第三章 楓の『終』幕 桃子視点 PART6

  12.


 職員の薦めで寺を出た後、近くの民家に入った。簡素な佇まいだが柱は上等なものを使っている。何でも室生寺で働くことになってからずっとここに住んでいるらしい。


 職員は朽葉銀介(くちは ぎんすけ)と名乗った。寺の一番奥でお守りの札を書いて売っているとのことだ。


 桃子は自分を押さえ切れず銀介が茶を淹れている間に尋ねた。


「秋風楓はこの塔の建築に関わっていたんですね?」


 銀介は急須を掴んだまま頷いた。


「そうです。あなたの名前は楓さんから聞きました」


 桃子は困惑するしかなかった。娘に何一つ残していない父親が他人に身内の話をしている。


「父は私にもお母さんにも何も残していませんでした。私が知る限りではこの写真一枚だけです」


 写真を見せると、銀介は膝をつき頭を地につけてきた。


「……本当に申し訳ありません。全ては私が悪いんです」


「……どういうことですか?」


「楓さんは立派な宮大工でした。そしてその楓さんの命を奪ったのは……私なんです」


「……詳しく聞かせて下さい」


 強く睨むと銀介は再び真面目な顔になった。


「きちんとお話させて頂きます。しかしそこに辿り着くまで大変長くなってしまいます。今日のお泊りは決まっておりますか? もし決まっているのでしたら明日でも」


「宿はとっていません。帰りのことを考えずに来たものですから。是非、今からお話を聞かせて下さい」


 桃子が強い口調でいうと、銀介は突然背中を揺らして笑った。


「くくく、やはり楓さんの娘さんだ」


 無計画な所が父親と似ているといいたのだろうか。桃子は苛立つ心を露にした。


「突拍子もなく訪れたことは謝ります。ですが父と同じように扱わないで下さい。実をいうと私は父のことが好きではありません」


 正直に気持ちを伝えると銀介は再び頭を下げてきた。


「失礼しました。色々とお話したいことはありますが、まず楓さんの話をさせて頂きましょう」


 近くの椅子に二人で座る。銀介は暖かい緑茶を啜りながら話を始めた。


「まず桃子さんの誤解を解くため、私の話からさせてもらいます。私は葺師(ふきし)という屋根を作る仕事をしていました。


 ちょうど二十年前になりますかね。台風が襲来して塔付近にあった大木が倒れたんです。それが塔を直撃して大破したんですよ。それで私の師匠にその仕事が入ったんです。私がついた頃には楓さんはすでに修理を手がけていました」


「父は朽葉さんがここに来る前からいたんですか?」


「ええ、そうです。何でも最初は京都の海住山寺の修復を行なう予定だったらしいんですが、室生寺の被害の方が大きく親方の命によって来たといっていました」


 ……なるほど、最初は京都の塔の修復をすることになっていたのね。


 一つ疑問が解決したが新たに生じる。なぜ楓はそのことを綾梅に連絡しなかったのだろうか。


 しかしそれを銀介にいっても仕方がない。桃子は黙って銀介の話を聞くことにした。


「私は葺師として三年目で駆け出しみたいなものでした。親の薦めでもあり正直にいって仕事が面白いという気持ちで臨んでいませんでした。


 しかし楓さんは違いました。私と同い年でありながら棟梁を任されていたんです。あの年で棟梁として認められた人は彼くらいでしょう。高校を出てからすぐに宮大工の弟子入りをしていたみたいでかなりの熟練者でした」


 父親の話を聞きこの場を離れたくなる。別に楓がどんな人物だったのかということはどうでもいい。


 ただ、なぜ家族を裏切るようなことをしたのかが知りたかった。どうせ銀介に家族の話題を出したのも世間話程度だろう。


 しかし彼は桃子の気持ちとは裏腹に熱を止めなかった。

「ある夕食の時、楓さんは私に話し掛けてくれました。今回の現場が宮大工としての最後の仕事になることを。


 地元に家族を残していること、宮大工は出張が多いので地元で大工仕事を探そうと思っていること。娘は桃子という名前で一歳になるが、一度しか会えていないこと。だけど胸に桃の種を入れたお守りを身に付けて自分を奮闘させていること。


 楓さんはプライベートでは打って変わってよくお話をする人でした」


 銀介は勢いにのって話を続ける。


「それから間もなくしてです。私は屋根の上で作業をしていた時に足が滑り落ちそうになったんです。仕事に集中できてない証拠だったと思います。


 それを見つけて下さった楓さんは私の方に駆けつけてくれました。私を引っ張り上げてくれたんですが、足場が弱かったので楓さんと私はそのまま崩れ落ちてしまったんです。この足場を任されていたのが私の仕事でした」


 銀介は涙を堪えながら苦しそうに呟いた。


「私の身を庇って楓さんが下敷きになる格好で落ちてしまったんです。私の方はたいしたことがなかったんですが、下になった楓さんは重傷を負いました。


 私は泣きながら謝りました。すると楓さんは私が助かってよかったといってくれたんです……。そして荷物の中にある手紙を読んでくれといって息を引き取りました……」


 銀介の話を聞いてもぴんと来ない。今頃こんな話を聞いた所でどうすることもできないし、特別に父を恨んでいるということもない。楓との思い出がないからだ。


「この手紙です。どうぞ、読んで下さい」


 銀介から手紙を受け取ると、急に読むことが怖くなった。どういったことが書かれてあるのだろう。今まで何の連絡もしてこなかった父親だ。きっと都合がいいことだけ書いているに違いない。


 手紙に書かれている字は力強い字体で母親の字に似ていた。桃子は震える手を抑えながら読むことにした。



 ~これを読んで下さっている方、心から感謝します。


 そしてお願いがあります。私には妻と子供がいますが、塔が出来上がるまで一切連絡を取らないで欲しいのです。

 変に思われるかもしれませんが、私は家内と五重塔ができあがるまで家に帰らないと約束しました。それは喧嘩別れのようなものではなく、お互いに本心で話をさせて頂きました。なので私はこの塔が出来上がるまで家族の下に一切連絡できませんし、するつもりはありません。それは死んだ後でも同じことです。


 もちろん最悪の事態に備えて、実家に私のものは全て処分しております。娘は一歳になったばかりなので、私のことを覚えていません。後は家内と友人が桃子を育ててくれると信じております。


 なので私の一番の問題は塔の存続です。私は若輩者ですが、今回の一件で棟梁を任されています。ですので、体がなくてもこの場に残って皆の作業を見守る義務があると思うのです。


 誠に勝手で申し訳ないお願いばかりですが、私の遺体はこの奥の院に納めて頂きたいです。どんな状態であろうと構いません、ともかく私はこの塔が出来上がるまでここにいたいのです。


 常磐師匠(ときわししょう)、すいませんが後はよろしくお願いします。出来上がった後、塔の写真を一枚、家内に送って頂けたらそれで結構です~



 読み終わった後、いいようのない焦燥感に駆られた。胸が苦しくて呼吸をするのもきつい。


 銀介は追い討ちを掛けるかのように助言してきた。


「楓さんは全員の気持ちを汲み取って連絡を絶ったのです。もちろん私がご家族に赴いて楓さんがどれだけ愛情を持っていたか伝えることは可能でした。しかしそれは残った家族を苦しめることになると楓さんは考えたんでしょう。


 私は本当に悩みました。悩んだ結果、このことを楓さんのお師匠様・常盤檜(ときわ かい)さんに相談しました。


 常盤さんは修理を手掛けている全ての者に手紙の内容を伝え議論しました。その結果、楓さんの気持ちを汲み取ってあげるのが一番だということになり、完成した後、写真だけを送ったのです」


 銀介は地べたに頭をつけ体を揺らした。


「本当に申し訳ありませんでした。全ては私が悪いんです。どんな仕打ちでも甘んじて受けようと思っています。すいませんでした」


 瞳には感情の液体が溢れていた。楓は何も考えていないわけではなかった。考えた結果、連絡を徹底的に取らないと決めたのだ。何も残さないというのが彼の唯一の愛情表現だった。


 ……だが楓は馬鹿だ。


 桃子は無言で父親を罵った。自分がこの世に生まれた時点で父親の半分の血を受け継いでいるのだ。彼の存在がなくなるはずがない。楓と綾梅の二人の糸が絡まって初めて自分がここにいるのだから。


 桃子は自分の身を奮い立たせた。今ここで泣いたら、さらに銀介を苦しめることになる。


「朽葉さんが全て悪いわけじゃないです。お父さんが考えて決めたことなので。どうか頭を上げて下さい」


「しかし申し訳がたちません。謝らせて下さい」


 桃子は空咳をし正直に胸の内を伝えた。


「可笑しいことをいいますがどうか聞いて下さい。今まで私はお父さんのことなど考えたことがありませんでした。一切です。小学校の時に疑問に思ったことはありますがそれだけです。


 しかしその謎が解けました。家にはお父さんの荷物はないし手元には写真すらなかったんです。それは意図的にお父さんが作っていたんだなぁと思ったら何だか許せる気持ちになっているんです」


 桃子は限界まで我慢したが胸からこみ上げてくる思いが涙として零れた。


「頭を上げてください。ここに来れて本当によかったと思っています。是非、続きを聞かせて下さい」


 銀介は頭を上げ目頭を抑えた。


「ありがとう、ありがとうございます……。話が途中でしたね。では続きを語らせて貰います」


 銀介は背筋を正し桃子をまっすぐに見た。


「写真を送ることだけは決心していました。しかし仕事を続ける自信は全くありませんでした。なにしろ、自分の失敗で楓さんを……。ですが私は覚悟を持って室生寺建設の皆さん一人ずつ謝りに行って仕事に復帰させてもらえるようお願いしました」


 銀介は手の甲で涙を拭いながら続けた。


「もちろん反発にあいました。当然です、命が掛かっている職場なのですから信用がなければできません。


 しかし常盤さんが私に機会を与えてくれました。今こそ一つになろうと熱く語り、私のために皆の時間を頂きました。宮大工達は皆、常盤さんの意見に従いました。そこで私は現場に復帰できました。


 それからは無我夢中で仕事に打ち込みました。楓さんが助けて下さった命です、人生で初めて本気を出して作業に望みました」


 五重塔を見た時、何か暖かいものを感じた。それは楓だけではなく皆の思いが詰まっていたからなのだろう。強い絆があるからこそこの塔は再建できたのだ。それを父親が手掛けたと考えると、何だか誇らしい気持ちにさえなる。


「一年後、五重塔は無事建ち上がりました。私は早速写真を撮り、常磐さんにお渡ししたのです。


 その後、楓さんに救って頂いた命をこのお寺に置こうと決心しお寺の職員になる道を選んだのです。今日のような日が来ることを願って……」


 写真だけの手紙。


 もしそこに文章があったらどうなっていただろう。もし楓が生きていたらどんな未来があったのだろう。家族三人で暮らしていた日々があったに違いない。


 ……二人とも頑固だから喧嘩が絶えなかっただろうな。


 今よりもきっと騒がしく明るい家庭になっていただろう。願ってはならないことだが、気持ちに封をすることができない。そういった思いが描ける事自体に幸せを感じてしまっている。


 父親が存在していた、父親に愛されていたことを知った、それだけで今は十分だ―――。


「ありがとうございました、朽葉さん。覚えていることで結構です、お父さんの話を聞かせてください」


 銀介は桃子の顔を見てつきものが落ちたように微笑んだ。


「ありがとうございます、私が覚えていることでよければいくらでも話しましょう」

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