小さい声が浴場に広がった。


「はい?」


「……いい、ですよ」


「えっ?」


「ちゃんとタオル巻いてますし大丈夫です。春花さんも楽しみにしていたと思いますし」


「いいんですか?」


 ……勢いだけじゃない。

 心構えはもうすでにできている。後は、彼にきちんと伝えたいことだけを述べるだけ。


「……大丈夫、です」

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